第四十一話 ハシエンダから来た少女2
――『虚無の魔王』
異世界ハシエンダの歴史で、世界を最も恐怖に陥れた存在であり、それと同時に最も誤解された存在。
その存在は、悪意を持った文字通りの悪の魔王というのとは、異質なもの。言うなれば、災厄の類のものである。
異世界ハシエンダ史上類を見ない、最悪の人災。それが『虚無の魔王』である。
人々の知る静剣の勇者と虚無の魔王の伝説は、そのほとんどが後世になって作られた事実とは異なるおとぎ話であった。
魔術博士ノエル・スライザウェイは、自らの村を救って消えた英雄たちの痕跡を追い、その中で静剣の勇者と虚無の魔王についての研究結果をまとめた。
あの小さかったノエルが、大人びた女性の表情をし、テーブルに両肘をついて僕らの顔を見上げる。
「一体何から話そうかしら……。話せば長くなるのだけど、因みに、二人はどのくらい魔王のことについて知っているのかしら?」
「俺は正直名前くらいしか知らないな」
「私が知っているのも、おとぎ話程度のもの。どこからともなく現れて人々を絶望に突き落とした恐怖の魔王は、人々の中から立ち上がった静剣の勇者に封印されたって話」
僕と霧島の反応を聞いて、ノエルは得意気な顔で話を続ける。
「そうね、ハシエンダの民間伝承では、虚無の魔王についてあまり事細かくは残されていないの。一体どこからきて、どのように人々を苦しめ、どのように封印をされたのか……。
そこを知らない限り、魔王がもし復活したとしても、決してまた封印するなんてことはできない。だから私たちは、虚無の魔王についてもっと知らねばならないわ」
「で、詰まる所、魔王ってのは一体何なんだ?」
「私が出した結論では、魔王って言うのは、元々吾妻や摩利香と同じ一人の人間だったはずなの」
「虚無の魔王が人間!?」
これにはさすがの霧島も驚いたみたいで、ハッとした表情でテーブルへと乗り出す。
「その人間は、人の中に巣くうある感情を吸い集める力を持っていたの。悲しみや怒り、嫉妬や憎悪よりも人々を蝕み、死へと追いやるある感情を」
「……虚無ね」
「そう、深海のような底なしの虚無は、人々から生気を吸って絶望の淵へと追いやり、やがて死をもたらす。その人間は、人々から虚無の感情を吸取り、浄化する力を持っていたの」
「ちょっと待ってよ。それって凄くいい奴なんじゃないか?」
僕が抱いた疑問は至極真っ当であり、その反応を待ってましたとばかりにノエルは微笑して見せる。
「そうね、人々の内から虚無の感情を消し去るその人間は、色々な土地を回って人々に希望を与えていった……。自分自信が徐々に虚無の感情に蝕まれていくのにも気付かずにね……。
その人間は、各地を回って膨大な虚無を自らで抱え込んでいった。それでもその人間は幸せだった。人々から感謝されていたからね」
「なんだ、やっぱり凄くいい奴だったんじゃないか」
「虚無の魔王の出発点は、元々善良な人間であった。だけど、ある時その国の王がその存在を嗅ぎつけ、人々を惑わす悪魔の使いだと言って捕え、裁判にかけた。
裁判と言っても、結果ありきの茶番なのは言うまでもなく、その人間はあっという間に処刑されることになったわ・・」
酷い話だ。結局時の王は、その人間が自らの権力を脅かす存在だと勝手に思い込んで、殺そうとしたってわけだ。
もしかしたら、その人は神様に成り得る存在であったのかもしれない。人間の強欲が聖人を恐怖の魔王に変えてしまったのだ。
「処刑の時、その人間は思った。自らのやってきたことは一体何であったのか? 数多くの人々を救ったあげく、罪人として処刑されるその人間に宿った感情は、怒りでも悲しみでもなく、底なしの虚しさだった。
長年自身に溜めこんだ途方もない程の量の虚無が、その人間の体から溢れ、ついに人ならざる者へと変化した……」
「それが虚無の魔王ね……」
「そう、そして虚無の魔王から溢れ出る虚無の瘴気が、瞬く間に国中を覆い、絶望した人々は次々に自ら命を絶っていった。そうしてその国は滅びたって話よ……」
淡々と話を続けるノエル。魔王の正体を知った僕は、その衝撃に言葉を失くしてしまう。
確かに魔王を倒す為には、魔王のことをよく知らねばならなかった。だが、魔王の正体が善良な人間だなんて知って、僕は果たして魔王と戦うことなんてできるのか。
下を向いて苦悶の表情を浮かべる僕を見て、ノエルは少し憐れむような顔をする。
「優しい吾妻には、少し残酷な話かもしれない。でも、あなたが本当に勇者であるのなら、この事実を受け止めなければならない」
ノエルはそう言って、その後の魔王がどうなったかを語り続けた。
その後、王宮から出た虚無の魔王は、恐いくらい静まり返った街を見て回った。
街角で遊んでいた幼子、威勢の良かった露店商、家族の帰りを待ちながら食事の支度をする母親、腰を掛けて日向ぼっこする老人、老若男女全てが消え去り、無残な亡骸となっていた。
