第三十一話 モーニンググローリー
第三章もいよいよクライマックスです。
森へと続く一本道。その行く手には、僕にとって忘れることのない宿敵が待ち構えていた。
少し時代錯誤なツィードの三つ揃いとハットを被ったデーモン・アドバート、この前の現代風の出で立ちから、中世の剣士の軽鎧に身を包んだ悪童アレックス。この暗がりでも決して見紛うことはない。
僕のただならぬ様子に、不測の事態だということを悟ったリチャード・オーウェンが言った。
「吾妻、奴らを知っているのか? あの二人、見るからに只者じゃない」
「ええ、非常にまずいです。二人ともとんでもない強さです。恐らく僕の身を狙っているんでしょう」
どうする。ジャスティーンが戦えない今、僕とリチャード・オーウェンであの二人を倒すなんて無理だ。まさかジャスティーンを置いて逃げるなんてできるわけない。
ただ、チャンスであることも事実だ。この世界で霧島の行方を知っているだろう人物は、こいつらしかいないわけだし。
僕の迷いと焦燥を感じとったのか、デーモン・アドバートがあの鼻につく微笑を浮かべて言った。
「何で今この時とお思いじゃないですか? この半年間、あなたを捕えるチャンスはいくらでもあったはずですからね」
「泳がせていたとでもいうのか?」
「少し違いますね、あなたは愚かにも再びこの世界に来てしまった。あなたの世界の言葉で言うとあれです。“飛んで火にいる夏の虫”って奴ですか? だがあなたは一つだけ幸運を手にしていた……」
そう言うと、デーモン・アドバートは持っていたステッキで馬車の方を指した。中には眠ったままのジャスティーンとプライムがいる。
「まさに“世界最強の眠り姫”とでも言いましょうか? あなたは運良く、あの剣神の住む森へと転移したってわけです。私にとってあの方は天敵ですから」
「だから今まで……」
「そうです、あの方の力が弱まるのを待っていたってわけです。王女殿下とあなたを捕える為、大昔の戦神まで呼び出してね。私の演出、楽しんで頂けましたかな?」
「お……お前がヴァン・ヘイレスを!? それに王女って、霧島のことか!?」
そうだ。何から何まででき過ぎていた。このタイミングでジャスティーンの宿敵が復活したのはこいつのせいだったんだ。
こいつさえいなければ戦も起こらず、ラーズの人たちだってあんなに死なずに済んだ。ジャスティーンだって今みたいに傷つかなかったはずだ。
デーモン・アドバートらしいやり口だった。僕の内に沸々と怒りが込み上げてくる。
「霧島はどこにいる!? 生きているのか!?」
「何と、まだお気付きではないようですね。王女殿下ならもうこちらにいらしておりますよ」
せせら笑いながらデーモン・アドバートが横を向くと、あの常闇の獣が、鋭い目つきで奴のことを睨みつけて唸っていた。
また僕のことを助けに来てくれたのだと思ったが、僕にはデーモン・アドバートの言っていることが理解できなかった。
「どういうことだ!? 霧島は……」
「まあわからないのも無理はないでしょう。姿形を醜く変え、理性まで失った彼女が、ただ本能のままにあなたを守っていたなんて。実に健気で美しいお話しじゃないですか」
「……? ってことは……常闇の獣が……霧……島?」
「ご名答、あれが禁忌を犯した魔導士の成れの果て。もはや彼女はマデリカ王女殿下でも霧島 摩利香でもない。彼女の魂を持っただけの魔獣だ。私という狩人から狩られるだけのね」
ああ、何てことだ。僕は既に半年も前に霧島と再会していた。初めて常闇の獣に会った時のあの不思議な感じはこういうことだったんだ。
よく見ればそうだったじゃないか。あの深く青い瞳も艶やかな毛並みも、鋭い牙や爪でさえ、闇夜に美しく瞬いていた。そう、僕がいつか言葉を失うほど魅了されてしまった彼女のように。
あの本のせいなのかわからないが、僕と霧島の心がどこかで通じ合っていたのかもしれない。とても喜んでなんかいられない状況であったが、僕は少し希望を感じた。
ようやく常闇の獣の正体に気が付いた僕を、デーモン・アドバートの不快な哄笑が呑み込んだ。
「いやはや、獣となった王女殿下が、この森に逃げ込んでしまったことには手を焼かされました。神域への入口となるこの森の中心部には、私たちは踏み入ることができませんから。
挙句に“世界最強の眠り姫”のお目覚めです。とりあえず、目障りな剣神さんをまた眠らせようと、打った手は大当たりでした。予定通りあの方は力を使い果たし、何しろ勇者殿まで一緒に引っ掛かったのですから。これでもう一網打尽てわけですよ!」
