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第六章   煮つけとお酒と星の夜


「――で……?」

「ん?」

「……なんで、あたしはここにいんの?」

「なんでって… 約束しただろ? お前のおごり」


真面目な顔して、隣に座った剛史が言う。


だ、か、ら!


「高給取りの分際で、ほんきであたしにたかる気か!」


医師と栄養士の給与差、知らないとは言わせねえ。


本日朝の一件は、あの時点をもってあたしの中では消去済み。

仕事はそれなりに煩雑で、頭も手も、ついでに足だって酷使する。

ほかのことなど考える余裕などないままに没頭し、

残った分も残業こなして午後七時。

しみじみと感じる疲れの中、さあ、早く帰ってご飯だ、ご飯――

と、通用口を出た途端でっかい腕に捕まって、あれよあれよ連行されて。


ここは、職場にほど近い、居酒屋の店の中。

そのカウンターに二人して陣取って…

 

今日のあたし、こんな予定は入ってないぞ! 


ここにいたってようやく繋がった神経が、剛史の理不尽さを理解する。


「騒ぐんじゃねぇよ、みっともない。

公衆道徳ってやつを、叩きなおしてさしあげようか?」

「何が公衆道徳だ。周り見てみろ、この惨状」


すでに夜もたけなわで、それぞれに出来上がってるやからども。

その真っただ中での音量など、ささやかな雑音にしかならんがな。


「まあ、そう、かっかすんなって。ちゃんと加減はしてやるよ。

ほれ、煮つけ、お前好きだろ? たこわさも」


確かにここの突き出しと、魚の煮付けは絶品で、あたしの大好物の一つだが。 


「あたし、バイク」


病院に置いたままじゃない。

居酒屋ここ来て酒呑まないで、帰れって?


「あとで、タクシー。俺が帰るついでに送ってやる」

「母さんのご飯」

「あ、俺が連絡しといた。『急な飲み会で夕飯はいりません』」

「……明日、どうやって職場に来いって……?」


徒歩三十分歩けってか?


「俺が迎えにいってやる――と言いたいところだが。

残念ながら明日の午前中は、研修会で大学あっち行き。

ユウに頼んどいたから、送ってもらえ」

「……兄貴にまで話、いってんの…」


なんつー用意周到な…

この男ってば本当に、外面だけは良いもんだから、

妙に受けだけは良いんだ、全方位。


いつもにっこり、素敵な笑顔。

ガタイは結構いかついくせに、物腰だけは柔らかで。

『話の解る優しい先生』って噂を、確かにあたしも聞きました。

そのやっかいな性格を把握している我が家でも、

あたしより信用があるのはなんなんだ?


「『久しぶりのデートでしょ? 楽しんでらっしゃい』と言われたぞ」

「ちょっと待て。それはだ~れのお言葉だ?」

「お前んちの元気なおふくろさん。

いや~相変わらず、話が早くて助かるね~」

「訂正しろ、訂正を。そこは、思いっきり訂正するとこだ」

「俺的には一向にかまわんぜ。虫よけにもちょうどいい」


グイッとキンキンに冷えたビールを呑みながら、

言ってのけてくれますね、この極悪人。


「自分で虫よけとかって言ってのけるとこが、腹立つんだけど?」

「ま、そう言うなって。事実、事実」


モテる男はつらいねぇ

けろっと自慢をうそぶきながら、

目の前の突き出しをさっとあたしの前にすべらせる。


う~美味しそう… 

今日はひじきの煮ものですか? 

ああ…お待たせされる間もなく… 

こ、これは、愛しのつかやちゃんではありませんか…

この辺じゃめったにお目にかかれない魚、つかやの煮物の登場に、

あたしの理性はぐらぐらだ。

お腹も、減り過ぎるほど減っている。 

これはどうあっても、付き合わないでは帰れない。 


「おごりは無理! 

