第五十一話 虚無の魔王
いつの間にやら、この作品も五十話を超えました。
話はもう少し続くので、宜しくお願いします。
一体誰がこんな結末を予期できたというのであろうか。
僕の目の前に立っている良く見知った愛すべき幼馴染、天城 毘奈があの『虚無の魔王』であったなんて。
膝まづいて愕然としている僕に、辺りを徐々に浸食していく黒い靄が迫る。
「しっかりして、那木君! ……ワンダー・ウォール!」
僕の前に踏み出た霧島が、ワンダー・ウォールを展開し、黒い靄の浸食を阻む。
僕を必死に守る霧島を見ながら、毘奈は意味深げな微笑を浮かべて言った。
「マリリン……あなたがいけないの。あなたさえいなければ、吾妻は……」
「どうやら、気が触れているみたいね。他の男を選んだあなたが、今更何を言っているの?」
「だって仕方ないじゃない。私には……本当に大事なものがわからなかったの……」
「残念だけど、あなたに那木君は渡さない……」
魔法のバリア越しに、霧島と毘奈は言葉の応酬を繰り広げていたが、愕然としている僕の耳にはほとんど入ってこなかった。
状況を見ていたノエルが、膝まづく僕の肩に手を置き、冷静な面持ちで言う。
「ある程度予想はしていたけれど、やはり魔王は吾妻に近しい人物だったようね」
「そ……そんな、毘奈が魔王……なんて……」
「辛い現実ではあるけれど、あなたは『静剣の勇者』よ。あなたには、世界を救う責務があるの。でないと、沢山の人たちが死ぬわ」
「……無理だよ。俺には毘奈と戦うなんてできない」
ノエルの説得に、僕はか細い声で答え、頭を抱えてその場に蹲った。
僕の頭の中には、これまで毘奈と過ごした思い出が、走馬灯のようにぐるぐると回った。
立ち上がれない僕を見て、ノエルは深い溜息を吐いた。
「そうだね、優しい吾妻には、あの人と戦うなんて無理だよね……」
そう言ってノエルは、禍々しい黒い瘴気を纏った毘奈と対峙している霧島に、予定調和している風に呼び掛ける。
「摩利香、吾妻は戦えないわ。だから、もうあの方の力を借りるしかないみたい」
「ええ、だけどこれで那木君をこの戦いに巻き込まなくて済むわ……」
僕の耳にはほとんど届いていなかったけど、どうやら二人には、この魔王化した毘奈を倒す新たな算段があるみたいだった。
すると、徐にノエルは、聞いたこともないような呪文を詠唱し始める。
一体何が起こっているのか。蹲っていた僕が顔を上げると、ノエルの体は徐々に透明がかっていっていた。
「摩利香、あの方の元へ行くわ。虚無の魔王の力が完全になる前に……」
「ノエル……これは一体?」
「大好きだよ、吾妻。できることなら、また会えるといいな……」
そう言って、ノエルは優しく微笑し、その場から忽然と消え去った。
何が起こっているのかわからず、振返ってみると、禍々しく黒い靄を纏っていた毘奈の姿はそこになく、霧島だけがひっそりと立ち尽くしていた。
「霧島……ノエルに……毘奈は!?」
「ノエルの転移の魔法を使って、天城さんをハシエンダへ召還したわ……。あなたには言ってなかったけれど、ハシエンダで『虚無の魔王』について研究していたノエルは、ある仮定に行き着いたの――」
ノエルが行き着いた仮定というのは、こうだ。
数百年前、静剣の勇者と虚無の魔王は、『天国への階段』を登ってハシエンダから消えた。
勇者は転生、死ぬことのない魔王は元の普通の人間へと還元され、半転生という形で同じ世界へと行き着いた。
その過程で、彼らが近親者、もしくはそれに準じる近しい存在の人間となって、新たな生を受けてしまった可能性があった。
そうなった場合、勇者の転生体である僕は、魔王と戦えなくなる可能性がある。
その為の対策として、ノエルはこの世界に来る前、ある人物に一つの策を託されたのだ。
「あなたが戦えない以上、『天国への階段』での封印は難しい。だから、あなたも良く知るもう一人の英雄に頼るしかないの」
「それって、もしかして……」
「そう、かつてハシエンダに夜明けをもたらした『暁の騎士』……。戦神にして剣神……」
「……ジャスティーンが!?」
そうだ。かつて剣神ジャスティーンは『虚無の魔王』との戦いに加わらなかったが、もし彼女が戦っていたら、歴史は大きく変わっていたかもしれない。
唖然としている僕に、霧島は穏やかに微笑みかける。
「別にあなたが戦わないからって、私もノエルも責めたりしない。むしろ、これで良かったと思っているの。これであなたは死なずに済むのだから……」
いつか霧島は僕が死なずに魔王を倒す方法を、必ず考えると言ってくれていた。
そして結論はこれだった。霧島もノエルも僕の命を守る為に、僕が魔王と戦わない方法を選択したのだ。
「それで……ジャスティーンはどうするんだ?」
「正直、『虚無の魔王』に勝てるかは未知数。でも、復活したばかりで完全ではない魔王が相手なら、あの方であれば或いは……」
「それじゃあ、毘奈は……」
