第二十八話 闘神ヴァン・ヘイレス
第三章~アサガオの伝説~もいよいよ佳境にさしかかります。
太古の昔より数多くの合戦が繰り広げられたラブレスの古戦場。
そこでかつて雌雄を決した伝説の神々が、今一度その強大な力を持ってぶつかり合っていた。
青かった空は怯えるようにどよめき、吹き荒ぶ風を彼らの獲物が音を立てて切裂く。蹂躙され荒廃していく緑の大地は大砲でも撃ち込まれたかのように轟音を立てて震えた。
最早その戦いは天変地異の領域であった。
ジャスティーンは大剣団十郎を使いながらも、その閃光のような速さはいつも以上だ。スロウダイヴでもしていなければ彼女の姿さえ満足に捉えることはできない。
素人目にもスピードではジャスティーンに分があるように見える。それでも押し切れないのは、ヴァン・ヘイレスが彼女の鋭い突きや斬撃を器用にさばき、その化物染みた力で圧倒しているからだ。
お互い全く譲らぬ、まさに一進一退の攻防であった。ジャスティーンの叫び声と、ヴァン・ヘイレスの雄たけび、そして凄まじい速さと力で交わされる巨大な金属の悲鳴が戦場にこだまする。
「さすがだな、スワスティカの小娘よ。我を一度葬っただけのことはある!」
「私は気前が良いのだ、一度ならずとも何度でも葬ってくれよう!」
最強の神々が刃を交える傍らで、僕はその途方もない戦いの行方を伺う。
周囲ではラーズ軍と黄泉の兵との合戦が続き、力尽きた兵士の亡骸がそこら中に転がっていた。
こうやって止まっていると、そういった見たくないものが否応なしに目に入ってくる。
例えどうなご大そうな正義があろうと、どんなに高潔な戦いであっても、僕が見た戦争はやはり地獄のようだった。
「吾妻君、こんなところで何をしてるんだ? ボーっと立っているとやられるぞ!」
戦場のど真ん中で立ち尽くしていた僕を、銀の甲冑を着けたリチャード・オーウェンが呼び止める。
僕は自分でも信じられないくらい落ち着いた様子でそれに答えた。
「すみません、リチャードさん。だけど僕は、この戦いをしっかり見とかなきゃいけないような気がするんです」
「一体どうなっているんだ? 君の師匠と化物みたいな大男が戦っているということはわかるが、私の目には戦いの全容が全く見えない。彼女は何者なんだ?」
「あの人は剣神ジャスティーン……。かつて暁の騎士と呼ばれた人です」
「おいおい、冗談だろ……? じゃあ、そのジャスティーンが戦っている相手は……」
「闘神ヴァン・ヘイレス……彼女の宿敵だそうです」
僕のその言葉を聞くなり、リチャード・オーウェンは戦慄した。彼にとって僕が言ったことは、荒唐無稽なおとぎ話だった。
だが、彼が僕という人間を信用してようがそうでなかろうが、目の前の人智を超えた戦いを見れば、それが事実なのだと認めざるを得ないことだろう。
リチャード・オーウェンはしばらく放心した後、驚きを隠しきれない様子で口を開いた。
「道理で君も只者でないわけだ。もしこれが夢じゃないとしたら、私たちは神話に出てくる神々の戦いを目撃していることになるな」
剣神ジャスティーンと闘神ヴァン・ヘイレスの戦いは、古代ハシエンダ神話に出てくる伝説の戦いだった。
ジャスティーンは死等の末、邪神ヴァン・ヘイレスの脅威から民衆を救い、ハシエンダに夜明けをもたらした。彼女が『暁の騎士』と呼ばれる所以である。
一進一退を続けていたジャスティーンとヴァン・ヘイレスの戦いは、スピードに上回るジャスティーンが徐々に優勢となっていった。
呆然とするリチャード・オーウェンを横に、僕は再びスロウダイヴして彼女の姿を追った。
戦いは壮絶さを極めたが、ジャスティーンの華麗で優美な剣舞は、ヴァン・ヘイレスに休むことなく斬撃を加え続ける。
ついに攻撃をさばききれなくなったヴァン・ヘイレスの黒い兜が、ジャスティーンの鋭い一撃によって宙を舞った。
露わになった傷だらけの屈強な戦士の顔。ヴァン・ヘイレスは流血する頭を手で押さえた。
「こ……この我が二度もこんな小娘に敗れるというのか……」
「私の力が昔のままだと思っておったのか? ハシエンダに災いをもたらす邪神よ、ここまでだ!」
膝を地につくヴァン・ヘイレスに、ジャスティーンはとどめを刺そうと剣を向ける。
