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ガラスの満月<ミヅキ>  作者: ミホリボン
第1章
32/35

27球目「でっかい夢」

『興味なんてないわよ野球なんて』


 そう発した時の“穂乃果”という子の表情・視線・声のトーン......それらが満月の中の何かに引っかかっていた。


 ーあのセリフは決して軽いものではなかった。出来心なんかではないというか、信憑性があるというか...



「終わったよ満月ちゃん!どう?緩くない?」


 満月の脳内にちひろの声が走る。放課後になり全体練習を終えるかいなや、すぐにマウンドで投げ込んだ満月は、肩を冷やすためのアイシングをちひろに着けてもらっていた。


「ありがとうちひろ!ありがたいんだけど、緩いというか...」


 ーとてもきつい。準備運動の時もそうだけど、ちひろのどこにこんな力が,,,


「何か言いました?」


「あっいやなんでも...」


 ーやめておこう。探ったら痛い目に遭う気がする。



「...あぢい〜〜〜。まだ6月上旬なのに暑すぎるよこれは...蒸し風呂じゃないんだからさ...」


 顔にタオルをかけ、日陰で身体を冷やす。


 ー昨日の練習の時、果凛はあたしのこと避けていた...今日も輝夜や恋(輝夜の手が空いていない時のブルペンキャッチャー)に声をかけていないし、試合中は初めての実戦だから体力切れか緊張かなと思ったけど...


 強烈なピッチャー返しを倒れながら捕球する果凛の姿が脳裏に流れる。


 ーあたしもあんな強い打球受けたことないからセンターから見ててもゾッとしたけど、あんなのトラウマになっても全然おかしくない。果凛の気持ちの強さを考えるともしかしたら...


 誰もいない虚空のマウンドを見つめる。


 ーそういえばシニアの時に果凛と誰もいない野球場を借りてマウンドでよく投げ合ってたっけ...あの時果凛が言ってたな、『高校に行ったら2枚看板になろう、右の満月ちゃん左の小宮山』って。なんであたしだけ名前呼びなのって大笑いしたことも。


「絶対諦めさせないから。嫌と言ってもマウンドに立たせる」



「果凛ちゃんのこと?」


「えっ!? 杏子、いつの間に聞いてたの、盗み聞きの趣味なんて聞いてないよ?」


「ごめんごめん、スパイクの歯音はたててたつもりだったけど」


 そう謝ると杏子はウォータージャグのコックを下ろし、緑色のコップでグイグイと喉に水を通す。内野ノックが終わったらしく、始音、恋、理子の3人は互いの守備のダメ出しで盛り上がっている。


「果凛ちゃん、初めて投げるはずなのに水上のバッターと同じくらい大きく見えて、わたしのような未熟者は早く追いつけるようにしなくちゃってー


「果凛だって同じだよ。もちろんあたしも未熟者。”甲子園”というでっかい夢の下ではみんないつだって未熟者だよ。夢があるから突っ走っていけるんだし、夢を失ったらその道も消えてしまう」


 杏子は呆気をとられたかのように口を小さく開ける。


「...そうだね。夢があるかないかでは、意識も変わるよね!」


 じゃあそろそろ外野ノックが始まるから、と道具置き場からグローブを掴み走り去った満月の背中もまた、杏子にとって大きく、そしてたくましく見えた。


 ー夢......わたしの夢って......


 視線の先の早矢華は、外野ノックの待ち時間であろう、果凛に向かって笑っている。


 いつもより一人足りない外野ノックを、恋もただ見つめていた。



***



 部活が終わり、初夏の季節とはいえ野球部員が帰る時間帯には空も青暗くなる。


 満月が家に到着する時には、周りの家々はカーテンを閉め、夜の時間を過ごしていた。


「ただいま〜、今日の夕飯は〜?」


 テーブルには3人分のご飯の支度が整っていた。お母さんは調理の後片付けをしているのか、手を泡だらけにしている。


「おかえり、って靴下のまま家に上がらないでっていつも言ってるでしょ?ちゃんと靴下脱いでスリッパ履いて...


「はーいわかってるわかってるって、ほらこれでいいでしょ?」


「...じゃあ次は?」


「シャワー入ってきまーす!」


 部活から帰ってきたらまずはシャワーを浴びる。部活で汗を流してきた満月に対して野球を始めてからずっと遵守させているルールだ。


「そういえば珍しくあんたに手紙が届いていたわよ!宛名は......


