第五十六話 アキレス最後の戦い
物語も残り僅かとなりました。
いよいよ最後の戦いが始まります。
「如何だったでしょう? 私、デーモン・アドバートのディレクターズ・カット版、『静剣の勇者と虚無の魔王』の伝説は。お楽しみ頂けましたかな?」
デーモン・アドバートの不敵な言葉と共に、周囲に広がっていたセピア色の情景は煙のように消え去った。
僕はまるで夢でも見ていたかのように周囲をキョロキョロと伺い、顔を上げれば、やはり黒い瘴気に包まれた毘奈の姿があることに絶望する。
僕らを嘲笑するような態度のデーモン・アドバートへ、霧島が冷然と言い放つ。
「下らない幻術で私たちを惑わすつもりね。そんなものを見せて、あんたはどうしようというの?」
「あなた方から、私は悪魔と呼ばれる存在。元来我々には目的なんてあってないようなものです。言うなれば、あなた方の言う“悪を為すこと”が我々の目的でした。
ところが、虚無の魔王が静剣の勇者と共に異界へと旅立った時、私は意気消沈としながらも、その圧倒的美しさに魅了されていたのです。あの美しい光景を再び……できればその力を我が手にと……」
「馬鹿馬鹿しい、その為に勇者と魔王を復活させ、過去の再現をしようとでも言うの?」
「この数百年……私にとっては並々ならぬ苦労の連続でした。勇者と魔王が転生した世界を探し出し、あなたを誑かしてマッドチェスターが残した秘術で、あの世界へと送り込んだ。
あなたは私の期待通り、静剣の勇者を復活させた。勇者の魂の記憶を辿れば、魔王が誰なのかは簡単に判明します。契約通り、勇者を手に入れて魔王を復活させ、マッドチェスターの血を継ぐあなたの魂を支配できれば、私の目的は叶ったも同然だったのです。
ところが、計画通りにはいかないものです。あっちの世界で勇者を手に入れる寸前、あなたに手痛いしっぺ返しをくらい、勇者がこちらの世界に来たと思ったら、最強の剣神と出会ってしまうのだから……」
デーモン・アドバートはわざとらしく肩を落とし、お道化てみせる。その三流舞台俳優のような臭い演技が気に障った。
「ですが、私が数百年の間待ち侘び、恋い焦がれた究極の力は、今私の前へ再び現れたのです!」
「残念だけど、あんたが期待していた通り、『天国への階段』が使われるとは限らないわ……」
「どちらでもいいことです。私にとっては人間たちの粛清も、あの美しい光景を見られることも、どちらを引いたところでハズレではないのだから」
「本当にフ〇ッキン下衆な悪魔ね……いいわ、それなら……」
ジャスティーンの庇護を受け、黒い瘴気の届かない安全地帯にいたノエルの元へ、霧島はゆっくりと歩み寄る。
不思議そうに首を傾げるノエルに、霧島は覚悟を決めた真剣な眼差しを向けて言った。
「ノエル、『天国への階段』を使うわ。力を貸して……」
「どういうこと? 今更あれを使っても……それに、吾妻はあんな状態なんだよ?」
ノエルは不安そうに地面へへたり込んだ僕を見る。僕は絶望に打ちひしがれ、空に舞い上がって虚無の瘴気をばら撒く毘奈を、ただぼんやりと眺めていた。
霧島はノエルがそう返答するのを、わかっていたみたいに説明を続けた。
「私に考えがあるの。那木君を殺さず、虚無の魔王……いいえ、天城さんの膨れ上がった虚無の力を封印する。私を信じて!」
「摩利香がそこまで言うなら……」
ノエルは若干腑に落ちない様子であったが、鬼気迫る霧島の表情に首を縦に振った。
二人とも覚悟を決めた面持ちで互いの手を取る。そんな只ならぬ光景を、頭が真っ白であった僕は虚ろな目をして見つめていた。
「神々の創りし異界への門よ……」
その言葉と共に、霧島の瞳はあの禍々しい紫色に染まっていく。それに呼応するように、今度はノエルが呪文の詠唱を始めた。
「光の階段の先で迷える者の為にその扉を開き――」
手を取り合い、交互に長い呪文の詠唱を続ける二人の少女の手は、やがて七色の光を放ち始める。
「彼の者の魂を――」
「安息の世界へと導き給え――」
古の時代に、あのレイラ・ニーナ・マッドチェスターだけが使えたという壮大括究極の魔法、『天国への階段』を発動させるには、霧島 摩利香をもってしても尚魔力不足であった。
それを補う為に、ノエル・スライザウェイは呪文の発動を二人で行うという結論に至る。
勿論、それを可能にするのは、ノエル・スライザウェイの天才的な魔法センスと、常人離れした魔力があってのことだが。
「――今こそ、その荘厳な姿を――」
「この俗界に降臨させん――」
