31. 距離を縮める方法
あれから二日。
領地や本邸のことを一通り学んだ私は、シリル様と共に王都へ戻ることになった。
今の時期―—婚約期間というのは、お互いの家の事情を学ぶこと以外に、社交界に出て侯爵夫人になるための下地を作らないといけない。
直接言われたりはしていないが、貴族の婚姻には必然的に役目がついて回る。
「―—四日間お疲れ様。体調は大丈夫か?」
「ええ。向こうの丘まで走れるくらい元気ですわ」
塔の時に寝落ちてしまってからというもの、シリル様が心配性になっている気がするから、しっかり元気だということを伝える。
すると彼は安心したような笑みを浮かべ、私を軽く抱き寄せる。
この行動にはまだ慣れなくて、肩が軽く触れているだけなのに鼓動が速くなった。
少しでも離れていたら分からないと思うけれど、今はシリル様にも伝わっているに違いない。
「それだけ元気なら、体調も大丈夫そうだな」
「ええ。シリル様は疲れているのですか?」
「全く疲れていない。体調も万全だよ」
そんな言葉を交わしながら、行きとは反対側の景色を楽しむ。
シリル様は興味が無いようで、ずっと私を見つめている。
ずっと見ていても何も変わらないのに、何が面白いのか不思議だ。
試しに、私もシリル様の真似をしようと視線を向ける。
すると、当たり前のことだけれど……彼と目が合った。
「何かあったか?」
「シリル様がずっと私を見つめているようなので、不思議に思いましたの」
「好きだから見ていた」
「ずっと見ていても何もありませんわ」
「それで良い」
彼が満足しているのなら、私にできるのは受け入れるということだけ。
なんとなく恥ずかしいけれど、何も減ったりはしないから、気にせずに景色に視線を戻した。
この辺りは山に囲まれているから、景色も変化に富んでいて飽きそうにない。
会話は最低限しか交わしていないけれど、無言の時間も心地良く、気まずさは欠片も感じなかった。
けれども、しばらくすると今度は草原地帯に出て、何も変わらない景色に飽きてしまう。
すると、シリル様からこんな言葉をかけられた。
「クラリス、一つ提案したいことがある。社交の場以外では敬語をやめて話したい。
無理にとは言わないが、クラリスとは対等でありたいんだ」
「えっと……すぐに慣れるのは難しいと思うので、少しずつでも大丈夫でしょうか?」
そういえば、お父様とお母様も公の場以外では砕けた口調で話していることが多い気がする。
社交界には夫側の方が立場が上という風潮があるから、公の場ではお母様が敬語になっているけれど、邸の中では対等だと一目で分かる関係性だ。
シリル様も同じような関係を求めているのかしら?
真意は分からないけれど、私に都合の悪いことではないから気にしない。
「ああ、もちろん。俺だけかもしれないが、敬語だと距離を感じるから、早めに慣れてくれると嬉しいよ」
「頑張りま……頑張るわ」
「無理はしなくていい」
言われたばかりなのに敬語が出かけてしまい、慌てて言い直す。
「これくらい大丈夫よ。
……こんな感じで大丈夫でしょうか?」
「最後が敬語にならなければ、完璧だ」
「慣れって恐ろしいわ……」
男性には必ず敬語、目上の人にも当然敬語、家格が下の人が相手の時は丁寧に接する。
ずっとこんな風に教わっていて、それを漏れなく実行してきたから、その反対の行動には違和感を覚えずにはいられない。
それでも、シリル様が望むことだから、諦めずに頑張ろうと決めた。
「俺もレオンから敬語を禁止された時は苦労したよ」
「そのお方って……レオン・アルカンシェル王太子殿下のこと?」
「ああ。俺は幼い頃からの付き合いで、対等だから敬語は止めるようにとお願いされたんだ。完璧に切り替えられるまで一年以上かかったが、慣れてからはレオンとの距離がかなり縮んだ」
レオン・アルカンシェル王太子殿下は、私達が暮らしているアルカンシェル王国の次期国王陛下になるお方だ。
私の友人であるティアナと婚約しているものの、殿下と私の間に交友関係は一切無い。
ネイサン様は私に「他の男と許可なく会うな」と言っていたから、私は会うことを断り続けていた過去がある。
だから、殿下から見た私の印象は最悪なものだと思う。
「……殿下は私のことに触れられたりはしていたのかしら?」
「クラリスと婚約したことを伝えたら、なるべく早く会わせて欲しいと言われたよ。ティアナ・セーグル嬢からクラリス自慢をされて、ずっと気になっているらしい」
「そうだったのですね……そうだったのね」
「ネイサンのせいで会えなかったことも知っていて、気にしないように伝えてほしいとも言われている」
私の不安は杞憂だったらしく、シリル様がそう説明してくれた。
ティアナの婚約者様がどんな方なのか気になっていたから、機会があれば会ってみたい。
とはいえ、婚約者以外の男性に一人で会いに行くことは非常識。だから、シリル様やティアナも入れた四人で会おうと思う。
「もしパーティーの招待状が来たら、その時にお会いするわ」
「分かった。この機会に、王家との繋がりを深めよう」
シリル様の言葉に、私はしっかり頷く。
そうしている間に王都に入っていたようで、視界の端に移る景色は街並みへと変わっていた。




