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第三章   こちらのあたし


ジリリリリリリリリリリリ!!!!!!


大音響のベルが鳴る。


「有里!うるせーぞ!!」


止めろ!ばっかやろー!!

隣の部屋から聞こえるのは、壁を蹴飛ばす音と兄貴の声。


「わかってるってば!」


そっちの方が、うるさいよ!

怒鳴り返して、枕もとの目覚まし時計を叩きつぶす勢いで止める。


少し息が上がってるのはご愛嬌。

寝起きの悪さを考慮して、就職と同時に買った時計の謳い文句は、

『冬眠している熊でも起きる』――心臓に、ほんと、よろしくない。


買い替えるべきかと、思い続けて早数年。


特にこの一年、こんな夢を見だしてからは、

この音が文字通り『夢』の世界からあたしを切り離す、

悪魔の様な気さえして、理不尽な殺意まで持っている。


「有里~! 起きたの~! 顔洗って、ご飯だよ~!」


階段の下から、おふくろ様の声。


「今行く~!」


大声で返しながら、パジャマのまま洗面所へ駆けこむ。

寝起きの顔を、冷たい水でバシャバシャと洗いあげる。


滴り落ちる水を拭おうとして、目の前にある鏡を凝視する。


こちらを向いて、間抜けたびしょ濡れの顔を晒している人。

良く言って十人並み。

悪く言えば何の変哲もない、

ありふれた女があたしを見詰めている。


これがあたし。


現実世界のあたしは、神戸有里かんべゆりいう二十五歳の日本人。

職業は管理栄養士。職場は病院。


夢の中のユーリは、茶色の髪に薄青い瞳を持つ少年だ。

ちょっと美少年より? 

でも、普通。あちらでは。


現実のあたしはこの通り。

どっからどうみても当り前の日本人。

寝ぐせのついたショートボブは、一度も染めた事の無い黒一色。

瞳も当たり前のように焦げ茶色。

――カラーコンタクト? ないない。目に異物入れるの耐えらんない。


どこと言って取り柄の無い顔に、決して良いとはいえないスタイル――

平凡な顔の両親から生まれてきたから、当たり前と言えば当たり前だが。


自分を綺麗に見せることが、

殊のほか苦手な母親に似てしまったらしいあたしは、

化粧もブローもネイルも、無理。

おまけに、それを一生懸命学ぼうと思うほど、

情熱を持てなかったまま来てしまったが故に。

薄化粧とは名ばかりの、いい加減な化粧しかしない女となり果てた。


まあそれで、何の不都合もない…かな?


うん、ないな。

たまに会う親戚のおばさんに、

ほろほろと嘆かれるのが、ちょっぴりうっとうしいけれど。


おかげで、この年まで浮いた噂一つなく、品行方正とは名ばかりの、

ぶっちゃけめんどくさいから恋愛とかって無理だよな~

との、妙な達観を貫いて、

その手の話とはとんと縁の無いまま、

のほほんと暮らしてきたのにさ…


――なんで、夢で、落ちるかな…


恋愛は思う様にはならないの!――って、友達からも、

よ~くよ~~く言い聞かされてはきてたんだが。


まさか、現実以外で初恋を経験するなんて。

しかも、相手はとびっきり。高嶺の花ときたもんだ。


しかも、自分があんなに面食いだったとは…


夢は、自分の願望って言うけどな。

それにしたって、あれはやり過ぎだと思わない?


本来あたしはおじさま系の、渋い年上がタイプなの。


なのに、


何の事はない。

落ちてしまえば初恋が、とびっきりのイケメンだった――

なんて、ねぇ?

笑い話にもなりゃしない。


神戸有里。

二十五にして初恋を知る――お願いだから、だれかツッこんで。



妙にリアルなあの世界を、夢に見だしたのは一年ぐらい前の事。

ユーリが故郷を出て、騎士団に入隊する直前でのことだった。


生来あんまり物事にこだわんない性格なんで、

夢だってわかってからは、思いきりその世界を楽しむことにした。


初めて見る街の様子とか、

城の堅牢なたたずまいとかに、

見とれたり感心したりで、結構お気楽に異世界ライフを満喫していたんだが。


なぜか突然、第一騎士団に配属され(見習い兼従僕だけど)、


団長にお目見えした途端、

真っ逆さまに一目ぼれ―― 

ついでに、その場で、失恋が確定したっておまけつき。


男同士だから?――いや、それも大事な要素なんだけど。


実はこの夢には、根本的にどうしようもないお約束って奴がありまして。


あたしはユーリの中に居るが、

あたしはユーリではありえない――


え? どう言う事かって?

