30. お屋敷のこと
あの後、私はシリル様から詳しい状況を聞かされた。
どうやら買収された料理人は既に拘束しているらしく、私がクルヴェット家で過ごすのは、見落としに備えての事らしい。
とはいえ、婚約者同士の関係でしかない私達が一緒に暮らすのは、色々と問題があると思う。
「―—この後のことだが、予定通り領地を見て回ろうと思う。ただ、戻る先はコラーユ邸ではなく王都のクルヴェット邸になるだろう」
「それで問題ありませんわ」
リズと会えないのは寂しいけれど、この件が解決すればすぐに会えるはず。だから、今は我慢して無事に会える日を待とうと思った。
それに、クルヴェット邸で暮らすことになれば、自然とシリル様の好みに触れる機会も増えるに違いない。
「いきなりの事で大変だと思うが、大丈夫か?」
「実際に暮らしてみないと分からないですわ。でも、皆さん良い方ばかりなので、大丈夫だと思っています」
「分かった。何か不都合があれば、すぐに言ってくれ。クラリスに不自由が無いようにする」
「ありがとうございます」
ここで会話を区切り、私はお屋敷を案内してもらうために立ち上がる。
まだ応接室とシリル様の部屋、そして将来私の私室になるという部屋しか知らないから、早くこの邸の中を頭に叩き込みたい。
「最初は一階から案内するが、良いだろうか?」
「ええ、それでお願いしますわ」
そうして階段を降り、玄関を通りすぎる。
最初の扉は立派な装飾が施されていて、二階の部屋とは入口から雰囲気が違う。
「ここはパーティーを開くときに使う広間になっている。
もっとも、社交の中心が王都に移ってからは使われていないから、ダンスの練習や日々の鍛錬に使うことが多い」
「鍛錬というのは、何をされているのですか?」
「大抵は……この錘を使って身体を鍛えたり、護衛達と剣術の練習をしている。クラリスも必要があれば、今日から使ってもらって構わない。錘も色々あるからね」
そう言われて、壁際に置かれている不思議な形の錘を掴む。
けれど私の力では少ししか持ち上がらず、すぐに限界を迎えてガタンと音を立ててしまった。
「見た目よりも重いのですね……」
「ああ。これなら程よい重さだと思う」
シリル様が指してくれたものを手に取ると、なんとか持ち上げたまま保てるくらいの重みだった。
これをずっと持っていたら、明日は筋肉痛で動けなくなりそうだ。
「……今日はやめておきますわ」
「その方が良い」
他にも模造剣や分厚いマットなんかも置かれていて、ここの使われ方が容易に想像出来る。
豪華なシャンデリアや壁にあしらわれている装飾を壊さないか心配になるけれど、これだけ広ければ、そもそも当たることが無いのかもしれない。
「次の部屋は……ダイニングだ。邸に居る時は、ここで食事をとっている」
「ここは落ち着いた雰囲気ですのね」
「ああ。食事中にキラキラしていたら、気が散って料理を楽しめないからね」
ダイニングに入ると、王都のクルヴェット邸にあるものの二倍はありそうな大きさのテーブルが出迎えてくれた。
コラーユ邸も本邸のテーブルは大きいから、こうなっている目的も理解出来る。
本邸というのは、社交のシーズンが過ぎると親族が一堂に会する場所になる。だから、その人数が座れるようにテーブルも大きくなるのだ。
貴族の中には、ダイニングには収まり切らないからと広間を使うこともあるらしい。
「―—どこかの公爵家は、ダイニングまで煌びやかという噂ですわ」
「その邸には行きたくないな」
そんな言葉を交わしながら、次の部屋に向かう。
今度は、扉を開けると無機質な壁が出迎えてくれた。
「ここは厨房になっている。今は誰も居ないが、何か作りたいときは自由に使える」
「自由に……色々作るのが楽しみですわ。シリル様が使うことはありますの?」
「俺は肉を焼くときに使うことがあるが、普段は様子を見るくらいしかしない」
奥に足を進めると、整然とした様子の厨房が見える。
綺麗に整理整頓されているだけでも十分なのに、汚れさえ見当たらなかった。
「すごい……」
あまりの完璧さに、どんな反応をして良いのか分からない。
けれども、ここで作られる料理が美味しいことはすぐに想像出来て、この後食べる昼食が楽しみになった。
「次は二階を案内しよう」
「お願いしますわ」
シリル様の言葉に頷いて、一度廊下に出る。
それから、私は一時間ほどかけて、この邸のことを教わった。




