表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/84

*7* ささやかな箱庭

 まるで知らない暁人が怖くなって、高校に進学してからは、友だちと出かけるだとか、何かと理由をつけて避けた。

 遠い大学を探して、受験をしながら荷物をまとめて、卒業後は、そそくさとひとり暮らしを始めた。

 そうだよ、あたしは、暁人から逃げ出したの。

 でもやっぱり、臆病で卑怯者の味方なんか、神様がしてくれるわけなくて。


「──久しぶりですね、姉さん」


 就職活動をしているとき、街で、出会ってしまったんだ。

 すらりと背が伸び、目鼻立ちもすっきりと男らしさを増した、『大人』な暁人に。


「見ない間に、また綺麗になりましたね」

「……あの、暁人」

「僕がいない日々は、楽しかったですか」

「それは……」

「貴女にとって、僕はその程度の存在でしたか」

「違う! そうじゃなくて……!」

「食事の味がしないんです。昼も夜も同じで、すれ違う女性が、みんな貴女に見える。僕は、気が狂いそうでした。いや、嘘ですね。貴女に一目会えても、気が狂いそうです」


 一歩後ずされば、それより大きな一歩を踏み込まれる。


「……あんなに愛情を注いでおいて、僕の愛情は、受け取ってくれないんですか」


 掴まれた手首が、痛い。


「……姉さん」

「暁人、だめ」

「姉さん」

「だめ、言わないで」

「すきです」

「暁人!」

「好きです、ほんとに、好きなんです……もう、弟じゃ嫌だ……」

「っ……!」


 ぶつけられる暁人の心が……痛い。


「僕のこと、ちゃんと見て」


 街の景色が、道行く人が、フェードアウトする。


「愛してるんです──星凛」


 腕いっぱいに抱きしめられる感覚は、溺れている感覚にも似ていた。

 手足をばたつかせても抜け出せない、恋情の海。

 一体、いつから。

 こんなに深くて重い感情を、暁人はいつから、背負ってきたのだろう。

 早くに気づいて、少しでも肩代わりしてあげていたら、何かが変わっていたのだろうか。

 ……なんてタラレバは、無意味な妄想だ。




  *  *  *




 目を覚ますと、見慣れない部屋で、見覚えのある寝顔が間近にあった。

 鈍い頭をフル稼働させて、あぁ、そうだったと思い出す。

 モノトーン調のここは、暁人がひとり暮らしをしている部屋なんだって。


「……まったく、寝顔だけは天使みたいなんだから」


 腰に回された腕は、鬼かってくらい、びくともしないんだけど。


「僕って、可愛いですか」

「起きてたんかい」

「貴女の寝顔は、天使みたいに可愛いですから」


 ぐぅ……ブーメラン。


「可愛いって言われて、ぶっちゃけ嬉しいの?」

「貴女が絆されてくれるなら、喜んで可愛くなりますよ」

「はいはいあたしが悪かった!」

「元気いっぱいですね。昨日は、手加減しすぎたかな」

「いえいえもう充分ですから、ほんっと!」


 ああ言えばこう言う。くすくすと、こんなに楽しそうな暁人は、見たことがない。人生楽しそうで何より。


「朝食食べて行きますよね。その前に、シャワーを浴びますか。連れて行きましょうか」

「わかってて訊くの、意地悪じゃない?」

「失礼しました。こちらへどうぞ、お姫様」


 うん、サラッとそんな台詞を、恥ずかしげもなく……暁人みたいなイケメンだから、許されることだな。




  *  *  *




「結婚しましょう。僕が、大学を卒業したら。それまでには、星凛を落としますからね」


 物静かで自己主張の少ない暁人が放ったとは思えない、爆弾発言だった。


「無理強いするつもりはありません。だから、逃げないで。絶対に星凛を傷つけないから、僕の気持ちを、ちょっとずつでも、知ってほしいです」 


 爆弾発言のわりに、あたしにもしっかりと心の猶予を与えられていた。少女漫画なら満点解答だ。

 君、ほんとに初恋だよね、今度やっと20歳になる若者だよねって疑問になるくらい、受け答えが手練のそれだった。

 実は華やかな大学デビューでもかましてたり──「今も昔も、僕は星凛一筋ですよ」──って、うん、心読むのやめてね。


 知らないから、怖いのだと。だから自分のことを知ってほしいという暁人の、一途で献身的なアプローチは、あたしに頭を抱えさせた。

 あたしなんかに、暁人はもったいない。なのに暁人は、懲りずにあたしがいい、あたしじゃないと駄目なのだと言う。

 ほんと……ばかな子。こんなの、好きになるなと言うほうが、無茶な話だ。

 我ながら単純だなって思うよ。

 けど、仕方ないじゃん。あたしがすべてだったと暁人が話していたように、暁人だって、あたしのかけがえのない存在になってたの。


「ねぇ、暁人」

「なんですか」

「暁人は、子供、ほしい?」

「──! ほしいです。星凛に似た、可愛い女の子がいいです」

「……ぷっ、即答じゃん」

「ひどい、僕はいつだって本気なのに」

「ごめんねぇ、あっくん?」

「可愛いので許します」

「ちょっ、末期だね?」

「ありがとうございます」

「褒めてないから!」


 どうでもいいことで笑い合って、昔に戻ったみたいだった。だけど、昔のような関係じゃない。


「……あの人たちのことを引き合いに出すつもりはないですが、本当はね、僕がちゃんとした家庭を築けるのか、不安もあったんです」

「暁人……」

「でも、星凛を愛しく想うようになってから、貴女の笑顔が見たい、僕の手で笑わせてあげたいって、そう願う気持ちのほうが強くなった。──星凛」

「うん」

「どんなことがあっても、守ります。僕に貴女を、幸せにさせてもらえますか」

「それプロポーズだって」

「もっと雰囲気のある場所がよかったですかね、海とか」

「テイク2は受け付けないぞ〜」

「え」

「アハハハッ!」


 望まれて生まれてきたわけじゃないあたしたちでも、人生に見切りをつけたりせず、こうして図太く生きてきたんだ。


「よろしくお願い、します」


 だったら、狭い箱庭で、ささやかな幸せを夢見るくらい、許されるよね。


「ありがとう、星凛」


 一度はすれ違ったあたしたちだけど、今はこうして、並んで歩むことができている。


「貴女だけを、愛しています」

「ん……」


 見慣れた家路で、帰り着いたらふたりで夕飯を作って、他愛ない話をして、また朝を迎える。

 そんな日常の中で、そっと抱き合った時間は、たしかな変化を感じさせて。

 静かに涙を流したあたしたちのことは、アスファルトに描かれたひとつの影絵を見下ろす夕陽しか、知らない。




  *  *  *




 幸せになれると、思っていた。

 きっとこの日々が続いていくのだと、信じていた。


「──星凛! 星凛ね!?」

「もしもし、先生? どうしたんですか?」

「急にごめんなさい……あのね、星凛、これから言うことを、どうか落ち着いて聞いてちょうだいね。暁人が……」

「え……?」


 ──貴女を守ります。

 ──貴女を、幸せにさせてください。


 そう、約束したのに……


 ある日突然、君はいなくなったの。

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