第四十六話 噂話
第四十六話です。
今回もファンタジー要素ゼロですが、宜しくお願いします。
道端に転がる蝉の死骸が、酷く長引いた残暑の終わりを告げている。
季節は刻一刻と秋を深め、木々は間もなく赤や黄色に色づこうとしていた。
秋っていうのは、昔からやれ芸術だの、読書だの、食欲だの、終いにはスポーツだのって色々と忙しない季節だ。
特に運動嫌いの僕は、スポーツの秋なんてものは、体育教師の陰謀なんじゃないかって本気で考えていたことがある。
僕が言いたいのは、要は秋なんて季節は、過ごしやすいことをいいことに、色々面倒なことをやらされる迷惑な季節だってこと。
僕や霧島、毘奈の通う高校もその例外ではなくて、学校へ行くのが億劫になるような迷惑なイベントがテンコ盛りなわけ。
ちなみに、高校の文化祭ってのは、その面倒で迷惑なイベントの総本山みたいなものに違いない。て言っても、今回が初めてなんだけどさ。
何が大変なのかと言えば、一体どう間違ったかのか、僕は軽音部とかいう反骨精神の塊みたいな物騒な部活をやっていて、挙句の果てに、満足に楽器の弾けない僕がヴォーカリストをやる羽目になっていたということだ。
とりあえず、霧島や先輩たちから言われるがまま、僕はもう間もなくに迫った文化祭へ向けて必死に歌の練習をしていた。
その甲斐もあってか、十月頃には僕の歌も、まあ人に聴かせられるくらいのものにはなっていたのだと思う。
そんなある日の気持ちのいい秋晴れの朝だった。
僕はあくびをしながら、いつものように何の変哲もない通学路を学校へ向かって歩いていた。
最近は歌に専念してるせいで、ラッキーなことにギターを持ち帰らなくてよくなった。
どうにも僕は、あれを背負って歩くのは、目立つのであまり好きにはなれなかった。熱心に教えてくれてる霧島には申し訳ないけどね。
特に何の意識もせず、僕は昔からよく見知った通りを抜け、小さい頃よく遊びに行った家の前を通った。
何てことのないよくある建売住宅で、石造りの少し気取った表札には、アルファベットで『Amagi』と書いてある。毘奈の家だ。
まさかいるとは思っていなかった僕は、懐かし気に覗き込むようにして前を通り過ぎようとした。
「あれ? 吾妻じゃん、おはよう」
「……毘奈?」
陸上部の朝練をやっている毘奈に会うなんていうのは、月に一回あるかどうか。思わず彼女の顔をガン見してしまったよ。
あまり物珍しそうに見入ってたもんだから、毘奈は首を傾げて僕に問い掛けてきた。
「どうしたの吾妻? 私の顔に何か付いてる?」
「ああ、あまり朝は会わないもんだからさ。部活は休みなのか?」
「……うん、なんか体調あんまり良くなくてさ」
「どうしたの? 風邪か?」
「ううん……違うけど、大したことないから……」
確かにいつものウザいくらい快活な毘奈に比べれば、あまり元気はない様子だったけど、それでも一般人レベルだ。
まあ、本人もこう言っていることだし、これ以上突っ込むのも野暮ってもんだ。
いくらデリカシーのあまりない僕でも、原因が女の子の日とかだって可能性くらい少しは考える。
とりあえず会ってしまったことだし、僕らは一緒に学校へ行くことにした。
やっぱり毘奈は少し元気がない様子で、いつもの半分にも満たない程口数は少なかった。
あんまりだんまり歩いてるもんだから、いくら幼馴染とはいえ気まずいので、僕は全く興味のないどうでもいい話題を振る。
「そう言えば、もうすぐ文化祭だけど、陸上部は何やるんだ?」
「ああ……うん、うちは毎年焼きそばの屋台やってるよ。私も作るから、吾妻も食べに来てね!」
「へー、まあ、お昼は他に予定もないし、お前のところで食べるよ」
「で、軽音部は体育館でライブでしょ? 吾妻も出るの?」
正直、あまり答えたくない質問だった。そうだ出るには出るんだけど、僕が前で歌うなんて言ったら、どんな揶揄いを受けることやら。