僕の目に――きっとジャスティーンにも――勝敗は決したかに見えた。ただ、跪くヴァン・ヘイレスの周囲には目に見えて真っ黒い漆黒の闇が渦巻いている。
よく見れば、その闇のオーラみたいなものは周囲からどんどんヴァン・ヘイレスの元に集まってきていた。
それに呼応するように、ラーズ兵と戦っていた黄泉の兵たちがバタバタと倒れていった。
「なんだなんだ? 敵が勝手に倒れてくぞ?」
「勝ったのか……?」
「油断するな、まだ立っている敵もいる!」
ラーズ兵に動揺が生じる。倒れた黄泉の兵は僕らの周囲にいた200~300といったところだろうか。
闇の力に覆われたヴァン・ヘイレスは、巨大な斧を手に取って再び立ち上がった。ジャスティーンは思わず歯噛みする。
「貴様は……兵たちの力を吸ったのか!?」
「弱き下部たちも我の力になれて本望であろう」
立ち上がったヴァン・ヘイレスは、さっきと何か違う。その不敵な表情からは、後ずさりしてしまいそうな禍々しい邪悪さがにじみ出ていた。
ジャスティーンも何か感じたようで、顔をしかめて距離をとった。
「スワスティカの小娘よ、先程の威勢はどこへ行った? 来ぬのなら、こちらから行くぞ」
「ちぃぃっ!」
耳を劈く轟音をたててヴァン・ヘイレスは大地を踏み込む。
それに反応したジャスティーンも剣を構えて前へ踏み込もうとするが、初めて彼女はその異変に気付く。
「なに!?」
「ジ、ジャスティーン!!」
彼女の右足には、ヴァン・ヘイレスの周囲に渦巻く闇のオーラと同じものが絡みついていた。
僕が彼女の名前を呼ぶ悲痛な叫びが、戦場の真ん中で虚しく響いた。僕にはあのジャスティーンが倒れる姿なんてこれっぽっちも想像できなかったのに。
ヴァン・ヘイレスの渾身の一撃に、大剣団十郎は真っ二つに砕け、ジャスティーンのしなやかな体は鮮血と共に宙を舞った。
僕はもう気がふれたみたいに走っていた。リチャード・オーウェンは取り乱す僕を呼び止めたが、聞こえはしなかった。
「ジャスティーン……そんな……」
仰向けに横たわるジャスティーンは微動だにせず、赤い甲冑は無残に砕けて地面に血が広がっていた。
ジャスティーンのあの燃え上がる様な赤い瞳は、もう燃え尽きてしまったかのようにまぶたで閉じられていた。
僕は愕然として膝を落とす。追いかけてきたリチャード・オーウェンが、そんな僕を尻目にジャスティーンの生死を確かめる。
「信じられないが彼女はまだ生きている。普通の人間だったら即死でもおかしくないところだが、さすがは神様だ」
「ほ……本当ですか!?」
「ジャスティーン様!」
胸を撫で下ろす僕らの元へ、酷く取り乱した様子のプライムが飛んでくる。
「お労しや、このプライム、ジャスティーン様と最後まで一緒にございます……」
悲嘆にくれるプライム。僕らの元へは伝説の剣神を打ち砕いた途方もない脅威が迫ろうとしていた。
禍々しい闇を纏ったヴァン・ヘイレスが、向こうで勝ち誇った邪悪なせせら笑いを浮かべている。
「か弱き人間よ、汝らの希望は絶たれたり。怯え震えながら自らの最後を待つがいい」
ジャスティーンがやられてしまった今、あの化物を止める力なんて僕らにあるはずがなかった。
どう足掻いたとしても、結果は火を見るより明らかなものだった。だけど僕は諦めるわけにはいかない理由がある。
「リチャードさん、プライム、ここでジャスティーンを守っていてくれませんか?」
「吾妻君、一体君は何をしようというんだ? ま……まさか!」
「貴様などがどうにかできる相手ではないわ!」
僕はジャスティーンから貰ったヘヴンリーブルーを鞘から抜き、驚くリチャード・オーウェンとプライムにぎこちなく微笑してみせる。
結構敵を切ったものだけど、その淡いブルーの刀身には刃こぼれ一つなく、晴天の空みたいに美しく輝いていた。
「このまま戦わなければ、僕らは間違いなく殺される。だけど僕には生きてもう一度会わなきゃならない人がいるんです。だから僕は諦めません、最後まで生きる為に戦います」
「わかったよ、彼女は命に代えても私が守ろう」
「すまぬ小僧……ジャスティーン様の名に恥じぬ戦いをしてくるが良い……」
「ありがとうございます」
「君はまだ若いが勇敢な男だ、彼女が暁の騎士ジャスティーンなら、まるで君は静剣の勇者のようだな」
リチャード・オーウェンの図星に、僕の微笑は苦笑いに変わった。