あんたみたいにでっかい奴の食べる量、

あたしにおごり切れるわけないじゃん」 


今日は給料日の十日前。いくらも財布に入ってない。


「しょーがねぇな~ それじゃ、わり。

割り勘分ぐらいはあるんだろ? 帰りのタクシー代は持ってやる」

「それは拉致責任の範疇はんちゅうにて、今回はノーカウント」

「せこいやつ」

「なんとでも」


ぐーぐーなるお腹には勝てない。

どうやらほんとに、帰してくれる気もないらしい。

うう… 唯でさえ、今月ピンチだってのに…


「…まったく…」

「あん?」

「何だって、こんな奴が同じ職場に…」


絶妙の塩加減のひじきと、お待ちかねの煮付けを口に運びながら、

ブチブチと愚痴るくらいは許せよね。


「は?なんか言ったか? ほれ、おにぎりセットとビール。

冷酒はその後だろ? 先にやってるぞ」

「断る前から、やってんじゃん…」


人のお気に入りのキープ冷酒、勝手に呑み始めちゃってるかと思えば、

酒とコメをセットで食べないと落ち着かないとか、

とりあえずビールを呑みたがるとかって

あたしの癖はしっかりと呑み込んで、

頼む前から目の前に、差し出されてきたりする。


このおとこ、本当に何をしたいのか。



二人して、箸を動かす。

少しだけの静かな時間。


思い出してしまってる。剛史とあたしのかかわりを。


あたしが住んでるこの街は、一応市とはいえ、

県内でも知名度って点で見劣りがする場所にある。

交通網が発達していると言われる中で

『此処だけは車がないと生活できないわよね~』などと、

真面目な顔して囁かれたりする結構な田舎町。


けれど市の中を一本だけ通っている電車は、そのまま中心部へ一直線。

時間が少しかかる事さえ我慢すれば、

乗り換えなしのメリットは実は地味に捨てがたい。


その所為という訳でもないけれど、

あたしは二十五になるこの年まで、

自分の家以外の場所で住み暮らすことなく生きてきた。

成績は、どっちもつかずの中の中…いや、下、の方だった…かな…?

高校も大学も、通える場所にそれなりに良い学校があったから、

余裕の無い家計を圧迫してまで、

下宿探す必要も方向性も持たなかった。

ぬるま湯とかって言われるかもしれないが――

だって、めんどくさかったし。


そんなあたしの生活圏に、

このガタイのいい奴が、入りこんできたのは十五年も前の事。


いわゆる兄貴の同級生。

やたら名前が出る相手、っていえばわかりやすい存在だろう。


初対面からあたしに失礼ぶちかました癖に、

やたらとうちの連中に可愛がられたこの男は。


ゆっくりとぼんやり生きるあたしとは裏腹に、

公務員とか教師とかの仕事に就く予定をあっさりと鞍替えし、

医学部に志望変更した挙句、国立の医学部に現役で合格をしてのけて、

ここから三百キロも離れた大学に六年間、

進学するため街を出て行った。


『あのバカ、上手い事やりやがって…』


と、呟いたのは、地元の大学の教育学部に合格した兄貴、だったかな?


なんとなく、なんとなく。

兄貴の言葉の意味は、あたしにもわかっちゃった。


剛史がやってのけたのは――あたしたちにはできない事、だったから。


そしてその時思ったの。

ああこれで、あいつとの縁も終わったな…って。

終わっちゃったんだって、思ったのに。


―――なのに。

なのに、だ。


八年以上も経ってから、こいつはこの街に舞い戻ってきやがった。

それも、寄りにも寄って、あたしが勤めてる病院に。

しかもご丁寧に赴任してくるその日まで、

兄貴の口に緘口令かんこうれいを引きやがった。


新任の挨拶で剛史の顔を見た時の、あたしの気持ち、わかってくれる?

それを見たこいつの、『してやったり』とした笑い顔――


あ、思い出したら、

また、腹が立ってきた。


「つくづく、むかつく…」

「なにが?」

「もちろんあんた」


自覚がないんか、おのれには。


「それは全く心外な。

このタッパもあって顔良くて、頭も良くて性格も良い、

将来有望なお医者様に向かって、それを言うのか、お前はよ」

「異議あり。異議をてんこもり言い立てる権利があるぞ、あたしには。

だいたい、あんた程度の顔でいばるな。

ついでにあんたの場合、その性格でお釣りが来る」

「お前にそれを言われたくない」

「そっくりそのまま返しましょうか?」


こちとら、十年越しだけど?


「初めて会ったあの日あの時、

いったいなんておっしゃいましたっけ? 剛史さん」

「……」

「よもや、お忘れではありませんよねぇ?」

「…古い話を…」


ちっと舌打ちをしてあっちの方向を向いている。

ふん! 少しは悪かったって思ってんの? 少しは態度で見せてみろ。


こいつと初めて会った時、

あたしはまだ小学生。確か五年の年だった。

現在167センチあるあたしの身長は、

この年になっても女としたら大きめなのに。

あたしの身長の伸びのピークは、あろうことか小学校の高学年。

五年生の終わり頃には、もう既に160を超えていた。


その高さは同学年の女子は元より、二つ年上の剛史より、

その頃のあたしは背が高くって。


それなりにコンプレックスを持っていた、

当時十歳のいたいけなあたしに、

初対面で、こいつはこう言ってのけたのだ。


『可愛くねェ、ノッポなガキ』


「――いい加減、その古い話をやめねえか? 

こうして同じ職場になったのも何かの縁って奴だと思ってさ。

もうちょっと可愛げのある顔、してくれてもいいじゃねぇか」

「あんたに見せる愛嬌あいきょうはない」


どきっぱりと言ってやる。

ほほほほほ。

あたしにそんなもん、はなから期待する方が、間違ってると思わない?


