第三十八話 霧島 摩利香が来る
最早、異世界ファンタジーって何だったんだろう・・・。
みたいな気もしないでもないですが、この作品は、何度も言いますが、れっきとした剣と魔法の異世界ファンタジーです。
次の日、僕は母親の狂気じみた提案を、霧島へ伝えなければならなかった。
まあ待て、さすがの霧島でも、こんなタイミングで両親に紹介するなんて言ったら、きっと臆するに違いない。
つまりは、こんなろくでもない一大イベントを、上手くぶち壊すいい算段を一緒に考えてくれるんじゃないかなんて、僕は淡い期待を抱いていた。
昨日と全く同じシチェーション、部活の帰り道、僕らはとぼとぼと暑い舗装道を歩いていた。
「そう言えば霧島、今度の日曜日って空いてる?」
「……空いているけど、何かしら?」
「いや、その……うちの母親がうちに遊びに来いとか行ってるんだけど、まあ、さすがにまだ……」
僕は霧島が断りやすいようにと、やんわりと来ない方向に誘導しようとしたわけなんだけど、徐に立ち止まった霧島は、何やら拳を固く握りしめ、覚悟を決めたような顔で僕を見て言った。
「ええ……わかったわ!」
「そうだよな、そんなこと急に言われてもって……ええ!? 来るの!?」
「何を言っているの? あなたが来いと言ったんでしょ?」
霧島は驚く僕を見て眉をひそめた。一体どうなっているんだ。いつもクールな霧島が、滅茶苦茶やる気を出しているじゃないか。
僕はその帰り道、いつになく何かをたぎらせている霧島の後ろ姿を、頭をクラクラさせながら見つめていた。これはきっと暑さのせいじゃないよな。
★
こうして、不安がいっぱいのクソ素晴らしい日曜日が、僕の期待も叶わず、何のトラブルもなく訪れてしまった。
僕は霧島をいつもの駅まで迎えに行ったんだけど、正直憂鬱を通り越して半分放心していたんだと思う。
約束の時間となり、改札口から次々に人々が出てくる。霧島はと言えば、まあ探しやすい。このクソ暑いのに黒いパーカーを着こんで、メッセンジャーバッグをぶら下げた女子なんてそうそういるもんじゃない。
しかし、改札を出てくる人々はあまり多くなかったにも関わらず、僕は霧島を見つけることができなかった。
本当の話、霧島が今日の約束をすっぽかしたか、忘れてくれたという僥倖が起きてくれたのかと思った。それはそれで問題なんだけど。
そうして、僕がアホみたいな顔で右往左往していると、いつものあのクールで神秘的な声が聞こえた。
「那木君……こっちよ」
「え? ああ、霧島……!?」
何の覚悟もなく、ほんの軽い気持ちで振向いた僕は、霧島のいつもと違う姿に我が目を疑い、言葉を詰まらせてしまった。
霧島はいつものラフな格好ではなく、レトロなアイボリーのワンピースにパンプス、クラシックで女性らしいハンドバッグを下げていた。
正直ファッションに疎い僕から見ても、これは気合入り過ぎ。というか、そのいで立ちは最早皇族みたいな気品すら感じさせた。そう言えば、霧島って元はお姫様だったんだよな。
僕があんまり驚いているもんだから、霧島は自身の今日の出で立ちをつぶさに見つめ、表情を曇らせた。
「今日の格好、変……かしら?」
「いやいやいやいやいや! 凄い可愛い……ていうか綺麗っていうか、なんかこう……お姫様みたいだ!」
僕は明らかに動揺丸出しで、両手を振りながら思ったことをそのまま口に出してしまう。
今考えても、よくこんな歯が浮くようなことを、公衆の面前で言えたものだ。自分を誇らしく思うよ。
それを聞いた霧島は、その雪のような白い頬を薄紅色に赤らめ、気恥ずかしそうに微笑した。そりゃもう、殺人的な可愛らしさだったよ。
夢でも見てるんじゃないかと思いながら、僕は霧島を連れてモンスターたちの住まう我が家に向かった。
霧島が漂わせるあまりの気品と美しさに、僕は緊張していつも以上に彼女を凝視することができなかった。
自分の気を紛らわせるようにと、霧島が手に持った紙袋について触れた。
「その袋、ひょっとしておみやげか何か?」
「ええ、ご両親に挨拶に伺うのだから、手土産の一つや二つ当り前ではないのかしら?」
「そ……そんな、挨拶なんて大袈裟な……」
やはり今日の霧島は、果たして彼女なのかと疑ってしまうくらい、滅茶苦茶気合が入ってるぞ。
しかしながら、単に男子高校生が、自分の彼女を家に連れて行くだけだっていうのに、これではまるで結婚前の挨拶じゃないか。
そりゃ、霧島は僕と「家族になりたい」なんて言ってたけど、今日の彼女は逆にうちの両親も心配しちゃうんじゃないかってくらい、神懸っていた。
抱いていた不安は払拭されるどころか、真冬の豪雪地帯みたいに積もりに積もった状態で、僕と霧島は家に着いた。
僕は先に玄関をくぐり、霧島がその後に続く。僕が帰ったのに気付いて、母親がリビングから出てくる。
そしていよいよ、うちの親と霧島のファーストコンタクト。色々起こり過ぎてて、ちょっとやそっとのことでは、僕はもう驚かないぞ。
「お邪魔致します。霧島 摩利香と申します。今日はお招き頂き、ありがとうございます。つまならない物ですが、どうぞお召し上がり下さい」
「あらあら、ご丁寧にどうも。吾妻の母です。いつも息子がお世話になっております」
開口一番、霧島の完璧な挨拶に母親は満面の笑みであった。掴みはOKというところか。何がOKなのかはわからないけど。
更に、霧島が持ってきた手みやげが、今巷のマダムに人気の高級菓子だったようで、母親のテンションはうなぎ上りだ。
うきうきの母親は、霧島を我が家のリビングに通すと、早速霧島の買ってきたお菓子と、普段は滅多に入れない紅茶を持ってくる。見たこともないティーセットだった。まさか今日の為にわざわざ買って来たんじゃないだろうな?