全てはこいつの掌の上ってことだった。僕は苦虫を噛み潰したような顔で奴を睨みつけていた。
いずれにしても、ここはもう戦うしかない。僕は必死に活路を見出そうと考えを巡らす。そんな満身創痍の僕に一つある妙案が思いついた。
「おいアレックスとか言ったよな? まさかこないだ僕を倒したからって、静剣の勇者に勝ったとでも思ってるんじゃないだろうな?」
「ああん? 間違いなく俺が勝ったじゃねーか!」
「おめでたい奴だ。今戦えば、間違いなく君を完膚なきまでに叩きのめせるっていうのにな!」
「何だと!?」
僕の見え透いた挑発にアレックスは見事に引っかかった。こう言えば、単純なアレックスは憤慨して乗ってくるに違いないと思ったんだ。
「どうやらまたこの俺に泣かされたいみたいだな。おい、静剣の勇者は俺がやる! 手出すんじゃねーぞ!」
「やれやれです・・・」
僕と一騎打ちをやる気満々のアレックスに、デーモン・アドバートは呆れて掌を返した。
アレックスの強さも計り知れないが、デーモン・アドバートが手を出さないのであれば、まだ希望はある。
僕はこのアレックスとデーモン・アドバートの各個撃破という戦法に賭けるしかなかった。
「霧島、気付いてあげられなくてごめん、でも僕は絶対に君を救ってみせる。その為にこの世界へ来たんだから。そこで見ていて」
常闇の獣をチラッと見て、僕は彼女へ微笑した。わかってくれたのか、彼女はそれ以上動かなかった。
状況を今一呑み込めないリチャード・オーウェンが、心配そうに僕の肩へと手を置く。
「おい吾妻、大丈夫なのか? それに静剣の勇者って……一体君は何者なんだ?」
「言ったでしょ、僕は剣神ジャスティーンの弟子、那木 吾妻です。さがっていて下さい、これは僕が絶対に乗り越えなきゃいけない試練なんです」
そう言って僕は、鞘からゆっくりとヘヴンリーブルーを抜いた。微かな朝焼けの光に、淡く青い刀身が美しく光った。
待ってましたと、アレックスも自分の片手剣を抜いて剣先を僕に向けた。少年のように無邪気で強大な殺意が僕にのしかかる。
「へー、大そうな剣じゃねーか。あの弱っちかったお前が、たった半年で本気で俺に勝てるとでも思ってるのか?」
「ああ、悪いけど君にはもう負けない」
かつてぼこぼこにやられたアレックスを前にして、僕は不思議と落ち着いていた。
アレックスの剣の腕がどれほどなのかわからないし、スロウダイヴだって効かない。それでも僕は、僅かながらその恐怖を乗り越えることのできるものを持っていた。
それはジャスティーンとの地獄のような特訓然り、リチャード・オーウェンとの決闘然り、ラーズ平原での初陣、闘神ヴァン・ヘイレスとの激戦、全てが僕の体に血肉となって宿っているようだった。
「ふざけるな!!」
アレックスは怒りながら剣を振りかざして突進してくる。単なる勢いに任せた直線的な攻撃ってわけじゃない。素早く隙のない見事な突きで、それは達人の域と呼べるものだった。
ずっと考えていた。アレックスには何故スロウダイブが通用しなかったのかと。それはジャスティーンみたいに単純にスピードが早いってだけの問題じゃない気がした。
前にアレックスと戦った時のあの不思議な感覚。種はわからないが、スロウダイヴの中で奴だけ僕と同じように普通に動けるような、そんな能力だ。
それがわからない以上、安易にスロウダイヴは使えない。だが今の僕はスロウダイヴだけじゃない。
「な……なに!?」
僕はアレックス渾身の突きをヘヴンリーブルーで突き返した。確かに彼の剣の腕は見事だ。間違いなくリチャード・オーウェンよりは強いだろう。
だがその剣には、ジャスティーンほどの速さも鋭さもなければ、ヴァン・ヘイレスみたいな規格外のパワーもない。どんなに非凡であれ普通の剣なのだ。
多少動揺したアレックスだったが、尚も休むことなく激しい斬撃を繰り返した。アレックスの剣が周囲の空気を切裂いていく。
とにかく何とか剣をかわすことは可能だ。だけど、アレックスの能力がはっきりしない以上迂闊に攻撃するのは危険、僕は激しい剣を受け流しながら勝機を待った。
だが、いつまで経ってもアレックスは自身の持つ能力らしきものを見せてこない。何か使えない事情でもあるのだろうか。
とりあえず、僕は単純なアレックスに鎌をかけてみることにした。
「やい! 泣き虫勇者! いつまでそうやって逃げてるつもりだ!」
「アレックス、君はもう僕には勝てない。君の能力ももうバレバレなんだよ」
