王女様の婚約破棄宣言
「私は、あなたとの婚約を破棄いたしますわ!」
この国の第二王女、ローズは王立学園の談話室で、高らかに言った。
婚約破棄を言い渡されていたのは、ローズの婚約者のレオ・ルグラン、
ルグラン公爵家の長子だった。
婚約破棄を言い渡された当のレオの表情は固まっているが、周囲にいた他の生徒たちは、またか、という表情で様子をうかがっていた。
「これで、5回目の婚約破棄宣言?」
「いえ、6回では?」
小声でささやいている者たちもいる。
ローズとレオは、同い年で現在17歳、互いに9歳の頃に定まった婚約相手だった。
国の安定を考え、親同士が決めた婚約とはいえ、二人の仲は決して悪くはなかった。
レオは、公爵家の跡継ぎとして、厳しく育てられていた。だから、会う度に見せてくれるローズの天真爛漫な明るい笑顔が大好きだった。
ローズは、自分のことを優秀な姉とは比べない、一人の女の子として見てくれるレオが大好きだった。
そして二人は、年を重ねるごとに、お互いをより大切に思うようになっていった。
しかし、二人の関係性に変化が出てきたのは、昨年二人が王立学園に入学してからだった。
学園は15歳から18歳までの貴族の子女が学んでいる学校で、貴族社会の縮図ともいうべき場所だった。
そのような中で、レオは公爵令息としての自分の立ち位置を意識するようになった。
また、文武両道目指して頑張っているものの、学業でも、剣術などの武芸の分野でも、レオの成績はどうしても4位か5位止まりだった。
レオは首位がとれない、器用貧乏な自分が嫌いになり、こんな自分は王女の配偶者として相応しくないのではないかと思うようになった。
ローズから見れば、レオは以前と同じように優しいものの、どことなく自分に対して一歩引くようなところが出てきたことが、もどかしかった。
そして、ローズとレオは些細なことで喧嘩をするようになってしまい、怒ったローズがレオに一方的に婚約破棄を言い出す、ということが繰り返されてきたのだった。
ローズは、大事にされ、甘やかされて育ってきたので、感情に任せて発言してしまうところがあった。
だから、周囲の大人たちはローズの婚約破棄宣言は、最初から本気にはとらなかった。
そして、いつのまにか二人は仲直りをして、いつのまにか婚約破棄宣言もなかったことになっている…ということが繰り返されていた。
6回目の宣言の後、ローズは親友の侯爵令嬢エマと、二人きりで庭園のベンチに座り、話していた。
「今度こそ!本当に婚約は破棄させていただくわ…!」
ローズの目に涙が溢れてきた。
〝あれ? いつもの犬も食わない喧嘩からの宣言と、違う??〟
エマは、ローズの涙を見て慌てて聞いた。
「ローズ、どうしたの? レオと大喧嘩でもしたの?」
「違うわ。喧嘩の方がまだいいかも…。レオは…レオは…、私のことなんて、もう嫌いになったかもしれないの…。」
「いやいやいや、あのレオに限って…。」
エマは力いっぱい否定した。
エマは、レオの親友のイザックの婚約者であり、イザックからもレオの日々の様子を聞いていた。
自分の目から見ても、イザックからの話でも、レオがローズにベタ惚れであることは間違いがないと思っていた。
「だって、この1カ月は、私を王宮まで送ってくださらないのよ!それまでは週に2回は必ず送ってくださったのに!」
レオは、放課後に用事がないときは必ず、ローズの馬車に乗り王宮まで送ってくれていた。王宮に着いた後は、公爵家が王宮に用意してある馬に乗り換えて帰宅する、という手間をかけてまで、そうしてくれていた。
もちろん婚約者同士とは言え、未婚の男女であるので、ローズの侍女が一緒に馬車に乗っていて、二人きりではなかった。けれども、ローズにとっては、レオと気兼ねなく話せる馬車の中の時間は、とても楽しく大切なものだった。
「それにねっ!」
ローズの言葉と涙は止まらなかった。
「最近よく、ルナさんと廊下で仲良く話しているのよ!
ときどきルナさんの家へ遊びに行っているって、噂で聞いたわ!」
ルナは、子爵家の令嬢で、ボーイッシュな顔立ちだが、しなやかな女性らしい体型をしている、男子にも女子にも人気がある同学年の生徒だった。
「えー!?ルナさんですか?
