4球目 「新たな童話の革命児」
「掃除終わったぁ〜!」
掃除用具入れの扉を閉め、小宮山果凛は背伸びをする。果凛と同じく教室掃除担当となった五木理子は膝に手を置き、息を切らしていた。
「真島先生の!机、重すぎる!」
「あの重さは学校始まって3日目の重さじゃないよね......3人で持ち上げて精一杯って......」
果凛は苦笑いを浮かべながら、ロッカーからバッグを取り出し、筆箱やノートを詰める。
「すぐ行けるようにしておかないと。待ちに待った野球部説明会だからね、一昨日談笑してから本間さんとは会ってないから心配だし、......満月ちゃんも(掃除が)終わるの遅くなりそうって言ってたし...まぁ準備をしながら先に聞かせてよ、五木さんがなんで野球をやりたくなったのか」
果凛がそう言うと理子は解いていた髪をたくし上げた。
「五木さん、じゃなくて理子でいいよ。」
「去年の女子野球世界大会。テレビをつけたらアメリカとの試合が偶然やってたからあれを見てねーーー
***
2007年10月26日。女子プロ野球初めてのドラフト会議が行われた。
当時、女子プロ野球チームは3球団のみであったが、その3球団全てがある一人の女子高生をドラフト1位指名を行なったのである。それぐらい彼女の実力・カリスマ性は抜きんでていた。
新童 モア。後に “革命児” と呼ばれる天才だ。
競合の末、下馬評での順位予想最下位の ” 愛知ヴィーナスガールズ “ に入団。1年目からの活躍を期待されたが、新童は高卒投手ということもあり、遅咲きになるのではないかという声もあった。
しかし新童はそんな声を気にも留めず、1年目から八面六臂の活躍でチームを優勝に導き、たちまちエースの座へ上り詰めた。
2年目には...
「出ました130キロ!!!新童モアが今!女子野球に新たな歴史を刻みました!!!」
これだけに収まらず、塗りに塗り替えた現在の最速記録は6年目、25歳の時に出した135km。135kmどころか130kmを出した日本人選手は、新童ただ一人である。
“ 革命児 ” が残した記録はこれだけではなかった。
それは新童のとって5年目の2012年、第2回女子野球世界大会、通称 “ World woman baseball classic ”(WWBC)のことである。
代表に選ばれた新童は予選、準決勝、決勝と3試合に登板。準決勝・中国戦と決勝・アメリカ戦で2試合連続完全試合を成し遂げ、優勝を決めた。
翌日の新聞の一面に載った新童の2つ名はその年の流行語大賞にも選ばれた。
【新たな童話の革命児】
革命児はプロ13年目となった2020年も、プロの世界で生き続けている。
***
「ーーーオランダ戦の新童モアのストレート、あれを見た瞬間に見惚れちゃって......あれを打ちたいと思って......!だから高校に入ったら絶対野球部に入ると決めたんだ」
話してる間、無意識に下へと向いていた理子の視線が果凛へと上がる。
「............」
「........理子ちゃん......!」
(今、確かに打ちたいと言った......理子ちゃんは「すごい」「速い」と思うとのと同じくそれを「越えたい」と思ったんだ......!)
果凛は心でそう考えると、反射的に、
「理子ちゃん、私理子ちゃんのこと 応援してるから!頑張ろう、一緒に!」
と、理子の目を見て胸襟を開いていた。
「かりーん、りこー!」
話の終わりと同時に満月が教室に帰ってくる。
「遅れてごめん!急いで支度するからちょいまって!」
今は使われいない2年5組の教室にて、野球部説明会は行われる。
3人は新たなる出会いに心躍らせながら2年5組へと足を踏み入れた。
「......あれ、本間さんだけ?」
理子がそう呟くと、教卓に一番近い席に座りスマホをいじっていた本間始音が3人を見る。
「時間まであと2分!ちょっとゆっくりしすぎたんじゃないの〜?」
満月の顔が渋くなる。
(わたしが準備にあたふたしてたらいつの間にこんな時間に...!)
「でも自分たちしか教室にいないよね?教室間違えたのかな......」
果凛が説明会の資料をバッグから取り出しまじまじと見直す。そこには確かに【硬式野球部 教室:2-5】と書いてある。
時間まで待って誰か来なかったら聞いて見ようと思い、4人は待つことにした。
スーーーッドン!
まだ新しい横開きドアが開く音がした。
目は細く、強面だけども確実に20代であろう顔つきをした一人の男性が教室へ足を踏み入れ、1枚のファイルのみを手に持ちながら教卓へと足を運ぶ。
「......顧問.....?」
「あの人入ってきたの時間ぴったりだよ、秒も5秒差!」
スマホと男性を交互に見つめながら始音が驚く。
教卓にファイルを置いたその男性は、いかにも口少なそうな雰囲気を漂わせながら重い口を開いた。
「4人だけですか.........」
睨むようにも見えるその細い目で満月達を見つめ、確かにそう言った。
続けて男性はマーカーを取り出し、教室の白板ならぬホワイトボードにペンを動かす。
” 生田目 克 “
縦文字で書かれた文字を4人はじっと見つめる。
「なま...だめ....かつ?」
初めて見る名前に満月はそう呟いた。
そんな満月を差し置いて男性・生田目は自己紹介を始めた。
「......私の名前は ” なばため まさる “。なまためでもなまだめでもなく、かつやすぐるでもありません。」
「この新生三吉野球部の顧問・監督を務めさせていただきます。顧問はもう2人いるのですが1人は顔を出せず、もう一人は遅れるらしいので先に始めましょう。ではまずこちらの記入をお願いいたします。」
生田目はそう言うと教卓に一番近い始音に1枚ずつ配るよう紙を渡す。
「野球部エントリーシート...?」
紙にはクラス・名前は勿論、出身中学校・野球の経歴・体力テストの記入欄・希望ポジションなど事細かく記されていた。
「体力テストは中学3年生の時の結果で構いません。これを見たからって贔屓するなどということはありませんし......ただ私は必ず書かせているので。」
何年か野球を教える立場に属していることを暗に伝える話し方で呟く。
4人が記入を終え、エントリーシートを回収した生田目は再び何枚かの広告のようなものを始音に渡すと、ファイルを抱えて席を立った。
「 “ 彩野先生 “ がまだ来てないですけど話すことはもうないのでこれで終わりにしましょう。あと今配ったのはバットやグローブなどの野球用具のリストになります。いくつかピックアップしておいてください。それを注文するも9人集まればの話ですが。」
「...9人集まれば......?」
満月が言葉を返す。
「そうです、野球は最低でも9人いて初めて成り立つ作品ですから。小学・中学はともかく、高校で野球をするということは貴方達も ” 甲子園 ”を目指すことになるのですから。最初にやることは部員の勧誘・引き抜きですよ。では、お願いします。」
淡々と告げると、生田目は4人を置いて足早に教室を後にした。