15球目 「.111の不安」
パチっと目が覚める。目覚めた途端分かる、目覚めのいい朝だ。昨日、シャワーの前に体を動かしたから快眠できたんだ、満月はそう考えていた。
デジタル時計は05:51を指し、起床予定時間より10分ほど早い目覚めであった。
今日は練習試合。制服に着替え、る前に階段を降りてご飯を食べにいく。
「あらおはよ満月。早いのね」
「おはよーお母さん、朝飯は卵かけご飯で頼むわぁー」
「はいはいいつものね」
台所にいた満月の母は、冷蔵庫から卵と柚子胡椒と取り出した。
「満月、今日は野球の練習試合でしょ?時間大丈夫?」
「大丈夫どころか予定より早起きしたよ」
制服に食べカスが落ちるのが怖い満月家は、家族全員がパジャマ姿かエプロンをつけて朝ご飯を頂く。
特製卵かけご飯を食べた満月は、目覚めがよかったからか、テキパキと準備を終え、スマホをいじる。
「そういや果凛ちゃんとは仲良いの?一緒の高校に行ったんでしょ?」
「まぁね、今日の練習試合、見に来るんでしょ?果凛も投げるからじっくり見にきなよ」
「あらそうなの、じゃあ楽しみにしておくね」
満月がスマホをいじる手を止める。
「......果凛、頑張ってるから」
「......そうね、満月もがんばりなよ」
「そうする」
会話が終わったところで、母はふと思い出した事があった。
「そういえばあのヘアゴムはちゃんとつけてるの?」
満月の形をしたヘアゴム。自分が果凛の退院祝いにある物を送った、そのお返しであった。
「もちろん、これ盗ったやつはぶっ倒す」
時間だ、と告げ満月は咄嗟に家を出るのであった。
静かになった家で母は、一枚の写真を見つめるのであった。
果凛の家族と満月の4人が写っていた写真を。
ーーー
「おはよう!」
部室に着いた満月は張りの良い声で挨拶をする。
部室に先に来ていた人はちひろを含め7人、あと2人いないことに気づいた。
「あれ、始音とここなは?」
そう呟くと隣のロッカーを使う理子が携帯を見る。
「おはよう満月ちゃん、始音ちゃんは30分前くらいにLINEで『電車一本乗り遅れた!』って連絡があったんだよ。もうそろそろ着いてもおかしくはないけど......ここなちゃんはわからないなぁ」
満月は “30分前“ と聞いて、自分が通学中に携帯を全く見てなかったことに気づく。
「あの野郎バックレるかもなぁ、部活中も辛い顔浮かべてる時が多かったし」
ここなの1番の理解者である恋は、性格や思考を一番知っているからこそ、一番懸念していた。
「だ、大丈夫だよ!とりあえず着替え終わったから先に準備してくるね!」
一番に着替え終わった果凛は慌てる表情を見せながらもグラウンドへ向かった。
満月も部員全員で揃えた赤いエナメルから、試合用のユニフォームを取り出し、準備を始めた。
胸にはピンク色の線で縁取りをされた「MIYOSHI」の文字。白を基調としているが、袖はピンク色で染められている。
『桜の一本道に誘われた球児達が花を咲かす』
3人の顧問がフレーズを考えてデザインされたものであった。
半袖の白いアンダーシャツの上からそのユニフォームに身を通す。
私、いや私達はこのユニフォームと共にこれから戦っていく。そう思うと、緊張と昂りが同時に芽生えてきた。
そして一人、また一人と準備が終わり、結局満月が着替え終わるまでにここなが姿を現すことはなかった。
「あいつには野球、いやスポーツは向いてなかったんじゃねぇか?」
部室に到着し、一歩遅れて準備を始めた始音は少し呆れたかのように話す。
「森山は最初からあまり乗り気ではなかったからね。ちょっと無理させちゃったのかもーーー
島内がドアノブを回そうとしたその瞬間、誰かが扉を開け、島内の腕が引っ張られた。
「遅れてごめん!すぐに準備する!」
朝から汗をかき、息を切らしたここなの姿がそこにはあった。
ーーー
野球道具を持ち、満月がグラウンドに行くと、ソフィーがグラウンド準備の指示を行っていた。
「おはようございます!」
「島内サン、オハヨウゴザイマース!島内サンは確かボール拭きでしたネ!先に五木サンも行ってるのでよろしくお願いしマス!」
「はい、任せてください」
練習試合の前にはあらゆる準備を行う。ライン引き、ベンチの設置、外野フェンスの設置など......
精度が問われるライン引きの仕事は果凛と輝夜が行い、他の作業はくじ引きで抽選されていた。
「満月ちゃん、これ、せっかく新品のボールなのに拭く必要あるの?」
三女のベンチがある3塁側ベンチに、ボールが入った箱を4箱、1箱には12個入っているのでつまり4ダース分のボールを担いで来た理子が問う。
「拭く、というよりか ”こねる“んだよ。よくTV中継でピッチャーがこねるのを見たことない?」
「あー、新童選手がよくやってるよね」
「そうそう、あれって新品のボールについてる油をいい感じに馴染ませて、ボールを滑りにくくしてるのよ」
「ボールの、油?」
「野球の硬式ボールは、表面にちょぴっと油が塗られてて、滑りやすくなっている。それがプレーを経て地面に触れると土がつき、滑りにくくなる。野球選手にとってボールがすっぽ抜けるのは致命的だからね。練習で使うボールでもしっかりこねておかないと。」
「確かに。地道だけど大事な作業だね」
2人がひたすらボールをこねていると、一塁側、学校の通路の方から続々と姿を現したのは、白と水色を基調としたユニフォームの集団『水上ウイングス』であった。
「あの人達、野球をするための体してる......」
思わず理子が弱音を吐く。それもそうだ、自分達より年下のはずの水上ウイングスの選手の体つきは、人一倍大きく見えた。
ーーー
グラウンド準備が終わり、三女ナインは準備運動、キャッチボール、そして投内連携(投手と捕手、内野の選手だけで行うノックのようなもの)を行う。
その最中、一つだけ気になる事があった。
「ここな、投内連携のファースト、一人じゃきついからここなも手伝ってよ」
「.......」
「ここな?」
「あ、うんわかった」
「どうしたんだよほんと、おめーたるんでるんじゃねぇのか?」
朝からここなは、どこか上の空を向いているようだった。そんなここなを見ていると、満月は少しだけ心がザワついた。
投内連携を終え、ベンチに戻ってくると生田目監督がちひろと何かを話していた。
「準備運動、終わりましたか。では話があるので水分補給したら集合してください。」
全員が手が空いたのを見て、島内は集合をかける。
「では水上ウイングスとの練習試合となります。ネットに載っていたので見た人もいるかもしれませんが、彼女達は “攻める” 野球をしてきます。投手はインコースを突く強気なピッチング、野手は積極的にスイングし、鋭い打球を放つ。相手はとても強い......」
「ですが貴方達なら勝つチャンスは必ずあります。今日は成長した自分を信じて、相手以上の強気な姿勢で絶対に勝ちましょう!」
生田目の言葉に三女ナインの士気が上がる。
「ではスタメン発表を行います。」
もうすぐ試合が始まる。
スタメン発表の途中、ベンチに置いてあったここなのまだ綺麗な赤いグローブが、独りでに地面におちた。