第五十話 祭典の日2
あの吾妻君が一夜のロックスターに!?
文化祭編後半スタートです。
クラスの出し物の役割を終え、自由時間となった霧島は僕とノエルに合流した。
「絶対に来るな」という言いつけを破ってしまったのか、霧島は多少ご機嫌斜めな様子だったが、慣れないことをしてお腹が空いたらしく、
「焼きそばが食べたい……」
と言って、文化祭の冊子を捲って焼きそばの屋台を探し始めた。
僕は「焼きそば」という言葉にヒヤリとした。
この瞬間、「焼きそば」って言葉にこんなに不安感を抱く奴なんて、世界広しと言えども僕ぐらいのものだろう。
「焼きそばって、確か陸上部の出し物だったかな……」
「ああ、天城さんのところかしら……?」
霧島はふと思い出したかのように、僕の不安気な顔を見て納得する。
僕らの顔を交互に見て、不愉快そうにノエルが言った。
「天城って誰? 私にも教えてよ!」
「ああ、天城っていうのはね……」
「天城 毘奈……容姿端麗、頭脳面積、スポーツ万能、それでいて気立てのいい、那木君の幼馴染にして最も親しい女性よ」
「……霧島、クソ丁寧な説明ありがとう」
「……いいえ、どういたしまして」
ノエルの問いに、僕がしどろもどろになって答えようとするのを遮り、霧島は簡潔明瞭に毘奈の人物紹介をした。
ああ、霧島の言うことに一字一句間違いなんてありはしない。
問題はそんなことを言ったら、確実にノエルが誤解して対抗意識を燃やすに決まっているということだ。たぶん確信犯だろうけど。
「吾妻、最も親しいってどういうこと!? その人と今はどういう関係なわけ?」
「い……いや、だから単なる幼馴染だって!」
僕は自分で言っていてなんだか後ろめたい思いがした。昨日僕を押し倒してきた時の毘奈の顔が脳裏を過った。
おそらく、僕のそんな思いが余計に言っていることを胡散臭くしてしまっていたんだ。
「……怪しい。摩利香のことといい、吾妻私に何か隠し事しているでしょ?」
「う……ええ!?」
明らかに狼狽する僕の顔を、ノエルは怪訝そうに覗き込んだ。
何だか滅茶苦茶デジャブだった。僕は訝し気なノエルの顔に毘奈を重ね合わせていた。
そろそろこの天才少女を騙しているのも、限界かもしれない。
とにもかくにも、昨日あんなことがあったんだから、毘奈がいるかもしれない陸上部の出し物になんてそう簡単に足を運べるわけがないんだ。
まあ、流石にそこは霧島が気を使ってくれた。
「いいわ、近くまで行ったら、私だけで買いに行くから……」
「すまん、霧島……」
僕の気まずそうな態度を見て、ノエルは不思議そうに首を傾げた。
「吾妻……もしかして、その人と喧嘩でもしてるの?」
「え? ああ……まあ、そんな感じ(勘がいいな……)」
僕の苦笑いを見て、ノエルは少し安堵したのか悪い笑みを浮かべる。
これは確実に毘奈のことをライバル認定しちゃってるよな。僕は額に手を当てて溜息を吐く。
そうこうしているうちに、霧島が焼きそばを買ってきて屋上で食べたいとせがんだ。
どうやら毘奈は焼きそばの屋台にはいなかったようで、僕は自分が行ったわけでもないのに胸を撫で下ろしていた。
階段を登り、屋上へと続く扉を開いた僕らは、どんよりとして薄暗い空を仰ぐ。
霧島は慣れた様子で階段室の上へと昇り、ノエルが嬉々としてそれに続いた。
学校で一番高いところから望む校庭の景色は、いつも見慣れたものとはかけ離れていた。
ハシエンダで見た露店街みたいで、まるで一時の夢幻みたいだった。
「うわー! いい景色! それに凄く賑やかで、聖都のお祭りを思い出すな」
僕らが通う高校のチープな文化祭を、ノエルは新鮮そうに眺めている。
その横で霧島が買ってきた焼きそばをすすりだす。さっき沢山食べたはずなのに、ノエルが物欲しそうにそれを見つめた。
「ノエルも少し食べてみる?」
「ええ! いいの!?」
「もちろんよ」
まだ箸が苦手なノエルは、霧島に焼きそばを食べさせてもらい、目を丸くして舌鼓をする。
見た目は全くと言っていいほど似ても似つかない二人であったが、こうして見てるとまるで姉妹のように見えてくる。
そんな二人を微笑まし気に見つめながらも、この狭い校内のどこかに毘奈がいると思うと、僕は何だか胸が締め付けられる思いがした。
僕のこの心の不安とどんよりとした空とは対照的に、屋台が連なる校庭からは賑やかな声が絶え間なく聴こえ、仲睦まじい二人の少女が楽し気に語り合っていた。
★
そうこうしているうちに、いよいよ軽音部によるライブの時間が迫ってきた。
で、僕と霧島は開場前の体育館で、リハをすることになっていたわけ。
迷子になったら困るということで、ノエルを特別に体育館の中へ入れ、彼女はステージとは対面の壁に寄りかかって楽し気にこちらを伺っている。