「戦いの神である方よ、戦って力で消し去る以外にないと思う……」
「虚無の魔王は死なないんじゃ……?」
「そうね、だけどまだ魔王は不完全……。何より、あの方は神様よ。人智を超えたことが起こっても不思議ではないわ……」
霧島の言葉に、僕は戦慄した。
これはきっと人類にとっては、とても喜ばしいことであったはずだ。
でも、僕の心の中には世界の命運も人類の未来も、或いは自分の身の安全もなかった。今思うことはただ一つ。
――毘奈が死んでしまう。
仮にも勇者であるはずの僕が、戦いもしないで毘奈の犠牲の上にのうのうと生き続けるなんてできるのか。
答えを出すには、数秒あれば十分であった。例え霧島やノエルの気持ちを裏切ったとしても、僕に彼女を見捨てることなんてできるわけがない。
僕は両拳を握ってゆっくりと立ち上がり、ハッとした霧島の顔を見て言った。
「すまない、霧島。一生のお願いがあるんだ……」
「ダメよ、あなたは絶対に行かせない!」
霧島は声を荒げてそう答えると、いきなり僕の胸に飛び込み、僕のシャツを必死に握りしめた。
「あなたが天城さんを思う気持ちはわかるわ。それに、私にとっても大切な友達だから……。でも、もうどうしようもないの! あの人のことは諦めて……」
普段、感情を表に出すことのない霧島の悲痛な叫びだった。
霧島の気持ちは痛いほどわかった。できることなら、このまま彼女とこの世界で平和に暮らし、結婚して子供を作って、……なんて未来も捨て難い。
それでも、僕の固い決意は揺るがなかった。
「霧島、頼む。俺をもう一度ハシエンダへ連れて行ってくれ」
「なんでわかってくれないの! 私はあなたに死んで欲しくないの!」
「助けたい人がいるんだ。それにまだ死ぬって決まったわけじゃない」
「無理よ……」
「お前がこの世界からいなくなった時も同じだったよ。何も算段がないまま、無我夢中であの世界へ飛び込んだんだ。それでもお前を助けることができた」
もっともらしいことを言っているようではあったけど、結局全ては運頼みだった。
だけど、あの時僕が臆せず飛び込まなければ、今こうして霧島と一緒にいるなんてことはできなかったわけで。
もし毘奈を救い出せる可能性が、一パーセントでもあるのだとすれば、僕は迷わずそれに飛び付くだろう。
僕に縋りついて嘆願する霧島の両肩を持ち、僕はゆっくりと彼女を引き離す。
「俺は死にに行くわけでも、魔王と戦いに行くわけでもない。毘奈を救いに行くんだ。霧島を助けたみたいに、毘奈も救ってあげたいんだ……」
「……どうしても行くと言うのね?」
俯いていた霧島は、そう言って顔を上げる。彼女の水晶のように澄んだ瞳には涙が滲んでた。
「……そうね。私にはあなたを止める権利なんてないのかもね。私が現れなければ、こんなことにはならなかったはずだし……」
「そんなこと言うなよ。どんな形であれ、俺はお前に出会うことができて本当に良かったと思ってる。お前は俺が救ってくれたなんて言うけど、俺もお前の存在に救われてたんだ……」
「那木君……」
「だから毘奈も救って証明したいんだ。お前との出会いは、決して間違ってなんかいなかったって!」
僕がそう言うと、霧島は涙を拭い、僕の大好きであったあの穏やかな微笑を浮かべた。
「全く、あなたには叶わないわ。……でも、あなたみたいな人が勇者で本当に良かった」
「今でも、自分が勇者だなんて信じられないんだけどな……」
僕が照れ臭そうにしていると、霧島は徐に僕へ向かって右手を差出し、小指を立てた。
「約束して、必ず生きて帰ると。……そして、私たちは家族になるのだと」
「ああ、約束するよ」
僕と霧島は互いにはにかみながら、固い約束を結び、指切りをした。
考え方によっては、これは世界に仇なす行為なのかもしれない。それでも霧島は――世界を売った少女――は、僕の為にもう一度世界を売ることを選んでくれた。
僕らは並んで互いの手を取った。恐らくこれは僕にとっても、霧島にとっても最後の戦いになるに違いない。
互いの手を取り合った僕らは、閑散として寂しげな体育館を見つめながら言った。
「さあ、行こう。もう一度君の生まれたあの世界へ!」
「ええ、あなたの大事な幼馴染……いいえ、私たちの大事な友達を救いに……」
霧島の姿は、先程のノエルみたいに徐々に薄くなっていく。
見慣れた体育館のアーチ状の天井は徐々に消え去り、年季の入った古い木の匂いもしなくなっていく。
全てが消えていく中で、僕の手を強く握りしめた霧島の温かな手の温もりだけが、確実にそこにあると感じた。
こうして、僕らは再び異世界ハシエンダへと旅立った。
『静剣の勇者』と『虚無の魔王』の、数百年にも及ぶ因縁を精算する為に。
そして、僕の大切な幼馴染であり、霧島の初めての女友達である天城 毘奈を救う為に。
お読み頂きありがとうございます。
そして主人公とヒロインは最後の戦いへと向かいます。
続きはまた来週です。