36. 身体を動かす意味③
「クラリス嬢の剣術はどうだった?」
「かなり上手でした。正直、父上が競えば負けるかもしれません」
「そうか。細身の令嬢に負けるつもりは無いが、試してみたいな」
シリル様の言葉に彼のお父様は怒ることなく、愉快そうな笑みを浮かべる。
そして、彼は剣を手に取り、こんなことを口にした。
「クラリス嬢、私とも一戦交えて欲しい」
「お手柔らかにお願いしますわ」
こうして、私はシリル様のお父様とも模擬戦をすることになったのだけど……。
開始早々に彼の首元に切っ先を突きつけることになった。
「――はっはっは、これは面白い!
私がクラリス嬢から剣を学びたいくらいだ。結婚前に最低限の護身術と剣術をと思っていたが、剣術の練習は不要だろう」
「分かりました。しかし、このまま負けっ放しで良いのですか? 男としてのプライドは……」
「何度やっても勝てそうにないから、遠慮しておく。恥を出来るだけ晒さないことも大事だ」
困惑する私を他所に、あっという間に話が進んでいく。
貴族の婚姻では、嫁ぎ先から色々な技術を学ばされることは普通だ。
そのためにも婚約期間が長めに設けられている。私とシリル様の場合は、予定をみっちりと詰め込むことで、準備を短く抑える予定だったのだけど……。
「馬術と弓術と、護身術も一通り見せてもらおう」
「分かりました。期待はしないで頂けると幸いですわ」
シリル様のお父様にお願いされ、私達は広い庭園に出る。
最初は遠くにある的の中心に矢を当てるように言われ、中心から指の幅だけズレてしまった。
次の馬術では気性の荒い馬に乗ることになり、庭園を一周する。
最後はお屋敷の中に戻り、シリル様にガッチリと床に抑え込まれたところから抜け出すようにと言われてしまう。
「抜け出すなんて絶対に無理です! せめて捕まるところからにしてください!」
「分かった。では、そこからにしよう」
けれど私の抗議が受け入れられ、シリル様に右腕を掴まれているところから始めることになった。
それでもシリル様には敵わなくて、代わりに執事が襲撃者役をすることになり、今度は無事に抜け出すことに成功する。
「――これ以上、クラリスに武術を学ばせる必要は無いと思います。
その時間で体力を付けたり、社交や座学に集中する方が有意義かと」
「そのようだな。ひとまず、今は来週のパーティーに向けて準備するように」
「分かりました」
こうして、私は武術の勉強を免除されることになった。
けれど、本当にこれで良いのか不安になってしまう。
「……シリル、本当に今のままで大丈夫なの?」
「十分すぎるくらいだ。これなら、どこかの誰かがパーティー中に襲ってきても防ぎやすい」
シリル様の言葉に、よく見ていた顔が思い浮かぶ。
来週参加する予定のパーティーにはネイサン様も参加するそうだから、今日確認されたのは、それに備える意味もあったのかもしれない。
次の王家主催のパーティーでは、品位を保つためにと貴族以外が入ることは許されない。
つまり会場内の警備が居ないということだから、自分で自分の身が守れた方がいいに決まっている。
「そういうことね。でも、シリルと一緒に居れば大丈夫なのよね?」
「最後までクラリスから離れるつもりは無いが、王家に呼ばれたらそうも出来ないことに気付いたんだ」
その言葉に、最悪の事態が想像出来てしまった。
でも、シリル様一人で来るようにと命令されることの方が少ないはずだから、杞憂で済むと思う。
「ありがとう。でも、そんな状況になる方が稀だと思うわ」
「それでも、備えは無駄にならないと思う。
王都の治安は良い方だが、貴族の馬車が襲われることは珍しくないし、屋敷が襲撃を受けることも無いとは言えない」
「ええ。最後に自分を護れるのは自分自身だけだもの。その覚悟はしているわ」
私の両親も襲撃されることは考えていて、私もエリノアも護身術は身に付けさせられている。
「そうだった。すっかり失念していたよ」
シリル様が申し訳なさそうにしていると、侍女が広間に入ってくる。
そして、こんなことを口にした。
「もうすぐ昼食の準備が出来るそうですが、いかがなさいますか?」
「すぐに行く」
自覚は無かったけれど、もう昼食の時間になっていたらしい。
私達は足早にダイニングへと向かうことにした。