本番前ということで、皆・・というか、高妻先輩はいつも以上にピリピリで、対照的に苗場先輩はいつも通りおっとりだ。
霧島はというと、武者震いでもするみたいに自信あり気な微笑を浮かべていた。
さてさて、ここに来て誰が何をやっているか忘れちゃってる人の為に、メンバー紹介といこうじゃないか。
那木 吾妻:ボーカル
霧島 摩利香:ギター
苗場 勇也:ベース
高妻 瑞希:ドラムス
赤城 武志:ギター
何か凄く違和感を感じる人もいたかもしれないけど、多分それは五人目のメンバーのことだと思う。
僕がボーカルに決まった時、流石にギターボーカルなんて僕には無理だろうということで、サイドギターを新たに迎えることにした。
中身はアレだけど、実は赤城先輩はギターがまともに弾けるとのことで、苗場先輩が彼に懇願。一度は難色を示すものの、霧島が一緒になって頼んだ途端、二つ返事で引き受けてくれたって話。
霧島が入部して以来、赤城先輩のグループはすっかり大人しくなっていた。まあ、理由に関しては深く触れないでおこう。
でだ。肝心のリハはというと、一部の生徒たちの見てる前で歌うのは流石に緊張した。
だが怖気づいてなんていられない。あんなに恐れられていた霧島だってクラスに馴染めるよう努力してるっていうのに、僕がここでやらなくてどうする。
僕は恥も外聞も、自分のキャラだって投げ捨てる気持ちで必死に歌に気持ちを込めた。
一曲終わって辺りを見回すと、体育館にいた少数の生徒たちは目を丸くして呆然と立ち尽くしていた。
なんだなんだ? 「これはやっちまったか?」と恐る恐る振返ってメンバーたちの反応を見た。
「いいよ那木君、凄く良かった!」
「ま、この調子で本番も頑張りなさいよ」
苗場先輩は満面の笑みで、高妻先輩も高飛車な感じだったが、褒めてくれたようだ。
「ふん、俺がギターを弾いてやってんだから、このくらいはできてあたりめーだな」
どうやら、このくそったれの先輩も一応は僕のことを認めてくれてるらしい。
そして僕は、胸を躍らせながら霧島の方を見た。
「よくここまで頑張ってくれたわ。ありがとう、那木君……」
少し汗ばんだ彼女は、僕を愛しむように見つめ、本当に嬉しそうに微笑していた。
体育館の後ろの方で、ノエルが楽しそうに手を振って飛び跳ねていた。
最初は面倒でしかなかったロックをやってきた気苦労が、本番を前にこの霧島の反応で全て報われる思いがした。
そしていよいよ本番。高校の文化祭ではよくある体育館でのライブイベントであったが、うちの生徒、一般客問わず会場を埋めるくらいには人が入っていた。
僕はここに来てまで、あまり多くの人には来て欲しくなかったけど、残念ながら今回のイベントはそれなりに盛況な様子だ。
うちの軽音部の演奏技術はそれなりではあったが、お世辞にも有名とは言えないのでここまで人が見に来るとは思っていなかった。
僕は開演前の会場の様子に耳を澄ましてみる。
「ねえねえ、あの霧島さんが出るんでしょ?」
「最近は大人しかったみたいだけど、こんなことやってたんだね」
「霧島 摩利香って、何かおっかないけどすげー可愛いよな」
「ああ、俺はとても近づく勇気はなかったけど、実は隠れファンだったのを認めるぜ……」
結構な生徒たちが、霧島に対する好奇心から今回のライブに来ている様子だった。
まさかあの霧島が、客寄せパンダになるなんて夢にも思わなかったよ。
それ以外にも、普通のロック好きの一般客も見に来ているようで、チラホラとマニアックな会話が聞こえてくる。
「今どきの高校生が、フー・ファイターズをやるなんて感心だな」
「比較的シンプルな曲が多いニルヴァーナならともかく、フー・ファイターズを高校生がどこまでコピーできてるか見ものだな」
正直僕らの演奏なんて、彼らにとっては未知数だ。いつもの薄汚れた体育館は、これから始まる予想もできないショーに沸き立つ、というよりは雑然としていた。
こんな雰囲気の中をステージへ向かって歩いていくんだから、僕にとっては拷問にも等しい。
あからさまに雰囲気に呑まれてステージへ立った僕。会場中の視線が僕らへと集まった。
「あれ、霧島さんでしょ?」
「改めて見ると小さいよな。ギターが凄く大きく見える」
「いや、何かあの一生懸命抱えてる感じが、またいいかも……」
「ギブソンのES-335かな? 渋い趣味してんじゃねーか」
良くも悪くも観客の注目は、霧島へと集まっていた。
少し複雑な感じもしたが、僕が余り注目されていないことに少し安堵した。でも一番前にいるフロントマンは、やっぱり見られないはずもない。
「何だか花のないボーカルだな……」
「まあ、あのギタリストの子が可愛いし目立つのを差し引いても、尚地味だな」
