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魔王に聖剣を奪われた勇者の君を助けるため、俺は寿命を売った

長めの短編となっております。

ゆっくりとお読み下さい。

 サレウス暦1356年────



 勇者一行は魔王に大敗を喫した。


 勇者が扱う聖剣エンシェルトは奪われ、仲間の一人、ガレウスは重症を負い再起不能。

 命からがら魔王城から脱出することができたは良かったものの、この状態では再突入もできない。

 こうして打つ手がなくなった一行は、レーズヴァニア王国へと戻って体勢を整えるのだった。




 ☆☆☆☆☆



「……勇者とあろう者が情けないッ! 聖剣を失ってはお前は何もできんのだぞ! このまま魔王軍の輩にこの国を攻められては一体誰がどう守ると言うのだ!?」


 声を荒げる王。くしゃくしゃと忌々しげに逆立った白髪を掻き乱し、目を剥いた。

 グラン=サレウス陛下。彼は人間界最大の国、レーズヴァニア王国の国王であり、正教会の最高責任者である。彼に頭を上げられる人なんてこの世界中を探して誰一人として居ない。



「本当に……申し訳ありません。必ず聖剣を取り戻して見せます」



「このたわけが! 『申し訳ない』で済めばこんな大事にはしておらん! このまま魔王軍が攻めてきた時、この国はどうやって守るのだと聞いておるのだ!」


 彼女の名前はセレス。言い返す言葉も無く、彼女は心底悔しげに頭をうなだれた。

 そう、彼女こそが、世界より選ばれし、たった一人の【勇者】である。

 聖剣エンシェルトを振るい、聖剣に宿る神霊の魔力を扱う事ができる資格を持つ者。

 伝説上、魔王を倒すことができるのはこの聖剣を扱う者だけであった。


 しかし、そんな彼女には、決定的な欠点があった。

 彼女には魔力が無かったのだ。


 人間はただの農民でさえ、多少の魔力を持って生まれる。魔力の絶対量は生まれ持つもので天からの恵みとされていたが、彼女にはそれが一片たりとも存在していなかった。

 魔力を一欠片も持たない人間というのはこれまでの歴史の中でも初めてのことであった。


 余りある勇気と揺るぎない正義の心。その裏腹に、聖剣を失えばただの少女。

 鍛えられていて身体能力は多少あるだろうがそれまで。一般人となんら変わらないのだ。

 生まれついた時より、強靭な肉体と人間とは比べものにならない程の豊富な魔力を持つ魔族には歯が立たない。一方的に殺されてしまうことは容易に想像できるだろう。

 下を向いて考え込んでいた魔法使いの青年が、口を開く。



「どうするっていうか、逃げるしか無いでしょう。万全の体制で互角だったんです。セレスは今は無能。守りの要だったガレウスも致命傷を負い、今はもう戦えません。まともにやりあえば王国軍含めて全滅。この国に住まう人々も死者で溢れかえるでしょう。……だから、逃げる。何を迷ってるのですか。魔王軍に攻められる、と想像が出来るのならばやる事は一つでしょう」


「黙れ! 我がこの国を離れる訳にはいかんだろう! この国は、世界一の教会を持つ我の国があるのだぞ!? ここで食い止めるのだ。絶対にこの地を魔族などの手には落とさせんぞ! ……絶対にだ!」



 魔法使いの青年の提案にグランは声を荒げた。もはやその姿に『グランある軍に負けは無い』とまで呼ばれた大英雄の面影はない。

 逆にこうなるまでに精神的に追い込まれているのだろう、そんな主の姿を見て、彼はため息を落とした。



「……分かりました。どうしても戦う、と言うのならばせめて一般の市民だけは街の外へ避難させて下さい。戦火に巻き込まれて死んでしまうなんて事だけは絶対にさせちゃいけない。セレスが率いて避難させてくれ。それならできるよな?」


「あ、うん……」


「ふん、ならば、アレンはどうすると言うのだ。勇者は戦えぬと言えど、お前の魔法の腕は一流なのだ。王国軍と共に魔王と戦うのだろうな?」


「『王家の聖杖』をお貸し下さい。それならばまだ、戦えるかも知れません」


「……なんだと? お前ごときがレント様に選ばれると思っておるのか!」



 グランは煽るように笑った。【聖杖レント】は現在レーズヴァニア王国の持つ唯一の聖武具である。その杖の持つ魔力は尋常ではなく、その杖で唱えた魔法は最下級魔法であろうとも災害を齎す威力を持つ、と古来より伝えられている。


 その為【聖杖】というのは名ばかりに【兵器】というイメージの方が強い。そう、この杖は持っているだけで良かったのだ。


 この杖は持っているだけで他の国への牽制(けんせい)になる。逆らえばいつでもこれを使えるのだ、と圧力をかけられた。

 ついにこの数百年この杖を振りかざす機会などなく、伝説はもはや風化していた。


 否。使われなかった理由はそれだけでは無い。


 聖杖は、誰にも使えなかったのだ。

 聖杖に宿る神霊レントは、神霊エンシェルトと同じように我が身を振るう者を自らが選び、力を貸す。


 神霊は『力』を貸す代わりに『対価』を要求する。例えば神霊エンシェルトは、勇者の持つ『世界で最も強い正義心』を要求した。


 要するに、【聖剣】は、『勇者』にしか扱えない。そして逆に【聖剣】を扱える者こそが『勇者』なのだ。


 したがって、神霊レントも使用者に『対価』を要求するのだ。そして数百年経った今、その対価が何なのかすら分からなかった。

 アレンは大きな反応を見せず、ただただ淡々と言葉を紡いだ。



「使えるかどうかなんて、握ってみるまで分からないじゃないですか。どちらにせよ使えないと私はここで死ぬまでです。なら、一度使えるかどうか試すくらいどうってこと無いでしょう?」


「ふむ……それもそうだが……」


 表情を歪ませ、眉間に皺を強く作っては唸る。

 彼は迷っていた。【聖杖レント】をこの者に与えて良いのか。


 絶対的な魔力。それは人を奢らせ、惑わせる。もしもアレンがその力の矛先をこちらへ向けた時、この国には対抗する手段など無い。

 あるとするならば、勇者。聖剣を握った勇者ならば対抗することも可能だろう。


 だが、その聖剣も今は魔王軍の元にある。つまりこの国はアレンが裏切ることによって一瞬で滅びる事となるのだ。彼はこの大国を背負う王。この判断は、すぐに決められるものではない。


「グラン陛下、私は幼い頃から良く彼を知っています。アレンなら、絶対に裏切るような事はしません。もしそうなった場合は、私が命を懸けてでも止めます」


 瞳の奥を貫く真剣な眼差し。セレスはその勇者である片鱗を見せた。全身を貫かれるような覇気。彼女の言葉には、心に伝わる説得力があった。見つめればその心が透けて見られているような感覚に陥る。その姿は神霊エンシェルトに選ばれるのも納得であった。


 グランはその眼差しに言い返す言葉も見つからず、折れた。


「……分かった。使えるか使えないかすら分からぬのだ。試練を受けることくらいなら、許そう。……だが、本当に使用するかどうかは話は別だ。これは我の一存で済まして良いものではない。全世界に影響を及ぼすかも知れないのだ。アレンよ、それは理解してくれるな?」


「はい、もちろんです」


「……アレンは私について来い。セレスは今はゆっくり休め。今、己にできることを考えるのだ。必ず、何か出来ることがあるはずだ」


「はい。仰せのままに」


 精神的に摩耗しているのであろうグランは、大きくため息を一つ漏らしてはゆっくりと立ち上がり、宝物庫の方へ歩いた。アレンも同じく、どこか難しい顔つきで着いていくのであった。