僕のそんな不安をよそに、霧島は紅茶を一口飲んで言った。
「おば様、とてもいい香りでおいしいですわ。良い茶葉をお使いですね」
「そうなのよ、わかってくれて嬉しいわ。うちの人たちなんて茶葉の違いなんて何にもわからないんだから」
僕らにだって今飲んでるお茶が、普段飲んでいるお徳用パックの麦茶とは違うことくらいわかっている。
それにしても、何にも知らない奴から見れば、学園最凶の霧島 摩利香が、どこぞのお金持ちの令嬢か何かに見えてしまうに違いない。
この平凡な一般家庭に現れたミステリアスで上品な美少女に対して、父親は唖然、連れて来た僕も唖然、熱心な毘奈信徒の伊吹は、異教の神の降臨に複雑な表情を隠せない。
母親だけは終始上機嫌で、美しい霧島の姿を笑顔で撫でまわすように伺っていた。
「ところで、どうやって二人は付き合い始めたの?」
母親の唐突な問い掛けに、僕は思わず口に含んでいたお茶を噴き出す。
慌てて布巾でズボンを拭く僕を気遣いながらも、霧島は臆することなく答える。
「こっち(の世界)へ来て、友人のいない私に那木君は凄く親切にしてくれました。危ない目に合おうとした時も、いつも助けてくれて。強くて優しい那木君に惹かれて、私が思いを告げたんです……」
だいぶ抽象化されているが、霧島の言っていることは大体合っていた。いや、しかし家族の前でここまで褒めちぎられると、恥ずかしいなんてもんじゃない。正直穴があったら入りたい気分だ。
このまっすぐな霧島の発言に、うちのおめでたい母親は涙でも流さんばかりに感動し、得てして口をあんぐり開ける父親と伊吹。無理もない反応だ。
そして、今まで僕に抱いていたイメージとのギャップに、伊吹が悪態を吐く。
「わからない、どうしてお兄ちゃんにこんな神懸かり的な美少女が……。うちのお兄ちゃんに何か騙されてませんか?」
「お……お前な……」
まあ、自分の妹ながら失礼極まりない言葉だったわけだけど、普通に考えたら皆そう思うな……と僕は妙に納得してしまった。
そんなけしからん発言に、霧島は紅茶を一口飲み、伊吹に対して柔らかく微笑した。
「そんなことないわ。伊吹さんのお兄さんは、誰よりも勇敢で優しい私の勇者よ。それに、那木君に人を騙せるわけなんてないでしょ?」
「それはそうだけど……勇者?」
勇者って言葉は少し大袈裟に聞こえたかもしれないけど、一応事実なわけで、皆霧島が思春期のちょっと夢見る少女くらいにしか思っちゃいないことだろう。
勿論、僕の愛すべき家族にとっては、インチキ臭いオカルト本ほども信憑性がないわけで、僕は恥ずかしさやらもどかしさやらで、変な汗が出まくりだった。
妹はようやく腹落ちした様子で、僕の顔を見て関心したように言った。
「……お兄ちゃん、奇跡って本当にあるんだね」
「うるさい……」
そんな感じで、僕の家族の未知との遭遇は、終始和やかなまま終焉を迎えた。
驚くべきはやっぱり霧島で、二重人格かと疑うほど育ちの良いミステリアスなお嬢様キャラを演じ切ったってわけ。
街が夕暮れ色に染まろうとする頃、僕は霧島を駅へと送っていた。
それにしても、今日は気疲れの連続だった。僕でさえこうなんだから、当の霧島は相当疲れたに違いない。
僕は隣を歩く無言の霧島を、気遣うように声を掛けた。
「今日はありがとうな、霧島。だいぶ疲れたんじゃないか?」
「ええ、少し疲れたわ。でも、あなたの家族に会うことができて良かった……」
霧島は少ししんみりとした様子で空を仰ぎ、僕はそんな彼女を伺う。
「遠い昔、私にも本当の父様と母様がいたわ。やはり本物っていいものね……」
「霧島……」
「こっちの世界にも一応父様と母様がいて、とても良くしてくれるわ。でも、どんなに優しくて模範的な人たちであっても、やっぱり本物ではないの」
夕焼けの空を仰いで儚げに微笑を浮かべる彼女を、ただ僕は静観することしかできなかった。こんなとき、僕は彼女に対してどんな言葉を掛けてやればいいのだろうか。
答えはきっと、このあいだの彼女の告白の中にあった。それは単なる付合うとか付合わないとか、そんなものの枠組みを超えた一人の少女の儚い願いだった。
そこまでわかっていながら、結局この時も僕は何も言うことができなかった。霧島はこんな情けない僕の手を取り、燃えるような夕暮れをバックにはにかみながら言った。
「だから……私は本物が欲しい」
僕は霧島 摩利香って人間に対して、大いなる勘違いをしていたのかもしれない。
出会ったばかりの時の冷淡で不愛想なイメージが先行していたが、本当はむしろそっちの顔が仮面であったのかもしれない。
今こうして彼女が色々な顔を見せてくれるってことは、僕に心を開いてくれているってことなわけで、それは凄く嬉しかった。
何の変哲もない街の路地で、僕らはデタラメなくらい美しい夕暮れの光に包まれ、ただこの幸福な時に浸っていた。
ありがとうございます。
次回もまたこのくらいのスパンで投稿予定です。