「間違えて出てきちゃった感がハンパないな」
「ボーカルとベースは空気だな。もう一人のギターの奴は馬鹿そうなヤンキーで、ドラムの子は凄くキツそう……」
色々と失礼なことを言ってくれちゃっている。たぶん僕はこの時顔が引きつっていたに違いない。
こんな体育館の中を渦巻く雑然とした空気を、霧島の抒情深いギターリフが静かに切裂いた。
一瞬静まり返る場内。観客の視線は霧島へと釘付けになっている。こういうときの霧島は、ミステリアスで本当に絵になった。
そして霧島は、緊張している僕の顔をチラッと見て、意味深げに微笑した。
――さあ、聴かせてあげなさい。
まるでそんな風に言われた気がして、僕の緊張は和らいでいく。
そして、霧島の静かなギターリフで神秘的になりつつあった場内の空気は、マイクスタンドを掴んだ僕の叫びによって一気にぶち破られた。
霧島に魅せられていた観客たちは、予想だにしない僕の歌声・・というか叫びに、口を大きく開けて唖然としていた。
「と……とりあえず、何言ってるかわからんが、す、すげー……」
「こ……これ、何て曲?」
「フー・ファイターズの『ベスト・オブ・ユー』だな」
「まさか、初っ端からこの曲でくるとはな……」
観客を少しおいてけぼりにしながら、赤城先輩のギター、苗場先輩のベースが加わり、待ってましたとばかりに高妻先輩がドラムを盛大に打ち鳴らした。
観客の驚嘆は、やがて歓声へと変わっていく。僕はそれを肌で感じながらも、声の続く限り必死に叫び続けた。
色々と思うところはあったけど、僕のやってきたことは間違いじゃなかった。僕はこの瞬間そう確信していた。
「何かあの人、歌ってるとかっこいい気がする」
「あいつのどこからあんな声がでてくるんだろう……」
「これって、結構レベル高かったりするんじゃね?」
「ああ、技術だけでも高校の文化祭レベルではないな」
気が付くと、必死に叫ぶ僕の後ろに、霧島が背中合わせでピッタリとくっつくように演奏していた。
今この瞬間があるのも、霧島がいてくれたお陰なんだ。僕の思いに呼応するように観客は更に沸き立っていく。
曲はフィナーレへと向かって加速していき、僕自身も気分が一際高揚していっている最中、僕は体育館の後ろの方から湧き出る怪しげな黒い靄を目にした。
最初は幻かと思って無視していたが、それはどんどん濃くて禍々しいものになっていく。
その黒い靄が顕著になった時、突然霧島は演奏をやめて呆然と立ち尽くした。
「嘘……?」
「き、霧島! これは一体!?」
いきなり演奏が止まり、騒然となる観客たちを掻き分けるように、一人の金髪の少女がステージへと一直線に向かってきた。
「吾妻、摩利香! あの黒い靄……まずいわ!」
ノエルの叫ぶような呼び声に、僕はこの黒い靄が何であるのかを察した。
黒い靄は体育館の中を浸食するように、前へ前へゆっくりと広がっていく。
その靄に呑み込まれた人たちは、生気でも吸い取られたみたいにばったばったと倒れていく。
わけもわからず逃げ惑う観客たち。先輩たちもステージの袖の方へと逃げて行く。
「那木君、霧島さん、早く!」
「何してんの! あんたたちも早く逃げんのよ!」
「う……うわぁ! 何だありゃ!?」
逃げ惑う観客たちの中を掻い潜って、やっとのことでノエルがステージへと上がってきた。
「ノ……ノエル、あれってもしかして……」
「ええ、この邪悪な瘴気……間違いないわ」
徐々に近づいてくる黒い靄の中心には、一人の女生徒がいた。
その子は、どんどんと黒い靄を発しながら、徐々にステージへと歩いて来る。
僕はそれが一体誰なのかを悟った時、あのデーモン・アドバートの言葉が頭を過った。
――「光と影、善と悪、天使と悪魔、男と女、天才と凡人、ユートピアとディストピア、美しいものと醜いもの、優れたものとろくでもないもの……そして、勇者と魔王。これら対となるものは、単独では存在し得ない。互いが互いの存在を補完しているのです」
勇者は魔王復活の鍵であり、勇者と魔王は対となるもの。勇者が復活すれば、魔王もまた復活する。
それがステージの前まで辿り着くと、僕は絶望に打ちひしがれ、その場に膝まづいた。
「う、う……嘘だぁ!!」
黒い靄を宿し、その中心にいた女生徒は、愛らしく微笑して僕へ呼び掛けた。
「もう疲れちゃったよ、吾妻。だから私、もう皆どうでもいいんだ……」
すると、これまで沈黙していた霧島がゆっくりと前へ踏み出し、冷然とした面持ちで口を開いた。
「そう……あなたが虚無の魔王だったのね、天城 毘奈……」
というわけで、ついに魔王が復活の時を迎えました。
まだまだ続きますが、話は最終局面へと向かって加速していきます。
次回も宜しくお願いします。