「これが、我が国最大の秘宝。【聖杖レント】だ。…………握ってみよ。直ぐに結果は出る、選ばれなかった者はすぐにその手を弾かれるからな」


「はい。よく、知っています」


 聖杖は、宝石類、貴金属、魔道具などの煌びやかに飾られたその宝物庫の中でも奥の奥、さらに奥に、隠し扉の奥に隠されていた。

 小部屋の中で女神像の前で立てかけられており、この部屋自体が滅多に開けられる場所では無いのだろう。埃が目立つ。


 よく知っている、というのは勇者であるセレスと行動を共にしたからであろう。

 きっと彼に聖剣を握る機会があったのだ。

 聖剣を手に取った途端、大きく光を放ち、剣が手より弾かれたのだ。

 手がビリビリと痺れたのと、揶揄うように笑ったセレスの顔を、彼はよく覚えていた。


 アレンは一歩、一歩とゆっくりと歩いては、立ち止まって、女神像をじっと見た。後ろ姿では彼の表情は分からなかったが。何か、嫌な何かをグランは予感した。


 ゾクッと、心が震える。得体も知れない予感に恐怖した。彼は自分の判断はこれで良かったのか、と惑う。


 彼がその杖を手にすると、杖より蒼白い光が溢れ出す。神々しいまでの魔力の煌めき。小部屋全体をを眩く照らしては、グランは目を腕で覆った。

 薄目ながらに彼を見ると、それはあっという間だった。




 ────時が、止まった。


 カチ、カチ、カチ。と時計の針が鳴り響く、青白い世界。

【異形】は、そこに静かに座っていた。


 その身体を例えるならば、龍。

 アレンからは真っ黒なその肉体はその全貌を捉えられない。

 ただ全身に敷き詰められたその眼球がと全てこちらに向けられているのを感じた。

 余りの迫力に身体が動かない。心臓の沸き立つ鼓動と、カチカチと世界から鳴り響く時計の音だけが脳内に響いた。


「やぁ、はじめまして。君の名前は……いや、もう知ってるね。アレンくん?」


「え……は、は? 初めまして、ですよね?」


「そう。まぁそれは良いとして、君は僕から魔力を借りにきたんだよね?」


「え、は、はい。っていうか、使えるかどうかだけ、聞きにきた感じです」


「ふむ、聞きに来た、か。そうだな、結論から言えば、使えない。かな」


「そうですよね。そりゃあ、俺なんかには。そもそも対価が何なのかすら分からないのに……」


「おや、君は勘違いをしているようだね」


「え?」


「僕はね、そもそも誰にも魔力なんて貸してやらないよ?」


 その異形は、口元を大きく開けて言った。

 世界の空気が固まった。ような、気がした。

 全身の目玉はギョロギョロとあちらこちらを見ていたが、全ての目がまたアレンの方を見つめた。正確には、アレンの心臓を睨みつけた。



「僕が与えるのは、君の未来さ」


「未来……?」


「そう、僕は君に魔法を唱えるだけだよ。君の未来の魔力、魔法を借りてくる魔法だ。『寿命』を触媒にしてね。それを、君が使う。簡単だろう?」


「『寿命』を触媒に?」


「そう。例えば『魔王を倒すまで』なら、魔王を倒せるまで無尽蔵に未来から魔力を借りてくる。ただ、その魔力を使い切った時、寿命が完全に無くなって、死んじゃうんだ」


「……は?」


「寿命と引き換えに使えるのは、君の人生を賭けた莫大な魔力。それはそれは、世界を滅ぼす事だってできるくらいの」


「……ちょっとだけ、待って、くれませんか?」


「勿論、構わないよ。過去に『ここ』に来た人も、そうやって説明した後に断られたこと、結構あったからね。冷静になって、もう一度よく考えた後においで」


「……わかりました」


「楽しみに、待ってるよ」



 空間がぐにゃりと歪んだ。明るく青白い世界は、暗い埃っぽい小部屋へと戻される。【聖杖レント】は光を失い、時が動き始めた。

 グランは驚愕の目を向ける。



「アレン、お前……!?」


「………………」


 杖は、ぎゅっと握られた()()。弾かれていない。事実上、彼は神霊レントに選ばれたという事になる。

 ……それにしては、彼の様子がおかしい。立ち止まって、その杖から手を離した。聖杖はカランコロン、と軽い音を立てて転がった。


「選ばれた……のか? 神霊レント様に、おい、アレン、返事をせよ!?」


「……選ばれたっていうか。まぁ、はい。そうみたいですね」


「そ、それなら今すぐ聖杖は女神像に立てかけておけ! ……おい、アレン。顔色が悪いぞ」


「……大丈夫です。ところで、聖杖に関わる文献を読ませて下さい。過去に使った人の伝説でも構いません」


「とりあえず今は休んだらどうだ? 恐らくレント様に総魔力量でも試されたのだろう? アレンよ、様子がおかしいぞ?」


 彼の顔色は、この薄暗い小部屋ですら分かるくらいに青白かった。まるで先程聖杖から発せられた魔力が顔色に移ったようである。表情はいつものように無反応だが、それすらおぞましく感じるくらいであった。


「良いので。お願いします。図書館にありますか?」


「あ、あぁ。聖杖伝説ならば図書館に保管されていた筈だ。読みたいのならば好きにすれば良い」


 アレンはありがとうございます、と頷くと、足早に歩いて行った。冷や汗が頬を伝っている。


 図書館まで辿り着いてはすぐに鍵を閉め、外からは開かないようにする。

 強引に、無造作に本棚を漁る。司書が見たら激怒するだろうが、今は居ない。

 そうしてやっと『聖杖伝説』と呼ばれる本を見つけては、関連した本を二、三冊ほど重ねて持って行き、椅子に座った。

 そして焦った様子でページをペラペラとめくる。



『討魔戦争で猛威を振るった賢者ナサレウスは聖杖レントを使い、大いなる魔力で魔族の大軍を壊滅させた後、姿を消した』


『次に彼が現れたときには、既に死体であったという。王国軍の1人が戦場で力なく倒れたナサレウスを見つける。目立った外傷は無く、まるで眠ったように死んでいたと伝えられている。彼の勇敢な死に様に、涙を流した者もいた』


 彼は眉間に皺を寄せて大きく舌打ちをした。

 焦った様子でページをめくる。次は、次は。と。冷や汗が止まらない。頬を伝っては、ピチャン、と床に落ちた。


『魔道士ブラスターは、宗教戦争において聖杖を振るった。宙に浮かびながら最高位雷魔法(イザナギ)を何度も唱えるその姿はまるで神のようだった、と伝えられている』


『戦死。その勇敢な姿を忘れた者は居ない』


 舌打ち。


『戦死』 『戦死』


 重なるその言葉に、彼は大きく溜息を落とす。


「……諦めるな、きっと、何とかできる。何とか……するんだ」



 ペラペラとページをめくっては次の話。また次。その本すら読み終わると、次の文献を手に取った。そうして時間も忘れ、貪るように聖杖にまつわる文献を読み漁った。

 だが、求める文字は、無かった。


『戦死』


 度重なるその文字に殺意すら覚えた。

 苛立ちを乗せて机を叩く。


「……『戦死』なんて、嘘じゃねえか。全部、全部、全部……クソッ」



 一通りの文献を読み終えて、気付けば外はもう暗く、時刻は分からないが物音一つしないのできっともう皆も寝ていることだろう。と、彼は思った。


 ため息をまた落として図書館の扉を開く。

 ガチャ、ガチャ、ガチャ。


「うん?」


 扉が開かない。内側から閉めた鍵は開けたはずだ。何かが扉を塞いでるのだろうか。次は力を込めて扉を開く。


「うえっ!?」


「え、うおっ!?」


 寝ぼけた様子のセレスがそこに居た。居た、というより転がっていた。扉にもたれかかっていたのだろう。彼女の軽い身体は力強く開かれた扉によって廊下に投げ出されていたのだ。


「な、何してんの?」


「アレンが……その、頑張ってるらしいから。差し入れ、持ってきたんだけど……」


「鍵が閉まってたから開くのを待ってて、そのまま寝ちゃった。なるほどなぁ」


「ノックもしたんだよ!? でも、全然返事が無いから……」


「……ぷっ、あはは!」


「もう、笑わないでよーっ!」


 彼女は恥ずかしそうにポカポカとアレンを叩く。その姿にもはや『勇者』の面影は無く、青年とじゃれつく、頬を染めた少女だった。


「ごめん、ごめんってば!」


「い、い、か、ら! ほら、これ食べて? もう冷めちゃってるだろうけど。お腹、空いてるでしょう?」


 そういえば。と、彼は昼より何も食べていない事に気付いた。もう深夜だと言うのに全くと言っていいほど食欲は湧かなかったからだ。

 彼女の手作りと思われる不格好なクッキーを見ては、思い出したようにぐぅ、とお腹が鳴った。


「うわぁ、これ、手作り?」


「何か、私に出来ることをしなきゃ! って、思ったら、なんか、分かんなくなっちゃって」


 彼女は自嘲気味に笑っては頬を掻いた。彼の顔から目を逸らして、不格好なそのクッキーを眺める。

 悔しそうに目を伏せて、呟いた。


「あ、ごめん、やっぱり……っ」


「すっげえ美味そうじゃん! ありがとう、セレス。お前の料理はいつ食べても絶品だからなぁ」


 彼はその言葉を遮って無邪気に笑っては彼女の持つお皿をぶんどり、そのクッキーを口いっぱいに放り込んだ。

 幼い頃より彼女は料理は不慣れであり、彼はよくその試食担当になっていたのだ。

 彼女はそれを食べる様子をとても不安そうに眺めては、小さく尋ねた。


「その、どう、かな?」


「うん、うん。すっげえ美味い! まだ余って無いのか? 全部食べたいんだけど!」


 焦げている部分もあったのだろう、時折りバキボキというクッキーではあり得ない音を立てながら彼はクッキーを噛み砕いた。


 味だって相当悪い筈だ。黒く焦げた部分は相当苦いだろうし、そもそも味付けなどというものはしていない。素材の味、といえばいいように聞こえるが、その実苦味しか感じられないだろう。

 それなのに、彼は次々とお皿に乗せられたそれを食べ進める。完食しては、冷め切った紅茶を飲み干してニッと笑顔を見せた。

 それを見て彼女も、安心したようにふにゃりと笑顔を見せる。その頬は先程よりも赤い。


「まだキッチンに残ってたかも? 持ってくるね!」


「あー待ってセレス。一緒に行くよ。ちょっとくらい身体動かさなきゃ、鈍るからな」


「うん、分かった!」


 彼女は子供のようにコロコロと嬉しそうに笑った。それを見て、彼も嬉しそうに、幸せそうに笑った。図書館での氷のように固まったその表情が嘘のようである。



「あっ、ところで何の本読んでたの? 図書館の鍵まで閉めてさ、何か秘密の魔導書とか?」


「あー、そうだな……。エロ本だな。うん」


「な、なな、何言ってんの!?」


「冗談だよ、そんな反応しなくても……」



 恥ずかしそうにポカポカと叩いてくるセレスに、彼も笑って謝った。二人の距離は近い。それは幼馴染だからなのか。はたまた別の感情があるからだろうか。それは分からないが、暖かく幸せな距離だった。


 キッチンに残っていたクッキーも一つ残らず食べきって、ふう。と一息ついて椅子に腰を置いた。

 他の人に食べられてしまっては、無理して食べていた、なんて嘘がバレてしまうかも知れないから。

 というのは自分への口実に、セレスの手作りクッキーを独り占めしたい、なんてワガママ心があった。

 そうして美味しそうに(無理やり)クッキーを頬張るアレンを、じっと嬉しそうに彼女は眺めていたのだった。


 食べてから、少し落ち着いて窓から街の風景を眺めては、ジッと目を細めて溜息を零す。セレスにはそんな彼の表情は少し暗く見えた。

 外を見つめたまま、彼は静かに口を開く。


「なぁ、セレス」


「どうしたの?」


「お前、好きな人とかって居る?」


「え、何。急に」


「イエスかノーで答えるだけで良いからさ」


「じゃあ、ノー。私は、勇者だから。恋なんかしてる場合じゃないよ。そんなこと考える前に魔王を倒さないと」


「じゃあ、魔王を倒した後は?」


「え、えぇ、その後は……。また、世界中を冒険するんじゃないかなあ。ほら、魔物がいなくなるからって平和になる訳じゃないでしょう?」


「セレスはもっと自分のことを考えた方が良いよ。平和になった後、自分が何するかくらい考えとくだろ?」


「……確かに。考えたこと無かったや」


「人々に幸せにする使命を持った奴が、その使命のせいで幸せになれないなんて、そんな酷い話、無いだろ?」


 彼は呆れながらに笑った。対して彼女は難しそうに考えて、ううむ、と腕を組んでゆっくりと思考を巡らせる。


 平和になった後。魔王が滅びて。国と国とのいざこざもなくなって。この世の理不尽に泣き悶える人は一人も居ない。そんな幸せな世界。


 そうなったら、私は何をするのだろうか。いや、私は何をしたいのだろうか。

 彼女は、ゆっくり考えた。



「じゃあ、その後は故郷の村に帰ろうかな。久しぶりにお母さんやお父さんにも会いたいし、アレンもだよね?」


「……俺が着いてくるのは、当たり前みたいに言うなぁ。全く」


「えっ、アレンはどこか行きたい場所とかあるの?」


「んー、魔法都市イザベルには行きたいかなぁ、もっと魔法の勉強したいし」


「それなら私も行くよ! 魔法とか楽しそうだし!」


「……セレス、お前は故郷に帰るんだろ?」


 怒ったように言った。まるで、着いてくるな。と言うように。彼女はこんな彼の表情を見るのは初めてであった。反射的に身体を震わせる。

 そして激しく動揺した。何か、私は彼を怒らせてしまったのだろうか。

 ずっと行動を共にしてきたからだろうか。

 平和になった後でも、彼とは離れたく無かった。だから、不安そうに彼に尋ねる。



「なんで……? 私が一緒にいちゃ、だめ?」


「俺が居なくても、お前は自分で行く先を決めなきゃダメだ。自分の幸せは、自分で探すものなんだよ、セレス」


「待ってよ、アレン。そんな、まるで! ……ごめん。何でもない」


 彼女は寂しそうに目を伏せた。『まるでもう自分が居なくなるみたいに言わないでよ』って、言おうとして、やめた。それを言えば、それを言ってしまったら本当に『そう』なってしまいそうで。怖かったからだ。


