第2話
次の日から菜子は大忙しだった
炊事に洗濯に掃除
朝は日が昇らぬうちから叩き起こされ日が沈んでも仕事は終わらなかった
毎日毎日汗にまみれながら必死に働いた
だってそうするしかなかったからだ
美香は連れて行かれたままどこに居るのかもわからず、しかも元居た場所へ帰る方法もわからないのだ
菜子は不安で押しつぶされそうな心を必死で押さえながら与えられた仕事を黙々とこなした
菜子が召喚されてから一週間程経った頃、仕事から疲れて自分の部屋へ帰る途中声をかけられた
疲れた顔で振り返ると美香がいた
美香は嬉しそうに菜子に走り寄る
「良かった静科さん無事だったのね」
美香は疲れてぼろぼろの菜子を見ながら嬉しそうに言ってきた
菜子はぼんやりとする頭で頷く
美香を見るとこちらへ来たときの制服とは違う服を着ていることに気づいた
白を基調とした布地に金糸の刺繍が施されたドレスを身に纏っている
どこぞのお姫様のようなその出で立ちに菜子は「河井さんは何着ても似合うね」と褒めた
その言葉に美香は嬉しそうに微笑む
「私、今聖女としてこのお城に居なきゃいけなくて……しかも魔王を倒す準備ができたら旅に出なきゃいけないらしいの」
美香は菜子の手を取り己の身の上話をし始めた
菜子は「大変そうだね」と返すのがやっとで立っているのも辛そうだ
そんな菜子にはお構い無しに美香は自分の話をし続ける
毎日豪華な食事で王様達と一緒にご飯を食べるのは大変だとか、どこへ行っても侍女達が居て窮屈だとか、ここへ来てからの不満を菜子へとぶつけた
菜子はそろそろ眠気が限界の頭で、今何時だろうとぼんやりと考える
ふと美香はどうやってここへ来たのか気になった
「あの、河井さんはどうやってここへ来たの?」
菜子が訊ねると美香はぱちくりと大きな瞳を瞬いた
先程の美香の話では侍女の居住区から大分離れた場所で暮らしているはずだ、ここまでは結構な距離がある
しかも彼女は今や聖女様として崇め奉られている存在なので、共も連れずどうやってこんな所まで辿り着いたのか気になった
すると美香は舌を出して可愛らしく笑うと
「えへ、内緒で来ちゃった、私付きの侍女に菜子さんがここだって聞いて心配で来てみたの」
その言葉に菜子は驚いた
素直に嬉しい、でも怒られはしないかと美香を心配していると背後から冷たい声が聞えてきた
「貴様何をしている!」
驚いて振り返るとレオンハルトが怒ったような顔で立っていた
「聖女様こんな所においでになっていたのですか、さ、ここは貴女様の来るような所ではありません部屋へ帰りましょう」
レオンハルトは菜子を睨みつけながら美香の側へ向かうと菜子から隠すように目の前に立った
「貴様聖女様に何をしようとしていた?」
「ちょっと静科さんは違うわ、私が会いに来たのよ!」
菜子に向かって凄むレオンハルトに美香が必死で止める
「ですが……」
「静科さんは私のクラスメートよ!手荒な事はしないで!」
美香の言葉にレオンハルトは困ったように眉根を下げるとちらりと菜子を睨むように見た後、美香の肩を抱いて連れて行ってしまった
翌日、菜子は本邸から別館の掃除婦へと異動させられたのだった
別館の掃除係へと移動させられてから意外と暮らしは快適だった
別館には特に人は住んでおらず、時々来賓があった時だけ使われるためそんなに仕事もない
しかも掃除婦は本邸から比べると数人しかいないため気も楽だった
以前より自由にできる時間が増えたので菜子は暇を見つけては、運よく一緒に持ってこれていた本を読んだり最近見つけた秘密の場所で休憩を取るようになった
別館の二階の外れに広いバルコニーがある
辺りを塀で囲まれて外からは見えないそこはちょっとした死角になっていた
しかも土が盛られ芝生があり小さな庭みたいになっていて寝転ぶ事ができるのだ
バルコニーには下へと降りる階段がついていて外からも上がって来れるが、人通りの少ないここは誰の目にも留まらず人目を避けるには良い場所だった
菜子は休み時間にそこへ赴くとふかふかの芝生の上に腰掛けてのんびりするのが日課だった
そして元の世界でよく聞いていた大好きな歌を口ずさむ
別館の近くには騎士の鍛錬場が近くにあるのか時折金属のぶつかり合う音や掛け声が聞えてきていた
――良い天気だな~
菜子は歌い終わると小さく伸びをして空を仰ぎ見る
真っ青な雲ひとつ無い空に小さな小鳥達が囀りながら飛んでいくのが見えた
「よお」
菜子がのんびりと寛いでいるとバルコニーの階段の方から耳に心地よい低音が聞えてきた
聞いたことのある声に菜子は驚き振り返る
そこにはあの召喚された時に己を抱きとめてくれた赤髪の青年がいた
「へえ、最近歌声が聞こえるっていうから来てみたら癒しの歌姫の正体はあんただったのか」
