第四十五話 僕と天城 毘奈
第四十五話です。
幼馴染編、まだまだ続きます。
暮れゆく時は、辺りをセピア色のような情景で映し、僕らはまるで幼い頃の思い出の中にいるようだった。
互いに無言で川辺に腰を下した僕と毘奈は、自らが辿ってきた子供時代を振返る。
すっかり落ち着いた毘奈が、穏やかな様子で話し始めた。
「あーあ、吾妻にかっこ悪いところ見せちゃったな」
「散々俺の情けないところ茶化してんだから、お相子……ってか、お釣りがくるよ」
「ふふ……そうだね。……最初はさ、凄く嬉しかったんだ。先輩が私のことを好きって言ってくれるのがさ……。皆の憧れの的で、優しくてかっこよくて。そんな人が私のことを好きになってくれたことがさ……」
「そりゃそうだ。誰だってそう思うだろうよ……」
「だからさ、先輩から告白された時、ちょっと不安もあったけど、付き合えばきっと幸せなんだと思ったんだ……」
まあ、少なくとも、モブで捻くれてて、かっこよくないどっかの勇者の生まれ変わりと付き合うよりは、断然幸せだったと思うし、周囲からも羨望の眼差しで見られたはずだ。
今となってはいい思い出だけど、そのせいで僕は凹んで、酷い目にあったんだけどね。
僕は手元にあった小石を川に投げ込んで、夕焼け空を仰ぎ言った。
「実際楽しかったんじゃないのか?」
「始めは夢みたいだった。先輩も穏やかで優しかったし……」
「今は、粗野で暴力的とか?」
「そんなわけないでしょ! ……でも何か、最近少しイライラしてるみたい。理由は大体わかってるんだけど……」
僕のお道化た切り返しに、毘奈は少し顔をしかめ、両足を抱きかかえるようにして体を丸くした。
「先輩に最初キスされた時、何か変な感じだった。初めてだからかと思ったけど、その後もずっと変わらなかった……」
「お……お前、キ・キ・スって、おい!」
また毘奈に揶揄われているのかと思ったけど、僕の反応を見ても、彼女はくすりとも笑わなかった。表情一つ変えず、そのまま話を続ける。
「あまりキスは好きじゃなかったけど、先輩が喜んでくれるならと思って、何も言わなかったの……」
全く、どんな新手の拷問だよ。何で僕が、かつて好きだった女の子の恋愛模様を、赤裸々に聞かされなければならないんだ。
しかも、この展開で行くと、勿論内容はより過激になって行くわけで……。
テレビ局は、下らない放送コードの規制をしてる暇があったら、今僕の隣にいる女子高生の発言コードを規制して欲しいものだ。
僕はだいぶげんなりしながら、話の行方を見守った。
「でもキスされた後、それ以上のことを求められた時、私もう耐えられなかった。恐くて、先輩の体を突き返しちゃった……」
「……」
「先輩もその時は、初めてだし仕方ないって逆に謝ってくれたんだけど、その時から何かおかしくなっていったんだと思う」
こんな話、半年前の僕が聞いたら、もしかしたら嬉しがったのかもしれない。
だけど、霧島と付き合い、尾瀬先輩のことを知ってしまった今となっては、何だか少し居た堪れない気分だ。
毘奈は哀愁的な微笑を浮かべ、僕に問い掛けるように言った。
「先輩のことは好きだと思うんだけど、そういうことは、何か違うと思っちゃうんだ。私、どっかで間違っちゃったのかな……」
「さあね、例え間違ってたとしても、そんなこと箱を開けてみなけりゃわかんないだろ? 少なくとも先輩は悪い奴じゃないし、むしろ誰もが羨む存在だしな。単純に考えて不正解なわけがない」
「あーあ、これからどうすればいいのかな……」
「別に先輩が好きで、努力して問題を克服する気があるんならそうすればいいし、無理なら別れればいい。そんなのお前の自由だよ」