えっとね、つまり、


夢の中のユーリは、間違いなくあたし自身なんだけど、

ユーリの意識とあたしの意識は、

実はまるで別のもの。


わからない? 

……う~ん…、どう言ったらいいのかな…

映画を見てる… 

そう、そんな感じかも。


もの凄くリアルな映画を、

体験しながら見ている感じ――とでも言うのだろうか。


あたしの意識は確かに彼の中にある。

けれど、ユーリの行動をあたしは制御出来ないし、

彼の意識を乗っ取ることは一度も無い。


彼の目でしか、あたしは世界を見れなくて、

彼が目を閉じたら視界は消える。


あたしが何かしたいと思っても、

世界に、一切干渉はできないようになっている。


また、あたしが眠る眠らないにかかわらず、

確実にあちらでの時間は過ぎていて、

最初はすごく混乱した。


けれどだんだんわかってきた。

この夢の法則が。


寝ている間、夢を見ている間だけ、

あたしの意識はユーリの中にお邪魔して、

彼の日常を共有させてもらうだけ。 


――もう、これって、夢って言わないのかもしれないが。


だからあたしの恋心は、決してユーリのものではない。


ユーリの中の団長への感情は、純粋なあこがれと崇拝に近い。

あたしのものとは、ちがうもの


団長――もう、めんどくさいから、アレクでいい?


アレクへのあたしの想いは、あたしだけのもの。

そして、この状況では、伝える事も叶える事もかなわない。


つまり、

最初っから、失恋、確定。


「――って、あんまりだよね~」


そうよ。

あんまりにもあんまり過ぎる。

あんなにも近くに居て、話して触れて感じる事はできるのに。

あたしからは、話しかける事も問いかける事も、

触れる事だってできはしない。


全てユーリの行動次第。

彼が動いてくれないと、あたしには何も映らない。


――理不尽だ。


余りにも理不尽な事態だと思うのに。

アレクがユーリに話しかけると、

頭を撫でて笑いかけると、

ユーリの中であたしは、悲しいほどに嬉しくて、震えるほどに泣きたくて。


こんなにも思い通りにならない恋なのに、

あたしは彼に会えた事、心の底から喜んでる。


「――な~に、百面相してんだ、ボケ!」


ゲイン!と、音さえ立つほどの勢いを付けて後ろからあたしの頭を叩き倒したのは、

朝一であたしに文句を付けやがったあたしの兄貴―― 

ユウキ、こと、神戸祐樹かんべゆうき


「痛いな~ 仮にも大事な妹の頭、思いっきり殴る? しかもグーで」

「はん! お前みたいに女捨ててる奴に、

 払う優しさなんざこれっぽっちもねー。

 文句があるなら、彼氏の一人も連れてこい」

「あ…あ~っつ…! 

 人の一番気にしてる事、突いてくるな! バカ兄貴! 

 てめーこそ、彼女の一人も連れてきやがれ! このへたれ!」

「な、なにを! 妹の分際で生意気な!」

「おうよ!やる気!?」

「おお!受けて立ってやる!」

「――いい加減にしなってんだ! このバカチンどもが!」


ばこっ!ぼこっ!!

二発ぶっ続けで少しまぬけな打撃音。

我らがおふくろ様の丸めた雑誌から放たれたそれは、

あやまたずあたしら二人の頭を直撃して跳ねる。


「~~~~~……」

「…おふくろ~~~… 頼むから、通販のカタログはやめてくれ…」


頭を押さえて泣きの入った兄貴に心の底から同意しつつ、

本日二度目の衝撃にあたしは声すら出やしない。


普通殴るか? あの分厚さで。


「ほら!さっさとご飯食べちまいな! 

 有里、あんた、今日早番だっていってなかったっけ?」

「うわっ!やばい! 母さん!ごはん!」

「出来てるよ! ほれ、祐樹もいつまでも妹相手に遊んでんじゃないよ! 

 さっさと嫁さん連れてきな、って言われたいのかい?」

「それを言うか…? お~れに、それをいうか! 

 …いじめか…? おふくろ、それは俺へのいじめなのか?」


どうせ、俺はモテねーよ!


叫ぶ兄貴を後目に、あたしは朝ごはんの前に座って両手を合わせる。


「いただきます」


ギャーギャーと往生際が悪いのは、兄貴の欠点の一つだよね。

実の所、兄貴にファンがいることを、

あたしはしっかり知っている。


いつもながらの騒々しい朝の風景に、

あたしの感傷は少しずつ消えて行く。


決して無くなりはしないけど。


「今日は話せた、超ラッキー!」と思い返して笑えるぐらい、

あたしの思考は、現実の世界へと対応していった。



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