 彼は彼女が言いたかった『それ』がハッキリ分かったように、言葉を紡いだ。瞳は勇者のそれを貫く。勇者をこのように威圧できるのは、それこそ彼女を昔から知る彼くらいであろう。



「俺が居なくても、大丈夫だな?」


「……っ」


「セレスッ!!」



「……やめてよ! 何で、何でそんな事言うの!?」


 彼女の目には宝石のようにキラキラ光る雫が見える。精一杯堰き止めてはいたが、それは決壊寸前。流れ出るまでにもう時間も要らないだろう。

 うるうると濡れる青い瞳を月光が照らしては、反射して煌めいた。

 ぎゅう、と彼を抱きしめた。強く、強く。離れていかないように。居なくなってしまわないように。


「ごめん、セレス。言い過ぎた。大丈夫、大丈夫だから、泣かないでくれ」


「ぐすっ、ぐずっ、大丈夫じゃない。アレンが居ないなんて、やだよ……」


 ポタ、ポタと肩に彼女の温かい粒が落ちてくるのを感じる。

 喘ぎ混じりの熱い吐息が耳に吹きかけられる。抱きしめられる力は痛ましい程に強く、それも当分離れる気配はない。


 彼女の身体をぎゅっと抱き返して背中を、心臓の辺りを下位回復呪文(ヒール)を唱えながら撫でた。

 抱きしめた身体は、普段の凛々しい戦闘の様子からは考えられないくらいに柔らかく、暖かかった。

 夜は鎮まり返り、星がキラキラと輝く。爪を食い込ませたような月がうっすらと雲から姿を見せる。

 暫く抱き合って背中を撫でて涙が止まったのを確認すると、彼はあやすように優しく口を開いた。


「セレス、落ち着いてきたか?」


「……うん、落ち着く。アレンのヒールはあったかくて好き。昔から、ずうっとこうやって慰めてもらってたもん」


「回復呪文はよく分からなくて嫌いだから、これしか使えないんだけどな。神様だとか信仰だとか、そんなのチンプンカンプンだし」


「……そういえば、何で回復魔法なんて覚えようと思ったの? ずっと爆破魔法を極めるんだ! なんて言って聞かなかったのに」


「……それは、秘密」


 理由は、簡単だった。昔は泣き虫で弱かったセレスの心を癒すため。その頃のアレンは回復魔法は精神的にも癒す、と信じていたのだ。

 ひたすらに彼女の心に下位回復魔法(ヒール)をかけていた。

 彼女が心を痛めないように。


 彼女は昔からのその慰め方に安心感を覚えて、今でも度々、辛いこと、どうしても堪えられないことがあった時はそうやって彼に吐き出していた。


 アレンは勇者である彼女が唯一弱みをさらけ出せる相手だった。だから、いつも全力で甘えていた。だから、その抱擁に『そういう意味』は無く、甘えん坊な彼女が彼を離す気配もない。



「ね、ねぇ、逆にアレンは好きな人とか居るの?」


「んー、いる」


「え、誰!? ミラ!?」


 ミラとは勇者パーティの一人で、世間からは聖女と呼ばれている。外見も整っており、思わず跪きたくなるような神聖さを感じさせる。

 彼女は毒や麻痺などの治療の他。一時的に筋力を上げる魔法、防具の表面を強固にする魔法といった白魔法と呼ばれる類の魔法の扱いが一流であった。

 無論、役割はパーティの補助と回復。

 彼女の白魔法に何度命を救われたことだろうか。彼女無しで魔王城攻略など、微塵も考えられなかった。


「……ミラがガレウスにゾッコンなことくらい一目で分かるだろ。相手は秘密だ。魔王を倒した後なら教えてやるよ」


「本当!? 約束だからね? 絶対だよ!」


「ん、約束するよ。教える」


「んん……よしっ! 魔王絶対ぶっとばす。俄然やる気湧いてきた!」


「全く、現金だなぁ。……って、もう遅いしそろそろ寝るか! 流石に眠くなってきたわ」


「うん、実は私も……ふわぁ」


 彼女は言いかけて大きく欠伸をした。

 彼女は魔王に敗北してから、ずっと重荷を背負っているような暗い表情をしていた。アレンと二人で会うことで緊張の糸が切れて一気に眠気が来たのだろう。

 もしくは、大いに泣き疲れたせいか。

 どちらにせよ時間帯は深夜。何もなくとも眠くなる時間だ。

 分かれ道で彼女は少し恥ずかしそうに尋ねる。



「……ねえ、やっぱり、まだ心配だから、今日は一緒に寝ない?」


「バカ、冗談でもやめろ」


「でもでも、昔は一緒に寝てたじゃん!」


「俺だって男だぞ、考えろよ」


 そして彼の言いたかったことが伝わった途端、頬はみるみるうちに頬は赤く染まり、それを目を逸らして誤魔化した。

 そして、意を決したように上目遣いで尋ねた。


「……アレンは、そ、そういうこと、したいの?」


「ッ、んなこと聞くな。ばか。寝るぞ、ほら!おやすみ!」


「んん……おやすみ……」


 彼女はぷしゅう……と風船から空気が抜けたように放心しては、耳まで真っ赤にした。

 彼はズバッと言い捨てるタイプだから、言い濁したという事は、つまり『そうだ』ということだろう。

 彼女は嬉しいような、期待外れのような。そんな複雑で飛び上がるような熱い感情に鼓動を早める。その後ベッドに横になって布団を被っても、なかなか寝れなく悶々とするのであった。




 対して、彼女と別れた後、彼は一人自嘲気味に笑って言った。



「魔王を倒した後、か……」



『戦死』『戦死』『戦死』『戦死』『戦死』『戦死』『戦死』…………戦死。

 度重なるその言葉と、異形の不気味な視線が脳裏をかすめて、頭をぶんぶんと振っては忘れようとする。


「……死にたくねえなぁ」


 彼はそう小さく呟いてはまた溜息を零した。誰にも聞こえないように、小さく、小さく。




 彼は一人、部屋で呟く。


「レント様、覚悟は決まりました」




 誰にも届かない、明るいその世界で異形の愉快な笑い声が、響いた────





 ☆☆☆☆☆



 次の日、またその次の日も彼は一人で王国を歩いていた。行先は、セレスには言わなかった。


「どうせ魔王が来たら直ぐに破られるんだけど、まぁ気休め程度にな」


 国の周りをぐるりと覆う青白い膜のような結界を貼った。後々、それは限りなく透明に変化して、瞬く間に誰にも見えなくなる。


 魔族を弾き、外からの魔力を弾くよう編まれた結界である。それは世界中の優秀な魔道士が束になって作るような、莫大な魔力を必要とする魔法であった。


 ……彼は、それを一日でやってのけたのだ。


 だが、彼の言う通り、魔王程の魔力の使い手が相手ならばこのような結界は無いに等しい。

 即座に結界の構成を理解されてしまい、半刻もしないうちに粉々にされてしまうだろう。



 勇者はそんな彼を見ては、疑問が湧き出る。


 ……アレン、そんなに魔力、あった?


 ねぇ。そんな魔法、使えた?