「お……お前、だからあのスロウダイヴって奴を使わないんだな! なんでわかった!? 俺が相手の能力をコピーできるっていうことに!?」
本気で動揺するアレックス。何という僥倖、アレックスが馬鹿で本当に助かった。
遠くでデーモン・アドバートが額に手を当て顔を振っていた。動揺するアレックスへデーモン・アドバートが呆れて声を掛ける。
「勇者殿はあなたの力に気付いてなんかいません。見え透いた手にまんまと乗せられたんですよ!」
「な……何だと!? 泣き虫勇者、俺を嵌めやがったな!」
ああ、気持ちいいくらい、完膚なきまでに見事に嵌ってくれた。彼は腕っぷしよりも、頭をもうちょっと鍛えた方がいいかもね。
これでアレックスの能力がわかった。彼は相手の能力をコピーすることができる。しかも彼の口ぶりから察するに、その能力は相手が能力を使ったときにしか発動できないらしい。
なんだ、種を知ってしまえば何てことはない。要は相手とフェアってことじゃないか。これなら勝機はある。
僕は剣に意識を集中させ、そのまま時間の奥深くへと潜った。アレックスも嘲笑しながらそれに続いた。
「馬鹿かお前! そんなことしても無駄だってわかんねーのかよ!」
無駄じゃない、何故ならあの光の道筋は、スロウダイヴしているときの方がより鮮明に映し出されるからだ。
時間の奥深くで僕はアレックスと何度も剣を交わした。一進一退の攻防が続く。
前より体力が上がったとはいえ、やはりスロウダイヴして全力で戦えば徐々に意識が薄れていく。
僕が消耗していることに気付いたのか、アレックスの鋭い突きが僕の右肩をえぐった。傷は深くなかったものの、気が遠くなるような痛みだ。僕は堪らず距離を取る。
「どうしたどうした? もう終わりか? さっきの威勢はどうしたんだよ」
「……まだだ! 頼むジャスティーン、僕にあなたの力を貸してくれ!」
薄れゆく意識の中で、蜃気楼のようにあの眩い光の道が現れる。相手へ向かって幾重にも伸びた光の道標は、僕に何通りもの勝筋を暗示させていた。
そしてその光はジャスティーンの姿を映しだし、彼女は僕に向かっていつものように微笑を投げかけた。
“全く、世話の焼ける弟子だ。私の弟子であるならば、このような敵など容易く討ち果たしてみせよ”
そうジャスティーンの声が頭の中で響いた気がした。僕の前に映ったジャスティーンは剣を抜き、光の道筋の一つへと消えた。
“さあ、私について参れ!”
僕はヘヴンリーブルーを手に、ジャスティーンの消えた道筋を辿る。
そうか、これはジャスティーンの剣だ。彼女の優美で力強く、そして夜明けに咲いたアサガオのように希望に満ちた剣。
信じられないことに、僕の体はジャスティーンの後を追ってどんどん早くなっていた。体が引き千切れそうになるのを必死に堪えた。
「う……嘘だろ!? こいつにこんな力が!?」
僕の速さに狼狽えたアレックスを、四方八方から鋭い斬撃が襲う。もはやアレックスに為す術はなかった。
初めて使う筈なのに、自然と体に染みついた動きみたいだった。まるでジャスティーンと一緒に踊っているような、そんな感覚だ。
ジャスティーンの物語、『アサガオの伝説』の中で彼女のその連撃剣舞は栄光の象徴だった。その舞は、幾重にも絡まりながら咲き誇るアサガオに例えられ、いつしかこう呼ばれていた。
――夜明けの誉れ、『モーニンググローリー』と。
僕の剣舞は何十という斬撃の末に終わりを迎え、僕の前に光に包まれたジャスティーンが立っていた。
“大儀であった……”
ジャスティーンの幻影は微笑しながら眩い光の中へと消えていく。力を使い果たした僕はスローダイヴから急浮上、地面に膝をついていた。
目の前には不敵に笑うアレックスが、まるで何事もなかったように立っていた。
「何だよ……もう終わりか……よ……ぐっ!!」
足を一歩前に出した途端、アレックスの着ていた甲冑は砕け、体全身、至る所から鮮血が噴き出す。
彼は言葉にならない声を発しながら、のけ反るように仰向けに倒れ込んだ。
辛勝もいいところだった。本当は半年間の修行なんかで、あのアレックスに勝てるはずがなかったんだ。全ては師であるジャスティーンのお陰だ。
闇夜に包まれていた森が徐々に姿を現し、木々の上を黎明の光が染めあげる。大地は今まさに来るべき夜明けを迎えようとしていた。
僕はジャスティーンから託された聖剣ヘヴンリーブルーを手に取り、再び立ち上がった。
お読み頂きありがとうございます。
次回で第三章~アサガオの伝説~が完結です。
最後まで宜しくお願いします。