8球目 「襲嵐」
「大丈夫、果凛は何も悪くないよ!」
満月が果凛の肩を優しく撫でる。翌日、昨日の出来事に関して部員全員が2-5に集まったのであった。
「なんで野球が嫌ならこの学校にきたんだよ」
「始音ちゃんの言う通りではあるけど、私たちはそのレンという人の何かに無意識に触れてしまったのかもしれない.....のかもね」
「ちひろが言うその何かって?」
「よくわからないけど野球で事故を起こした、とか野球に恨みを持っている、とか......」
レンについて色々と考察する野球部員。
「まぁまぁ、果凛は大丈夫だって言うし、とりあえず今日は明日に向けて帰ることにしようよ!」
明日から本格的に部活が始まる。納得した部員達は、ぞろぞろと席を立ち、挨拶をし、教室を離れていった。
残ったのは1-1の野球部員3人のみとなり、果凛も私もそろそろ行くね、と扉の方へと歩いていった。
「ありがとね満月ちゃん、私のことでみんな気をかけすぎないようにと話を止めてくれて。私はこの通り大丈夫だから!明日から頑張ろうね!」
笑顔を作り、廊下へに姿を消した。
果凛が姿を消すと、満月は理子へと話しかける。
「確かにその子は1年2組の “ 馬原恋 ”と “森山ここな”だったんだよね?」
そう聞いた満月の明るかった表情が一瞬で深淵へと落ちる。
ーーー
「遅いな島内さん」
まだかまだかと昇降口をじっと見つめる始音。
校門近くにあるマツ大樹の下で、始音と杏子、そして果凛は2人を待っていた。
元々は全員揃って帰る予定だったのだが、満月達の電車とは逆の方向、”下り民“ の輝夜とちひろは一足先に帰り、早矢華も宿題が溜まってたとだけ口にし、走って駅へ向かっていったのであった。
待チ人ハ来ズ、3人の間に重い空気が流れていた。
「.....満月ちゃん、ちょっと無理しちゃうところがあるから」
小さく喋る果凛に、杏子も言葉を返す。
「やっぱりそっか。あの人の眼、絶対に許さないって眼をしてたもん」
「うん、中学校の頃私達、同じ野球チームに入ってたの。私のリップがなくなっちゃった時があって、その時満月ちゃんが血眼になりながら一緒に探してくれて。結果、全く同じリップを使っていたチームメイトが誤って持ってたんだけど、その時の満月ちゃんの怒りようはすごくて......」
「そっか、ちょっと羨ましいかも」
「羨ましい?」
「早矢華ちゃん、ああ見えて小学校の時うるさい、鬱陶しいって男子達にいじめられてて。その時私はいじめていた人たちに何も言えなくて。ただ早矢華ちゃんを励ますことしかできなかった。そんな私に比べたら満月ちゃんはすごく強い心を持ってるなって思って。」
大きく伸びた大樹を見つめながら、杏子が話す。
「そんなことはないよ。そばに居続けるだけで、早矢華ちゃんはとても励まされてると思うよ。私がそうだったから。」
斜め下、地面に咲いている花々を見ながら話す果凛に、杏子は愛想笑いを向ける。
「やっぱり、羨ましいよ」
始音が声をかける。理子が来たようだ。
「あれ、島内さんは?」
「......少し遅れるから先帰ってて大丈夫だって。」
そう話す理子の目が少し逸れたのを、果凛は見逃さなかった。
「そっか、雨も降りそうだし先に行ってていいよ!やっぱり心配だから満月ちゃんを迎えに行ってくる!」
昇降口へ戻る果凛を止めようとする理子が、やけに印象的だった。
「理子ちゃん、何があったかわからないけど......大丈夫だよ!果凛ちゃん達は “強い”から!」
理子を励ます杏子。杏子は、始音にも「帰ろう」と声をかけ、雨を前に大樹を後にした。
風が段々吹き荒れてきた。西の空から、積乱雲が押し寄せてくる。
ーーー
「おい何やってんだよ!帰るぞ!」
「ない!ない!ない!シャーペンがどこにもない!」