 そんな疑問は、所詮、愚問だと頭の中で振り払った。

 そう、彼はきっとこの旅でうんと強くなったのだ。そうだ、彼は国一番の魔法使い。こんな魔法だって使える凄い人なのだ。


 ……なんて、自分に言い聞かせる。

 何故この短期間でこんなに魔力が増えたのか。そんな魔法を使えるようになったのか。


 そうして、ぶんぶんと頭を振っては強引に思考を飛ばす。理由を考えてしまわないように。


 それより自分にも何か出来ることがあるはずだと、考えも無しに市街地へと赴くのだった。





 ☆☆☆☆☆



「アレン、今大丈夫?」


「ん? あ、あぁ。どうした?」


 彼女は晩ご飯の後にアレンの部屋を訪れた。

 あぁ、という返事を聞いて彼の私室のドアをガチャ、と開く。

 彼の姿を見ては火が着いたように耳まで頬を真っ赤に染めた。ばっと両手で顔を隠す。


「へ!? な、なな! なんで裸なの!?」


「裸言うな。ちゃんと下は履いてるだろ」


「良いから! 早く服着てよ! 外で待ってるから!」


 ガタン! と今度は大きく音を立ててドアを閉めた。はぁ、と大きく溜息を零す。自分が思っていたよりも鍛えられていた肉体。

 もっと腕も細いと思っていた。そんなことから先日の彼を抱きしめていた事を思い出してしまう。

 勇者は足をバタバタとさせて悶えた。



「ところで、どうして服を脱いでたの?」


 数分後、まだ顔に熱が残る彼女は不機嫌そうに目を細めては尋ねた。

 対して彼は、はぁ。と呆れた風に溜息を零しては質問で返した。


「セレスってそんな事聞いちゃうのか? 男が夜中に部屋で一人でする事って言ったら一つだろうに」


「……?」


「……俺が悪かった。忘れろ」


「何それ、もっと気になるじゃん! 男の子が夜中に一人でするような事って何? すっごい気になる」


「あー、くっそ。墓穴掘った」


 勇者もまだ齢20もいかない少女である。その辺の事情には、まだあまり知識は無かった。

 というか、その辺の事情に対する知識を幼い頃より完全に絶っていたアレンのせいでもある。


 そうして談笑を交えては、彼女はただの恋する少女のように頬を膨らませ、怒って。赤くして。照れて。歪ませて。笑って。コロコロと楽しそうに表情を変えた。


 彼もどこか寂しそうに笑った。


「ところで、何の用事だったんだ?」


「あっ、そうそう、明日ね、ガレウスのお見舞い行こうかなぁって。一緒に行かない?」


「……そうだな。まだ、目も覚めてないんだっけ。たまには顔出してやらないとな」


「うん、だから明日は空けといてくれる? 最近アレン頑張り屋さんだから。きっと明日も忙しいんだろうなぁって」


「『頑張り屋さん』なんてそれこそセレスの方だろ。毎日毎日、欠かさず市街地行って『何でも屋さん』とか言って雑用こなしてるんだろ? ちゃんと聞いてるよ」


「私は時間だけはあるから……。だし、何かやってないと落ち着かなくって」


「そうだな。分かるよ、俺も何かしてないとソワソワしちゃってさ」


「ふふ、昔から全然変わんないね、私たち」


 ……そんなの嘘だ。彼はうんと変わった。

 アレンは私と違ってうんと大人になった。いつも冷静で、私たちを導いてくれて。何かあった時もいつも笑って大丈夫そうに振る舞ってくれて。幼い頃はもっと意地悪で、元気で。バカだったのに。

 置いてかれちゃったなぁ。なんて、彼女は一人考えた。



「……んー、セレスは変わったけどなぁ」


「へ?」


「どんどんカッコよくなって。めちゃくちゃ綺麗になって。聖剣を扱うようになってからは信じられないくらい強くなって。……すっげー、変わったよ。俺、置いてかれちゃったみたいでさ。必死でセレスの背中を追いかけてるだけで、全然変わってないよなぁ」


「逆だよ! 私だって、アレンに負けないように頑張ってたんだよ!? アレンだけいつの間にか、一人で大人になっちゃったみたいで、すっごい寂しかったのに……!」


 そうしてキョトン、と目と目を合わせては、二人で大きく笑った。勝手に抱えてた悩みが、全く馬鹿らしくなって。幼い頃からずっと側にいる。そんな相手が余りにも愛おしくて。


「ふふ、確かに、この前だってわんわん泣いてたしな?」


「そ、それは突然居なくなるなんて言ったアレンが悪い」


 彼はまたはは、とおかしそうに笑った。なによ、と彼女は不満気そうにする。

 いつ魔王軍が攻めてくるかなんて分からないのに、こんな呑気にしていて良いのだろうか?

 なんて彼女は思った。

 でも、彼と過ごす時間は幸せで。感じていた不穏な予感もどこかへと消えてしまったようで。


 ところが、突然、抱きしめられた。

 彼女は驚きつつも、尋ねる。



「え? どうしたの、アレン?」


「……今日は、俺の番」


「ふふ、甘えん坊アレンだぁ」


「……」


「え。ねぇ、泣いてるの?」


「……泣いでない。泣いてないから」


「……うん。泣いてないね。偉いね」


 彼はぎゅっと、ぎゅっと彼女を抱きしめた。

 彼女も愛おしそうに、優しく抱き返して、背中をさすった。

 どうしたのだろう、何か嫌な事でもあったのだろうか。なんて、彼女は疑問に思う。

 彼から抱擁を要求するなんて初めてのことだったからだ。

 大切な人から頼られているというのは、やはり心が温まる。それに対する不快感なんて微塵も無く、ただ自分が彼の頼りになっていることが嬉しかった。



 ……対して、彼はもう怖くて怖くて仕方無かった。もう魂を売った後で今更、と割り切るしか無いのだ。

 それでも彼は考えてしまう。

『このままセレスと二人で逃げてしまえば』

 なんて、最悪の逃避行を。

 だが、それはセレスが絶対に許さない。その未来がどれだけ幸せなものであろうと、それによって街の人々が魔王軍に殺されることが、彼女を勇者たらしめるその信念に反する。

 それだけは絶対に揺るがないだろう。彼女は、勇者なのだから。


 いつも通りの彼女の笑顔と幸せな日常に、ついに耐えきれなかった。今更、死にたくない、などと願ってしまった。もう手遅れである。


 彼が彼女と送るかも知れなかったその幸せな未来は、もう魔力に変換されてしまったから。


 一頻りに泣いて、泣いて、泣いて。覚悟を決める。もう、これ以上は無様だと。


 自分は、もう死ぬのだと。腹を括った。



「送ってくれてありがとうね、アレン。それじゃあ、また明日。おやすみ」


「あぁ、こちらこそ、迷惑かけた。おやすみ、セレス」



 部屋に帰ると、彼はまた衣服を脱いでは指先に魔力を込める。


 彼の体には青白い魔法陣が全身に描かれていた。







 ☆☆☆☆☆






 サレウス暦1356年。『明日』。


 魔王軍はレーズヴァレア王国に侵攻したのだった。


 ありふれた日常は、その日、終わりを告げる。最初は皆、それを雨雲だと思った。こちらへと向かう漆黒の塊。それら全てが蠢く魔物達だと気付いた時、簡単に崩れ去ったのだ。


 そこから人々は懸命に避難を始めていた。心より信頼を置くセレスに先導されたお陰で、それは限りなく円滑に進められていただろう。


 ……だが、予想外の出来事が起きた。アレンは魔王の実力を見誤っていたのだ。

 魔王が結界を破るのに、半刻は『遅すぎた』

 ほんの十分程度でその結界は破られる事となる。


 その時、ビリビリと空気が震えていた。

 魔王は王国に貼っていたその膜を力任せにこじ開ける。彼の圧倒的な魔力は強引にぐにゃあ、と結界をねじ曲げた。

 ピシピシと結界にヒビを作っては、魔王はニヤッと小さく笑みを浮かべる。


 空にはガーゴイルを中心に大きなカラスの魔物。または黒いドラゴンに騎乗している魔族も居た。空を埋め尽くす漆黒の陰。それらのバサバサという羽音、醜い笑い声が国中に響いた。


 魔王が魔力をほんの少し拳に込める。その瞬間、パリン、と軽い音を立てて空が割れた。


 王国を囲うその魔法が壊れた次の瞬間。

 その場所に大きな魔法陣が浮かび上がった。そう、結界にはある仕掛けが組み込まれていたのだ。結界の崩壊と共に発動するように設定したアレンの魔法。



 発動した魔法は、最高位爆破魔法(シヴァ)



 まるで夕日が突然そこにやって来たかのように、空が眩しいばかりのオレンジ色に染まった。視界が眩い光に包まれる。


 刹那────


 世界が悲鳴を上げる。


 音は遅れてやっと降りかかる。爆発音だ。

 それはもはや『音』と呼ぶには余りに凶悪すぎる『現象』。世界中に轟く空気の振動は人々の鼓膜に痛みを与え、短時間の耳鳴りと共に聴力を奪った。


 それはその程度では終わらない。


 その爆発によって生み出されたのは大嵐を予感させる程の爆風。瓦礫は吹き飛ばされ、木々は耐えきれずに大きく横たわった。


 言うなれば、まさに『天災』。【聖杖レント】に纏わる言い伝えは間違いでは無かったのだろう。国王グランは心底、理解する。あの杖は、やはり封印されるべきである、と。


 魔王は、『それ』に何が起きたのか分からなかった。閃光に目をやられたのだ。

 やっと目が慣れて、後ろを振り返ると、そこにもう誰も居なかった。魔族の仲間はもはや真っ黒な炭となっていたからだ。ならば重量に従って落下するのみ。

 魔王軍は、たった一発の魔法で壊滅したのである。

 文字通り、『消し炭』となって。



 世界を震わせるまでの威力であったのにも関わらず。魔王はほぼ無傷であった。

 その身体からは血の一滴すら流していない。所々焼けている箇所は見当たるが、所詮その程度。

 彼はブスブスと焼ける己の肉体を見ては、不敵に笑った。


「これは、かなり楽しめそうだ」 と。



 一方。予想外の大爆発であったが、その瞬間。セレスは誰よりも早く、冷静に気持ちを切り替えることができた。それができたのは、その爆破を誰よりも多く見てきたからである。


 この爆破は、絶対にアレンのものだ。威力はこれまでのものとは桁違いだけど、間違いない。

 その確信があったから、彼女はいち早く動き始めた。


 予想外の爆破だったが、その分魔王軍にも大きくダメージを与えただろう。この隙に、人々を逃せるかも知れない。

 絶対に、一人たりとも死なせない。私は勇者だから。勇気だけは誰にも負けない。

 聖剣を失って戦うことができない、今の私に出来ることは、これしか無い。

 彼女は唇を噛み締めて、必死に考える。


 アレンなら、どうするだろうか。と。


 冷静な彼なら、きっとこの間にも次の策を考えて、魔王軍から人々を逃す為にその身体を酷使しているだろう。

 そういえば、ガレオンのお見舞いに行ってから、彼の姿を見ていない。【聖杖レント】を持っていない場合の、彼の対応は、グラン陛下の言う通りなら人々の避難、つまりこの辺りに居るはずだ。ふと隣にいる彼女に尋ねる。


「ねぇミラ、アレンは今どこに居るの?」



 彼女は、とんでもないことを口にした。




「アレンは……とっくの前に遠くの村に逃げたよ。魔王なんかと戦ったら、死ぬに決まってるだろ、って」


「は?」


「…………」



 聞こえた言葉の意味が分からなかった。

 アレンが、逃げた? 魔王と戦うのが怖いって? いや、そんな訳がない。聞き間違いだろう、とミラの方を見る。

 彼女は悔しそうにうなだれる。セレスから顔を背けた。歯を食いしばって、何かに耐えるように顔を歪めては、目を伏せた。

 なあんだ、とセレスは笑った。



「ミラ、嘘つき」


「……え?」


「嘘なんでしょ? 分かるよ。お願い、ミラ。本当の事を話して? 何で、そんな嘘ついたの?」


 ミラがセレスの瞳から逃げたことは、過去に一度も無かった。相当信頼していたからだろう。

 今、初めて彼女は勇者の目から逃れた。

 ならば、何か後ろめたいことがあることは、すぐに分かったのだ。


 ミラは、はぁ、と溜息を零しては、小さく笑って白状する。


「……バレちゃったかぁ。私だって、反対だったんだけどね、こんな作戦」


「作戦? もしかしてそれ、私だけ知らないの?」


「うん。……ごめんね。セレスには秘密にするって、アレンが決めたことなんだ。でもね、誰も言い返せなかったんだ。セレスが知ったら、こんなの、絶対反対するからさ」


 心がざわついた。嫌な、予感がした。心の中ではずっと分かってた、でも気づかないフリをしていた、そんな予感を。



「【聖杖レント】を持ったアレンが()()()魔王と戦う作戦なの。必勝法があるんだ! って、胸張ってドヤ顔で話すから。皆も信じ込んじゃって」



 絶句する。アレンが、魔王と。一人で? 

