第三十話 英雄の帰還
第三十話です。
戦争終結。物語は新たな展開へ。
“マニ、君は一人で戦況を左右できるほどの力を持ってるが、それに頼り過ぎてはダメだ”
ジャスティーンの頭には、彼女が人であった時代によく言われた言葉が心地よくリフレインされていた。
新たな剣を手にした彼女は、踏み荒らされた草を真っ赤な血で染めながら、ゆっくりと突き進んで行く。
“戦っていうのは、始まる前にその大部分は決している。君ももう少し大人になったら、事前の準備の重要性に気付いてくれると思うんだけどね”
お説教にもとられかねないグレアムの言葉は、若き日には感じられなかった不思議な温もりに満ちていた。
慎重で理論派のグレアムと諸突猛進で直情型のジャスティーンは、真反対であったからこそ互いが互いを必要とし、惹かれ合った。
戦場を駆け抜けた若き日への哀愁の念が、ジャスティーンの胸に込み上げていた。
「そなたがいれば、もっと楽に勝てたやもしれぬな。だが私にはこういう戦い方しかできぬのだ……」
よろよろとこちらへ向かってくるジャスティーンに、僕とヴァン・ヘイレスは気付いた。
傷ついたジャスティーンの姿に僕は必死に「来るな!」と叫び、ヴァン・ヘイレスはせせら笑うようにそれを見て言った。
「死にぞこないが。止めをさされにのこのこやってくるとは」
ヴァン・ヘイレスの周囲をうねうねと生き物のように覆っていた黒い影が、風前の灯のようなジャスティーンへ一斉に襲い掛かった。
その黒い影に腕を取られていた僕は、ただそれを見ていることしかできなかった。
「ジャ……ジャスティーン!!」
「ふははは……。スワスティカの小娘の最後、哀れなものよ」
黒く大きな闇にジャスティーンの体は抗うこともなく呑み込まれた。戦場にいた誰もがそれを見ていた。
世界の落日――ハシエンダは英雄を失い、大いなる闇が世界を覆いつくそうとしていた。
――ハシエンダを暗雲が包みし時、神々の力授かりし聖女現れ、世界に暁を齎さん。
ハシエンダに生まれた者であれば誰でも知っているお伽話、僕はその伝説の目撃者になる。
そう、『アサガオの伝説』の……。
闇を吹き飛ばす爆音と一筋の風のように疾走する紅き閃光、ヴァン・ヘイレスから放たれた黒い影を切裂いたジャスティーンは、僕と常闇の獣に絡みつく影も一瞬で粉砕する。
僕は胸を撫で下ろしたかのように地面に腰を落とし、ヴァン・ヘイレスの嘲笑が驚きに強張った。
「ば……馬鹿な!?」
「ジャスティーン! 大丈夫なの?」
深紅の鎧に気高く凛とした表情、美しいグレーの髪が風に揺れ、燃えるような赤い瞳が僕に微笑みかけていた。
それを見た僕が微笑み返そうとすると、唐突に彼女のげんこつが僕の頭の上へ落とされる。
「痛たた……何すんですか?」
「さっさと逃げればいいものを……未熟なのに無茶をする。一体誰に似たのだかな……」
頭を両手で押さえる僕に、ジャスティーンは再び柔らかく微笑した。
僕らがそんなやりとりをしている横で、自由になった常闇の獣がヴァン・ヘイレスを警戒して唸り声を上げている。
「呆れたものだ。こんなところまで追いかけてくるとはな。余程吾妻のことが気掛かりであったのだろう。そなたも隅に置けぬな」
「今はそんなこと言ってる場合じゃ……」
ジャスティーンはそのままゆっくりとヴァン・ヘイレスの元へと歩み進んで行った。
驚きと怒りに顔を歪ませたヴァン・ヘイレスが、再び強大な黒い影と共にジャスティーンへと襲い掛かってくる。
彼女は振向き、呆然とする僕にこう言い残した。
「吾妻よ、見ておくが良い」
ジャスティーンは僕の視線から忽然と消え去った。僕はスロウダイヴして消えた彼女の行方を追う。
僕が見た彼女はやはり美しく風に舞っていた。その煌々として優美な剣舞は、青い空、緑の草原を浸食してくる無数の影を次々に切裂いていく。
それはあまりにも静謐でいて力強く、そしてどこまでも儚げな剣であった。
巨大な闇に臆することなく突き進む一筋の赤い閃光、その光は瞬く間にヴァン・ヘイレスの喉元へと迫る。
焦燥するヴァン・ヘイレスの巨大な斧がジャスティーンへと振り下ろされる。彼女はその場からフッと消えるようにヴァン・ヘイレスの背後をとって背中を切りつけた。
ヴァン・ヘイレスの顔が大きく歪んだ。ジャスティーンは更にスピードを上げていく。スロウダイヴしていても、瞬きすらできやしない。
ジャスティーンは風を纏うように颯爽と舞い、鋭い斬撃が四方八方からヴァン・ヘイレスの巨体を切裂いた。
「ま……まさか同じ相手に二度も……。スワスティカの小娘よ、見事であった……」