 手紙について聞いた満月は、目を魚のように大きく開き、改めて聞き直したのちに、「わかった!そこに開けずにおいといて!」と早歩きで風呂場の引き戸を開けた。



***



 午後8時半。待ち合わせかのようにバッティングセンターのガラス扉が開く。


「...今日もあいつは先にきてたのか。時間的に自転車で直行したんだろうな」


 ーまぁ、ここなん家に寄ったってこと以外はあたしも同じなんだけど。



『ごめんなさいね、お医者さんから”少なくとも1週間は安静にしていなさい“とのことだから...』


 1週間、という事は来週の試合に出られる可能性は0ではない。あいつの精神的なものを考えると無理な可能性のほうが高いだろうな,,,


 あー、無理なら無理でちひろに頼るとか助っ人呼ぶとかしなくちゃなんだが......あいつは昨日からずっとメッセージ未読無視してるし...


「120km空いたよ」


 先客、輝夜に声をかけられた時には彼女は恋の数メートル後を歩き、備え付けのソファーに深く腰をかけた。


 胸に「浦島」とワンポイントに書かれた黒いTシャツに三女の青い短パン、黒いバッティンググローブで黒いバットを握る。


 全身に汗をかいた反面、彼女の長く黒い髪は乾きを保ち、蛍光灯に照らされていた。


「...ここなのこと、そんなに心配?」


 ケージへのドアノブを捻ろうとした恋の手が止まる。


 ーそんなに心配?決まってんだろ、もしあいつの心に傷が付いたなら、それはあたしのせいなんだからーーー


「あんたなんかに何が分かるんだよ!」


 罵声がバッティングセンター中に響く。2人以外に客はいなかったが、レジからオーナーのじいちゃんが驚いた表情で2人を覗き込んでいる。恋も焦りながら「...な、なんでもないから!」と手のひらを左右に振る。


「何もわからないけど、心配してる。ここなのことも、果凛のことも、私自身のことも」


 両手でグリップエンドを握りバットを立てる輝夜の横に、また恋も腰を落とす。


「...あんたに会ってから1ヶ月半くらい、あたしは言葉はないけど行動で示すアツい奴だと思ってたんだけど...何かあったの?」


 2人は決して目線は合わせず、ただ目の前のテレビ番組に向いている。


「............」


 テレビに映る、女性アーティストの歌声が耳を通る。


「いーや、あんたは何も喋んなくていい。キャラじゃないもんな、自分から話すの。ならばあたしの話を聞いてほしい。さっきは怒鳴ってごめん、だけど、このままここなが野球を辞めたら、いや、あの打球の後遺症で兄貴みたいに、もしかしたら命を落としたりしたらって...!」


「なぁ、昨日から返信が来ないんだよ、丸一日経ってるのに!あたし色々調べてみたんだけど、調べれば調べるほど本当に何かあるんじゃないかって思っちまって......」


 恋の視線はテレビからどんどん下へ向かう。次第に息が荒くなり、話し終えた時には肩で息を吸っていた。


「...私はここなが『野球辞めたい』とか、『死にたい』って言ってる所は見たことない。確かに弱音は吐くけれど、あの子が練習を終える時やみんなと話している時は、嫌な顔はしてなかった」


「でもあいつがそういう事を人に言えない性格だってこと、...見れば分かるでしょ」


 言いたいことは全て吐いた。


 焦燥感が混ざったため息をした恋を横目に、輝夜は小さな口を開く。


「...練習で初めてあの子がフライをキャッチした時のこと、覚えてる?」


「...何が言いたいの」


「白歯を見せて笑顔で跳ねてたの。カットまでボールを返すのを忘れて。ここなだけじゃない、今野球部にいるみんなが野球を理解して、楽しもうと、勝とうと頑張っている。このぐらいで折れる子じゃないと私は信じてる。今できる事は、チームメイトとして、親友としてここなが戻ってくるのを信じてあげる事じゃないかな」


 ...信じる、か......。そう、だよな......


 ......いつから臆病風に吹かれていたのだろう。恋は大きく深呼吸し、弱気な自分を吐き出した。


「あー、分かってるよ!そろそろ一発目打ってくる!今日は半分以上ヒット打ってやるからちゃんと見てろよ!」


 立ち上がり、ケージのドアノブを捻ろうとした手がまた止まる。


「ありがとうな。輝夜も一人で抱え込むなよ」


 恋は座る輝夜には聞こえない声でそっと呟き、ケージのドアを押した。


『中学での唯一の親友が恋だからさ、恋のことは信じられる!いや、信じるしかないんだよ!』


 河川敷、学校をサボって互いに愚痴を言い合ったあの日。あの時も、ここなは白歯を見せて笑っていた。

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