まだ人間の心が残っていた虚無の魔王に押し寄せる更なる絶望、吐き気がするほどの邪悪な虚無が彼を呑み込んだ。
虚無の魔王は彼らの後を追い、自ら命を絶とうとしたが、既に人でなかったその者に死という永遠の安息は訪れなかった。
「虚無の魔王から溢れ出た瘴気は、徐々に広範囲に広がっていき、世界は恐怖に包まれた……。そこに静剣の勇者……つまり吾妻とマッドチェスター……摩利香のご先祖様の登場ってわけ」
ようやく魔王誕生の話が終わったところで、時計の針は既に19時を回っていた。
この後の話を聞くのもやぶさかではなかったが、お腹も空いたし、早く帰らないと母親に大目玉だ。
続きは明日にしようということで、カラオケボックスを出た僕らは、翌日また集まることにして帰宅することにした。
「じゃあな、霧島。また明日ここに十三時頃でいいかな?」
「ええ……いいわ」
霧島はスマホを持っていないので、予め約束を決めておかないと集まることができない。
さすがの勇者も、まだ霧島家の電話に直接連絡する勇気は持ち合わせていなかった。
僕は霧島と別れて家路に就こうとする。だけど、何か大事なことを忘れている気がするんだが。
今日はやけに右肩が重いなと思って右を向く。そこには当然のように嬉々とした金髪美少女エルフがいるじゃないか。
僕は恐る恐る彼女に問い掛ける。
「あの……ノエルさん。俺帰るんだけど、君は一体どこに帰るのかな?」
「そんなの、吾妻の家に決まってるじゃない。未来の花嫁なんだから、吾妻の父様と母様にも挨拶しなきゃね!」
僕の家に行く気満々のノエル。魔王の話の件ですっかり忘れていたが、今僕は魔王以上の厄介事を抱え込んでしまっていた。
ついこの間、霧島を彼女だって家族に紹介したばかりだというのに、いきなりこんな金髪の外国人を連れ込んだりしたら、大変なことになってしまう。
恐らく母親は、怒りを通り越して呆れ果て、妹の伊吹は霧島みたいに冷たい軽蔑の目を向けてくるに違いない。ていうか、一般家庭で初めて連れてきたどこぞの外国の女の子を、いきなり泊められるわけないだろ。
どう考えても手詰まりだった。身から出た錆、自業自得、何とでも言ってくれ。だけど僕にはもうどうにもできない。
そんな絶望的な状況を救ってくれたのは、意外にも霧島だった。
「ノエル、こっちの世界……兎角日本では、那木君くらいの年齢で結婚もしていない年頃の男女が一夜を共にするってことは、とてもふしだらなことよ……」
「ええ? そうなの!?」
「そう、しかもこんな時間にいきなり押しかけたりしたら、常識のない娘だと思われて第一印象は最悪、信用がた落ち、結婚前に嫁姑問題勃発なのよ……」
「そうか……でも、そうしたらどうしよう……」
さすが僕の彼女。ハシエンダの天才少女にド正論をぶつけ、見事に屈服させてくれたようだ。
しかしながら、ノエルはクソ真面目に僕の家に来るつもりだったらしく、行先を失くしてしょんぼりとしてしまう。
「私の家に来るといいわ。今は両親、仕事で海外に行っていて私一人だけだから……」
「ありがとう、摩利香! なんだかんだ言って、やっぱり摩利香は優しいね!」
何という僥倖だろう。霧島の提案に、僕は胸を撫で下ろす思いだった。
ノエルが僕に対して露骨にべたべたするのを見て面白くないはずなのに、理性的でできた彼女じゃないか。
間抜け面で霧島とノエルの様子を見守る僕を見て、霧島が言う。
「それと、明日は私の家でいいかしら。どうせ誰もいないし、調度いい……」
「ああ、そうか……そうだよな!」
ということで、明日十三時に霧島の家の最寄り駅で待ち合わせをすることになった。
まさか、こんなタイミングで霧島の家に行くことになるなんてね。女の子の家なんて、僕は毘奈んち以外行ったことがなかった。
誰もいないとは言え、僕は彼女の家への初めての訪問に期待を膨らませざるを得ない。
ひょっとしたら、キスすらしたことのない僕らの関係についに進展が……なんて、ノエルがいるわけだから、あるわきゃないだろ。
ノエルと一緒に駅の方へ歩き出した霧島は、アホ面でそんな馬鹿みたいなことを考えている僕の方を振返って優しく微笑した。
理性的でできた彼女に対して僕が微笑みを返すと、最後に彼女は言ったんだ。
「悪いことしちゃったかしら? こんな可愛いノエルと一夜を共にできなくてフ〇ッキン残念だったでしょ?」
夜の帳へと消えていく二人の少女の背中を、僕は顔を引きつらせながら静かに見守っていた。
それにしても、ノエルの人間離れした美しさもそうだが、相変わらず夜の霧島の美しさには背筋をゾクッとさせられる。
だがこの時、僕の背中に悪寒が走ったのは、恐らくだけど別のことが原因に違いなかった。
全くもって、僕には勿体ないくらい理性的で慈悲深い、フ〇ッキン素晴らしい彼女じゃないか……霧島 摩利香様は。
お読み頂きありがとうございます。
次回はまた来週です。