疾風のようなジャスティーンの剣舞は終焉を迎え、彼女とヴァン・ヘイレスは向かい合った。
ヴァン・ヘイレスは最後に満足気な表情でジャスティーンを讃える。奴の漆黒の甲冑は砕け、全身から鮮血が噴き出した。息を切らせたジャスティーンは再びゆっくりと剣を構える。
「悠久の昔、私の宿敵であった者よ。安らかに眠るが良い」
ジャスティーンのその言葉と共に、ヴァン・ヘイレスの首が空を舞った。そしてその巨体は大きな音をたてて地面へと崩れ落ちたのだ。
闘神ヴァン・ヘイレスの最後を見届けたジャスティーンも、安心したかのようにその場に倒れる。
その見事な戦いぶりに見惚れていた僕も、ふと我に返って倒れたジャスティーンの元へと急いだ。
「ジャスティーン! しっかりして下さい!」
「……敵将を打ち取った。戦は終わりだ、もう私は動けぬ……吾妻よ、勝鬨を上げさせよ……」
精魂尽き果てた様子のジャスティーンを抱きかかえると、彼女は霞むような声で言った。
勝鬨って言われても、正直何をすればいいのかわからない。でも彼女の願いだ。僕は時代劇か何か見たものを、見よう見真似て声高に叫んだ。
「剣神ジャスティーンが……敵将、闘神ヴァン・ヘイレスを打ち取ったぞ!!!!」
僕のその大きな声に呼応するように、戦場の真ん中から外へ向かってラーズ軍の勝鬨が波のように広がっていく。
まだ敵軍と交戦していたラーズ兵たちは、自軍の勝利に沸き立ち、主を失った黄泉の兵たちは煙のように次々と消えていった。
「「「「「オオォォォ―――――!!!!」」」」」
「敵兵が消えていくぞ!?」
「勝ったぞ! ラーズの勝利だ!」
鳴りやむことのない鬨の声に僕の胸は熱くなった。僕の手の中で戦いに疲れきったジャスティーンが、どこまでも高く澄み切った青い空を仰いでいた。
彼女のその顔には、自らの役割を全て果たしたかのように、淀みのない微笑が浮かんでいた。
「良い鬨の声ではないか……吾妻よ、こんなものが聞けるのだ。合戦もそんなに悪いものではなかろう……?」
「もうお腹いっぱいです。合戦は当分ご遠慮願いたいですね。それに傷ついたあなたを見るのも僕は嫌です」
「ふふ……そなたらしいな、あやつも同じようなことを言っておったは……」
「……はい?」
ジャスティーンの含みのある言葉に、僕は彼女へ誰のことか聞き返すが、取り乱したプライムと歓喜するリチャード・オーウェンの声に遮られた。
「ジャスティーン様! ご無事でございますか!?」
「よくぞあんな化物を、さすが剣神ジャスティーンだ!」
弱々しく囁くジャスティーンの声は風と鬨の声に埋もれ、その先を聞くことは叶わなかった。
気が付くと、彼女は瞳を閉じて深い眠りに落ちていた。それは鬼神のような強さの彼女からは想像もつかないほど、安らかで無垢な少女のような寝顔だった。
ふと周りを見れば、僕らの周囲に生き残ったラーズ兵たちが集まってきていた。
戦いなんてほとんど見えていなかったはずだが、ジャスティーンが化物みたいな敵将を倒したというのは皆理解しているようだった。
そこには戦前の女を見る嘲笑に満ちた好奇の目はなく、勇敢な戦士に対する畏敬の念が向けられていたと思うんだ。
「彼女があの敵将を討ったのか?」
「ラーズの救世主、まるで暁の騎士だな」
「彼女こそ本物の英雄だ」
「ああ、アサガオの伝説みたいだな」
悠久の時を経て、ジャスティーンはラーズへと帰ってきた。
たとえ誰も知る者などいないとしても、生まれ故郷を救う為、彼女はまた帰ってきたのだ。
ハシエンダに住む者であれば誰もが知る一人の女性の物語――『アサガオの伝説』
戦士たちの亡骸が横たわる戦場の真ん中で、古の英雄はかつて愛した人々の元へと今静かに帰還を果たした。
絵に描いたように澄み切った蒼穹の空の下、広大な草原に吹くそよ風が、草木を穏やかに揺らしていた。
★
闘神ヴァン・ヘイレスとの戦いに勝利したラーズ軍は、帰国の途にあった。
深い眠りに落ちたジャスティーンは荷馬車に乗せられ、僕とプライムはそれに同乗する。
気が付いたら、常闇の獣は姿を消していた。お礼くらい言わせて欲しかったものだ。
いつも口うるさくて高慢ちきなプライムは、目覚めないジャスティーンに付きっきりで憔悴しきった様子だった。
「おお、ジャスティーン様……お労しい」
初陣で疲れきっていた僕も、いつの間にか眠りに落ちていた。
こういうときって、大概見たこともないよくわからない夢を見たりするものなんだけど、今回もその例外じゃなかった。
この時見たのは幼い少女と少年の話だ。でも少女の方はジャスティーンの小さな頃なんだと思う。