誰もいない教室で、ここなはがむしゃらに探し物をしていた。
レンは呆れながらここなが探す様を見ている。
「シャーペンごとき、また買えばいいだろ」
「違うんだよ!あのシャーペンは知る人ぞ知る2人組女性ユニット【Soralis】の結成3年目ライブ限定商品なんだ!あれがなくなったら私、うう......」
「もしかして、これのことですか?家庭科室を掃除していたら偶然見つけまして」
見知らぬ声が聞こえる。その声の主は、ここなが探し物を右手にぶら下げていた満月であった。
「あ!!!それですそれ!!!誰だか知らないけどありがとうございます!」
ここなは駆け足でシャーペンを取りに行く。
しかし、シャーペンにしか目がなかったここなの目線からシャーペンが消える。
「え」
シャーペンをどこかへ隠した満月は、不思議そうな目で2人を見る。
「返す前に一つ聞きたいことがあるんですけどー」
満月の表情が一変し、脅しのような、堕ちた表情で見下す。
「うちの野球部員が何をした」
満月の表情に一瞬固まるレンであったが、理解すると冷静を装い話す。
「あー、あれね、歩いてたら偶然足がぶつかっちゃって。確かに謝るの忘れたから今あやまーーー
「そういうことじゃない!!!」
満月の怒号にレンは再び固まる。
シャーペンを返せと満月にまとわりつくここなにも、「納得したらすぐに返すから」と必死に感情を抑えながらなだめる。
「ちゃんと聞いてるんだよ、『野球の怖さを知らないその目を見ると!』って!」
「あの目からあなたは何も感じなかったの?」
満月は、クラスメイトから話を聞き保健室に行った時を思い出す。
果凛は保健室で膝に絆創膏を貼られていた時の果凛の目。無表情で。ただ前を見てて。鎮めていたんだ。怒りを。悲しみを。感情を。
「あの子は必死に我慢してたんだ!周りに迷惑をかけたくない一心で!」
「......はぁ」
なんだそりゃ、馬鹿馬鹿しい。レンの言葉には出ていないが、確かに馬鹿にする表情をしていた。
「.......!!!」
ここでキレたら果凛が我慢した意味がなくなる.....
一呼吸置き、ひとまず落ち着いた満月は質問する。
「とりあえずなんで野球部員にあんなことをしたか、野球で怖いことがあったのか聞きたいんだ。あの子の友達として。」
「あの子の友達?熱いねぇ......まぁいいよ、それぐらいは。」
「うちの兄は、野球に人生を潰された。」
レンはこれまでの経緯を時々笑いながら話した。ピッチャーライナーを受けた兄はプレイ中の事故で右半身が今も動かないこと。それをきっかけに野球が嫌いになったこと。それ以降グレてゲーセン通いになったこと。
「まぁこうやって今に至るんだがーーー!!!
満月がレンの襟を掴み教室の壁に叩きつける。
もう我慢できない。そんなこと......そんなことで...!!!
静寂の教室に激しい雨音が響く。いつのまにか雨が降っていたようだ。
「おいてめぇ、何してんだよ離せ!」
手を振りほどこうとするレンに満月も対抗する。
「あの子は、あの子は......!」
悔しい。悔しくてたまらない。だけどこれは果凛の言えない秘密......!
ただひたすらに争う2人に、ここなも手を離せと満月に飛びかかる。
その時だった。
「やめて!!!」
叫び声に反応し、3人の手が止まる。
「果凛ちゃん......!?」
「お前はあの時の......」
3人は驚いた表情で果凛へと向く。
「す、全て聞いてたよ......ありがとね、満月ちゃん。あとは私の口から全部話すよ......」
「い、いやでも!」
「私も悔しかったから......大丈夫、心配しないで」
果凛は近くの机に腰をかけ、3人を見つめながら話し始めた。
「私ね、2年前に交通事故で両親を亡くしてるの」
雷の轟きが、静寂を切り裂いた。