「何か冷たい……ムカつく」
あまり言って欲しかった言葉じゃなかったみたいで、毘奈は少しブスッとした。
確かに僕の言ったことは、傍から聞けばドライなものだったかもしれないけど、これでも僕は毘奈に敬意を払ったつもりだった。
「まあ、あんまり認めたくはないが、お前なら先輩と別れても引く手数多なんじゃないか? 少なくとも、中学の頃は他の男子から鬱陶しいくらいお前のことを聞かれたぞ」
「え……嘘?」
冗談とかではなく、彼女は本気で驚いている様子であった。
まあ、それも仕方ない。こんなこと毘奈本人に話すのなんて初めてなんだから。
「何だか実感湧かないな。私もマリリンくらい可愛かったら、もっと自分に自信を持てたのかもしれないな」
「お……お前、本気で言ってるのか?」
何てことだ。人間と言うのは観測してくれる誰かがいて、初めて自分が何者なのかを知ることができるのだと思うけど、こいつは重症だ。
見方によったら、それは謙虚で奥ゆかしく見えるかもしれないが、毘奈のそれはもう鈍感すぎて嫌味にしか聞えない。
僕は毘奈の自覚のなさが、何故だか物凄く許せなくなり、彼女に顔を近づけてまくしたてる。
「あのな、確かに霧島は神秘的だけど、お前だってジャンルは違うが、可愛さでは全然負けてないんだぞ! むしろ性格が明るい分、お前に分があるって言う奴も……」
「あ……吾妻……近いよ」
僕は毘奈に説教でもするように身を乗り出していたが、毘奈の一言でふと我に返った。
一時の怒りに任せて、僕は何てとんでもないことを言ってしまったんだ。これでは、告白してるのとそう変わらないじゃないか。
流石の毘奈も、僕の勢いに頬を赤く染めて目を逸らした。僕は恥ずかしさで頭が噴火しそうだった。
「あ……つまり、今のはだな。お、お前はもっと自分に自信を持たなきゃ……っていう、励まし……というか……」
「……そうか、でもそんなこと吾妻に初めて言われたよ……でも、何だか凄く嬉しいな」
あたふたする僕を見て、毘奈はいつもみたいに揶揄うでもなく、ただ優し気に微笑して見せた。
何なんだよ。こんな真面目に反応されたら、僕の恥ずかしが倍増しちゃうじゃないか。
僕は毘奈とのこの奇妙な空気間に耐えられなくなって立ち上がろうとするが、慌ててたもんで、泥濘に足を取られて引っくり返った。
「うわぁ!」
「あ……吾妻!?」
ああ、これがまた最悪の選択だったんだ。僕は何とか地面に手を付いたが、その手の横数センチ先には、戸惑う毘奈の端正な顔があった。
僕は毘奈を押し倒して被さるような形で、彼女と向かい合っていた。
それは、たぶん数秒間の出来事だったのだろう。だが僕は生まれてこの方、こんなにも長い間彼女と見つめ合ったことなんてなかった気がする。
この永遠とも呼べるような長い長い数秒間は、僕に改めて毘奈の美しさを認識させた。
相手の毘奈も目を見開いて瞬き一つしない。驚きと戸惑いを隠せないようだ。彼女が無言で無抵抗だったのも、この一瞬を更に長くした要因だったのかもしれない。
今、僕の数十センチ先には、仮にも初恋の女の子が無抵抗で横たわっている。僕は頭がどうにかなりそうだったが、ふとあることを思い出した。
自らの運命に翻弄されたその少女は、凍てつく氷河みたいに冷たい・・・鋭利な刃物のように何者も寄せ付けない孤高の存在だった。
しかし、その実彼女は不器用で、義理堅く高潔だった。誰にも心を開かないと思っていた彼女は、水晶のような澄んだ瞳で僕を見つめ、ある日僕に言った。
「あなたと家族になりたい……」と。
そう言って、穏やかに微笑をしている少女の顔が頭を過り、僕は何とか正気に帰ることができた。
