60. 葉月の進化
「ハヅキ! そっちに行ったのじゃ! 」
「りょーかいっ! 」
猪型の魔獣だ。通常の猪の十倍はあるだろう。葉月はワゴンタイプの軽自動車が暴走している所を連想した。身体強化を使い、魔獣の頭上に飛び上がる。風魔法を使い、首と胴体を切り離す。レーザーで処理したように綺麗な断面が見えた。葉月はもう動かなくなった魔獣の横にトンと着地する。
葉月は、このティーノーンに転移してきたときとは違い、身軽になっていた。
魔法はカロリー消費が激しいそうだ。メーオも他の魔法兵士もあんなに食べて運動しているのに、ムキムキにはならず、ほっそりしているのはそのせいの様だ。葉月も使える魔法が増えてくると、どんどん痩せていった。体感だが現在は五十五~六十キログラムだろうか。百七十五センチメートルある葉月だと痩せ気味の範疇だ。
裁ちばさみで切った髪は伸び、鎖骨あたりまで伸びている。手鏡の通信で晴に教えてもらった髪ゴムが無くても結べる方法で、後ろに一つにまとめている。狩りの時は、長袖のチュニックにパンツ、鉈やナイフを下げたベルト、皮の胸当てに、手袋と、冒険者と同じような装備を付ける。
晴に言わせれば、弥生をたれ目にして、ワイルドにした感じになったらしい。晃は、前のフワフワした葉月も好きだが、今の生き生きした葉月も好きだと言ってくれている。
葉月は鼻歌を歌いながら近くの枝に魔獣の胴体を吊り下げ結びつける。重力魔法で軽量化しているので重さは感じない。そして、土魔法で魔獣の下に深い穴を掘る。いつも放血は時間との勝負のため、素早く行う。魔獣が成仏するためにも、美味しいお肉にしなければ。
「放血!! 洗浄!! 内臓摘出!! 冷却!! 洗浄!! 剥皮!! 」
湖を囲む森で、初めて普通の獣狩りをした時、タオが狩ってくれたのは普通の猪だったが、葉月が魔法を使わず解体すると二~三時間かかった。その肉は、獣臭く感じた。
あれから三ケ月。タオは葉月は完全に覚醒したと思った。この巨大な魔獣でも、約一時間で完璧な「お肉」の状態にする。攻撃力としては、ベテランの魔法兵士と同じ位の能力があるとタオは感じているが、葉月には伝えていない。葉月本人は「お肉」を確保することに特化して、能力を磨いているからだ。この頃は、冒険者ギルドからも葉月の事を聞かれることが多い。バーリック様や神殿だけでなく、ギルドからも目をつけられるかもしれない。日本の家族に誓ったのだ。何としても葉月を守らなければ。
※ ※ ※
湖の宿屋は改装し、特別室一部屋、家族用二部屋、個室三部屋の六つの客室とした。各部屋に最新式の洋式トイレとシャワー付きの風呂を新たに設置した。
併設のレストランは、朝食と昼食は二種類から選べる軽食、夕食のおまかせコースディナーは十五食限定として、後は、ドリンク、おつまみ、包子のみの提供だ。いくら魔法があっても、沢山は作れない。細く、長く、続けたいのだ。できれば、葉月が亡くなってもドウや従業員だけでも続けられるように魔法に頼らずにできるようにしたいと考えている。
従業員スペースの部屋も改築し、バンジュートでは珍しく、一人部屋を作り、シェアハウスの様にリビングダイニングを中心にした造りにした。
タオと葉月の部屋は、キックとノーイが泊まれるように小上がりを作り、少し広めにした。他の従業員を雇用できるように二階を増設した。将来的にはキックとノーイの部屋は二階になるだろう。ホテルはもちろん、従業員用の住居も魔石を利用した魔道具で、快適空間にしている。いつか読んだファンタジー小説やマンガの様に現代社会と変わらない状態に限りなく近づいている。
タオがため込んでいた魔獣の素材や魔石などをこの際全部ギルドに買い取ってもらった。ほとんどがホテルの改装の費用になってしまったが、葉月が魔獣狩りで頭角を現したため、この三ケ月で取り戻す勢いだ。
店の名前も決まった。「カセムホテル(幸福なホテル)」だ。今までは、労働者向けの宿屋だったが、タオと葉月が目指すホテルは庶民用の特別なホテルだ。
まだ、バンジュートでは新婚旅行や家族旅行が一般的ではないが、ここから広まって行けば良いとタオや葉月は考えている。
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「ハヅキ! ただいま! 」
まだ、正式なオープンはしていないのに、メーオはホテルに住んでいる。ホテルの改築中に突然やってきて、強引に転移門を常設し、ホテルからバーリック様のお屋敷に通勤をしている。ホテルの個室の一つは、メーオが年間で契約してしまった。当然、まだホテルがオープンしていないので食事などは、従業員用の住宅で、同じものを食べている。今日も、試作品を兼ねた和洋折衷のコースディナーを食べながらタオに話しかけている。
「店主。明日はハヅキが休みだろう。僕が魚釣りに誘っても良いだろうか? 」
メーオはどこかに出かける時、何故か必ずタオの許可を取る。葉月がタオをバンジュートの弟と公言しているので、そのせいなのだろうか?
こちらに来て、地元の商店街で、買い物をし、雑談時に宿屋と食堂を改装してオープンさせることを告げると、必ず「夫婦」なのかと聞かれるので、面倒くさくなって「姉弟だ」と答える事にしている。まあ、タオの方が精神的には成熟しているのか、兄の様だとは思ってはいるが。
「メーオ。ワシにじゃなく、ハヅキに許可が取れれば、大丈夫じゃよ。明日は天気も良さそうなので、楽しんで来ればよい」
メーオがこちらに引っ越してきてから、タオとメーオは少し打ち解けたようにも見える。
「えー、タオも一緒にいこうよ。キックやノーイも連れてさ。ピクニックみたいで楽しいと思うよ。それに、この間みたいに、でっかい鯉が釣れるかもよ」
「ワシは、キックとノーイを連れて墓参りに行くから二人で行ってくると良いのじゃ」
「そう。一緒に行けたら良かったのに。ねえ、メーオも途中お墓参りに寄ってもらっていい」
「いいよー。丘の上の墓地から見た湖は綺麗だからね。故人の皆さんも喜ぶだろうね。タオの奥さんと赤ちゃんのお墓もあるんでしょ。近くでタオを見守ることができて嬉しいだろうね」
「ね。私も骨壺にジャスミンの花を描かせてもらったんだ。マレさんが好きだったジャスミンの花束と、タオの瞳の色と同じエメラルドの指輪と、亀のぬいぐるみが入っているんだよ」
「それは、奥さんも赤ちゃんも葉月に感謝しているだろう。タオも、こんな優しい姉ができてよかったねえ」
メーオはにっこりとタオに笑いかける。タオは葉月を姉と呼ばれる違和感に気付かないふりをして、微笑んだ。