第3話
アルベルト付きの侍女になってから早三日
菜子は相変わらず目の前の現状に困惑していた
どこの世界に侍女と一緒にご飯を食べる王子様がいるんだろうか?と
菜子の目の前にはアルベルトが座っていた
今は朝食の時間で重厚な長テーブルの上には豪華な食事が乗っている
もちろん菜子の目の前にもアルベルトと同じものが並べられていた
菜子と食事を共にすると言い出したアルベルトの我儘に付き合っての事なのだが、最初は食事係の侍女や従僕達も付き添っていた
しかし食事係達の冷たい視線に耐えられなくなった菜子が「一緒に食事は無理です」とアルベルトに直談判したところ何故か食事係の方が席を外されることになった
これにはさすがに菜子もそれはおかしいとアルベルトに訴えたのだが聞いては貰えなかった
なので今は二人きりだ
朝の挨拶を済ませた菜子は目の前に用意された朝食に悪戦苦闘していた
この国の食事スタイルはナイフとフォークだ
自分のいた世界と同じ食器が出てきたことにほっとしたのも束の間
王子と侍女が食事を共にすることの疑問に加えて、菜子は今テーブルマナーの壁に直面していた
銀食器を手に持ち目の前の皿の中のものをどうやって手をつけたら良いか悩んでいるとアルベルトが席を立って近付いてきた
そしてそっと菜子の手を取ると「こうやるんだ」と優しく囁きながらテーブルマナーを教え始めた
ぱくり、とアルベルトにされるがままフォークに刺した肉を口に入れられ菜子は赤面してしまった
なんだかよくわからないけど心臓がばくばくする
至近距離のアルベルトから良い匂いはするわ
添えられた手が思ったよりも大きくて温かくて、なんか自分の手に汗がでてくるわ
耳元で囁かれる声に背筋がぞくぞくするわ
もうわけがわからなかった
食事どころじゃなくなってしまい数度上がった体温に頭がくらくらしてくる
これは天然か?天然なのか?わざとじゃないのか?
と菜子はぐるぐるする頭でアルベルトを見上げると屈託のない笑顔が降ってきた
はい天然でした
ばくばくとうるさい心臓に酸欠気味の菜子はそろそろ窒息しそうだと身の危険を感じた頃、アルベルトが絶妙なタイミングで離れた
優雅な足取りで席に戻ったアルベルトは「わかったかい?」と屈託の無い笑顔で聞いてくる
菜子はなんとか頷くとアルベルトは嬉しそうに菜子に話しかけながら食事を再開したのだった
いやもう、これ毎日やるんですか?
心臓が持たない、と菜子が内心で嘆くのだがこれはもう決定事項らしかった
なんとかかんとか菜子の心臓が耐え切った頃のある夕食のとき
菜子が誤ってナイフを落としてしまった
慌てた菜子は『替えを用意しなきゃ』と思った
その時――
カシャン
菜子の目の前に新しいナイフが出現したのだった
「・・・・・・」
菜子が目を見張る
目の前でそれを見ていたアルベルトも口をぽかんと開けて見ていた
「え?え?え?」
菜子は震える声で呟きながら目の前にいきなり出現したナイフを手に取るとしっかりとした重みがあった
試しに目の前のロースト肉を切ってみると見事に切れた
目を見開いたままアルベルトを見ると彼も驚いた表情のまま固まっていた
「聖女の……」
アルベルトは呟くといきなりガタンと勢いよく立ち上がった
菜子はアルベルトの意図を理解すると慌てて止めた
「ま、待って下さい!」
「何故止める?」
菜子の静止の言葉に怪訝そうな顔で見下ろしてくる
アルベルトの顔には今すぐにでもこの事実を話しに行きたいと書いてあった
「ぐ、偶然かも、しれませんので……」
菜子は苦し紛れにそう嘘をついた
以前からもしかしたら、という気はあった
菜子がなくし物をしたりちょっと欲しいなぁと思ったときに気づくと思い描いていたものが目の前にあったりしたのだ
もしかしてと思う反面まさかと思いつつ過ごしていたのだが、先程の光景で確信がいった
自分はたぶん……聖女の力を持っている
あの時ローズが言った『祈りひとつで物体を作り出す力』がこれなのだ
自分は祈ってはいないがたぶん思い描いたものがそのまま具現化するのだろう
思えば初めてここへ来た時、美香が出した聖剣は何故か美香の背後から出現していた
その後ろには菜子がいた
それでは菜子の目の前で出現したのではないか?