「あ……悪い、毘奈! ちょっと躓いた!」
僕が慌てて毘奈から離れると、彼女はゆっくりと起き上がり、何だか鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしていた。
とりあえず、何か弁解をしなくてはいけない。右往左往する僕に対して、毘奈はやれやれって感じで微笑して言った。
「吾妻、もう遅いし、帰ろうか?」
「え……ああ、うん……」
毘奈の反応が余りに淡白だったもんだから、僕は思わず拍子抜けしてしまった。
いつもだったら、揶揄うか怒るかしてくるはずなのに、今日の毘奈は本当に変だった。
僕らはこの後、沈んでいく夕焼けを追いかけるように並んで家へ向かった。
小さい頃、毘奈に外へ連れ出された僕は、彼女とクタクタになるまで遊び、何度もこうやって二人で家へ帰って行った。
その光景が、徐々に青い闇に呑み込まれていく鮮烈な夕焼けと共に、僕の頭の中にフラッシュバックしていた。
もしかしたら、毘奈も僕と全く同じ光景を見ていたのかもしれない。
しばらくの間、無言だった毘奈のことが気になって、僕は彼女の顔をチラッと見る。
それに気付いた毘奈が、やけに嬉しそうにニンマリとして僕を見る。それは良くも悪くもいつもの彼女の顔だった。
「吾妻~、さっきのこと、もしマリリンが知ったら……どうするかな~?」
「ば……馬鹿! お前、さっきのは事故だけど、霧島には言うなよ! 絶対に言うなよ!」
「何それ? 言えって振り~?」
こないだの海での一件もある。例え事故だったとしても、霧島に知られたらどんな惨禍が起こることやら……。
本気で困惑する僕を見て、声を上げて笑う姿は、紛れもなくいつもの毘奈のようだった。
全く、本当に心配して損したよ。変に励ましたりしないで、さっきみたいにしおらしいままにしとけば良かった。
笑い疲れた毘奈は、両手を上げて体を伸ばしながら言った。
「あー! なんか吾妻揶揄ったら、すっきりしたな。やっぱ生き甲斐って大事だよね」
「そうそう……って、俺を揶揄うのが、生き甲斐かよ!」
僕は隣で歩く毘奈に近づき、不満そうな顔で彼女を睨んだ。
てっきり、また揶揄い返してくるのかと思ったけど、毘奈は少し恥ずかしそうに目を逸らして足を早めた。
一見いつもの毘奈みたいだったけど、やっぱりどこか少し異なるみたいだ。
僕は首を傾げながらも、速足で歩いて行く毘奈を呼び止める。
「待てよ、毘奈! お前、何かおかしくないか?」
「な……何でもないよ! いつもおかしいのは吾妻の方でしょ? 吾妻のくせに生意気!」
「って……はあ?」
そんな感じで、僕らは毘奈の家の前に着いた。別れ際、最後に彼女は振返り、どこか儚げな微笑を浮かべて言った。
「吾妻、今日はありがとう。吾妻のお陰で少し元気出たよ」
「ああ……まあ、幼馴染なわけだし、お前が元気ないと調子狂うって言うか……話だけなら、いつでも聞いてやるから」
「あはは……。そうだね、ありがと。ほんと私って間違ってばっかだよ……じゃあね、吾妻……」
そう言って毘奈は自分の家へ入って行った。彼女が最後に呟いた言葉の意味は、一体何であったのだろう。
西の空では、薄っすらと残った夕焼けが夜の青色と混じり合い、僕と彼女の幼馴染という曖昧な関係を暗示してるみたいだった。
どうやら、僕と彼女の関係性は、この時既に以前とは違うものになっていたのかもしれない。
そんなことに全く気付かない愚かな僕は、今練習している洋楽の歌を口ずさみながら、呑気に我が家へと帰って行った。
お読み頂きありがとうございます。
続きはまた来週です。