第三話
次の日。
イヴ・エドワードがいつものように研究室に入り、パソコンの電源を入れ、コーヒーメーカーでコーヒーを一杯作り、コーヒーを啜りながらウェブブラウザを起動した。
ブラウザを起動して検索サイトの検索欄にキーワードを打ち込む。
エンターキーを押すと直ぐにそのキーワードに類似した話題が無限に出現する。
そうしてその中の一つのニュース記事のタイトルをクリックして、それを見る。
見出しにはこう書かれていた。
『エルダリア政府、二年前に亡くなったエドワード博士にサーの称号を授与する予定であることを発表』と。
それを見て、イヴは小さく微笑んだ。
漸く、ジョン・エドワードは認められたのだ――と。
それでいて、悲しみを覚えた。
どうして、生きているうちに認められなかったのか。
父さんは死ななくてはならなかったのか――と。
そうして、彼女はウェブブラウザを終了し、ふたたび研究へ没頭することにした――。
◇◇◇
そろそろ食事を取ろうとし、部屋を出たら来喜が出迎えた。
「やあ、久しぶりだね」
「昨日会ったばかりだろう。何を言っているんだ」
そう言ってイヴは鍵を閉め、食堂へと向かう。そのあとを追って来喜も歩いた。
「君に報告がある。君が参加したことでプロジェクトが本格始動した」
「そりゃどうも」
「それで……確かエドワード博士……君のお父さんがサーの称号を受け取るというニュースを見てね、思い出したんだよ。エドワード博士の書斎に入ることはできないかい? 何か、いい情報が得られると思うんだよ」
「どうしてだ。別に私だけで問題はないだろう。それに……特にそれといった書物もない。なぜなら私が凡て破棄したからだ」
「どうして?」
来喜は驚いたような表情を見せた。
対して、イヴは非常につまらなそうな表情で、肩を竦める。
「そういう遺言だよ。たとえ、私が父さんと同じ道を歩もうとしても、父さんの書斎にある書物は凡て焼き払ってくれ、ってね」
「……そうか。それほどに、秘密主義だったのか?」
「そういえば体はいいけれど、でもそんな秘密主義なんて仰々しいものじゃない。父さんは毎日のように言っていた。『自分が生きていた証を、できる限り遺したくない』と。何を言っているのか、まったくもって解らなかった。だって、父さんは世界的に有名な科学者だったのだから、生きていた証なんて半永久的に遺されてしまう。だけれど、ずっとそう言っていて、死ぬ半年前から遺言状として私に手渡していた。『私が死んだら、それを見なさい。決して私を思い出すのではなく、忘れるのだ』と。その意味が、今でも解らない。……まあ、もしかしたら、『ジョン・エドワードの娘』というレッテルを私に貼られたくなかったから、そう言ったのかもしれないけれどね」
来喜とイヴの会話が終了したのと、彼女たちが食堂に到着したのは、ちょうど同じ時だった。
エルダリア大学の食堂は全国にある食堂を考えても最大規模だと言われている。メニューは全四十種類、最大収容人数は千三百人(余談だが、エルダリア大学の関係者は多く見積もっても千人程だ)、だからいつも空席が目立っているのかと言われるとそうでもない。この食堂で出るメニューの味は天下一品とも言われ、全国各地からこの食堂の料理を食べに来る人間が多いのだという。
イヴと来喜は『定食C』を選択し、食券を提出した。
カウンターで待っているうちに、続々と人がやってくる。しかし、ここにいる店員は凡てがロボットで、全自動で作られているためたとえ人間が増えても問題はないのだ。
出来上がった定食Cをもち、二人は向かい合った席に座る。
どうやら今日はカツレツにトマトソースがかかったもののようだった。付け合せは茹でキャベツ、スープはカボチャのポタージュ、ライスは玄米が入っている健康志向のものだった。
イヴは給水器の横にあるマヨネーズを持ってきて、茹でキャベツにこれでもかとマヨネーズをぶちまけた。
「……太るよ」
「タンパク質は必須だ。それに私はマヨネーズが無ければ生きていけない」
「ああ、そうかい」
来喜はもうつっこむのはやめて、箸を手に取り、顔の前で手を合わせ、いただきますと言った。イヴも若干それに合わせるようにそう言った。