赤髪の青年は階段を昇り終えると面白そうに赤い瞳を細めながら菜子を見ていた
じろじろと見られていることに何となく居心地の悪さを覚え身じろぎする
そんな菜子の様子に気づいた青年は「おっと、驚かせて悪かったな」と申し訳なさそうに言ってきた
「い、いいえ大丈夫です」
「そうか、隣に座ってもいいか?」
「え?ど、どうぞ」
赤髪の青年は菜子の許しを得ると隣にどっかりと座った
ガタイの良い青年の肩幅は思ったよりも広くそんなに近くに座ったわけでもないのに圧迫感を感じてしまう
隣の青年の体温を感じるようで菜子は気恥ずかしくなり俯いてしまった
「ここによく来るのか?」
「あ、は、はい」
暫し沈黙が続く
赤髪の青年は頬をぽりぽりと掻きながら何か気の利いた話題はないかと思考をめぐらす
ふと、そういえば少女の名前を知らないことに気づいた
「そういえばあんた名前は何ていうんだ?聖女様がシズカサンと呼んでいたがそれが名前か?」
「え、えと……名前というかそれは苗字で」
「ミョウジ?」
「あ、あの名前は菜子です」
「へえ、ナコか可愛い名前だな」
そう言って赤髪の青年は子供のようににかりと笑った
その笑顔が眩しすぎて菜子は赤面し俯いてしまう
「俺の名前はアルベルト、アルって呼んでもらって構わない、よろしくな」
そう言ってアルベルトと名乗った青年は菜子に握手を求めてきた
大きな手を差し出されまじまじと見つめた後、菜子は恐る恐るアルベルトの手の指先の方だけ握った
そんな菜子にアルベルトは苦笑すると大きな手で菜子の手を包み込むように握り返す
真っ赤になった菜子の顔を見てアルベルトは可笑しそうに声を出して笑った
一通り笑った後アルベルトが話しかけてきた
「そういえばナコはいつもここで歌を歌っているのか?」
「は、はい」
「ふうん、最近その歌が聞えてくるようになってから訓練場の奴らが怪我や疲れの治りが早くなったって言うんだよ」
「え?」
「はは、面白い話だろ?でも本当らしい、たまに歌が聞えてこない時は奴らいつもよりも疲れるし怪我の治りも遅くなるって嘆いていたからな、かくいう俺も歌が聞こえたときの方が調子が良い」
アルベルトはそう言って菜子にウインクをして見せた
長身のしかもイケメンの男性に覗き込まれるような形でウインクをされ菜子はまた真っ赤になる
そんな菜子の反応を面白そうに眺めながらアルベルトは口を開いた
「なあナコ、お前ここに居て辛くないか?」
「へ?」
突然の質問に菜子は素っ頓狂な声を上げる
「ちゃんとメシは食ってるか?仕事は辛くないか?」
「え、ええと仕事は前より楽になりました、ご飯はちゃんと食べてます」
そういった瞬間、菜子のお腹の場所からぐ~と音が聞えてきた
――忘れてた、今日寝坊して朝食抜きだったんだっけ
菜子は咄嗟にお腹を腕で隠すと「きょ、今日はその、寝坊してしまって」と言い訳をした
アルベルトは真っ赤な顔をして蹲る菜子を見て「ぶはっ」と吹き出した
腹を抱えて笑うアルベルトに、そんなに笑わなくてもいいんじゃないかと恨めしそうな視線を送っていると、それに気づいたアルベルトが「すまんすまん」と謝ってきた
ひとしきり笑って目尻に浮かんだ涙を拭きながらアルベルトは懐を漁ると中から小さな皮袋を取り出してきた
「今はこんなもんしかないけど食うか?」
そう言って差し出してきたのは騎士の非常食らしい
アルベルトは皮袋から干し肉を取り出すと菜子の口に放り込む
無理やり咥えさせられ素直に噛んでいると柔らかくなったところから肉の味が染み出してきた
意外と美味いそれに驚いた顔で「おいしい」と感想を伝えるとアルベルトは嬉しそうに笑った
「今度はもうちょっと美味いもの持って来てやるよ」
アルベルトはそう言うと立ち上がり特に約束もせず颯爽と帰っていってしまった
後に残された菜子は久しぶりに感じた他人の優しさに胸の中がほっこりするような気持ちになって頬を緩めるのだった
菜子がここへ来てからようやくこの世界の事がわかってきた
ここは剣と魔法が存在する世界で、菜子たちが世話になっているここはバジリスク帝国という軍事国家だそうだ
そしてこの世界は今まさに魔王の脅威に脅かされていた
そこで預言者に魔王を倒す方法を予言させると『異世界から聖女を召喚すれば魔王を倒せる』と出たらしく、さっそくローズ率いる魔法使い達を使って召喚魔法を施し呼び出されたのが自分達だったというわけだった
そして召喚の場所に居たレオンハルトという金髪碧眼のイケメンは勇者で、アルベルトという赤髪赤眼のイケメンがこの国の第二王子様らしい
それを知った菜子はひっそりと王子と勇者の容姿が逆じゃね?とツッコミを入れたのだった
そして菜子は今、己の居る場所に疑問符を浮かべていた
――ええ~っと私確かこの前まで別館の掃除係りだった気がするんだけど?