 否定したい。が、パズルのピースが当てはめられるようにその事実はストン、と腹の底に落ちた。

 尋常じゃ無い魔力。見たことのない魔法。

【聖杖レント】を使っている、とだけで全て都合良く話がまとまる。



 そして、何より…………



「待ってよ、ミラ、そんな。アレン、聖杖なんて持ってなかったよ、契約は失敗したんじゃ……」


「聖杖はね、『一度持つだけで良い』の。だから、今、彼が聖杖なんて持つ必要は無いんだって」


「なんで、黙って……!!」


 ミラは動揺するセレスの肩を力強く掴んだ。

 よく聞いて。と、目は真剣そのもので。何かを彼女に託すように話す。

 そう、彼女にも、ガレオンという愛する者が居た。だが、守れなかった。白魔法を使ったって致命傷は治らないのだ。

 ただ、ぼうっと彼のうなされながら眠る姿を眺めることしかできなかった。


 セレスには、絶対にそんな思いはさせたく無かったのだ。それに彼女自身、アレンとは大きく関わっている。大切な仲間なのだ。

 だから、淡々と、事実を伝えた。

 残酷な事実を。


「私はね、それが嘘だなんてすぐに分かったよ。アレンは、たぶん自分が死ぬことが分かってたんだと思う。……じゃなかったら、『セレスを頼む』なんて、言わないよ」



「私を……頼む?」



 ……そして何より、


 脳裏に過るのは、これまでに見たことのなかった、怖い表情をした彼。

 彼は初めて、本気で私に怒ったのだった。




『俺が居なくなっても、大丈夫だよな?』




 あ、あ……。


 気づく。

 私は、何も分かっていなかったことに。


 アレンは、アレンは。自分が死ぬことが分かってたのだ。

 その言葉に、どれだけの想いが込められたのかを、分かっていなかった。


 そして昨晩の出来事を思い出す。


 彼は、私に助けを求めていたのだ。

 そんな異変に気づいてあげるべきだった。ヒントはこんなにも沢山あったのに。


「セレス。ここは私に任せて、アレンを助けてあげて。ここのみんなは私が命を懸けても守り抜く。貴方は、好きな人を守ってあげて。それは……私が出来なかったことだから」


「……ミラ、ありがとう。行ってくる」



 勇者は、風を切って走った。魔法のように軽い足で、街を、草原を、駆け抜ける。

 彼女に魔力は雀の涙すらも無い。

 それなのに、一向に速度は下がらなかった。


 アレン。ねぇ、アレン。


 笑い顔、照れた顔。困り顔。走馬灯のように彼の顔が次々と思い出される。

 子供の頃からずっと一緒にいた。

 彼の前だけでは『勇者』じゃなくて、『セレス』でいられた。

 何かあった時も、ずっと側に居てくれた。

 抱きしめて、背中を優しく撫でてくれた。

 あったかくて。優しくて。頼りになって。


 ……ふと気づけば、好きになっていた。


『勇者』だから、こんな気持ち言えなかった。

 いつしか、友達じゃなくて、男の人として彼を見ていた。ずっと、ずうっと好きだった。


 勇者の少女は無様に泣きながら、ひたすらに駆け抜ける。


 そのけたたましい爆発音の方へと。


 魔王とたった1人で戦う、彼の場所へと。









 ☆☆☆☆☆



「……やぁ、魔王さん。相変わらず元気そうだな。てっきり俺は魔王って奴は城に引き篭もって運動不足なもんだと思ってたぜ?」


 彼は原っぱで、たった一人で魔王を待ち受けた。

 万全の状態、勇者一行の4人がかりで完封された相手。一人は致命傷。聖剣をも奪われた。

 彼自身、手も足も出なかった。


 そんな相手に、一人で。



「『あの魔法』は、貴様のものか?」


「……そうって言ったら?」


「ふふ、褒めてやろう。最高位爆破魔法を結界にしてしまうとは、中々面白かった。貴様、前に少し遊んだときより、相当腕を上げたようだな?」


「そりゃ、どーも。お前に魔法が通じないってのはよく分かったよ」


「私に魔法が通用しない訳では無い。私の莫大な魔力が他の魔法を弾いているだけだ。つまり、私を覆うものより強大な魔力が込められた魔法ならば、もしかするかもしれんぞ? 魔法使い」


