002
「暑いな……」
瞼にまとわりつく眠気を擦りながら、夏さながらの猛烈な暑さに溜息をついた。
夏と冬どちらが好きかという議題が稀に上がるのだが、そういう時、俺は胸を張って冬だと言う。
寒いのが好きなんじゃない、暑いのが嫌いなのだ。
空気が濁ったようにモヤがかかるし、日差しは肌を焼くし、エアコンを付け忘れたしまいには気持ち悪い寝起きが待ち受ける。
温たい空気を吸い込んで、また溜息が出る。
「暑いよねえ、清水君」
「ああ、暑くて干上がってしまいそうだ。
……居たのか、成神」
あまりに自然に声がしたので、驚くより先に返事をしてしまった。
「なんで成神がここに?通学路、反対側だろ?」
「ん、ちょっと確認したいことがあってね」
成神は、校舎を見つめて呟いた。
「確認したいこと」から嫌な予感しかないのだが、まあ言及するのは良しとした。
今はすぐにでも、教室の冷房で冷やされきった新鮮な空気の中で寝たい。
「じゃあまた教室で」
「そっち一年の校舎だぞ。二年はこっち」
「分かってるよぅ……確認したいことがあるの!」
そう言って成神は、ボロの目立つ一年校舎へ身を翻した。ブロンドの髪はリズミカルに上下して、兎のように跳ねて遠ざかっていった。
「厄介なことじゃなければいいんだがな」
遠くなっていく成神の背に、ポツリと呟いた。
恐らくは叶わないであろう淡い願いが、この後すぐに折られるとは思ってもいなかった。
△ ▼ △ ▼
事件は教室前の昇降口で起きた。
うちの学園は土足厳禁、つまり上履きで校内を過ごすので、教室に入る前に靴を変える必要がある。
なので、普段通り下駄箱に靴を放り込もうと、戸を開けると……バザバサ。
中から紙が雪崩のように溢れ出して、俺の足元を覆った。
紙限界まで詰め込まれていたらしく、圧力から解放された束が一気に押し寄せた。
塵も積もれば山となるとはよく言ったもので、とてつもない重量が伸し掛る。
そんな一瞬の出来事に俺は、
「何だよ……これ」
と呆気にとられることしかできなかった。
下駄箱に物を入れる話だと、バレンタインのチョコを想像しやすいが、二月でなければ、チョコですらない。
紙の一つを手に取ると、なんとそれは入部届け。
それも昨日成神が言った"神様部"の……。
「疲れてるんだな、きっと」
俺は眼をごしごし擦って、悪夢から覚めるように願ったが、しっかり入部届けは御存命。
「なるほどね、うん」
何となく、一人で頷いた。
とりあえず散乱した入部届けはまとめて、近くのゴミ箱へ投下し、平然と教室へ向かった。
こういう時は冷静沈着に過剰な反応をしないことが、最善手だろう。
△ ▼ △ ▼
「これ以上は俺にも限界があるってもんだ」
午前の授業を終えて、俺はいつも通り、友人の小西澤人と食堂の机を囲んでいた。
澤人は俺の苦言を聞くなり「ほほお……」ともの楽しそうにニヤニヤしている。
ムカつくので一発、額を弾いて、本題に入った。
「まずは、これを見てくれ」
「うむうむ、一見普通の唐揚げ定食にしか見えないが、何かあるのかね?ワトソン君」
「どちらかといえばお前が助手だろ」
「いいの、いいの。早く話進めてくれ」
コントを始めようとしたのはお前だろ。と、澤人を睨んだ。
「真面目に聞いてくれよ」
「気分によるね。俺は一生ボケてられるぜ」
これ以上脱線するのも癪なので、俺は米に突き刺さっていた"旗"を引き抜いた。
「ここに旗があるな」
「うむ旗があるね……なんで?学食にお子様ランチなんてメニュー無いよな?」
澤人の言う通り、メニュー欄にお子様ランチなんていう項目は存在しない。
まあ、そもそも学食に旗がおまけされるものすらも存在しないので、旗があるだけでおかしな話なのだが。
「まあなんだ。旗があるってことも変だが、大事なのはこの旗の正体だ」
俺は旗を爪楊枝から取り外し、三角に畳まれた紙を展開する。
パラパラと乾いた音がしながら、その紙から文字が浮かび上がってきた。
「なんで、入部届け……?」
澤人はぽっかり口を開けて絶句していた。
「今朝からずっと、そこかしこに入部届けが仕掛けられてるんだよ。俺に向けて」
下駄箱を筆頭に、は教室のドアノブ、教科書の隙間、蛇口、財布の中など、俺が見て触れる場所に入部届けはある。
何とも凝りすぎた勧誘……いや嫌がらせだ。
「心当たりはあるんだよな」
「ああ……神様部の時点で成神一人に絞られる」
「ふぐぅ」
突然、澤人が胸を押さえた。
先程までのヘラヘラとした顔が跡形もなく消え、怨嗟に歪む。
「お前……今……成神さんの名前を……?」
その表情の移り変わりに、俺は頭を抱えた。
そうだった、こいつ成神のことが好きだった。
理由は聞いていないが、告白に踏み切ろうとしたレベルで好きらしく、澤人において成神の話は地雷だ
「惚気話か……?場合によっては親友であろうと首を飛ばす覚悟があるからな……」
握った箸がキリキリと悲鳴を上げている。
丸坊主で、チャーミングな澤人の顔から想像出来ないほどの眼光が傾く。
面倒臭い野球部だ。
「ただの嫌がらせだよ。話聞いてるか?」
「俺も嫌がらせされてえよ!羨ましい……」
「キモイよお前」
はあと何度目か分からない溜息が出た。
恋愛が人を変えてしまう事例はよく聞くが、こうも面倒なものだと大変だ。
澤人の場合が特殊である可能性もあるが。
そんなことを思って澤人を宥めていると、珍しくメールの通知音が鳴った。
成神✨
『屋上で待ってるぞ✨』
どうやら嫌がらせは昼休みで終わらせれそうだ。
「ごめんな。ちょっと行ってくる」
「どこに?」
「ちょっとな」
澤人の睨みが効いた視線を感じつつ、俺は食堂を後にした。