53 これ……触っていい?
海岸のシャワーは個室で、カーテンが膝丈辺りまで伸びてるタイプ。そこにボクとイオは二人で転がり込んだ。
「なんでっ……こんなトコでそんなコトになってんだよっ!」
狭い個室で恥ずかしそうに話すイオ。
一方ボクは顔を腕で覆って必死に堪えている。今、イオを見るのもやばいし、距離感を感じるのもやばいし、匂いとかもやばいし、とかく五感から得られる情報が全部エマージェンシーなのだ。
「おい、ミオ! なんでって」
「だって……イオが……抱きしめたからっ!」
「私に抱きしめられたくらいでそうなるのかよっ! ならないだろ!」
「…………なるよ……」
「んなっ……」
もー、頭が熱い。ぽかぽかする。じんじんもする。
あー……涙でてきた。
「おいっ、ミオ! もっと詳細をっ」
ぐいっと腕を下げられ、目と目があった。
「……詳細なんて……イオは可愛いし、魅力的だし、逆になんでならないと思うのか、そっちの詳細を教えてほしいよ」
「みっ、魅力的だって言っても……」
「魅力的だよ……すごく」
こつこつ、とカーテンの向こうを人が歩く音が聞こえて、喋るのを止めた。
汗をかいた二人が狭い個室で見つめ合う。やがて、イオが耳元で声量を抑えた声で。
「で、でもっ、おまえっ……男だけど、その……女だって」
ここで大学で話をした「女になりたい」という話が出てきた。でも待って欲しい。ボクはそれに一石を投じることができる!
「イオだって男になりたいけど胸が大きいって言ってたじゃん!」
「はあっ!?」
大きな声が出て、2人で口を手で押えた。
「それがなんだよ……!」
「それがボクにとってのコレだよ! 自然現象! 仕方がないのっ! 抗えないの! どうしようもないんだよっ……!」
そう、あるものは仕方ないのだ。だってあるんだもん。
そして、脳みそが信号を送れば、反応をするんだもん。
「そんなこと言ったって……でも、私だぞ!? 私にそんな、だって、硬くして……こんな魅力がない奴に……そんなことなるわけ」
「イオは可愛いよ! なんでそんなこと言うのさ!」
「かっ、かっ、かわっ」
「可愛いよ……可愛いでしょうよ。普段はカッコいいけどさ、可愛いよ」
「わたしが……かわいい……?」
「ボクみたいなのにも優しく接してくれるし、頼りがいがあってカッコいいのに、女の子らしいところもあって。普段使う筆記用具もピンク色がちょっと入ってたり、部屋で座る時の姿勢とか、ぬいぐるみで会話してきたり、甘い物好きなところとか――」
そこで言いすぎたのでは、と思った。
イオは男になりたい。おそらく、可愛い、と言われるのは好ましくないのではないかと。ヒートアップしていたとはいえ、喋りすぎた。イオも顔が固まってるし……。
「気分を悪くしたなら……ごめん……」
イオは結構カワイイ系を好んでるが、おそらく無意識かもしれない。
ガサツな所はあるけど、家は綺麗だし、窓ガラスの下にシールが貼ってあったし、勉強会の時にモコモコの寝巻きも見えてたし……。
「……いや、謝らなくていい。私の方こそ、ごめん」
俯くイオ。頭をボクの胸に押し付けて謝ってきた。
でも、これで、ようやく丸く収まりそうだ。あとはボクのコレを鎮めたら終わりで──
「ミオの言いたいこと、分かった」
ん?
「……言いたいこと……?」
「私のせいでこうなったんだもんな……」
「こう……?」
なんだ、急に会話が噛み合わなくなったぞ。
イオの言葉を待ってると、ボクの方をゆっくりと見上げてきた。
その時のイオの顔は見たことがない顔をしていて――
「コレ……触っていい?」
湯でダコのように真っ赤な顔で。
大粒の汗を垂らして。
引き攣るように笑みを浮かべていて。
「……え、イオ?」
「興味がある! だって、私にない物だぞ!? だってほらっ、私の股間にはなんにもない!」
「それは、そうだけど。いや、だとしても」
何を言い出したんだこれは……!
イオが蒼央さんみたいなテンションになってるっ!
「フェアじゃないから公言するが、私も絶賛盛り上がってる」
「ばっ! 知らないよっ! ってか何言っちゃってるの!?」
イオが壊れちゃったっ!
あの真面目なイオが! カッコいいイオが!!
いや、先に壊れたのはボクだけどさ!