菜子は自身が居る場所を見回しながら胸中で呟いた
重厚なデザインの豪華な一室に菜子は居た
部屋の雰囲気に合うように設えた調度品は見るからに高そうな雰囲気がする
誤って壊したらと思うと怖くて入り口の扉の前から動けなかった
「どうしたんださっきからそんな所に立ってぼーっとして?」
部屋の奥の扉から出てきたのはこの国の第二王子のアルベルト殿下だった
騎士服に身を包んだ彼は、呆然と立ち尽くす菜子に呆れたような視線を寄越している
腰に手を当て立つ姿は凛々しく様になっている
いつもバルコニーで会っていた彼は訓練の後に来ていたようで着ていた服も簡素なものが多かった為、見慣れない姿にどきどきしてしまう
「そ、その……突然の事で混乱してしまって……」
菜子は騎士服姿を見てときめいている事を悟られないように顔を俯かせながら答えた
今朝、アルベルト殿下付きの侍女になるように言われた
突然の事に驚いていると侍女長に強引に連れられてきたのがここだった
そして目の前にはアルベルトがいる
混乱するなという方が無理な話である
菜子は平常心を取り戻すと少しだけ顔を上げてアルベルトに恐れながらと口を開いた
「私のようなものが何故アルベルト様の世話係になったのでしょうか?」
不躾な質問だったかと不安になったが口から出てしまった後では仕方が無い
菜子はアルベルトの返事を待った
「別館の方が良かったか?しかしここの方がもっと楽だと思うぞ」
アルベルトは自身の後頭部を擦りながら困ったように言ってきた
その言葉に菜子は困惑する
――使用人になんで楽させようとか考えてるんだろうかこの人は?
すっかり使用人根性が付いた菜子はそんな事を考えながら首を傾げる
「それに、ここにいれば食べるのに困らないだろう?」
アルベルトはそう言って菜子を見た
どうやら自分がいつもひもじい思いをしていると思われているらしい
あのバルコニーでお腹が鳴ったのは一度きりであったはずなのに、アルベルトは事ある毎にお菓子やサンドイッチを差し入れしてくれてたっけ
ここに移動になった理由はそんな事だったのかと脱力する
てっきり別館でサボっていた事がバレてこき使われるために移動になったと思っていた菜子はようやくほっとする事が出来た
しかしアルベルトの存在を思い出しまたピシッと姿勢を正す
仮にも王子様である失礼があってはならない
そんな菜子の様子にアルベルトは頭を掻くと苦笑しながら言ってきた
「あ~そんなに畏まらなくていい、いつも通りにしていてくれ」
そんな事を言われても無理に決まっている
菜子は困ったような顔で「それは無理です」と言うと、アルベルトは溜息を吐いてこう付け足してきた
「じゃあこうしよう、俺と二人っきりの時は気を使わなくていいってことでどうだ?」
そう言って菜子を見た
菜子は暫く巡視した後、それくらいなら大丈夫だろうと頷いた
菜子の返事にアルベルトはほっとしたような顔をする
「じゃあ早速お茶にしようか」
アルベルトはそう言うと、先程他の侍女が置いていったティーセットの乗っているワゴンへと近づいて行った
徐に茶器にお湯を注ぎだす
菜子は慌てて「私がします!」と飛びついた
しかし彼はいつもの爽やかな笑顔で「いいからいいから」と言うと菜子の背中を押して近くのソファに座らせてしまった
「こういうの、やってみたかったんだ」
アルベルトは気さくな笑顔でそう言うと、慣れた手つきで紅茶を淹れはじめた
節くれだった無骨な手が繊細な動作でお茶を淹れる姿は様になっていた
菜子が大人しく待っていると二人分のティーカップとお菓子の乗った皿をトレーに載せて菜子の目の前に置いた
そして自身も菜子の隣にどっかりと座り込む
彼の重さで沈んだソファーの感覚にアルベルトをより身近に感じてしまい一瞬どきりとしてしまった
圧倒的に男性に慣れていない菜子にとってはこんな些細な動作でもドギマギしてしまう
しかも今は部屋に二人きりなのだ
開放的なバルコニーで会っていたときとは訳が違う
隣の息遣いに敏感に反応しながら、菜子は平常心平常心と心の中で唱えた