「人数少ないから、面倒だけど俺も出なきゃならないんだ。毎日練習大変だよ」
「ふーん、……で、ギターは結構弾けるようになったの?」
「流石にまだまだライブで弾くとか無理だから、今回はその……歌うだけ……っていうか……」
「え……!? 吾妻がヴォーカルやるの?」
それ見ろ、毘奈は目をぱちくりさせて、空から魚でも降ってきたみたいな驚きぶりだ。
ちょっと考えてみれば、文化祭の話題なんか振ったら、当然こんな話にだってなることも想定できたはずだ。
口は災いの元、後悔先に立たずってやつだよ。また笑われちゃうよな。
「吾妻……凄い! 凄いじゃん! 絶対に見に行くから!」
「……え?」
毘奈の素直な称賛の言葉に、僕は思わず呆気に取られてしまう。
この反応が彼女に元気がないせいなんだったら、ずっとこのままでいて欲しいくらいだ。
だけど、毘奈にこんなこと言われたら、僕としても気恥ずかしくて堪らない。
「いいよ、来なくて……恥ずかしいし……」
「何言ってんの、吾妻の晴れ舞台なんだから、吾妻のお姉さん同様の私もしっかり見届けないとね!」
何故か毘奈は、まるで自分のことみたいに本当に嬉しそうだった。こりゃあ、かなり期待しちゃってるな。
ある意味揶揄われるよりも深刻な問題が発生しちゃってるみたいで、嬉々とする毘奈を横目に、僕は頭を抱えた。
そうこうしてるうちに、僕らの前にギターを背負った霧島が現れる。
毘奈と一緒なのが物珍しかったみたいで、霧島は僕らを見て少しばかり不思議そうな顔をする。
「あ、マリリン、おはよー!」
「よぉ、おはよ、霧島」
「ええ……おはよう……」
当然三人で登校する流れになるんだけど、僕と霧島はいつもの癖でロックの話題となる。
「そういえば霧島さ、こないだ借りたプライマル・スクリームってやつだけど、なんか変なセリフと異様な電子音ばっかでよくわからなかったぞ」
「あなた……本気で言っているの?」
「ああ、あれってそもそもロックなのか?」
「『スクリ―マ・デリカ』は九〇年代を代表する大名盤よ。まあ、ある程度テクノミュージックに理解がないと入り辛いかもしれないけど・・」
この頃になると、霧島の言っていることも、ギリシャ語から津軽弁くらいには理解できるようになっていたから、僕としてはかなりの進歩だよね。
僕はすっかり霧島との話に夢中になり、毘奈が横を歩いているのを忘れていたのかもしれない。
これはいけないと思って毘奈の方をチラッと見ると、彼女はただ優し気に微笑していた。
「何だかんだ言っても、やっぱり二人は彼氏彼女なんだよね」
「なんだよいきなり……?」
「ふふふ……空気の読める優しい幼馴染は、二人の恋路を邪魔しないよう先に行くとするかな」
毘奈は僕と霧島の前に出て、後ろ歩きしながら僕らの顔を覗き込むようにして言った。
先を急ごうとする毘奈を呼び止め、霧島は若干反省した様子で言う。
「ごめんなさい……あなたがいるのに、こんな話ばかりして無神経だったわ。どうかそんなに気を遣わないで、一緒に行きましょ……」
「ありがとう……マリリン、でも別にそういうわけじゃないんだよ。お熱い二人を見ていると、なんだかちょっと羨ましくなっちゃうんだ」
「おい、待てよ毘奈!」
形ばかり僕は静止をしてみたが、毘奈は少しお道化た態度をとって走り去ってしまった。
まあ、彼氏とあまり上手くいってないみたいだし、仕方ないのかな。
そう思うようにして、僕は敢えて毘奈の異変に気付かない振りをしていたのかもしれない。
「それにしてもあいつ、体調悪いんじゃなかったのかよ……」
★
校内である噂が広まったのは、それから間もなくのことだっただろうか。
噂と言うのは、男女間の痴情の縺れみたいなどうでもいいものだったんだけど、今回は他人事ではなかった。
――「陸上部の天城 毘奈は男癖が悪くてビッチでヤリマンで、尾瀬先輩以外にも男がいる。それがばれて、別れそう」
