帰省中に作成した、猫のお尻の3Dモデリングでバズった話。
玄関を開けると、ひんやりした空気とともに、懐かしい畳の匂いが押し寄せてきた。
専門学校の夏休み。私は1年ぶりの帰省で、東京から田舎の実家に帰ってきた。
「ただいま」
声をかけると、廊下の奥から茶色い縞模様の猫が顔をのぞかせた。名前は寅次郎。私が高校のときに、通学路の道端で行き倒れていたのを保護して我が家の猫になった、推定七歳のトラ猫だ。
「寅次郎! ただいま!」
呼びかけると一応は近寄ってきて、スーツケースに鼻を押し当てる。けれどすぐに踵を返して、リビングのほうへ歩いていってしまった。
――そっけないなあ。私の顔なんか忘れちゃったのかな。
少し寂しくなって、去っていった寅次郎の背中を見つめる。
「由佳、帰ってきたん?」
台所からお母さんの声が飛んできた。
「うん。ただいま」
「また痩せたんちゃう? ちゃんと食べてんの。ゲームばっかりやってたら、体壊すで」
看護師のお母さんはいつも現実的だ。体調、資格、就職。私の人生を心配しては口うるさく言う。
リビングのソファでは、お父さんが新聞をたたんでこちらを見た。市役所勤めのお父さんは、お母さんほど強く言わないが、安定志向なのは同じだ。
「おかえり。お前、今年、卒業やんなあ」
私は苦笑した。
「三年制やし、今二年やから、卒業は来年」
お母さんが麦茶をグラスに入れて、私の前に持ってきて首を傾げた。
「ゲームの学校で3年間も何を勉強しとるん?」
「ゲームの学校ちゃうて。私がやってんのは、キャラクターモデリング! ゲームだけじゃなくて広告とかいろんなところで使われてるんだよ」
――第1希望の就職先はゲーム会社だけど。
私は苦笑いでごまかし、スーツケースを自室へ引きずった。
高校時代のまま残った部屋。机の横のポスターは色あせ、カレンダーは2年前の日付で止まっている。
机にタブレットを置き、ポーズ集を広げた。付箋がびっしり貼られた人体参考書。東京の専門学校では、こういう資料を頼りにキャラクターモデリングを進めている。
私は2年生。来年には就活が始まる。ゲーム会社に入るなら、ポートフォリオ――作品集が命だ。でも、どうやっても思うように形にならない。球体をつなげて人型を作っても、ぎこちなくて“生きてる”感じがしない。
「……私、ほんまに向いてへんのかな」
ため息をついたとき、扉の隙間から寅次郎が入ってきた。
私と少し距離をとるように、こちらをうかがいながらベッドの上で丸まる。
「寅次郎~、こっち来たら?」
声をかけるも、寅次郎は素知らぬふりで毛づくろいをし始めた。
背中に飛び乗ってきてくれた昔が懐かしい。寅次郎を背中に乗せたまま、ゲームをしていて、よくお母さんに怒られたっけ。
晩ご飯の席。お母さんがまた切り出す。
「あんた、就職どうすんの。――専門行くなら、医療系やったら就活も、安心やったのに」
私は耳を塞いだ。お母さんは、高校の時からずっと医療系の専門学校を勧めていた。
私はその意見を押し切って、東京のデジタル系の専門学校に進学した。
学費は出してくれたので、ありがたい話だけれど、いまだにその話をするのはやめてほしい。こんな感じだから、年末年始は帰らなかったのに。
「……私、ゲーム会社に行きたいって言ったやん」
「そんなん、ほんまに採ってくれるとこあるん?」
胸がぎゅっと痛む。大丈夫、と言い切れない自分がいる。
お父さんはビールを飲みながら「まあまあ」と笑う。
「好きなことやりたい気持ちもわかるけどなあ。お父さんも市役所で何十年も働いて思うけど、安定は大事やで」
「……わかってる」