彼女たちの手から放たれた七色の眩い光は、空に舞い上り、漆黒の瘴気を翼のように纏った毘奈の元へと伸びていく。
子供のように目を輝かせ、気が触れたみたいに喜びの声を上げるデーモン・アドバート。僕はただ茫然とそれを見ているだけだった。
そして二人の少女の高らかな声が、ぴったりとユニゾンしてこの聖域に響き渡る。
「「――『天国への階段』よ!」」
彼女たちの言葉と共に、聖域の美しい湿地帯は大きな地響きを立てて二つに裂け、七色に光輝く巨大な階段が姿を現した。
神々の国へと繋がるその荘厳な光輝く階段の先には、虚無の瘴気に覆われた黒い堕天使が、聖人たちの行く手を遮るように鎮座しているようだった。
不謹慎な話ではあったが、デーモン・アドバートがこの光景に心を奪われたというのがよくわかった。美しさに善も悪もないのだから。
それはきっと、大昔の人たちが考えた世界中のどんな神話であっても、それはインチキで安っぽい虚構であったのだと誰もが一瞬で認識し得るような、圧倒的で途方もない美そのものだった。
遠くでそれを見ていたアレックスが、自分の頬っぺたを引っ張り、悔しそうに悪態を吐いた。
「ちっ、鬱陶しくピカピカ光りやがって! 別に俺はあんなの綺麗だなんて全然思わねーからな!」
それを聞いたジャスティーンは呆れて溜息を吐き、神々しく七色の光を纏った二人の少女を顔をしかめながら見つめ呟いた。
「やれやれ、こんなもの……人間には過ぎたる力だ。こうなった以上、私の出る幕はないか……。しかし吾妻よ、そなたはそれで良いのか……」
『天国への階段』がその荘厳な姿を現すと、ノエルの手を取っていた霧島は、ノエルに何かを告げて一人階段の方へと歩き出した。
霧島は酷く疲れた様子であったが、光輝く階段に足を置いて、迷うことなく一段一段黒い天使のような姿となった毘奈の元へと登って行く。
霧島とノエルによる『天国への階段』の発動は、一見不便に映るかもしれないが、そこにはある利点もあった。
発動にこそ膨大な魔力を必要とする『天国への階段』であったが、維持に使う魔力は、その場から動けないという制約はあるものの、ノエル一人でも十分負担が可能であったのだ。
そう、本来第三者の力を借りねばならないというこの魔法の弱点を、霧島は克服し得ると気付いていたのだ。
既に頭が真っ白であった僕は、霧島が一体これから何をしようとしているかなんて想像もつかなかった。
神話の再現のような光景に膝まづく僕。そこへあの燃えたたぎるような真っ赤な瞳をした女性が、徐に立ちはだかった。
「吾妻よ、このジャスティーンの弟子となったからには、そなたも武人の端くれであろう。このまま何もせねば、そなたは愛する者を皆失うぞ」
「霧島は……何を……? 僕は……一体どうすれば……?」
「マッドチェスターの姫君のあの目……私はかつてあれと同じ目をした男をよく知っている。あの娘は死ぬ気ぞ」
「霧島が……俺の代わりに?」
ジャスティーンの警告に、僕は再び光の階段をゆっくりと登っていく霧島に目をやる。彼女は黒い天使となった毘奈の元まで辿り着き、向かい合って何か言葉を交わしているようだった。
一頻り言葉を交えた二人は、何かに納得したような安らかな微笑を浮かべ、互いの手を取り合って光の階段を登っていく。
悪い予感しかしなかった。僕を愛してくれた二人の女の子は、光の階段を登り、もう絶対に手の届かないどこかへ行ってしまうのだと思った。
最早、あの二人を救う手立てなんてなかったのかもしれない。それでも、今ここで何もしなかったら、僕は一生地獄のような後悔と絶望と共に過ごさねばならないんだ。
「ジャスティーン、お願いです。教えて下さい。あの二人の為に、僕にはまだできることはありますか?」
「走れ、吾妻よ! 今は目の前の愛する者の為に死線を駆け抜けるときぞ! そなたはこの世界でただ一人の勇者、そなたの剣と勇気が永遠の闇にも光を灯し、道なき荒野にも道を開こう!」
ジャスティーンの燃え上がるような檄は、絶望に浸って朽ちてしまいそうだった僕のハートに火をつけた。
湿原にへたり込んで泥に塗れた僕は、今再び剣神が授けてくれた絆の剣を取って立ち上がる。きっとこれは、神話の時代から数百年続いてきた、静剣の勇者アキレス・シューゲイザー最後の戦いだ。
覚悟を決めた僕が、彼女たちが登る光の階段へ向かって駆けだそうとしたその時、怪しげな赤い光と共に巨大な何かが出現する。
「おやおや、最早この舞台から退場したあなたが、あのお二人の作りだそうとしている究極の美を汚そうというのですか?」
「こ、こいつは……!?」