そう思った瞬間――じゃあ美香さんは?と考えてしまった
今美香は聖女としてこの城にいる
その美香に聖女の力が無かったら?
菜子の背筋がぞくりとした
聖女ではないと思われていた菜子の今までの扱いを思い出し青褪めた
――で、でも美香さんは美人だし私ほどの扱いは受けないとは思うけど……
だが今までのような優遇は受けられないのではないかと思った
菜子は咄嗟にアルベルトにこの事はまだ内緒にしてもらうよう頼み込み渋々ながら承諾してもらった
そして美香の様子をできうるかぎり調べてみようとこっそり思ったのだった
アルベルト付きの侍女になったのは幸いだった
とりあえずアルベルトにだけは自分の考えを話し理解してもらえた
そして協力を仰ぎアルベルトの側を付いて回れるようにしてもらったのだ
思ったよりも協力的なアルベルトは更に第二王子の所用でと言えばどこにでも行けるようにもしてくれた
アルベルト様様である
菜子はその権限を最大限利用し美香の様子を観察した
やはりというかなんというか、アルベルトの話の通り美香はあれ以来本当に力が使えていないらしい
何度かローズに「剣だけではあれですから勇者に防具もお与えくださいませ」という提案に美香は答えようとしたのだが、何度やっても出来なかったそうだ
しかしローズはその度に「聖女の力は莫大な力を使うのでまだ力が戻っていないのでしょう」と勝手に結論付け美香を責めるような事はしなかった
そして2週間が経った頃――
「聖女様、そろそろ力もお戻りになった頃でしょう?魔王討伐用の防具をお願いいたします」
と言ってきたのだった
しかも国王陛下や王子様達のいる前で
謁見の間と呼ばれるそこに美香を呼び出し、自分の言う事がさも正しいとばかりに、にこにこと美香を見つめるローズに菜子は辟易した
今菜子は突然ローズに呼び出されたアルベルトの付き人として謁見の間にこっそり参加していた
美香は美香で自身に力が無いことに薄々感づいているのか青褪めた表情でローズを見ていた
「で、でも私……」
「聖女様、お願いいたします」
美香が何かを言おうとしたのを遮るかのようにローズは恭しく頭を垂れて催促する
益々青褪めていく美香
それを見ていた菜子はぎりと歯軋りした
――なんだろうこの気持ち……
勝手に聖女に仕立て上げられ力を振るえと言われている美香が気の毒になってきた
勝手に祭り上げられて勝手に悠々自適に生活していたのだから知ったことではないといえばないのだけれど……
彼女だって被害者ではないか?という思いが強くなっていく
辛い思いは知っている
必要とされない者のここでの扱いの酷さも
だからこそ見捨てられなかった
気づいたらやってしまっていた
「お、おおお!!」
広場に感嘆の声が木霊する
自分はお人よしだなぁと自嘲の笑みが漏れた
「いいのか?」
謁見の間からの帰り道アルベルトが訊ねてきた
菜子は黙って頷く
「だって見捨てられなかったんです」
そう言って笑う菜子にアルベルトは「しょうがないな」と苦笑する
結局のところ美香の聖女の力は国王の前できちんと見せられた
もちろん菜子によってである
国王の目の前でそれはそれは美しい甲冑を作り出した美香は国王陛下に大層褒めちぎられていた
それを見ていたローズは満足そうに頷き
美香も己の役目を無事終えてほっとしていた
しかし、この事で美香に変な自信がついてしまったらしく誉めそやす国王陛下に「魔王討伐はお任せください」と豪語していたのだった
「正直あれで良かったのかと疑問に思うのだが……」
アルベルトの独り言のような問いかけに菜子も返答に困った
自分自身もあれが正しいことだったとは断言できない
でもああする他なかった
あの場で美香に力がないとバレてしまったらきっとただでは済まされなかっただろう
あの場には国王もいた、この国の権力者の前で聖女ではなかったとわかったらどんな罰が与えられるか想像できなかった
なんてったって王様を謀ったのだ、その罪が軽いわけがない最悪美香は投獄されていたかもしれないのだ
暗い牢屋に閉じ込められる美香の姿を想像してしまいぶるりと震えた
「でもあそこではああする事以外思いつかなくて……」
菜子はそう言いつつ肩を竦める
面倒事に首を突っ込んだ事は重々承知だ
だから菜子は覚悟を決めた
――こうなったらちゃんと美香さんをサポートしなきゃ!
