天台宗延暦寺 十一
※この物語はフィクションです。実在の人物や団体、寺社仏閣などとは関係ありません。
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「夜叉に喰われた? それも二体の夜叉って……そんなことが……」
行澄から発せられた言葉に、体が凍りついた。
夜叉が二体同時に、この延暦寺に現れたということなのだろうか?
延暦寺の僧が、どの程度の実力があるのかはわからないが。
二体の夜叉に急襲されたら、被害は甚大なものになるのは目に見て明らかだ。
多数の死人が発生していても、全くおかしくない状況だと言える。
「はい、今から二六年前の八月、真夜中に突然二体の夜叉が延暦寺に現れました。寝ずの番の者を除き、基本的に皆就寝している時間でした。普段、高位の僧は生活の拠点を、京都や滋賀の別院や宿泊施設に居を移しています。ですがその時は、お盆の期間ということもあり、忙しく高位の僧たちも延暦寺の僧坊や座主坊に宿泊しておりました」
お盆の期間か、そりゃ日本仏教を代表とする延暦寺だ。
忙しくなるに決まっている。数多くいるであろう檀家ごとへの対応も多くあるかもしれない。
そりゃ敷地内に宿泊施設があるなら、いちいち帰ってられないわなと納得する。
「その時に、最初に狙われたのが、座主坊でした。天台座主専用の僧坊と考えてください。しかし、当時の天台座主は、高齢ということもあり夏の暑さにあてられ京都の病院で入院しておりました。その為、当時は宗務総長が代理として、座主坊で執務を執り行っておりました」
なるほど、そこを真夜中の就寝中に襲われたという事か。
当時の宗務総長が、どの程度の実力があったのかはわからない。
だが、夜叉が二体となると生半可な実力ではどうにもならないだろう。
「当時、座主坊には宗務総長とお付きの者が三名宿泊しておりました。最初に異変に気づいたのは総長本人だったそうです。お付きの三名を起こし、その内の一名に他の僧坊に救援の要請をするよう指示し、裏口から走らせました。その際にお付きの僧達が、愛宕日ノ舞大社への救援要請を提案しましたが、総長はそれを拒否したそうです」
うむ、宗務総長は立場上、千年を超える延暦寺と大社の長年の歴史に絡みついたしがらみを、解くという考えには至らなかったのだろう。
正直わたしは、そのしがらみがどういったものなのか、詳細なことは把握していない。
ただ、思想の相違による軋轢が、根幹的な原因であるようなことは聞いたことがあった。
行澄が話を続ける。
「夜叉たちは、堂々と正面の門扉から入ってきたそうです。総長とお付きの二人の僧は、槍を持ち対抗したそうです。ですが、救援を呼びに行ったお付きの僧が大勢の僧を連れて座主坊へ戻ると、そこには怯え完全に戦意を喪失したお付きの僧二名と、体を縦に真っ二つに両断された総長を喰らう二体の夜叉の姿でした」
「…………」
実際に肉体を喰らうタイプか、今では珍しいけど、昔はそれが当たり前やったというしな。
その後の展開は、なんとなく想像がつくな。理想を完遂した夜叉は他に興味を抱かない。
己に襲いかかる僧たちを、適当にあしらい姿を消したというところだろうか。
「その後は?」
私の言葉に、行澄は頷いて話を続けた。
「はい、その後は駆けつけた僧たちによって討伐を試みたそうですが、やはり多勢に無勢だったのでしょうか。ある程度の手傷を負わすことはできたようですが、逃がしてしまったそうです」
まぁそうなるわな。その宗務総長には気の毒やけど、さすがに相手が悪い。
おそらく二体の夜叉ということは、双頭種の亜種とかになるのだろうか?
本来夜叉は群れて動くことはないが、双頭の夜叉の亜種であれば納得できる。
「そうでしたか、当時の宗務総長にはお悔やみ申し上げます。それで、それからの夜叉の動きはどうなりましたか?」
私の言葉に、口を開いたのは行澄ではなく、隣に座る天鳳の爺さんだった。
「双頭の夜叉のその後に関しては、私が話そう」
この度は、当作品をお読み頂きありがとうございます。花月夜と申します。
当作品は、初めての執筆作品となります。
当方執筆に関して、完全な素人な為、至らない点が数多くあると思います。
ですが、書き始めたからには、皆様に読んでよかったと思って頂けるような作品にして行きたいです。
これからも、随時更新して参りますので応援いただけると幸いです。
ありがとうございました。今後とも応援よろしくお願い致します。