ああ、僕はあの絶望的な状況をよく覚えている。
僕らの目の前に現れたのは、全てを切り裂くような爪と牙、岩石みたいにゴツゴツした皮膚と赤くて巨大な翼を持った究極の存在。全てのドラゴンの頂点に立つ、ドラゴンの中のドラゴン、神龍バハムートだった。
デーモン・アドバートはこの美の祭典に水を差そうとする僕へ、最高のカードを切ってきたのだ。
僕の崇高な覚悟は、この強大な神の試練にへし折られるかに見えた。
しかし、そんな僕の目前を横切る赤と黒の閃光。それらは目にも止まらぬ速さで、バハムートの体を切裂き、青い鮮血が舞った。
致命傷ではなかったものの、予想もしていなかった痛みに神龍バハムートは、地平線まで届きそうな巨大な咆哮を上げる。
「やれやれ、流石の私でも骨の折れる相手だ。吾妻よ、このでかぶつは私たちに任せ先を急ぐのだ! 抜かるなよ、アレックス!」
「へへへ……わかってますよ。やっと俺様の出番だな。一度こいつとやり合ってみたかったんだよな!」
ジャスティーンとアレックスが、神龍バハムートを引き付けてくれている隙に、僕はスロウダイヴしてバハムートを抜いた。
やっとのことで光の階段へと駆けだした僕の前には、辺りを埋め尽くさんばかりの腐敗した屍の姿のモンスターが立ちはだかっていた。デーモン・アドバートが召還したアンデッドたちだった。
流石にスロウダイヴしているとはいえ、間を抜けるには数が多すぎだ。僕は覚悟を決めてヘヴンリーブルーを振り翳した。
「どけよ! 時間がないんだ!」
体は覚えているものだ。僕はスロウダイヴしたまま、目の前のアンデッドたちを草木のように薙ぎ払って行く。アンデッドの放つ死臭が鼻をつき、吐き気を催しながらも僕はただひたすらに前へ前へと突き進んだ。
そして夢中で斬り進んだ僕の目の前に、ついに姿を現した天国への階段。手を繋いだ霧島と毘奈は、もうかなり上の方まで登ってしまっていた。
満身創痍で光の階段を登って行く僕は、いつしかスロウダイヴから浮上してしまっていた。そんな僕に今度は三匹の飛龍たちが襲い掛かってくる。
僕は階段を登りながら、剣を振って必死に飛龍を追い払おうとするが、奴らは連携しながら執拗に僕の行く手を阻んだ。
「クソ! 鬱陶しい!」
僕はやっとのことで一体を斬り、深手を負った飛龍は回転しながら下へと落ちて行く。
残り二匹の飛龍に手を拱いていると、一匹の飛龍が下から飛んできた剣で頭を貫かれ、撃ち落とされる。僕はすかさず怯んだ最後の一匹へ剣を振り下ろし、叩き落とした。
振返ると、虚無の瘴気の隙間から、横たわるバハムートの巨体の上でジャスティーンが、僕を激励するように手を振っていた。
「吾妻よ、もう邪魔者はいない! 先を急ぐのだ!」
勇ましいジャスティーンが乗っているバハムートのすぐ横では、どうやらアレックスがデーモン・アドバートを取り押さえているようだった。
往生際の悪いデーモン・アドバートは、子供のようにジタバタと抵抗して、呆れるアレックスにポカポカ殴られていた。
「ありがとう……ジャスティーン、あなたはやっぱり化物だ……」
ジャスティーンへ向かって手を振り返し、僕は感謝の言葉を呟いた。
そして僕は、再び光の階段を駆け登り始めるも、もう息は上がって太腿は吊りそうだった。光の階段は黒い闇を抜け、大きな扉の前へと僕を導く。
「……霧島! ……毘奈! 待ってくれ!」
息を切らしながら、僕は彼女たちの名前を必死に叫んだ。そして、荘厳な光の階段の終点、彼女たちは異界へと繋がる大きな扉の前に並んでいた。
僕の呼び掛けに応えるように、霧島と毘奈はゆっくりと振返る。
霧島は少し疲弊した顔だったが、出会った頃の冷然とした表情で僕を見る。黒い翼のように虚無の瘴気を纏った毘奈は、遥か遠く、まるで死後の世界を見ているかのように微笑していた。
「そう、来てしまったのね……。でもこれは私たち二人で決めたことよ。私も天城さんも、あなたに死んで欲しくないの……」
「ごめんね、吾妻……私ってやっぱり嫌な女だよ。吾妻に嫌な思いさせて、大切な人も奪って……。でもね、私……吾妻の幼馴染で本当に良かった!」
光の階段の先で僕を待っていたのは、愛する人たちの別れの言葉であった。
二人の少女の神々しいまでの覚悟の前に、僕はここまで出かかった言葉が出ない。
そしてついに、出会いと別れ、絶望と希望、破壊と再生の扉が、今ゆっくりと開かれようとしていた。
この物語も残すところあと2回です。
先週も新しいブックマーク一件ありがとうございました。
次回はいつもより早めにアップする予定です。