「お、意外と美味いな」
「そ、そうですね」
「だろ?」
アルベルトは自分が淹れた紅茶の味に満足しながらにかりと笑う
その眩しすぎる笑顔を直視できなくて菜子は俯き気味に前を見ていることしかできない
そんな菜子を気にする風でもなくアルベルトは話を振ってきた
「魔王討伐の準備ができたら聖女様も勇者と共に旅立つそうだ」
「そ、そうですか」
菜子は驚いた顔でアルベルトの顔を見上げた
「あの時……落ちてきたのは二人だった」
アルベルトは菜子の顔を見下ろしながらそう言う
「だが、王宮にいる者達はみんなミカ嬢を……あの娘だけを聖女として認めた……あの場にはあんたも居たのにな」
アルベルトは自身で入れた紅茶を一気に煽る
「俺はその事がどうしても解せない」
たん、と音を立ててティーカップを置くと怒ったような顔で言いながら菜子を見下ろしてきた
その視線にどきりとしてしまう
「聖女を召喚する儀式で呼び出されたのが二人なら、その二人が聖女だと俺はあの時思ったんだ、だがどうだ?あいつらはあんたをまったく見ようとはしない、そればかりかこんな掃除婦の仕事までさせて不敬にもほどがある!あんたもそう思わないか?」
アルベルトは一気にそう捲くし立てると菜子に同意を求めてきた
その様子に菜子は面食らってしまう
「あ、べ、別にナコに怒ってるわけじゃないぞ!あいつらの態度が可笑しいと思ってだな……」
どう返せばいいのか困惑しているとアルベルトは手酌で紅茶を注ぎながら慌てたように言ってきた
「あ、お茶お茶!!」
ドバドバと足元から音が聞えたので見てみるとアルベルトが盛大にお茶を溢れさせていた
「うおっ!?」
アルベルトは菜子の指摘に気づき己の現状を把握すると間抜けな声を上げた
白いズボンが台無しである
菜子は慌てて布巾をワゴンから取ってきてアルベルトのズボンを拭く
しかしたちまち布巾はびしょびしょになってしまい役目を果たさなかった
「すまん、着替えてくる!」
そこで待っててくれ、とアルベルトは菜子に言い残すと隣の部屋へと消えてしまった
一人になった部屋で菜子は肩の力がようやく抜けた
ほっと溜息を吐いてソファの背にもたれかかる
体の力を抜きながら先程言われたことを思い出した
「私が聖女だって思われてない理由なんて決まってるじゃない……」
ヒロインは美形が相場と決まっている
見目麗しい方に人の視線は行きがちだ
美人か不美人、どちらがより聖女にふさわしいか……聖女になってほしいかといったら前者だ
あの時、美香さんを聖女と決め付けたあの魔道師も私と美香さんを見比べた視線は顔しか見ていなかった
菜子は天井を見上げながらぽつりと呟く
「美形じゃないからよ……」
その時、隣の扉が不意に開いた
菜子は慌てて居住まいを正す
先程の独り言を聞かれたかと入ってきた人物を窺ってみたがさして気にしている様子もなかったことに安堵した
騎士服から簡単な部屋着に着替えてきたアルベルトはまた菜子の隣に座ってきた
また狭くなった空間で菜子は身じろぎする
どうして隣に座ってくるのだろうと非難の視線を向けるとアルベルトは菜子の顔を見下ろしながらにっこりと微笑んできた
直視できなくて視線を逸らすとアルベルトが話しかけてきた
「とにかく俺はナコに対する周りの扱いに憤りを感じている」
突然の言葉に菜子は弾かれたように顔を上げる
アルベルトを見ると彼は口をへの字に結んで菜子を見下ろしていた
「だから今日からナコは俺付きの侍女にしてもらった」
「はい?」
菜子は素っ頓狂な声を上げる
「ナコの事は王達に許しを貰っている、自由にしていいとお墨付きだ、あいつら本当に聖女様以外はどうでもいいらしい」
アルベルトは眉間に皺を寄せながら不機嫌そうな声でそう言ってきた
そして――
「あと一つ、面白い事を聞いたんだが」
アルベルトはそう言うと菜子をじっと見つめてきた
「な、なんですか?」
菜子はこれ以上何を言われるのかとごくりと唾を飲む
「あの聖女様はあれ以来力を使えていないそうだ」
アルベルトの口からそんな事実を聞かされたのだった




