第十章 銀と黒と黄金とー4
ゆっくりと、夕闇が城に押し寄せる。
「では、門までお見送り致します。今、松明を…」
ガイと一緒に私邸へ帰ると言うアレクの為に、
大急ぎで夜番の宿舎へ行って松明を三つ用意する。
この時期、外は見る見るうちに夜が深くなる。
執務室に戻った時、辺りはもう宵闇に包まれていた。
「やあ、来たな」
「ああ、すまない、ユーリ」
ここに電気なんて便利なものはないからね。
灯と言えば炎のみ。
回廊に掲げられた松明のうっすらとした焔を受けて、
薄暗いオレンジ色の世界の中、
アレクの銀の髪が色を増して浮かび上がる。
そしてそれを支える様に立つ、闇から溶け出すような黒衣の影。
――なんて、絵になる二人だろう…
『恋をしたら犬でも詩人』
と、誰かがどこかで言ったけど、
アレクを表現するのには、あたしの語彙力は無さすぎる。
ああ、写真…
ここにスマホさえ有れば…!
アレクとガイ。
二人が並んで歩き始めるから、
あたし――もといユーリは、一歩下がってその後に付いて行く。
聞くともなしに耳に入る会話は、軍事から政治、経済から外交。
あまりにも多岐に渡るから、あたしとユーリはついて行くのが大変だ。
国の中枢にいる人の会話を聞いてると、色々なものが見えてくる。
国を本気で動かす為に、
様々な要素が本当に複雑に絡み合っていて、
国王がいかに大切か、その存在の大きさを実感する。
国を支える人たちは、皆、恐ろしく博識だ。
どちらかと言えば軍事に偏りがちなガイでさえ、
大まかな外交や経済の行方を知っていて。
領地という社会を統治している公爵――アレクはきっと、
物凄くたくさんの情報をその懐に抱えてる。
あたしとユーリが見えるのは、ほんのわずかの部分だけ。
届かない距離がとてももどかしくて、遠い。
「――それで、その後の状態は?」
「ああ。市街の警備を少し増やした。特に、西を重点的に」
「西? あの辺りは大きな屋敷ばかりだろう」
「だから…かな? 大物が引っかかったら見ものだな」
でも、こうやってそばにいて。
知識を、戦い方を、自分で学んでいくのがこの世界のやり方だ。
ここには学校とか教師とかって、
何をしなくても教育してくれる親切な機関はない。
知識や教養、
身の処し方から剣の使い方。
全て親や身近な人が手本になり、
小さい時から傍にいることで盗むようにして学んでいく。
自分の力や身分にふさわしい形を得るために。
こちらでは、幼いといえる子供のうちから親元を離される。
特に、男の子は。
ユーリは辺境の貧乏男爵家の出身なのに、
今、凄く恵まれた位置にいる。
国の中枢に近い立場の人と直に話せる環境なんて、
本来ほんの一握りの人間にしか、与えられない特権だ。
ユーリ自身は、日々の訓練や細々とした仕事をこなすだけで、
精一杯みたいだけど、
ぜひ、この環境を生かして、有能な人材になって欲しいと思う。
――これは少しだけ大人の、あたしからのささやかなエール。
いつまで君を見ていられるか、あたしにはわからない。
いつのまにか日は落ちて、あちらこちらに松明が灯される。
灯された火の影に深く闇を残した道を、一の郭の門の傍まで来た時に。
「何者!」
いきなり誰何する声に、三人の足が止まる。
「姫…」
「アレク様?」
鈴を転がす様な、高い綺麗な声に驚いた。
――女の人?
こんな暗くなってから、
いくら城の中とはいえ、女の人が歩いてるなんてめったにない。
おまけに、さっき、アレクってばなんて言った?
「どうして、貴女がこんな所に」
「一の郭のお友達の所に。うっかりして遅くなってしまって…」
アレクとガイが影になって、あたしから姿は見えない。
けれど、複数の気配があるのがわかる。
馴染みのない衣擦れの音はふたつ…
城勤めの女官かしら?
でもさっき、アレクってば、たしか『姫』って…
ザッ…
ガイが、その大きな身体を折って膝を付く。
ユーリも慌てて同じ様に膝を付いて頭を垂れた。
「不用心に過ぎましょう。
いくら城内、一の郭といえ、侍女と二人で外出とは」
「サーシャは護衛を兼ねておりますから…
確かにこの時間までなってしまったのはわたくしの落ち度。
どうか皆への叱責はおやめくださいますように」
「先手を取られては、私とてもそれ以上の苦言は差し控えましょう。
ご無事で何より」
「お心を乱してしまい申し訳ありません。
これよりは皆への配慮を心がけるようつとめます」
声ににじむ悔恨の情。
張り詰めていたアレクの気がふっと緩む。
「…アレク様こそ、何故こちらに?