「おら、手を貸せ! ほら! 熱いだろココ!」
イオが僕の手を握り、鼠径部に押し当ててきた。突然の出来事にボクは動けずに、顔だけをそむけた。
手から伝わってくる温かさが頭に浸食するのを必死に堪える。
「私も興奮してるのが分かった?」
「分かったから……分かったから……イオ……」
「これでフェアだな!」
「フェア……?」
「ミオだけに恥ずかしい思いはさせん。それがダチだ!」
どーん、と腕を組んだイオは相変わらず耳まで真っ赤のままで。
「……まさか、わざわざそのために……?」
「どうにかして、私も……なんだ、その……昂ってることを伝えたかった! 下品だったけど……その……気持ち悪かったら……ごめん」
「いや、えっと……」
「嫌そうな顔してたろ、さっき」
「ビックリしただけ! さすがに……その……女性のそこ触ったこと無かったから……」
「そ、そうか……」
「…………うん」
心臓の音が凄くうるさい。
イオのまつげがこんなに長いなんて気が付かなかった。
目の色も、唇の色も。
ちょっと日焼けして、赤らんだ肌も。
「ミオ……わたしの心臓凄いことになってる」
「ボクも……」
というと、イオはボクの脇下から腕を通して――体を寄せてきた。
むにっと胸がボクに当たって潰されて、振動が伝わってきた。
「すごいね、たしかに」
「ミオのもすごい……はやい」
「…………」
「……」
「……なんか、照れるな、こういうのって」
「うん……」
「いやいや、そこは茶化してくれないと」
「できないよ……頭が回ってないもん」
イオの手が段々と上がってきた。
ボクの頭を支えるようにして……顔がよく見える距離まで下がった。
「お互いに回ってないんだな」
その後に続く言葉は「じゃあ、仕方ないな」だと思った。
これからボクらがするであろう行為を正当化するための言い訳。それが互いから出たのだから、それはもう仕方がないのだろう、と。
そしてその考えは、イオの蕩けたような顔を見て確信に変わった。
1度離れたはずの体が再び近づき、互いの吐息が当たる距離まで来て。
「――イオ、それはダメだ」
「むぐ」
ボクはなんとかギリギリのところで理性を保った。
重ねられるはずだった唇は二本指が代わりに受け止めた。
「ボクらは、その……そういう関係じゃないから。流れでやっちゃうのは……イオも後悔すると思う」
危なかった。
ほんとうに、危なかった。
あのままだったら、そのままズルズルと互いのどちらが止めるまで続けてた気がする。
「……それに、ボクは……渋い男じゃないからさ」
「…………」
「だから――」
「オイ、こら」
イオはボクの頬を下から掴みあげ、ギロッと睨み上げてきた。
「か、勘違いすんな! 私はただ……そのっ、ミオの頭に貝殻がついてたから取ろうとしただけだ!」
「……えっ?」
そう言うとボクから小さな破片を取り、ほらな、と見せてきた。
「でもさっきの……あの、露骨な……」
「あれは前髪にもないかって見つめてただけ! なんだよー。まさか、私がキスをするとでも思ったのか? それっ」
イオはキュルッとシャワーの蛇口をひねり、二人で水まみれになった。呆気に取られてるボクの頬をつねり、
「砂まみれだからシャワーしな! 私は外で待ってるから!」
「う……うん」
「じゃ、終わったら来いよ~」
そう言い、手をひらひらさせて消えていったイオ。
足音も完全に聞こえなくなってから、シャワーの温度を上げた。ざあざあと降り注ぎ、耳に入ってくる音が全部それになった。
砂混じりの水が排水口に流れていくのを眺めて。
さっきまでの光景が頭から離れてくれなくて。
ボクは口を手で覆った。
「……意識させるようなことをしたら……ダメなんだってば……」
イオはあくまで友達の延長線上みたいな感じだったけど、
「あんな態度取られて、意識しない、は無理だって」
イオは嘘をつかない。なぜなら渋い男が好きだからだ。だから、最後のあれも本当にそうで。
ただ、ボクの脳みそがピンクだったからそう見えてただけ。イオは、なにも、気にしてなんか……。
――お互いに回ってないんだな。
「…………」
頭が冷えるまでシャワーを浴びることにした。
私の名前は伊尾祈織。
岡山から上京してきた大学1年生。
昔から男に憧れていて、渋くて男になりたいって願望がある。
そんな私は、女よりも女らしい男子学生に出会った。
そいつが本当にいい奴で、私がしたいことをしてくれるし、嫌な顔一つせずに遊んでくれる。理想の女友達って感じだったんだけど……私のせいで彼の男性的な部分が……その、元気になっちゃったらしくて。
唇に残った彼の指の感触に自分の指を重ねた。
「やばいなぁ……どうしちまったんだ……」
今までこんな感情になったことが無かった。
感情に支配されたような感覚。
自分の意思があるのに、全てがソレを肯定している感覚。
乾いた喉を潤すように、減ったお腹を満たすように。私の身体は、あの瞬間、ミオの身体を欲したのだ。
「なんなんだあ……!」
それに、私は、嘘をついた!
男性に憧れていたからこそ『嘘はつかない』と決めて過ごしていたのに……。
──なんだよー。まさか、私がキスをするとでも思ったのか。
咄嗟に嘘をついた。
そうした方がいいと思ったから。
あのままいけば、彼に拒まれると感じたから。
怖くなって、嫌われる気がして、不安になって。
「この感情って……なんなんだよぉ……」