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初期書き物

友達が少ない

作者: DJ克明

友情は信用だと思う。お互いの信用があって初めて、友情は成立する。私は友人を助けようと努めて今まで生きてきた。愛そうとし、いや、「愛する」という言葉は普通異性に使う言葉であろう。最近の若者には古過ぎる。しかし、私は敢えて「愛している」という言葉を使うべきだと考えている。


友人のナガミヤの事件は私にとって今年もっとも衝撃的であった。しかし、私が書きたいのはその事件の伏線ではない。私が書きたいものなど何もない。ところが、今もこうして書き続けているのは多分、毎朝のご飯と味噌汁、あるいはパンと同一で、習慣、或いはそれ自体が生きることに繋がっているからであろう。


先ほど申したようにナガミヤの事件について書くつもりはない。私には、書きたい、書かなければならないものもない。だが、現に今、書いているのは多分に「小説」だろう。そうに違いない。けれども、私が「小説」について知っている事は「何をどう書いてもいい」という事だけ。自分が今、書いている、その異様な小説と呼ぶものも、自分がそう呼べば小説だし、ふざけてはいけないが、慌てる事もないのである。


友情の話に戻ってみよう。私は友人が少ない。ソーシャルネット(SNS)の世界で何千人、何万人と「友達」を作っている人がいるが、信じられない事で、「浅く、広く」という交友範囲は真の友情ではあり得ないと思う。「友達」が少なくてよかった。それは僻みでも、妬みでもなく、友情がそういう性質を持っているに違いないのだ。


私はナガミヤの事件の後、ずっと考えている事があった。事件のことではない。それは今、書いている小説の事でもなく、意識ってなんであるんだろう?という事でもなかった。私が考えていたのは何を隠そうマスターベーションの事であった。

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― 新着の感想 ―
[一言] これは小説というよりエッセイとか雑文というものではないか? 小説なら最低でも一人以上は登場人物を作らなあかんと思うけどこれは作者一人が語っているだけやろう。 もっとキャラクターを作らなあかん…
2014/01/01 05:07 退会済み
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