まあ、根も葉もない嘘なんだけど。偶然クラスの女子が話していたのを聞いた時は、はらわたが煮えくり返る気分だった。
普段、クラスメイトとあまり会話をしない僕だったけど、思わず立ち上がって噂話をしている女子に詰め寄ってしまった。
「その話、誰から聞いた?」
「……え? 何なの急に?」
「いいから、誰から聞いたか教えてくれないかな?」
僕は物凄い形相だったんだと思う。その女子たちは、まるで霧島を見る他の生徒みたいに怯えていたんだから。
問い質してはみたものの、その証言はまた聞きのまた聞きで、人脈の狭い僕なんかには突き止めようがなかった。
そこで僕は、クラスに陸上部の男子に毘奈のことを聞いてみたが、どうやら最近はあまり顔を出していないらしい。
毘奈のことを気に病んだ僕は、久しぶりに彼女の家を訪ねてみることにした。
部活帰り、霧島と別れた僕は直接毘奈の家に向かった。
出迎えてくれた毘奈の母親は、僕の母親がそうしたように、凄く上機嫌で僕を招き入れてくれた。この人がまた、歳を感じさせないくらい美人で優しい人なんだ。
「吾妻ちゃん久しぶりね! 今、毘奈を呼ぶから上がって」
「ああ、どうも……」
突然訪ねて来た僕を、部屋着姿の毘奈は露骨に訝しんでいた。
ほぼ一年ぶりに毘奈の部屋に招き入れられた僕は、懐かしさから思わず舐めるように部屋を見回す。
白に近い薄ピンク色の壁紙にアンティーク風な白いベッド、小さな頃彼女が大事にしていたクマのぬいぐるみが勉強机の隅にひっそりと飾られている。
「ちょっと吾妻、一体何しに来たの?」
「ああ、悪い」
あんまりじろじろ見まくっていたもんだから、毘奈は眉をひそめた。
別にただ遊びに来たわけじゃないんだ。僕は真面目な顔をして毘奈に問い掛ける。
「なあ毘奈、なんか最近変わったことはないか?」
「なーに急に?」
「クラスの女子が、お前に関してデタラメな噂話をしてたんだよ。どうやら、うちのクラスだけじゃないみたいだし、お前大丈夫か?」
「なんだそんなことか……」
毘奈はやれやれといった様子で、深く溜息を吐いた。
僕は彼女のそのドライな反応に、なんだか肩透かしされた気分だった。
「一応心配してくれたみたいだからお礼は言うけど、私全然大丈夫だから」
「いや、でもさ……」
「吾妻はそんな下らないことに気を取られてないで、もっとマリリンのことを考えてあげて」
いくら鈍感な僕だってわかる。余裕そうに微笑を浮かべる毘奈は、明らかに強がっている。
僕に心配させないようにしているのが、手に取るようにわかって、もどかしくて仕方がなかった。
「俺とお前は姉弟みたいなものだって、いつも言ってただろ? 姉弟ってのは、何かあったらお互いのことを気に掛けるもんだろ!」
「そうだね……私たち本当に姉弟だったら良かったのにね……」
必死に詰寄る僕から目を逸らし、彼女は俯いて言った。この時僕は、毘奈の言葉の意味を完全に誤解していたのかもしれない。毘奈は僕のことを、家族ではなく他人なんだと言っているのだと思って、なんだか少し寂しかった。
「噂なんてそのうちなくなるんだから、ゆっくり待てばいいんだよ」
「でもそれじゃあ、お前が!」
「しつこいよ吾妻。あんまりしつこいと、吾妻が部屋に押しかけてきて私を押し倒した……ってマリリンに言っちゃうからね!」
「いや、それだけは!」
毘奈の反撃に、僕は思わずたじろいでしまった。だって、微妙に本当のことも混じってるんだもの。
結局、毘奈に追い返される形で、僕は彼女の家を後にした。
まあ、元気ってわけではなさそうだけど、そこまで深刻な様子でもないみたいだ。
不安を残しつつも、僕は少しだけ胸を撫で下ろす思いで家に帰った。
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ありがとうございます。最後まで頑張ります。
また来週お会いしましょう。