菜子はアルベルトの顔を見上げると己の決意を伝えるべく口を開くのだった
「本当によろしいのですか?」
数日後、アルベルトは国王のいる謁見の間にまた訪れていた
国王が鎮座する玉座の手前で魔道師長であるローズが困惑も露にアルベルトに聞き返していた
「ああ、俺も勇者殿に同行しようと思う、俺も騎士だ国を救いたいと思う気持ちはそこの勇者殿と同じです、父上よろしいですね?」
そう言ってアルベルトが父を見上げると国王は渋面を張り付かせてこちらを見返してきた
「本当に良いのじゃな?」
息子の決意を確認するように聞き返してくる
「はい」
アルベルトはゆっくりと頷きながら返答した
その姿に国王は浅く息を吐くと豪華な玉座に深く背を預ける
「そなたの願いを聞き届けよう」
「陛下!!」
国王の言葉に異議を唱えたのはローズと国王の隣にいた王妃だった
「陛下、アルベルトはこの国の第二王位継承者なのですよ、もしもの事があったらどうするのです?」
妃の非難の言葉に国王は冷や汗を流した
「い、いや、王位継承者なら第一王子のクリストファーがおるではないか」
「そ、それはそうですが……」
夫である国王の言葉に王妃は口籠る
王妃にとってはどちらも可愛い自分の息子達だ、長男が王位を継ぐから大丈夫だとはとてもではないが思えないらしい
そんな母の想いにアルベルトは嬉しく思いながら言葉を紡いだ
「母上、兄上がいる限りこの国は安泰です、ですがその国自体が無くなってしまっては意味がありません、どうか兄の為この国の為に魔王討伐の同行をお許しください」
アルベルトはそう言って深々と頭を垂れた
実の息子にそこまで懇願されてしまっては王妃もこれ以上何も言えなくなってしまった
しかし王妃が頷きかけたところでローズが待ったをかけてきた
「僭越ながら」
全員の視線が魔道師長ローズへと注がれる
その視線に臆する事無くローズは声を張り上げた
「アルベルト殿下のお気持ちは大変嬉しゅうございます、ただ……」
「ただ、なんだ?」
アルベルトが眉間に皺を寄せて聞き返す
その様子をちらりと見ながらローズは恭しく頭を下げながらこう言ってきた
「ただ、そこの娘を連れて行くことに同意は出来ません」
そういってローズが睨むように見た相手に視線が集中した
その先には自分以外の人達に射抜かれるように見られ一歩後退る菜子の姿があった
「ナコが……この娘が同行するのが何故ダメなのだ?」
アルベルトは不機嫌を隠す事無くローズに詰め寄った
そんなアルベルトの気迫に怯む事無くローズが返答する
「それはこの娘が何の力も持たないからでございます」
「それは……」
その言葉にアルベルトは言葉に詰まった
本来なら聖女の力を持っているのは菜子だ
しかし菜子からその力の事は伏せて旅に同行させて欲しいと頼まれていた
菜子の気持ちを優先させたいと思っているアルベルトにとってローズへの返答はどうしたものかと内心で頭を抱えていると、すぐ近くから助け舟が出された
「あ、あの……」
声のした方に視線をやると聖女様がいた
今現在聖女様と呼ばれている美香は恐る恐る一歩前に出てくると両手を胸の前にあわせて縋るような目で見上げてきた
その視線は十分愛らしく庇護欲を掻き立てる仕草で、鼻息も荒く抗議していたローズも思わず顔が緩んでしまうほどだった
「せ、聖女様どうしたのですか?」
美香の愛らしい顔に頬を染めながら聞き返す
先程とは随分態度が違うようだ
そんなローズの変わり身に菜子は半目になりながら美香の言葉を待った
「あ、あのご迷惑でなければ私も菜子さんが一緒がいいです」
思わぬところからの援護射撃にローズだけでなく菜子やアルベルトも驚いた
どういう風の吹き回しだろうと首を捻っていたら、簡潔な答えが美香の口から出てきた
「私、私できれば菜子さんが居てくれた方が嬉しいです、やっぱり女の子一人じゃ心細いですし……」
そう言ってもじもじしながら縋るように菜子を見つめてくる
――こうやって見るとほんと天使みたいだなぁ……
大きな瞳に涙を一杯溜めてローズや国王達に懇願している美香を見ながらそんな事を思う
そんな愛らしい美少女の姿を見せ付けられた周りは頬を染めながら「う、うむ聖女様がそこまで言うのなら」とあっさり承諾されたのだった
美少女恐るべし!
菜子はあっという間に話が纏まってしまった様子を見ながら、美香の手腕に心から賞賛を送るのだった