私は箸を置き、そそくさと二階の自室に戻った。
深夜。家族が寝静まったころ、私はまだタブレットに向かっていた。画面には未完成のキャラが固まったまま。マウスを握る手は重い。
「才能ないんかな……」
独り言が口をついて出る。
そのとき、背中にずしりとした重みが落ちた。
「……寅次郎?」
驚いて振り向くと、寅次郎が昔のように、寝転ぶ私の背中にどっかりと乗っていた。しかも、お尻をぐいっと押しつけてくる。
「ちょ、やめてよ……重いってば」
そう言いながらも、思わず笑ってしまった。じんわり伝わる温かさに、心がほどけていく。
お尻の丸み。しっぽの根元のやわらかさ。
気づけば、私はそれをそのままタブレットに写し取っていた。
「……あ~、癒されるわ。猫のお尻って、究極の形だよね……」
夢中でポリゴンを削り、曲線をなぞる。
私は夜通し、寅次郎のお尻を見つめながらキャラクターモデリングを進めた。
夜が明ける頃には――どこから見ても、三百六十度完璧な寅次郎のお尻が、画面の中に完成していた。
「うわっ、寅次郎のお尻、完全再現や!」
既に丸まって眠る寅次郎の横で、興奮した私は、誰かにそれを見せたくて、完成作品をSNSに投稿した。――そして、そのまま寅次郎の隣で寝落ちした。
ピコン! ピコン!
――それからしばらくして、私は連続したスマホの通知音で目を覚ました。
スマホがめちゃくちゃ光っている。
開くと、大量の通知。
「……うそやん」
目をこすってSNSを開くと、大量の「いいね」とコメントがついていた。
「癒やされる」「360度回してずっと見てる」「最高」「猫のお尻に人生救われた」
「……うそやん?」
その時、お母さんの声が響いた。
「いつまで寝てんの! 朝ごはんやで!」
私はスマホを握りしめたまま、リビングに降りた。
後ろから寅次郎も起きてついてくる。
食卓に座っても、スマホの通知は鳴りやまない。
「由佳、ピーコンピーコン、何鳴らしてるんや?」
「お父さん、見て……、何か、バズった」
私がスマホを見せると、お父さんが画面をのぞき込んだ。つられる様にお母さんも覗き込む。
スマホの画面には、立体化した寅次郎のお尻。
お父さんがまばたきを繰り返して、呟いた。
「なんやこれ。……猫のケツか?」
「お父さん、言い方!」
お母さんがお父さんの背中をたたいてから、しげしげと画面を覗き込む。
「これ、寅次郎のお尻やんなあ。すごいなあ、完璧に寅次郎のお尻や。あんたが作ったの?」
私がうなずくと、お父さんが椅子から立ち上がった。
「由佳、お前すごいなあ! やったな、寅次郎! お前、有名人やないか」
そのまま、私の足元で丸まっていた寅次郎を抱き上げた。
「お祝いに猫チュール食うか!」
そう言って、猫チュールを取ってくると、寅次郎に食べさせる。
寅次郎はペロペロとチュールを無心に舐めている。
「すごいなあ、こんなん作れるんやね。寅次郎のお尻まんまやん。なあ、これ私にも送ってくれる? 職場の人にも見せるわ」
お母さんは机の上の私のスマホを持ち上げると、頬に手を当ててうっとりと3Dで再現された寅次郎のお尻を見つめた。
「みんな喜んでくれてるねえ」
お母さんの言葉に、私は「うん」とうなずいた。
胸が熱くなる。私はやっぱり、みんなを笑顔にするような、そんな作品を作って、届けたい。
夜。部屋で寝転ぶと、寅次郎がまた背中に飛び乗ってきた。
変わらない温もりを確かめるように、そっとお尻をなでる。
私にはまだ道の途中。でも、誰かを笑顔にできるように、きっと進んでいける。
背中に乗った寅次郎のお尻が、私をそっと前へと押してくれているような気がした。