「そういえば、フェルミのパラドックスというのを知っているかい?」
食事中、来喜がそんなことを言い出したので、イヴはフォークで刺したカツレツを頬張って答える。
「聞いたことがあるな。確か宇宙人の存在可能性について説いたものだったかな?」
「そうだ。外宇宙の知的生命体の存在と、我々人間との邂逅の可能性が皆無ということがおかしいということだ。確かに見ていればそのような感じがするね」
「……で、それがどうかしたか?」
「いいや、別に」
だったら言うなよ――とイヴは言いたかったがそれを堪え、食事を再開する。それを見て来喜も食事を再開した。
来喜の表情は、少しだけ笑っているような気がした。
◇◇◇
昼食を早々に終え、来喜はポケットから数枚の紙束を取り出した。
「それは?」
「企画書みたいなものと思ってくれればいい。そんな感じのものだ」
「企画書、ねえ。見ても?」
「そのために持ってきたんだ」
来喜から企画書をひったくって、イヴはその企画書を読み進める。
内容は先程来喜が言っていた『世界の電子化』についてだった。
世界の電子化。
そうはいうものの、簡単に出来るものではない。
出来るものでないから、やり甲斐がある――来喜はそう言っていた。それについてはイヴも同意出来る。
「どうだい?」
来喜の言葉を聞いて、イヴはそちらを向く。
「……そうだね、いいアイデアではあるけれど、いろいろ吟味すべき点はあるんじゃあないかな」
「例えば?」
「コストがかかりすぎる」
そう言って、イヴはポケットに入れていたボールペンを取り出した。
ボールペンを使って、来喜が持ってきた企画書に色々と書き込み始める。
暫くして、イヴは来喜の方に企画書を見せた。
「これを見てくれよ、例えば、コストはもう少し削減出来ないかい?」
「どうして? 人工生命を使うことを考えると、これくらいのコストは必要最低限であると思うのだけれど」
「ティエラを使うんだけれどね」
「ティエラならなおさらコストがかからないんじゃあないの?」
「考えてくれ、この量だぞ」
そう言って来喜はペンで表を指差した。そこには電子世界実験において必要とする人工生命の数だった。
その量――七千七百。それはあまりにも多すぎて、プログラミングしきれるのか解らなかった。
ティエラは起動するとコンピュータ内に仮想機械を作りだし、『スープ』(あるいは『メインメモリ』)と呼ばれる適当なサイズのメモリを確保する。スープは仮想生物が暮らすための空間であり、ここに展開されたバイトコードは仮想生物の遺伝子にあたる。仮想マシンは、遺伝子を機械語として解釈し、実行する。
しかし七千七百もの人工生命を、凡て一つ一つティエラで賄っていくには非常に難しい。
ならばどうすればいいのか?
イヴには一つ、いい考えが浮かんでいた。
「ねえ、これっていちいちプログラミングすることは出来ないの? 面倒くさいかもしれないけれど一度システムさえ構築してしまえばいい気がするけれど」
「そんなこと出来たら苦労しないよ。……ともかく、君のいうことはそれだけで構わないかい?」
「世界を作るんだろう? 本気を出せよ。お前はもとい創造主だぞ」
それを聞いて来喜は頷く。
「そうだ。僕は確かに創造主だ。創造主であるが、しかし創造主は世界の人間の……言うならば『我が子』の話も聞かねばならないだろう?」
「と、言うと?」
「だから……よく言うだろう? たしか聖書だったか、どうだったか覚えていないが、カミサマが『光あれ』と言うと暗闇だった世界に光と闇が生まれたって話」
「ああ……それは知っているぞ」
「それをやりたいわけだ」
「……そんなカルト思想を持っていたわけ?」
「そんなの、君だって一緒だろ」
来喜はそう言うと付け合せのスパゲッティをフォークでくるくると巻き取り、それを口にした。
チャイムが鳴り響いたのも、ちょうどその時だった。
「……もう時間ですか、それじゃあ一先ず戻りますか」
そう言って来喜は――すでに食事を完食していた――トレイを持って立ち去っていった。
残されたイヴも、残っている食事を食べるために前に向き直した。