夕暮れ色に染まった麦畑の中を、少女と少年の乗った二頭の馬がゆっくりと進んでいた。よくわからないけど、僕の目にはその光景が物凄く平和で幸せそうに見えた。
やがてまどろむ僕を、溢れんばかりの喝采の声が目覚めさせる。僕らはラーズへと凱旋したんだ。
兵士たちは歓喜の声に迎えられ、生還した者は家族の元へと帰って行った。
それでも今回の戦いでの戦死者は千人にも及んだ。喜びに沸く人々の横で家族の死を知った人々が悲しみに沈んでいた。
どんな戦争も全て悪だなんて奇麗事だと思うけど、こんな光景を見ればさすがにやりきれなかった。
敵将を見事討ち果たしたジャスティーンは、暁の騎士の再来として国賓待遇で迎えられた。しかし、これだけの喝采を浴びてもついにジャスティーンは目覚めなかった。
宮殿へと運ばれたジャスティーンを、ラーズきっての名医が治療にあたったが、それでも彼女を目覚めさせることはできない。
何でも、この負傷具合では生きているのが不思議なくらいで、いつ息を引き取ってもおかしくないということらしい。
この世界で僕は、いい加減霧島を探さなくてはならなかったわけだけど、こんな状態のジャスティーンを放っておくわけにはいかなかった。
ジャスティーンの連れとして、宮殿の一室で僕は彼女の看病にあたっていた。
大理石の床に街を一望できる広い窓、壁には高そうな絵画が飾られ、天蓋つきのベッドで彼女は相変わらず深い眠りについたままだ。
そんな僕に、あの高慢ちきなプライムが、いつになくしおらしい感じで話しかけてきた。
「人間の小僧よ、これまでの無礼の数々、すまなかった。それを承知で私の願いを聞いてはくれぬか?」
「何です……いきなり改まって?」
僕に対しては、こと傍若無人なこの猛禽類の反応に、僕は声を上ずりさせながら答える。
ジャスティーンの枕元へ留まったプライムが神妙そうに言った。
「傷つき、力を使われすぎた。このままではジャスティーン様は目覚めぬだろう……」
「そ……そんな」
「故にどうかジャスティーン様を、ハシエンダの神域スウェーダまでお連れして欲しい」
プライムの話によると、ジャスティーンの体は基本不老不死であるが、今回みたいに力を使い過ぎてしまったときは長い休息が必要とのことだ。
それで、本当の意味で彼女を休息させるには、彼女が神の力を授かった神域スウェーダへ行かなくてはならないらしい。
そして彼女が次に目覚めるのは数十年、いや数百年先になるかわからない。死んでないとはいえ、人間の僕にとっては今生の別れだ。
「あの森に神域スウェーダへの入り口がある。どうかジャスティーン様を頼む」
そうか、だからジャスティーンはあの森にいたんだ。僕はあの森で彼女と出会った意味を知った。
あそこまでジャスティーンを連れて行くのは骨が折れるが、他ならぬ彼女のためだ。僕はすぐに彼女を森まで運ぶ方法を探した。
とりあえず、眠ったままのジャスティーンを運ぶには馬車か何かが必要だった。宮殿の人に頼んでみても、国賓待遇の怪我人を森まで運ぶなんて行ったら反対されるに違いない。
そんな僕らに、あのリチャード・オーウェンが力を貸してくれた。彼は僕の悲痛な懇願に快く馬車をお手配してくれたのだ。
その夜、僕とリチャード・オーウェンは闇に紛れ、ネグリジェ姿のジャスティーンを宮殿から連れ出した。
ジャスティーンがいなくなったことが知れれば、宮殿は大騒ぎだろう。僕らは夜明けを待たずに街を抜け出し、馬車であの森へと急いだ。
目指すは始まりの森、そして神域スウェーダへ。夜の静寂の中を、馬の蹄鉄の音と共に馬車が駆け抜けて行く。
夜の青い闇に朝焼けの光が僅かに差し掛かった頃、ようやく僕らは森の入り口へと到着しようとしていた。
徐々に明るくなっていく森と空の境界を眺めていると、突然、馬たちの大きな鳴き声と共に馬車が止まった。馬車の御者が何か暴言を吐いた後に悲鳴を上げる。
僕とリチャード・オーウェンは、何事かと外へ飛び出した。そして、馬車の前に佇む二つの影を見て、僕は戦慄したのだ。
「御機嫌よう、勇者殿。また会えて光栄です」
「よう、泣き虫勇者。少しは強くなったのか?」
それは、この先僕が必ず会って倒さなくちゃいけない奴らだった。だけどよりによって今こんな時に。
絶対に忘れることのない癇に障る薄ら笑いを浮かべたデーモン・アドバートと、用心棒のアレックスが僕らの前に立ちはだかっていたんだ。
夜明け前の薄暗い空の下、僕は世界最大の敵と向かい合っていた。
お読み頂きありがとうございます。
それでは、続きはまた明日。