常は隊舎に居られるとお聞きしておりますのに。
――それに、あの、そちらは…」
「ああ、ご存じでしょう。第二騎士団の団長を務めるガイ・ヒューバー。
ガイ。確か卿は姫とは初めてではない筈だったな」
「…以前、北の離宮で、お目にかかった事が――
お久しぶりでございます。ミルヴァーナ様」
ミルヴァーナ姫?
この人が…!
「お二人とも、顔を上げてください。
今は正式の場では無いのです。
そのように為されると、困ってしまいます。
規則破りをとがめられているのは、今はわたくしの方ですから。」
軽やかな、優しい声が少しだけ柔らかさを増して降ってくる。
思わず見あげてしまったユーリの目に映ったのは、
――うわ~~… 本物だ。
本物のお姫様――って、きっとこういう方を言うんだろう。
アレクも非の打ちどころのない美貌だけれど、
この方の面差しは本当に優しげな、
昔見たおとぎ話の中のお姫様の様な、たおやかな美しさ。
松明の赤みを帯びた光の中に、まるで陽炎のように揺れる金の髪。
横に並ぶアレクとは色合いが違うから、
日の光りの下ではもっともっと明るい――正真正銘の金の髪をしてるのだろう。
瞳の色は確か、青。
『ソレニアの青玉』と称えられるこの国の宝。
芳紀十六。
背はアレクの胸のあたり。
横に並ぶと、まるで最初から二人合わせて作り出されたように、映える。
ツキン…
胸が痛む。
美しい人だと、確かに聞いてはいたけれど。
この人が、ミルヴァーナ姫。
国王の年の離れたたった一人の妹君にして、
あたしの、アレクの、婚約者。
ユーリみたいな下っ端が、王族にお会いする事なんてない。
だから今まで、どんな人かもわからない空想の中の人だったのに。
この人が、アレクの婚約者。
……勝てる訳ない。
――勝つ気なんて、はなっからなかったけど。
ここまで綺麗な人だと思ってもみなかった。
ここまでお似合いだったとは、思ってなんかなかったよ。
ツキン…ツキン…
小さく、小さく、心臓が痛い。
ユーリには伝わらない、
これは、あたしの心の音。
決して叶わないって解っていても、
好きな人の婚約者なんて目の当たりにしたくない。
届かない。
届かないよ。
あたしはアレクに届かない。
気持ちさえ、届かせることもできないくせに。
「――アレク。この闇夜だ。やはりお供の方々だけでは不安だろう。
姫を送って差し上げろ」
不意に、聞こえてきたガイの声に我に返る。
今一瞬、あたしの意識はユーリから離れてた。
「そうだな。では、ガイ。先に行ってくれ。 すぐ戻る」
「何を言ってる。折角、姫とお会いしたんだ。
送ってそのままってのは婚約者としてどうなんだ?
俺は自分の隊舎に失礼する。竜酒はまた、次の機会に」
「――わかった。卿の良きように」
「いえ!そんな。わたくしは…」
「いえ、是非そうなさってください。…それでは、私はこれで…
アレク、坊主を門まで借りるぞ」
「ああ。ユーリ、任せる」
「は、はい!」
「それでは、御前を失礼いたします、姫」
もう一度、ガイは深く頭を下げる。
そして、強く踵を返す。
「さあ、坊主。邪魔ものはさっさと帰るぞ、ついてこい」
それにならって一礼を。
ユーリは慌ててガイに続こうと歩き始める。
――あれ…?
何だろう、この感じ。
何か、空気に違和感が有る。
緊張感?――ううん、切迫感。
言葉にすればそれに近い、
なにかとらえきれないもの。
その揺らぎを生み出しているその人は――
その時思わず振り返ってしまったのは、
ユーリだったのか、
――それとも、あたしだったのか。
松明の灯り。
オレンジ色の頼りないその明りの中で、
同じ様に振り返ってこちらを見ている人に、その時気付く。
闇に揺れる金の髪。その視線の先は――
――え…?
見てはいけないものを見てしまった様な気がして、慌てて前に向き直る。
横を歩くガイは、
真っ直ぐその眼を正面に向けたまま、早足に歩いて行く。
――変だ… 変だよ…
らしくない。
こんなガイは、絶対にらしくない。
思わず聞こうとして、絶対に聞いてはいけないことだと悟る。
ミルヴァーナ姫が振りかえって見詰めた先。
それは間違いなく、ガイの背中だった。




