34. 身体を動かす意味①
翌日。
普段と変わらぬ時間に目を覚ました私は、着替えを済ませて中庭に出た。
開けたところに視線を向けると、昨日のお茶中にお話ししていた通り、シリル様が剣を振っているところが目に入る。
「クラリス、おはよう」
「ええ、おはよう。……シリル」
呼び捨てにするのはまだ慣れないけれど、敬語の時より距離が縮んでいる気がする。
今日は私もシリル様の鍛錬に加わる約束をしていたから、動きやすいようにシャツとズボンだけ着ている。
ちなみに、こうなった理由は単純で、彼がどんなことをしているのか気になったからだ。
ついでにもう少し重いものを持てるようになりたいという気持ちもあるけれど、これにはあまり期待していない。
「早速だが、始めよう。まずは、怪我をしないように準備運動から。こんな感じで、ここの筋肉が伸びるようにして」
「これで合っているかしら?」
「ああ。クラリスは身体が柔らかいのだな」
シリル様の動きを真似て、言われた通りに動いていく。
運動と言っているけれど、まだ息は上がりそうにない。
「……これで準備運動は終わりだが、疲れていないか?」
「ええ、大丈夫よ」
「分かった。ここからは鍛練になるが、無理すると逆効果になるから、適度なところで止めるように」
シリル様の言葉に頷き、細かいとこをまで教わりながら実践していく。
最初の腕立て伏せから難しくて、私は三回で限界を迎えたというのに、シリル様は百回以上でも余裕らしい。
「十回は出来るようになろう。それ以上は必要無いが、最低限自分の身体は支えられた方が良い。
護衛が居るとはいえ、何が起こるか分からないからね」
「頑張るわ……」
息を切らしながら答えると、少し場所を移動して次の内容を教わる。
今度は腹筋という名前らしく、私は一回もシリル様の動きを真似出来なかった。
「……一回も出来ないのは予想していなかった。ベッドから起き上がるときはどうしている?」
「こんな風に、手をついてから起きているわ」
「そうか……一人で手を使わずに起き上がれるようになろう」
そこまで聞いたところで、ふと不安が頭を過った。
私がシリル様と同じ鍛練をしていたら、体型まで彼に似てしまう気がする。
まだ社交界には出たいし、ドレスが似合う体型も維持したい。
けれども、今は力が無さすぎて不便で、重たい物を持てるようになりたかった。
「私に出来るかしら? それと、今更なのだけど、このまま筋肉がついたら社交界に出れない体型になる気がするわ」
「そこは上手く調整すれば良い。母上も同じことをしているが、調整してあの体型を維持している。
ああ見えて、本が詰まった箱を運べるくらいには力持ちだ。クラリスも同じくらいを目指せばいいと思う」
そう言われて、シリル様のお母さまの姿を思い返す。
中年のご夫人は控えめに言ってもふくよかな方が多いのだけど、彼女は私より少し太いくらいの体型だった。
令嬢の中でも理想と言われるくらいで、若い頃は相当人気だったことが想像できる。
私のお母様も似たような体型だけれど、こちらは特に運動はしていないから、そういう体質なのだと思う。
「私、母に似ていたら太らない体質だと思うのだけど、運動しても大丈夫かしら?」
「筋肉と脂肪は別物だから、気にしなくて良い。その代わり、食事は出来るだけ完食するように」
「昨日と同じくらいなら、食べきれると思うわ」
「あれよりは多くなるが、大丈夫か?」
「……無理だったらごめんなさい」
「謝らなくて良い。少しずつ食べられる量を増やそう」
ただ身体を鍛えるだけだと思っていたけれど、思っていたよりも奥が深いらしい。
ちなみに、シリル様は力をそのままに体を引き締めようとしているそうで、一年後にはいわゆる細マッチョになるのが目標らしい。
もしそうなれば、令嬢達から良い意味で注目されるはずだ。
私は今のままのシリル様でも格好良いと思っているけれど、これは彼の目標だから否定するつもりはない。
シリル様が令嬢の人気の的になると思うと複雑な気持ちになるけれど……。
「増やせるものかしら?」
「簡単ではないが、絶対に出来る」
「そういうことなら、半年で増やして見せるわ」
「遅いな。一ヶ月を目指そう」
普段は優しいシリル様だけれど、鍛練のことには厳しいようで、キッパリと言われてしまった。
この後は背中に足、さらには体幹という不思議な鍛練も教わり、あっという間に朝食の時間を迎える。
クルヴェット邸は朝食も豪華で、テーブルの上にはパンやサラダ以外に、立派なお肉まで並んでいる。
量は体型や鍛練に合わせられているらしく、許可を得てから持ち上げてみると、確かに重みが違った。
「ここまで徹底しているなんて驚いたわ」
「これでも王国の軍事を任されている家だから、身体づくりを元に健康を保っているんだ。兵部卿が瘦せていたり、太っていたりしたら……国中に示しがつかない」
「私が細すぎるのも問題なのね」
「クラリスは嫁いでくる立場だから、気にしなくて良い。教えてと頼まれた以上はしっかり教えるが、無理はさせたくないからね」
そうしてお話をしながら朝食を進め、ちょうど満腹になったところでお皿が空になる。
この後はお庭を散策し、少ししてからクルヴェット家について学ぶ時間になった。