「そんなに愛嬌のある顔が見たかったら、他、当たってくださいな。

あんたがにっこり笑って見せれば、

満面の笑みで応えてくださる綺麗どころが、あっちこっちに満載よ?」


いや、これは本当に、誇張でも何でもなく。

さっき本人も言ってたが、


医者で独身。

狙ってるお嬢様方は結構居るとふんでいる。


うちの病院内だって、表立って騒いだりはないけれど。

それはそれ。

ただでさえ女性が多い職場のこと。そこは承知していただかないと。


「今から、バレンタインが楽しみね~ 山本センセ」

「…嫌味か、それは」

「いや、本音。あんたが、久しぶりの優良物件ってのはホントだもん」


盛り上がるわよ~、きっと。


自分に関らない、こういうお祭り騒ぎは大好きだ。

がくっ…と肩を落とす剛史を横目で見て、少しだけ溜飲を下げる。

ほっほっほっ… 

あんた甘いもの苦手だったもんね、気の毒に。

あ~、本当に楽しみだ!



そんな話をしている内に、

頼んだ注文はあらかたお互いの胃袋に収まりきり、

お酒も… ――おお、ちょうどよく、ほろ酔いってとこですか。

あ~… 今日は良い夢が見れそう…


――うん! 今日はアレクに会えそうだ!


よし。そうと決まったら、さっさと家に帰って風呂に入って寝ないとね。

剛史の方もどうやら、お開きの気配。

さりげなく、置いていたリュックを手にとって伝票に手を伸ばす…

と、その前に、伝票を大きな手にかっさらわれた。


「え? あれ…ちょっと…!」


そのまますたすたと出口へ向けて歩き出した

剛史を慌てて追いかける。


「ちょ、ちょっと待ってよ。お勘定…」

「今日はいい」

「いいって、あんた」


あたしにおごらせるために、来たんでしょ?

あとでしっかり割り勘分、請求出す気でいるけれど。


そんなあたしを無視する様に、会計を済ませ店の外。

二人きりになったところで奴がいきなり立ち止まる。

振り向いて、じっとあたしを見下ろした後、ニヤッと笑ってこう言った。


「今度、もっと高いとこでねだってやることにした」


首洗って待ってろ。破産させてやる。


ゲッ…

なんつー脅迫を…


「だ~れが、付き合うっていいました?」

「ふふん。俺は自分の決めた事を一度たりとも諦めた事はない」

「いや、それ、自慢じゃないし」


だいたい、あたしは何の約束もしていない。


「寝言は寝てから言ってよね。

一方的な約束は、契約とは認められませ~ん」


ついふざけて否定しかけたあたしの腕を、

いきなり強い力が拘束する。


「つっ…」


思わず発した言葉を、すくい取る様に顔を近づけて、


「逃げられると思うなよ」


――えっ・・・と、剛史、さん…?

  どうかなさいました? 

  少しばかり、なんだか目が怖いんですが…


そのまま通りかかったタクシーに押し込まれ、

何だかお互いに無言のまま後部座席のシートの上。

シートにもたれかかった目線から見えるのは、

流れすぎてゆく街灯のほのかな灯。


何だろう…

なにか、いつもと違う感じ。


ちらっと、横に座った剛史を見る。

前だけをみて、柄にもなく真面目な顔をして。


――なにか、話しかけてみる?


いやいや。

あたしの感が、それはだめだと告げている。


藪をつついて蛇を出す。

出てくる蛇は、きっとあたしの手に負えない。


やがて、ありがたくも前方に我が家の屋根が見えてくる。

なんとなく、ホッとするのはなぜだろう。


「有里」

「え?」

「約束したからな」

「は…?」

「はいって言え。それだけでいいから」


…それ、何させられるかわかんないから言えませんって、言っちゃ駄目?


キーッとブレーキの音がして、タクシーが止まる。

あたしはドアが開くと同時に、リュックを引っつかんで外に飛び出した。


「おい! こら…」

「残念ながら、時間切れ。お約束など無効です。

おやすみなさい、山本センセ。

どうも、ごちそうさまでした」


軽く下げた頭の先でバタンとドアが閉まってく。

スモークのガラスが中にいる、あいつの顔を隠して閉じる。

そのまま。

うん。そのまま、タクシーはゆっくりと走りだしていって…


角を曲がって、その車体が見えなくなって、

やっと落ち着いて息を吐き出す。


あ~あ、やっと帰った――長かった…


この頃、やけに絡まれる。

絡み方がかんさわる。


――更年期障害? いやいや、誰かに振られたか?


失礼千万だとわかっても、つい考えてしまうのは、

いつもなぜか落ち着かない気持ちになってしまうから。


いずれにしても、多分何かの八つ当たり。

良い迷惑だわ、こっちには。

それでもまた、明日になれば職場で顔を合わせることになる。

こうなったら一日でも早い、奴の精神の回復を切に祈ろう。


「は~やく、別の八つ当たりの場所、作ってくれりゃーいいのにな…」


ぽつんと一つ、

屋根の影から見える星にそっと呟いて、

あたしは玄関のドアを開けた。



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