29球目「引き出し」
練習が終わり、いつものように部員達が部室で着替え始める。
そんな中、恋は部室に到着するや否や、すぐさまスマホを取り出し通知を確認する。
【森山 ここな : 部活終わったら少しうちで話す時間とかないかな?】
土曜日以来、2日ぶりの返事。ここなは暇な時間はスマホが手に張り付いてるような奴だ、やはり精神的に参ってるのか、故意に返信しなかったのだろう。
逆に言えば、そう返信を返してくるということは、恋と合うレベルには精神的に回復、もしくは杞憂であったということだろう。
「ごめん輝夜、あたし今日バッセン行けないかもしれねぇ」
「...そう」
颯爽と着替えを終え、用具の手入れもせずに「おつかれ!」と仲間達に手を振り部室を後にする恋。
そんな彼女を追うように、
「わたしもお先に!」
と、もう一人、後をつけていくのであった。
***
その日の夜、慌ただしかったのは恋たちだけではなかった。
先日に満月の家に届いていた一通の手紙。宛名も切手も無かった手紙に誘われた満月は、帰り道の途中、伊奈瀬駅の柱にもたれかかる差出人に声をかける。
「...やっぱり......三峰さんだったのね」
「...フフ...分かってくれました?」
「...とりあえず、ロータリーにあるスタバに入りましょ。長くなりそうだし。あ、金は自分で出してね?」
はーい、と笑顔で応える三峰。練習試合が中断した後、三峰が私用で早めに帰省したため、面と向かって話すのはこれが初めてであった。
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「私と話したいなら、チームメイトを通してLINEでも聞けばよかったのに。わざわざ追跡して直接手紙入れたんでしょ?」
-ストーカーとか、生田目監督にしてそうだし...
満月の問いに、変哲のない笑顔で三峰は答える。
「はい、そうです。真耶の決意をキャプテンである島内さんに聞いて欲しくて」
-?
「決意?」
「はい...真耶は、三吉女子高等学校に進学することを決意しました!」
「えっ」
-ええええええええええ!!!????
さすがに店内で大声は出せない。満月の叫びは、グッと心に閉じ込めた。
「もしかして......
満月が投げかけようとした質問を読まれたかのように三峰は話しかける。
「はい!克さんのところでぜひ真耶も野球をやりたいな〜って!中学では2年ほどしか一緒に野球できなかったので、高校3年間をもうそれ克さんの下で骨を埋める覚悟で......フフフ!」
「わかったわかった!実力があるピッチャー来てくれるのはチームとしてはとても嬉しいし!監督からあんたとの話は聞いてる!......それから」
「本題はここからなんでしょ?」
手紙の内容、それは【島内さんの力になりたい】というであった。
満月は緑のストローを口に加え、スタバ新作の【小豆フラペチーノ】を味わう。
「そうです、率直に言いますと、真耶は島内さんの足りない所を補えるのではないかと考えて少しお会いしたかったのです!」
「三吉女子に行くと決めたからには、全力で皆さんをサポートしたいと真耶は考えていますので!」
「えぇ.....(すごい急展開になってきたなぁ......)、それで、私の足りない所って?」
「それは......」
「うんうん」
「それは......!」
「うんうん!」
「......順を追って話しましょう、フフフ...!」
「少しムカついたからあんたのフラペチーノ混ぜまくっていい?」
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「あの試合、真耶達は島内さんの投球にあと一歩の所でタイムリーが出なくて、結果的に島内さんは5回無失点でマウンドを降りました」
淡々と話す三峰のフラペチーノは、延々と満月が混ぜまくっている。
「ストレートのノビは凄まじいものでした。まるで浮き上がってるのかのように綺麗な回転で、スピードガンの最高が98なのは真耶や石山コーチも驚きです」
「あー、みんなにもよく言われたよ。100km出ていないんだって。詳しくは言わないけど、少し変えたらとてもノビが出るようになったんだよ。あとこれ返すよ大分混ざったし」
クリームが微塵もない混ざりきったほぼ液体のフラペチーノを見て、少し哀の表情を浮かべた真耶であったが、2人の会話は続く。
「......ちょっとやりすぎですよ......、ただ、あれを110や120をそこそこの凡才でも出せるような男子野球の中で育った女性選手だったら、島内さんの球にも簡単に対応できてしまうんじゃないでしょうか.....?真耶達はほぼみんな中学で女子野球を始めたから、あそこまでノビるボールを見るのは初めてでしたから。例えば...