 魔王は、ニィと口元を歪ませて笑う。


「とくと、楽しませてくれたまえよ」


「あぁ、そりゃあ存分になぁ!」


 アレンは自身の魔力を開放する。途端、黒い煙は晴れ渡り、辺りに風が吹き荒れる。蒼白く見慣れないその魔力は、宝物庫の小部屋で見たものと同じもので。


 その魔力を見て、魔王はおかしそうに笑っては、優雅に一歩、一歩と歩き始める。


 王者の余裕。

 それよって気づかなかったのであろう。地面に仕組まれていた魔法陣に。


 それを踏み込んだことを合図に魔王の踏み込んだ地面が爆破する。それによって彼の身体は煙に包まれた。

 無論、無傷であるが。


「はっ、罠も2回目だぜ? 魔王様も意外と単純なんだなぁ?」


「同じネタ。更に先ほどよりも余程位の低い爆破魔法ときた。…………はぁ、あまり私を失望させるなよ、貴様」


 退屈そうに溜息。更に表情に苛立ちを見せた。

 その苛立ちは、アレンが煽ったからではなく、ただの残念感。


 そう、魔王にとってアレンはただの玩具。

 パッケージが面白そうで、ワクワクと箱を開いてみれば、そこにはパッケージのものより数段ボロい、ハリボテの中身。思わず舌打ちだってするだろう。

 彼が抱いたのは、そういった残念感である。


「はぁ。興醒めだ。殺すか」


 そう呟いてから、気付く。今も尚モクモクと視界を覆う白い煙。


 違う、この魔法は、『二番煎じ』などではない。いつまで経っても煙が晴れない。つまり、この魔法は、爆破魔法ではなく────



「付き合って貰うぞ、()()()()にな!」


 突然、その煙が晴れたと思えば、アレンの拳が魔王の腹部を大きくめり込ませた。


「グフッ」


 そのダメージは、形となって現れる。

 魔王の喉から溢れる魔族特有の青紫色の血。それを口元からツゥ、と流れさせる。


 彼は初めて魔王から見る明らかなダメージの証拠を見ては、悪魔のように口元を吊り上げて笑った。


「打撃は、効くみたいだな?」


「ふ、ふは、ふはははははははは!!! 面白い! 面白いぞ!!」


「……うっわ、Mの気かよ、気持ちわりい」


「貴様、魔法使いだろう? その馬鹿臭い腕力は何だ?」


「あれ、『魔』の『王』が、こんな初歩の魔法をご存知ない? 農民の子供だって知ってるぞ?」


「……強化魔法(ドクトル)か。ふふふ、やはり面白い、面白いなぁ」


 魔王は口元の血を手の甲で拭っては、心底楽しそうに笑った。


 強化魔法とは簡単なもので、その名の通り、『魔力』を『筋力』に変換する魔法である。

 だが、こんな魔法を使う魔法使いは一握りを除いて居なかった。


 何故か。理由は究極に簡単である。

 魔法使いは、魔法を使った方が強いからだ。


 魔力とは、無限の可能性を秘めた変換リソースであり、それは使う用途によって大きく変わる。

 例えば空を飛びたいなら、箒魔法を使えば良い。わざわざ脚力に魔力を変換させてジャンプをする馬鹿は居ない。


 また、相手を倒す、という名目でも、それは魔法で遠距離から攻撃する方が余程効率的である。わざわざ魔力を腕力に変換させて相手を殴る必要は、一切無い。


 また、そんな強化魔法を使ったとしても、それでもアレンの馬鹿臭い腕力は、尚考えられなかった。


 魔族とは、そもそもの強靭な肉体が衝撃に対して優れている。それも魔王ともなると、並の武器では傷すら付けられないだろう。


 それで、魔法使いのか細い腕が魔王にダメージを与えようとするならば。

 もう、考えるられることは一つである。



「貴様、残り全魔力を強化魔法に使ったな?」


「へっ、これが全力に見えるかい?」


「ハッ、そう見栄を張るな。まぁそれなら私も『殴り合い』で応じなければな?」


 魔王が拳を握りしめる。強化魔法で魔力を筋力に変換し、肉弾戦の準備を整えた。余裕の表情は、崩さない。まさか彼も魔法使いと殴り合うことになるとは思わなかっただろう。

 もはや、これは戦いではなかった。そう、余興。慣れないことをする魔法使いとのお遊びだ。


 ────と、思っていた。


 魔王は、未だにアレンの力量を見誤っていたのだ。そう、その結果、彼は痛い目を見る事となる。


 アレンは、一方的に魔王を翻弄した。

 魔王も魔力相当、筋力に変換した。なのに、一度も拳が当たらないのだ。


 一方、アレンの拳は何度も何度も魔王の肉体をめり込ませる。

 魔王の肉体からは、所々から血が吹き出し、その打撃の威力を物語る。内臓のダメージからだろう、口元からは血が溢れ出した。宙返りをして一度距離をとる。



「……何故だ、何故私の力が及ばぬッ」


「そりゃあ人間の底力ってやつだ。本気で来いよ、魔王」


「ほぉ、成る程。ならば私も本気を出さねば、な」


 魔王は右腕を大きくアレンの方に向ける。

 拳を握りしめ、魔力を込めると。その時。

 魔王の右腕から、【聖剣エンシェルト】が伸び出た。まるで腕の延長のように拳よりその剣は生え、黒く燻んだ煌めきを放っていた。

 アレンはそれを見て驚愕の表情を見せる。



「おい……それ、聖剣……だよな?」


「そうだ。これは間違いなく聖剣エンシェルト。貴様ら勇者から奪ったものだ」


「も、最も勇敢な心を持つものにしか、力を貸さないんじゃなかったのかよ、神霊エンシェルトは」


「簡単なものだよ、魔法使い。契約を魔法で上書きしたのだ。まぁそれでもこやつは抵抗し続けてるがな。全く、強情なものよ」


「魔力を寄越せ、エンシェルト」



 神霊エンシェルトの契約を、上書きする。

 そんな事が可能なのか。それは、彼の腕に宿ったその剣を見れば明らかである。

 聖剣が弾かれていない。

 それは、間違いなく魔王が聖剣を扱うことが出来ることを表していた。

 ドス黒い魔力がドプドプと小さい波を立てて聖剣から右腕へと伝って送られる。

 魔王の姿がみるみるうちに変貌した。髪は銀髪から真っ黒へと染まり逆立つ。更に魔族特有の角が伸び、太くなった。

 そして魔力を解放しては、余裕の笑みを浮かべた。



「御託はいい。さぁ、続きを始めよう。かかって来い、魔法使い。王国を守るのであろう?」


「……俺が守りたいのは、国なんかじゃねえよ。舐めんな、魔王!」



 彼が取った行動は、無謀な突撃。


 彼が出来る事なんてもうそれくらいしか無かった。


 それがもはや無意味だなんて分かっていた。

 それでも、行くしか無かった。

 すれすれの所で躱して攻撃しようとするが、拳はもう届かない。

 聖剣は無残にも身体を切り刻む。魔族と違う、真っ赤なその血飛沫を吹き上げては尚、拳を振り上げた。


 胸、腹、と二撃入る。が、その威力は数段下がっている。魔王は全く怯まない。

 そして代わりに左肩に一太刀を貰った。

 削がれた肩元からは真っ赤な血液が溢れ、流れ出す。二太刀目をなんとか身を捩らせて回避し、距離を取った。



「終幕か。呆気無かったが、まぁ私に聖剣を出させた事だけでも褒めるに値するのだろう」


「ハァ、ハァ、ハァ……くっそ、そりゃぁ、ひっでえ皮肉だな……」



 魔王に、聖剣。

 絶対絶命ともいえるその状況の中、彼は大きく溜息を零しては思考を巡らせる。肩から大量こ血が溢れ出す。もう、時間も無いのかも知れない。


 魔王を殺すのに肉弾戦は、不可能だ。

 魔法で倒すにも、先に聖剣の奪取を行わなければならない上に、もうそんなことが出来る程の魔力が残ってるとは思えない。


 思考を巡らせる。どうすれば、どうすれば良い。まだ、『最後の手段』は考えるな。

 まだ、まだだ。まだやれる。


 脳裏に浮かぶ、セレスの泣き顔。


『アレンが居ないなんて、嫌だよ』


 彼女はぽろぽろと涙を流しては、訴えていた。

 ごめんな、セレス。ごめんな。一緒に居てやれなくて。死ぬみたいなんだ。俺。

 絶対に、魔王を無傷でそっちへは行かせない。

 命を懸けてでも、セレスだけは、守ってやる。


 足に力を込め、全身に描かれた魔法陣に魔力を込める。


 彼女の、十分の一で良い。俺に、勇気を。




 ────その時だった。




「アレンッ!!!!」


「……はぁ!?」


「はぁッ、はぁ。アレン。良かった。良かった、生きてた。アレン……!」


「お前、何してんだよ!? 街の人は!? 避難しろって言っただろ!?」


「だって、だって! アレンが死ぬなんて言うから! 私!」


「……セレス」


 彼女は息はゼェゼェと切れていて、涙で顔はぐしゃぐしゃで。思わずこちらまで涙が零れそうになる。

 傷だらけで、血液によって赤くなったその身体を抱きしめて、また彼女は泣いた。


「ほぉ、勇者の小娘か。これで少しは面白くなる、か?」


 血が足りない頭でぐるぐると考える。


 勇者の小娘、ねぇ。魔王、セレスの名前すら覚えないんだもんなぁ。こいつは、ただの、すげぇ可愛い、ちょっと周りより勇気がある女の子だ。

 勇気ある者、なんてそんな大層なもんじゃない。必死にその称号に負けないように、前向いて戦ってるんだ。セレスは、そんな子なんだ。


 ……あぁ。【勇者】か。


 アレンは魔王の方を指差してこそこそと話し出した。


「セレス、あの剣が見えるか?」


「エンシェルト!? 何で、魔王が!?」


「今は黒ずんで、魔王に契約されてるらしいんだけど……セレス、聖剣さえあれば戦えるんだよな?」


「……多分。わからないけど、エンシェルトが私に力を貸してくれるなら。戦える」


「……へへ、なら、勝機はある。来てくれてありがとう、セレス。絶対勝とう」


「うん、……絶対に、殺させたりなんてしないから」


 彼は二人なら、なんでも出来る気がした。

 不思議と勇気が湧いてきて、傷だって、なんとも無いみたいに痛みが引いた。

 諦めかけた心に、再び火が宿る。

 もしかしたら、これこそが勇者の本領なのかも知れない。勇気ある者ではなく、周りの人に勇気を与える者。……なんて、彼は思った。

 そしてまた小さく耳打ちをする。


「俺が、最後の魔力を使って、聖剣を持ってくる。だから、セレスはエンシェルトの魔力の全てを使って、魔王に【ゼクス】を打て。いけるな?」


「……分かった。絶対に、倒すよ」


「俺たちなら、絶対に勝てる。頼んだぞ、セレス。ビビるなよ、何があっても、打つんだぞ」


 彼女にそう笑いかけた。そして立ち上がると。


 突然、力なく膝から崩れ落ちる。



「アレン!?」


「へへ、大丈夫、強化魔法が切れただけだ。本当にこれで最後だから、任せたよ、セレス」



 そう、彼はもう強化魔法が無ければ立つ事すら出来ない程に磨耗していたのだ。

 血は止まらない。肩から、全身の切り傷からはまだまだ血液が流れ出ている。

 膝立ちのまま、魔力を注ぎ込んだ。




「貴様、強化魔法が切れたか。残り少ないその魔力で、何ができる」


「お前を、殺せる!」


 指差して自信満々に言い放つ。

 その表情を見て、魔王も大きく笑った。



「やってみろ、魔法使い! いや、アレン!」




 彼女はその時、寂しそうに目を伏せる真っ黒な異形が見えた。

 が、その姿は直ぐに透明になって、消え去った。気のせいだったかも知れない。だけど、そんな大きな化け物の気配を目の前に感じた。



 アレンの纏う雰囲気が大きく変わる。


 彼の身体中から蒼白い魔力が溢れ出す。

 髪は逆立って、魔力の流れが風となって溢れているのを感じる。


 彼の身体中に張り巡らされた魔法陣が顔を見せた。その瞬間、彼は詠唱を始める。


結界魔法(エリクシール)!」


 彼女の身体を直方体のガラスのような結界魔法で覆った。

 蒼白く煌く魔法陣と目の前に現れた結界を見て、何が起きてるのか分からないように困惑した彼女は、彼の瞳を見る。


 目が合う。そして、彼は、笑った。無理矢理作って強引に顔に貼り付けたような作り笑顔で。



「任せたぞ、セレス!」





 ───瞬間。彼の両足は爆破した。



「…………!?」



 強烈な爆風に吹き飛ばされて彼の身体は宙に放り投げられる。その先に、魔王が居た。


 予想外の、突然の自爆に魔王も対応出来なかった。突然こちらに飛んできたアレンが身体に組みついてから、やっと事態を把握したのだった。



 彼女は大いに困惑する。彼女の周りに貼られたガラスのような結界魔法によって、爆風も、砂煙も、何もを防がれた。

 が、弾け飛んだと同時に撒き散らされた両足の血液はその透明なガラスを赤黒く染めたのだ。



「何……これ?」



 魔王の腕に組みついては、彼は、こちらを向いて、笑った。

 血液によって染められたドス黒く真っ赤なレンズでその表情をしっかりと写す。

 申し訳無さそうな笑顔。それは。



「貴様、まさかッ」


「喰らえよ、魔王!!」



 発動したのは────自爆魔法。


 それが彼が全身に描く魔法陣の正体であった。

 己の血肉、体力、その全てをエネルギーに変える爆破魔法。



「グアァアァァァ!!!!」



 魔王の絶叫と、爆発音。それらが混じり合い、計り知れない轟音を生む。結界魔法のお陰で彼女は爆破の影響は受けないはずが、その大爆発に耐えきれなく、パリン、とヒビが入ってついにその結界魔法は力を失った。

