第十三章 何かと毎日起こりますー3
「――失礼します」
と、ドアを開けて入ってきた人を見て、あたしは本当にびっくりした。
いや、別に、知ってる人間が急に来たとか、
会いたくない奴が大挙してきたとかじゃなく。
入ってきたのはたった一人。
しかも、妙齢のご婦人なんだけど。
――な… な… な…
なんちゅー、スタイルしとんねん、われ!
――いけない。
昔近所のテキヤのにーちゃんから習った、
関西弁柄悪いバージョンが出てしまいました。
し、しかし。
にっこりと立つナース服をお召しになった女の方の風情と言ったら。
ボン! キュ! ボン!――ってこういうの?
思いっきり飛び出した胸と、張り出した腰のラインのまんなかで、
きゅっと引き締まったウエストが信じられないくらい細く見える。
えっと…この病院、それ系のナース服、置いてたっけ?
え?なに? これ普通の標準服?
普通のナース服が、
どうやったらこんだけ悩ましく、身体の線を強調してしまうんですか!?
ピ、ピンク…
そう、いっそピンクのナース服でも着てくださいな、おねーさん。
あ、だめだ。
小児科は、全員ピンクだ、ナース服。
それじゃなくてもっとこう…
蛍光色のド、ピンクの。
絶対絶対お似合いです!
しかもお顔もそれ系に、
大人のお色気満載って感じの美人さんですね、あら凄い。
その美人さんが、事務室の中をゆっくりと見渡して、
にっこり笑ってお口を開く。
「こんな所にいらしたんですか? 山本センセ。お探ししましたよ。
午後の診察の手順など、しっかりお聞きしたくって」
――うわ~~っ!!
これは、エロい!
まじ、エロい。
こえ…
こ、声まで腰にクる。
いやもう下品で申し訳ないけれど、
女でもこれだけきちゃう声ってどうなのよ。
すごい。
すごいわ、あなた。
某有名な、泥棒を振り回す悪女、思い出す。
「や、やあ。平川さん。
すぐに行く、つもりだった、んだけど。
俺にも、色々、予定が、あって…」
――おびえてる。
珍しい。
あの剛史が思いっきりビビってる。
剛史、あんた何ヘタレてんの!
――って、言いたいけれど気持ちわかる。
これだけの迫力で来られたら、普通の男はひくかもね~
剛史、あんた、ふつうのおとこだったっけ?
この美人さんは剛史をその方向で狙ってらっしゃる、と。
部外者のあたしにも、この短い時間で丸わかり。
剛史、あんた男でしょ?
男なら、思いっきり喜んでみなさいよ、甲斐性無し。
でも、いったいどなたさんで?
こんな看護師さん、この病院にいたっけか?
「こんにちは、平川さん。あなた、病棟じゃなかったかしら?」
にっこりと、自分から声を掛けられるあなたが凄いです! 深山さん!
「こんにちは、深山サン。
実は山本先生、午後から病棟担当ですの。
ですから、お仕事に少しでも落ち度がない様に、
あらかじめ注意点をお聞きしておこうと思ってお探ししてて」
まだ、慣れないものですから…
――あの~…
言ってる事のしおらしさが、態度と声音と一致しないんですけれど~…
「…深山さん、どなたです?」
本当は、こそっと聞きたいとこだけど。
でも、本人の目の前で内緒話なんて事は出来ないし。
一応同じ職場なら、名前も知らないまま…ってのはいただけない。
でも、なんで深山さんは知ってんの?
その疑問に、深山さんがあっさり答えてくださった。
「ああ、そうか。神戸ちゃん、月曜ちょうどお休みだった。
その時に紹介があったのよ。七月から入られた平川さん。
外科病棟の担当になったはず――でしたよね? 平川さん」
「ええ」
にっこり。
蛇とマングース…?
にっこり同士のその微笑みが怖いってーの!