「今年周防学園に行った“皇子・芝崎星蘭さんだったらー
「ねぇ!」
満月の機嫌を損ねてしまったか。「ご、ごめんなさい...でも真耶は」、と続けた所で満月が口を挟む。
「こちらこそごめん。...違う、そうじゃないの。ただ、芝崎の名前だけは、あまり聞きたくない」
-そう、そいつは、私が女子高校野球の道の進んだきっかけだから。
***
『俺、好きな人ができた。次の試合で勝てたら、その子に告白しようと思う。一緒にBチームで切磋琢磨した仲だろ、応援してな』
『富士村シニア、2回戦にて惜しくも敗れる!沖縄が産んだ女性ピッチャー“皇子”芝崎に、なんと完封負けしました!』
『...ごめん、俺、今の島内の気持ちに応えられないよ...!完全に、折れちまったんだ...!!!』
***
-そう、私は約束を果たすために!
「...ごめん、私の足りない所の話、だっけ?」
「あ、はい、真耶はもっと“引き出しの多くするべき”だと思うのです」
「引き出し......変化球ってこと?」
「そうですね、簡単に言えば。島内さんは今、スライダー以外に何か投げられる変化球はありますか?」
満月は右腕の手のひらだけでボールを曲げる手振りをしながら話す。
「これと言ったものはないよ、カーブは腕を捻るのがよくわからなかったし、フォークは全然変化しないし」
「一通りは試したのですね。それじゃあ......」
三峰は、茶色いプライベートで使うような洒落たカバンから、新品の硬式の白球を取り出し、握りを披露する。
「こんなのは試しましたか?」
縦の縫い目に人差し指と中指を合わせ、親指を下の丸い縫い目に合わせる。かつて富士村シニアの先輩が教えてくれたこの投げ方は...
「ツーシーム?」
「フフ...正解です、実はこの持ち方...真耶式シュートの握りの根本になっているのですよ?」
-真耶式シュート...結局、三峰の投球術は最初の果凛と輝夜以外、私も含めて捕らえられなかったんだった...
真耶はそう言うと、縫い目に合わせていた人差し指を、縫い目の内側、持ち方が浅くなるように右へと僅かに動かした。
「あとは、ストレートを投げる時と同じように放れば、自然と腕が内側に捻るのでシュートが投げられちゃいます」
「ってことは、私にもシュートを覚えろってこと?」
真耶と同じように腕を内側に捻るような動作をしながら満月は問う。
「そうではないのです。この、最初のツーシームの握り方。これが大事なのです」
「あるプロ野球選手はそのままツーシームへ、ある選手はシュート方向へ曲がり、ある選手はスプリットのように落ち、ある選手はシンカーへ......真耶は、いいえ克さんは、ツーシームは人の身長、指の長さ、体格、投げ方によって変わってくるものだと考えています」
「監督が!?」
「はい、真耶は克さんからこの持ち方を教わったので。もしかしたら...島内さんや他のピッチャーにこの投げ方を伝授するために、練習試合を組んだのかも...しれないですね?」
「新しい変化球...高校に入ったらいくつか欲しいとは思ってたけど...」
悩む満月を止めるように三峰も続ける。
「ですが勘違いしちゃいけないのは、決して変化球に頼る事が正しいということはないことですよ。島内さんには、ノビノビのストレートがあるんですからね...フフ」
「早速実践して見せてあげたい所ですが、真耶も早めに帰らないと自炊できなくなっちゃうので...お先に失礼しますね!あと、真耶のLINEのID書いとくので興味がありましたら連絡ください!」
メモ用紙をちぎり、ボールペンでスラスラと書き込むと、時間がないのか、ササっと荷物をまとめて出て行ってしまった。
「変化球、やっぱ必要だよねぇ......ズズッ」
フラペチーノを飲み干し、満月もまた店を出ようとプラスチックゴミ箱へ容器を放りこんだ。
-えっさっき“自炊”って言ってたよね、一人暮らしなの!?
***
同時刻、河川敷のコンクリート道を一人歩いていた恋も、蛍光灯のせいであまり星が見えない夜空を見上げていた。
「代わりの部員、かぁ......」