たしかに彼女は性格も良いですし、魅力的な人ですけど…。」
と、エマが返した。
あの一途なレオが、ローズ以外の女性に目を向けるなど、やはりエマには考えられなかった。
「ほらね?!だから、私はレオに振られる前に、こちらから振って差し上げるの!」
そう言ってローズは、ぽろぽろと涙をこぼし続けた。
ローズの婚約破棄宣言から2週間ほど経ったその日は、毎年恒例の剣術競技会だった。
その頃になっても、ローズとレオの仲はぎくしゃくしたままで、婚約破棄宣言も宙に浮いたままになっていた。
競技会の出場は任意で、もともと騎士志望の生徒や、剣術が特に得意な生徒がエントリーするものだった。
だから、公爵令息であり、どちらかと言えば学業の方を好むレオは昨年までは出場していなかった。
それなのに、今回レオがエントリーしているのを知り、ローズは驚いた。
「レオはもう私に何にも伝えてくれなくなったのね…。」
ローズはそう思い、悲しくなった。
競技会は、トーナメント方式で、レオは順調に勝ち上がっていった。
ローズの目から見ても、レオの剣の腕は急激に上達しているように見えた。
けれども、闘技場の観覧席で、レオの闘う姿を見守ることしかできないローズは、レオが怪我をしないかが心配で仕方がなかった。
レオが4回戦にも勝利し、いよいよ次は決勝戦…。
相手は、昨年も優勝した、武術系の科目では入学以来トップを走り続けている生徒だった。噂では既に騎士団への推薦による無試験入団も決まっているという…。
レオは懸命な粘りのある闘いを見せたが、負けた…。
競技会では、例年、優勝者には、メダルと月桂樹の冠、記念品が授与される。
そして、準優勝と3位には賞状と花冠が授与されていた。
準優勝者として表彰されるレオは、悔しさを滲ませていた。
準優勝でも、とても立派な成績なのに…と、表彰式を見ているローズは思った。
そこへ、ローズの横にいたエマが口を開いた。
「レオは、この一カ月半の間、この競技会のために必死に練習していたそうです。」
どうやらエマはローズのために、レオの様子を婚約者のイザックに聞いてくれていたらしかった。
「ルナさんの家に行っていたのは、騎士団の剣術指南役である、ルナさんのお父様に特別に稽古をつけてもらっていたらしいのです。
最初は親友のはずのイザックにも内緒にしていたらしいのですが、生傷が増えていくレオの姿を見て、イザックが問い詰めたら、白状したみたいで…。
それでも、ローズ様には伝わないようにと、口留めしていたらしいですわ。」
エマは、男ってしょうがない生き物だ、と言いたげに、肩をすくませた。
ローズは表彰式が終わると、思わず、選手控室の方へ駆け出していた。
レオの姿は、控室前の廊下で見つけることができた。
「レオ!」ローズはレオの元へ駆け寄った。
しかし、レオは気まずそうに、ローズの方へは顔を向けない…。
手には無造作に、賞状と花冠が握られていた。
「レオ、怪我はなかった?」
恐る恐る尋ねるローズだったが、
レオはぶっきらぼうに答えた。
「ああ、大丈夫だ…。」
そして、レオは、堰を切ったように話し始めた。
「本当は、何としても優勝したかったんだ。優勝して君に、記念品のゴブレットをプレゼントしたかった。あのゴブレットには、バラの模様の細工がついているから…。」
優勝記念品のゴブレットには、学園の紋章でもあるバラが、台の部分に銀細工で施されていることをローズは思い出した。
「君に、ありふれたものではなく、俺だけにしか贈れない物を贈りたかった。
それに、俺は、君のそばにいる資格が欲しかった!
俺は何をやっても中途半端だけれど、せめて一回でも何かで一番を取ることができれば、君のそばにいる資格ができるんじゃないかって。
それなのに、俺はまた…。」
レオの声のトーンが次第に落ちてきた。
その目線もまた落ちてきた。
ローズは、両手で、レオの右手を取った。
「レオ、私の方を見て。
私のそばにいる資格は、〝私のことを見てくれる〟ということだけです。
それにあなたは、私の、そばにいてほしい人ランキング、第1位です。
それではだめですか?」
ローズの言葉を聞いて、レオは一瞬ぽかんとした顔をした。
けれどそのすぐ後に顔を薄紅く染めた。
ローズは、レオの持っている、競技会2位を讃える花冠を軽く手に取り言った。
「レオ、この花冠のバラを一輪、私の髪に飾ってくださらない?
私への贈り物として…。」
レオは〝えっ?〟という顔をしたが、すぐに、ローズのリクエストに答えようと、花冠の中から、ピンクのバラを一輪抜き出した。
そして、バラをローズの髪に挿そうとしたところで、レオの手が止まった。
レオは、ローズの左右どちらの耳の後ろに挿すか、迷ったのだった。
この国では、髪の毛に花飾りを飾るときは、左側は既婚者や婚約者がいる者、右側は未婚者やまだ心に決めた相手がいない者…というセオリーがあった。
「こちらへ。」
ローズは、レオの手を取り、自分の頭の左側の方、婚約済や心に決めた相手がいる…というサインとなる方へ、手を導いた。
レオが、ローズの左耳の後ろの髪へ、ピンクのバラをゆっくりと挿し入れた。
すると、ローズは、「ありがとう。私の騎士さま。」
と言って、少し伸びあがり、レオの左の頬にキスをした。
その刹那、レオの動きが驚きで止まった。
ローズは、レオの首に抱きついて言った。
「これからも、レオとずっと一緒にいたい…。」
「ああ、俺も…。」
レオは、ローズをやさしく抱きしめながら、彼女の耳元で囁いた。
後に、ルグラン公爵夫妻の毎年の結婚記念日では、たくさんの贈り物と共に、ピンクのバラを一輪、夫から妻へ贈ることが恒例となったという…。