「平川さん。こちらは病院のもう一人の栄養士の神戸さん」
「…初めまして」
「初めまして。平川真由美です。
よろしくお願いいたします」
またまたにっこり。
笑顔になんか含みがある――気がするのはあたしの気のせいか?
ビンビン針が刺さるような圧を感じるが、
心配ご無用、美人さん。
剛史に手を出そうだなんて、これっぽっちも思いません。
――なんて、言ってやる義理もないから、言わないけどね。
でも、あれ?
なに…か…
なんかこの人、引っかかる…んだよね。
どっかで…
う~ん…
どこかで会ったことがある…?
「さあ、山本センセ。ここではなんですから場所を変えて、
ご指導いただけますかしら?」
「いや、あの、それが、ですね」
おお。心底剛史が押されてる。
強者現る――いや、剛史ってこういうタイプが苦手だっけ?
蚊帳の外での攻防は、所詮他人事外野席。
せいぜい楽しんでしまおうかと思ったが。
でも、やっぱり。
うん。
絶対あたし、知ってるぞ。
前にもあった、この感じ。
「ひらかわ…」
平川…
ひらかわ…
ひら、かわ…
…かわ。
「あ~~っ!」
思い出した!
思いだしちゃったよ!
「エロ川!?」
「なんですって!?」
「やっぱり、エロ川!」
「なんで、そのあだ名… え…? かんべ…? 神戸って…
――もしかして、ゆり!? あの男女の?」
「男女って言うな!」
「そっちこそ、昔の変なあだ名、出してくるんじゃないわよ!」
間違いない――間違いない。
こいつ、高校で一緒だった同級生だ。
お互いに所属集団が違い過ぎて、
余りにも接点がないから出てこなかった。
でも、
ある一点だけ、
あたしは彼女を知ってるし、
彼女もあたしを知っている。
「なにしてんのよ! こんなとこで!」
さっきまでの甘ったるい声じゃなく、
結構ドスの効いた怒鳴り声でエロ川が叫ぶ。
「いや、それはこっちの台詞。あたしゃ、三年前からここで働いてんだけど」
「え?! マジ!? 知らないし、そんな事! 何でいるのよ!」
「なんでって、就活して入れたから」
「そんなこと聞いてるんじゃないわ! なんで、ここなの!」
「それ以外、受けなかったから」
「だから! そうじゃないって言ってるでしょ!!」
おねーさん、おねーさん。
今までのしおらしさはどこ行った?
なんか相手が興奮するほど、あたしってば変に冷めてっちゃう。
「まあまあ、まあまあ落ち着いて。あんまり興奮すると、化粧はげるよ?」
「だ、誰に行ってるの!」
「あんたにだってば。え~と、エロ川?」
「だから、その名で呼ぶなって…――! あ~!山本センセ!!」
その声に、目線をドアに向ければ、
「そろそろ、午後の回診なんで。
すみません。お邪魔しました、深山さん」
ぺこりと深山さんにだけお辞儀して。
「「あ――!」」
――逃げた!
逃げやがった。
おい!
お前、一番の当事者だろうが! 置いてくな!
「うん、もう! せっかくせっかく捕まえたのに!
――いい? あんた罰として、今日、あたしに付き合いなさい!」
「はあ!?」
びしっ!と人差し指を突き付けて、
高らかにされた宣言にあっけにとられる。
「ちょっと、ちょっと、何言って…」
「仕事終わったら迎えに来るから! 逃げんじゃないわよ!」
約束よ!
お邪魔しました。失礼します。
それでもしっかり深山さんに挨拶をして行ったのは、
社会人として、上出来だ。
だが、しかし――
「…なん、だったん、ですか…?」
え?
あたし、
今晩付き合わなきゃなんないの…?
「さあ、なんなのかしらねぇ」
独り言のように漏れたあたしの言葉に、律儀に深山さんは応えてくれて。
「とりあえず、今日の残業は無しにしてあげるわね」
後で報告、よろしくね~
「深山さん…」
言葉もなく突っ立っているあたしを置いて、
深山さんは足音も軽く、午後の業務に出て行った。