 血で染められた真っ赤な視界が開ける。結界魔法は辛うじて爆発から彼女を守り切ったのだった。



 魔王は『一点』を集中させてその爆破を受けた。アレンは狙ったのだ。魔王の右腕を。

【聖剣エンシェルト】を宿した右腕は、彼の身体と共に焼き切れて、吹き飛んだ。


 彼女は、爆煙の中。何を考えていたのか。

 申し訳無さそうな笑顔。ごめん、と言っているようにも見えた彼の表情。


『何があっても、打つんだぞ』


 先程の彼の声を、思い出した。

 そうして、放り出された聖剣を手に取って、淡々と、彼女は声をかける。


『エンシェルト……全部、ちょうだい』


【神霊エンシェルト】は、しっかりと頷いて、笑った。


『うん、任せたよ。セレス』


 身体中に黄金の魔力が満ちる。辺りにまで広がる黄金色の光。暖かく、優しく照らした。


 計り知れないその魔力の気配に、片腕を失った魔王は、目を見開いて叫んだ。


「ハァ、ハァ、貴様ぁあ!!!」


 聖剣を、振り上げる。

 辺りを包んだその黄金色の光をを全て吸収し、その剣身が黄金に染まる。

 勇者に伝えられていた、聖剣の奥義。

 神霊の魔力を全て解放して、光はより強くなっていく。眩しいまでのその光量は、全てその一振りに委ねられる事となる。


 勇者は、叫んだ。



「【極聖剣奥義(ゼクス)】!!!」



 斜めに斬り下ろすと、黄金の剣からその魔力の塊が剣撃となって発せられる。瞬間、魔王は真っ二つにその身体を焼き切られた。

 光の速さで襲い来るその一太刀を回避することなど出来ない。


「く、は……。は、ははは……」


 魔王は真っ二つになった後満足そうに笑みを浮かべては、そのまま真っ黒な灰になって散り散りに飛散した。



 雲と、煙が晴れて晴天の中。



 ズタボロでもう見る影もない彼を見つけて、駆け寄った。

 揺すっても、彼はぴくりとも動かない。




「アレン……。私、倒したよ、魔王を倒したんだよ……ねぇ、アレン、……アレン」


 彼女は、真っ黒に焼け焦げた彼の肉体に触れて、顔を撫でた。頬に涙を落とす。



「死なないでよ、嫌だよ、アレン。死んじゃ、やだよ。アレン……!」



 返事は、無い。



「ねぇ、お願い……お願いだから……」



 涙が、彼の瞼に落ちた時。

 彼はゆっくりと手を伸ばした。奇跡としか思えなかった。

 両足を失い、肉体は真っ黒に焦げて。それでも、まだ息があったのだ。


 手は、彼女の背中を撫でる。


「ゲホッ、セ、レ……ス。魔王を、倒したんだな、ケ、ガしてない……か?」


「アレン、アレン!!! そうだよ、アレンのお陰だよ。だから、お願い、アレン……」


「へ、へへ。じゃ……あ、やくそ、く。言わ、ないと……な」


「やくそく……?」



 蚊の鳴くような声で彼は話す。瞼が焼けてしまっているのか、目は開かない。だが、頬を緩めて、笑った。



「俺、セレスの事が、好き、だっ……たんだ。ずっと、ずっと、大好きだっ……た。ごめ、んな、もう、いまさら……だけど。言っておき、たかったんだ」


「私も! 私もずっとアレンのことが、大好きなの、だから! 死なないでよ……!」



 顔を歪める。『今更』なんて言わないで欲しかった。両想いって、わかったのに。こんなの無い。涙は、止まらない。ボロボロと涙は流れる。もう、前も見えないくらいに。


 彼の手が、彼女を少しだけ強く抱きしめた。

 魔力を感じる。ほんの少しの、暖かくて優しい魔力。


「だい、じょうぶ。だい、じょうぶ。だから」


 いつものように、子供の頃から彼女を慰めるように回復魔法をかけた。

 背中の心臓の辺りをさすって、最後の、命の底に残ったなけなしの魔力を使って。


 彼女の心の痛みを癒す為に。



『それ』が。

 この世で最も暖かくて優しい魔法が、もう最後だって、分かってしまった。


 だから、精一杯抱きしめ返す。もう喉は言葉も通さない。耳元で彼は小さく、呟いた。



「しあ、わせに、なれ、よ。笑って、笑って。そうや、って、来てくれ。待って、るから」


「あ、い、してる、セレス」



 ただただ、ぎゅっと。ぎゅっと抱きしめる。


 背中から感じる回復魔法が終わってしまうと同時に、彼の腕は力を失った。



 いつもの、優しい笑顔だった。

 それは、もう。やり遂げた顔だった。




「うぁあああああ、ああああああああ!!!」


「あああぁあああぁああああ!!!!!!」




 彼女は、泣き叫んだ。

 居なくなってしまった、優しい彼を。

 暖かい彼を。大好きな彼を想って。泣いた。


 彼は世界を救ったのだ。


 だが、彼が守りたかったのは、世界でも、全人類でも、はたまた、この国の人々でもない。


 彼はセレスを守りたかったのだ。

 ただ、彼女だけを守りたかった。


 無事、その願いは果たされたのであった。

 たった一人の尊い犠牲によって、その願いは果たされた。



「アレン……目、覚ましてよ……お願い。お願いだから……」



 涙はポタポタと頬を伝って、彼に落っこちた。何度も何度も。


 頬に手を添えて、口付けを落とす。

 が、彼はピクリとも動かない。


 大好きだった。幼い頃から一緒に居たのだ。

 それが、そんな大切な人が、無残にも奪われて。


 力なく横たわる彼の手を握る。脈はもう無い。

 お願い、どうか。お願い……。

 誰か、誰か、助けて。



 瞬間。時が、止まった。





 カチカチと響く機械音。青白い世界。

 目の前には、先程彼の後ろに見えた巨大な異形がどしりと構えていた。


「こんにちは、セレス。随分とご傷心のようだね」


「誰……?」


「僕はレント。アレンくんに魔法をかけてあげた者だよ」


「魔法……?」



 激しい絶望感と、悲しみと、突然の視界の変化で頭がぐちゃぐちゃになった彼女は考える。

 エンシェルトは、彼女に魔法なんてかけていない、彼女と契約しただけだった。

 ならば、魔法とは、何のことだろうか、と彼女は考えた。

 真っ黒な異形は淡々と告げる。



「寿命を魔力に変換する魔法を、僕は彼にかけたんだよ」


「なに、それ」


「そう、だから今彼が動かないのは、爆発のせいでも、魔王に斬られたからでもない。寿命が無くなって死んだんだよ」


「なんで、そんな魔法使ったの!?」


「彼がそれを望んだから。そんなの、守られた君が一番わかってるんじゃないの?」


「……ッ!」



 彼女は聖剣を構える。涙目で、両手でぎゅっと握りしめた剣の切っ先を異形へと向けた。

 睨み付ける。アレンの仇、アレンを殺したのは、こいつなのかも知れない。なんて考える。全てをこの異形のせいにしたら、楽になるかもしれない。



「あなたが、あなたがアレンを……ッ!!」



 拳に力を入れる。その途端、己を中心にびゅううと風が吹いた。



「……!?」



 そう、彼女には魔力が無い。無いはずなのに、魔力が溢れたのだ。それも、莫大な。それによって風が吹いた。 

 異形は聖剣を向けられているのにも関わらず穏やかに笑う。



「やっと、この時が来たんだね」


「私に、何をしたの? 何で、私が魔力を使えるの?」


「簡単だよ、君は元々魔力を持っていたのさ。だけど、それを全て僕に委託した。だから君は『魔力を持っていない』ように見えたんだよ」


「そんなの、知らない! 誰がそんな事したの? 私、あなたと初対面だよ?」


「ふふ、君は、ね。でも僕はセレスと会うのは二回目だよ。確かに前に会った時は、君はもう相当歳を取った女性だったからね」


「未来の私、ってこと?」


「そう、やっぱり君は賢い。じゃあそんな賢い君は未来の君は過去の自分の魔力なんか渡して、何をしたかったのか、分かる?」


 その答えは、思っていたよりも簡単に出てきた。

 平和な世界になった後、私が一番やりたかったことは、アレンと一緒にいることだったのだ。


 ならば、アレンを失った未来で、私がしたいことなんて一つだ。

 彼女は剣を収めて、まっすぐにその異形を見つめた。



「アレンを生き返らせたかった、んだね」


「そう。大正解。前に会った君は、アレンの死を決して受け入れ無かった。僕の魔法の事を知った君は、魔法でアレンが爆発で死んだのでも、聖剣で死んだのでもない事がわかったんだ」


「未来の私は、魔法を使えたんだ」


「そう。それはもう、天才的だったよ。魔力の扱いなら彼以上の腕前だったね。……それでも、今と同じ道を歩んだんだけど」


「…………そっか」


「それで、君は気づいた。寿命を魔力に変換できるのなら、その逆だって可能であるはずだって。魔力を寿命に変換する魔法を創ってしまえばいいって、考えたんだ」


「魔法を、創る……」


「でも、それに気づいた時にはもう、遅かった。彼女は僕に寿命と引き換えに魔力を要求した。だけど、残りの全てを使ったとしてもその魔法を使えなかったんだ。だから、僕は魔法を使わなかった。人を生き返らせる魔力だ。向こう20年程度じゃあ足りないよ」


「え、エンシェルトから魔力は借りれなかったの?」


「……未来の君はもう彼を生き返らせるのにご執心でね。『世界で最も強い正義の心』なんてものはもう持ち合わせていなかったらしい」


「馬鹿だなぁ、未来の私……」


「それだけ彼のことを想ってたんだろう? それが馬鹿ならそれこそ彼と同じだよ。だって、彼、僕に魔法をかけてもらうとき、二回とも同じ言葉でお願いしたんだよ?」


「……?」


「『セレスを守れる分だけ下さい』ってさ。真顔で。二回目なんてもう笑っちゃったよ。馬鹿だよね、本当に。……それで二回とも使い切ってるしね」


「……そっか。そっ……かぁ……」


 彼女の瞳にまた涙の雫が溜まる。ぶんぶんと顔を振って、頬を両手でパン! と叩いた。

 今は泣いている場合ではない。と、彼女はまたレントに尋ねた。



「それで、その後未来の私はどうなったの?」



「そう、その後頼まれたんだ。じゃあ、過去の私の使った魔法の分を全部使って、ってさ。笑っちゃったよ。そんな事申し受けてないのにさ」


異形は続ける。どこか少し楽しそうだ。



「でも、僕はやったんだ。仕方ないから自分の魔力を使ったよ。思えば初めて他人の為に魔法を使ったなぁ」


「過去の私の魔力を、全て借りたんだね」


「そう、そしたら突然時間が遡った。『使った魔力を借りる』ことはできないから、最初から君が魔力を使えない世界線に飛ばされたんだ。時間帯にしてサレウス暦1338年、4月9日。そう、18年前の君の生まれた日だ」


「ねぇ、じゃあその魔力を使ったらアレンは生き返るの?」


「さぁ? それは僕にもわからない。それは未来の君が創った魔法がちゃんと働くかどうか。って問題だからね。あと、寿命が伸びたとしても、彼の肉体は元々ほとんど瀕死。その後に別の理由で死んでしまうかも知れないしね」


「それと忘れちゃいけないけど、君は今から僕の魔法を使うんだ。欲しいのは『寿命延長魔法を詠唱する分』とはいえ君の残る寿命の全てを魔力に変換するかも知れない。つまり、それを使ったら、君は即死するかも知れないってことだ。それでも、君はそれを使うのかい?」



 レントは全身の眼を一斉に細めて彼女の瞳を覗いた。だが、それを聞いても彼女に迷いは一切なく、即答したのだった。



「うん、使うよ。それでアレンが生き返るかも知れないなら、迷う事なんて無いや」


「意志は固いね。勇者の持つ正義の心ってやつかな。……いや、違うな。それだけ彼のことを愛してるって事だ。微笑ましい限りだね。本当に」


「えへへ、そうなのかな……って、やばい、こんな事話してるうちにもアレンの身体はどんどん冷たくなるんじゃないの!?」


「その心配は無いよ。この世界では外の世界の時間が止まってるから。まだ彼は君に抱きしめられたままで随分と温い」


「あとこれは僕からのアドバイスだけど、彼の寿命を延ばしたら、すぐにあの聖女の女の子の所まで運んであげると良い。回復魔法なら完治は無理だろうけど肉体のせいで死ぬことは無くなるだろうからね」


「……分かった。ありがとう、レントさん。それじゃあ、そろそろ行ってくるね」


「そうだね、行ってらっしゃい。彼が生き返ること、祈ってるよ」


 異形は全身の目を幸せそうに細め、魔法を使う。

 そして彼女を笑顔で送り出した。




 ぐにゃりと空間が歪み、時は動き出す。



 青白い世界と目前の優しい異形は瞬間に消えてなくなった。まるでからそこに存在していなかったように。

 彼女は彼を抱きしめていた。ツンと焦げ臭い匂いが鼻につく。



「大好きだよ、アレン。絶対、生き返らせてあげる」



 彼女はもう一度彼に口付けを落とし、魔力を解き放つ。その魔力は聖剣の黄金の魔力では無く、彼女自身の青白い魔力だ。魔力を拳に込めて、歯を食いしばった。

 辺り一面には台風のような強風が吹き荒れ始める。木々は大きく揺れ、瓦礫や土が吹き上げられた。



「【寿命延長魔法(ペルセフォネ)】ッ!」



 その魔法は、使用する魔力とは考えられない程に柔らかく、穏やかな魔法だった。

 彼女には、よく分かった。

 この魔法のモチーフは『ヒール』だ、と。それもただのヒールではない。彼のものだ。


 彼の心臓を、彼がしてくれてたように、優しく、優しく撫でる。まだ、彼の目は開かれない。

 生き返らないかも知れない、なんて考えが頭を過ぎり、目をぎゅっと閉じた。

 彼女は魔力を注ぎ続ける。もう自分の命の事などお構い無しであった。もうそんなこと忘れてしまっているのだろう。彼の事しか考えていない。


ひたすらにそれを願い、魔力を注ぎ込んだ。


────その時だった。



 頭を、撫でられる。



「……え」


「暖かい……は、は。これ、ヒール、か? セ、レス。まほう、使え、る……のか?」


 彼の心臓は、動いていた。トクトクと鼓動を始めていのだ。


「アレン、アレン……ッ!!」


 耐えきれなくて、また泣いてしまった。







 ☆☆☆☆☆




『魔法使いアレンは爆破魔法、強化魔法を駆使して魔王を翻弄した。最後は魔王の腕と聖剣をを自爆魔法で奪取し、勇者セレスに聖剣を渡したが、自爆魔法により命を落とした』


『が、魔法によって蘇り長期間の療養後に義足にて自力で歩けるまでに回復した。その後、二人は結婚し、二児の子に恵まれて幸せな家庭を築いたという』


『また、その後に【聖杖レント】はまた王国の奥深くに封印される事となった』


 聖杖伝説 完。





「……え、セレス。何書いてんだよそれ図書館のやつだろ?」


「ん、聖杖伝説の続き書いてるの。ハッピーエンドじゃないとこの本もかわいそうじゃない?」


「いや、これそういう物語じゃないからな? っていうかまだ結婚してないだろ!?」


「まだ、ね?」


 ベッドで横になりながら彼は声を荒げる。そして彼女は側に置いてある椅子に座りながら楽しそうに笑った。


 彼はその後、ミラの回復魔法を集中的に受けてまたぐっすりと眠りにつき、それから丸一週間目を覚ますことは無かった。

 やっと目が覚めると、彼は全身を襲う激痛に悶絶したという。


 回復魔法とは言うものの自己回復力を高める魔法に過ぎず、器官の再活動や死者の蘇生などの伝説じみたことはできない。

 だから、彼の両足は失なわれたままであった。

 そして焼けて開かなかった目は片方はなんとか見えるまでになったものの、左目が光を映すことはもう無かった。


 それから1ヶ月と療養し、やっと義足の練習を始めたところである。運動不足が目立ち、まるで足が動かなかった。それに立つだけで足に激痛が走った。セレスに肩を支えてもらい、涙をなんとか堪えながらまずは立つ練習から始めた。


 毎日毎日欠かさず回復魔法をかけてくれたミラにはもう頭が上がらないな、なんて彼は思う。


「あ、セレス、今日は仕事は良いのか? 復興作業、忙しいんだろ?」


「むぅ、良いの。私だってアレンと会う時間が欲しいもん。直接、休みを下さい! ってお願いしてきた」


「毎日来てるくせに……」


「ふふ、それは秘密ー」


 レーズヴァニア王国は今、爆破での被害の復興に手一杯であった。家は吹っ飛ばされ、畑の作物は相当やられた。街の外は灰で覆われており、その辺りの掃除もまだまだ済んでいない。王国軍の兵士は今日も大忙しである。


 それでもグランの的確な指示により、復興は順調に進んでいた。街の様子も少しずつだが着実に活気に溢れつつある。

 結果的ではあるが死者は0人なのだ。魔王も息を止め、全世界で大きく伝えられたのだった。『勇者の完全勝利』だと。


「さて、それじゃあ今日も練習頑張りますか。手伝ってくれ、セレス」


「え、今日も!? その、足は大丈夫なの?」


「毎日やるんだよ、足はミラのお陰でほとんど治ったんだから、あとは根性だ」


「そんな一気に頑張らなくても……」


 彼女は心配そうに彼を見つめる。

 そんな彼女に対して彼は恥ずかしそうにゴホン、と咳払いをした。目を逸らして言う。


「……は、早く歩けるようにならないと、それまでぷ、プロポーズできないだろ?」


「……っ!!」


 彼女は目を煌めかせた。頬が少し紅く染まる。

 そして恥ずかしそうに、それでも心より嬉しそうに笑顔を見せて返した。


「答えは決まってるけど……待ってるからね、パパ?」


「ぱ、パパは早いんじゃないか!?」


 その時、ガチャとドアが開かれた。



「あ、うわ……あーあ、邪魔しちゃったなぁ」


「ミラ、おはよう! ぜ、全然、邪魔なんかじゃないよ!?」


「ミラか! あー、もうそんな時間だっけ? ごめんなぁ毎日。本当感謝してる」


 そんな時間、というのは毎日毎日決まった時間に回復魔法をかけてくれることであった。今はその時間よりはまだまだ早いが。


「いや、回復魔法の時間はまだなんだけどね、今日は……その、ちょっと報告があって来たの」


「え、なになに? どうしたの? そんな真面目そうな顔して」


 ミラは少しだけ目を逸らして、恥ずかしそうに言った。


「え、と、結婚することになったの。ガレウスと。だから、これ、招待状だから!」


「えっ!? 本当!? おめでとうー! 良かったね、ミラ!」


「そっか、もう結婚かぁ。おめでとう!」



 ガレウスはアレンが目覚める前に意識を回復した。

 彼も魔王の魔法を受け片腕を失い、全身あちらこちらの骨を折っていた。が、目覚めてからはものすごいスピードで回復した。それもミラの献身のお陰だろう。

 今はもう片腕が無いのが嘘のように元気に仕事に励んでいる。ミラが全力で安静にしろ、と止めているが、それでもやはり働きたいらしい。

 彼らが魔王と戦っていた中、自分だけが何もできなかったのが悔しかったのだ。



「そ、そういうことだから。……あなたたちも、頑張りなさいよ」


「……だってさ、アレン?」


 彼女はチラッと彼に期待の目を向ける。


「……何がだよ」


 対して彼は目を逸らして、無愛想に言った。



 ミラはぷっと吹き出して笑った。

 それを見て彼らも大きく笑ったのだった。



「それじゃ、また後で来るから。歩く練習、頑張ってね」


「おう、頑張るよ」


「ん、行ってらっしゃい!」



 バタン、と扉が閉められた。二人だけに戻り、感慨深そうに彼女は溜息を吐いた。



「はぁ、ミラも結婚かぁ。綺麗だし、スタイル良いし、ドレスすっごい似合うんだろうなぁ」


「ガレウスは……はは、スーツとか似合わなさそうだなぁ」


「ふふ、筋肉すっごいもんね。想像するだけで笑っちゃう……!」


「よっしゃ、そろそろ行こうか。俺もスーツ似合うように、頑張らなくっちゃなぁ!」


 上体を立てて、腕を伸ばす。そして机に手をかけて立とうとすると、机がガタ、と動いて体勢を崩した。


「うぉっ!?」


「アレンッ!」


 両手でがっしりと彼の上体を抱え、抱きしめた。不意にハグの体勢となった。アレンも彼女をゆっくりと抱きしめ返し、ありがとう、と笑った。

 彼女は顔を肩に埋めて小さな声で尋ねた。



「ね、アレン。キスしたい」


「は、初めてのキスはもっとドラマチックな所ですると思ってたんだけど……?」


「ふふ、もう何回目だと思ってるの?」


「……え、セレス、お前!?」



 がばっと彼女の顔を見ようと身体を離すと。

 彼は優しく口づけを落とされる。



「……アレン。大好き」


「あぁ、セレス。俺もだよ」



 もう一度、キスをする。今度は彼からであった。顔はもう真っ赤で。幸せそうに目を細める。


 病室には誰も居ないはずなのに、視線を感じて、ふと二人でそちらを向く。


 病室には何もいない。何も居ないはずなのに、

 黒い龍が幸せそうに微笑んでるように見えた。




 おしまい

良ければ感想等よろしくお願い致します。


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― 新着の感想 ―
[一言] 作者様の作品が好きです。更新がないので忙しいと思うのですが、復活することを待ち望んでいます
[良い点] お話のテーマが、本当に優しい意味を持っているところ。 [一言] 一気に読んで、 ああ、愛しい物語に触れたなぁ、と思いました。優しい作者様の心を映したような物語でした!
[一言] 最後がややこしすぎてよくわからなかったけどまあ面白かった
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