きっとスロウダイヴすれば、僕だけは逃げられたことだろう。もしかしたら、ジャスティーンはそれを望んでいたのかもしれない。
だけど今の僕にはその選択はできなかった。ジャスティーンがそう言ってくれたように、彼女もまた僕にとって大事なものになっていたってことなんだ。
僕は酷く緊張しながら、ヴァン・ヘイレスにヘヴンリーブルーの剣先を向けた。
「人間の小僧が、我に戦いを挑もうというのか?」
「お前がどんなに強かろうが、ジャスティーンは絶対にやらせない!」
「ほう、汝がスワスティカの小娘を守ろうというのか? 一体何者だ?」
ヴァン・ヘイレスは少し関心した様子で、黒いあごひげを触りながら嘲笑した。
ジャスティーンがやられた相手だ。勝算なんて何もない。だがそれでも僕はこう叫んだんだ。
「僕は那木 吾妻、暁の騎士……剣神ジャスティーンの弟子だ!」
僕はスロウダイヴすると同時にヴァン・ヘイレスに向かって踏み込んだ。
スロウダイヴして尚、奴の動きは止まらなかった。ジャスティーンには及ばないものの、あの巨体でこの速さは反則もいいところだった。
ヴァン・ヘイレスの横に回り込んだ僕は、牽制するように奴へ一太刀浴びせようとするが、やはりそんなに甘くはなかった。
僕へ向かって振り下ろされた巨大な斧、直感的にヤバいと思った僕は後ろへ飛ぶ。何とかかわせはしたが、続けざまに第二射が襲い掛かる。
「がっ! マジかよ!?」
後ろに飛んでいたおかげで多少威力を殺せたものの、それは剣ごと真っ二つにされたと錯覚してしまいそうになるほど、深く重い一撃だった。
僕はそのまま十メートルくらい吹っ飛ばされたものの、何とか致命傷は受けずに済んだ。
思わずスロウダイヴから浮上した僕に、ヴァン・ヘイレスは少し驚いた様子だった。
「面白い動きだ、ある瞬間から爆発的に速くなる。汝、普通の人間ではないな?」
「スロウダイヴも焼け石に水か……」
「しかしチョロチョロ逃げ回られても厄介だ。汝もスワスティカの小娘と一緒にあの世へ送ってくれるわ」
ヴァン・ヘイレスの嘲笑と同時に、地面から数十の黒い影みたいなものが伸びてきて、僕の両足に執拗に絡みついた。
ジャスティーンを倒した時のと同じやつだ。振り解こうとしても全然ダメだった。
動きを封じられた僕の元へ、ヴァン・ヘイレスがせせら笑うようじりじりと迫った。万事休すだ。
だけど僕は瞳を閉じなかった。こんな状況でも僕はまだ生きることを諦めるわけにはいかなかった。そう、あいつと再会するまでは絶対に。
「小僧、人間のくせにいい目をしておる。さすがはあの憎きスワスティカの小娘の弟子だけのことはある。しかしこれで終わりだ!」
太陽を背にして振り上げられた巨大な斧は、ギロチンの刃のように僕へ向かって一直線に落ちてくる。
ジャスティーンの元にいたリチャード・オーウェンが僕の名を叫び、最後の抵抗で剣を突き上げようとした時、戦場に一筋の光が走る。
「な……なに!?」
人間ほどの大きさはあろう大きな光の塊が戦場を横切り、あのヴァン・ヘイレスを吹っ飛ばしたのだ。
そして僕には聞こえた。こちらへ向かって凄い速さで駆けてくるあの足音だ。
「これは……魔法? まさかあいつが!?」
土煙を立て、戦場を突っ切ってそいつは現れた。馬みたいに巨大で深い青い目をした美しき魔獣、常闇の獣だった。
常闇の獣は僕を見つめると、凄い勢いで跳びかかってきた。正直ちびりそうだったけど、彼女は僕に絡みついた黒い影を木っ端みじんに噛みちぎった。
「あ……ありがとう。またお前が助けてくれたのか?」
数十メートルは飛ばされたヴァン・ヘイレスがゆっくりと立ち上がるのを、常闇の獣は鋭い眼差しで見つめる。
戦場に突然現れた得体の知れない魔獣に、ヴァン・ヘイレスを不愉快そうに眉をひそめた。
「汝のようなケダモノが、この闘神ヴァン・ヘイレスに楯突こうというのか?」
「ダメだ! お前はあんな奴と戦っちゃ!」
僕が静止するのも聞かず、常闇の獣は草原を駆けだしていた。
途中光弾の魔法を口から放って牽制し、常闇の獣は凄い勢いでヴァン・ヘイレスに跳びかかった。
いくらなんでも無茶すぎる。僕は常闇の獣がヴァン・ヘイレスに接触する前に再びスロウダイヴして戦いに飛び込む。
間もなくあの黒い影が常闇の獣を縛り上げるように巻きつき、ヴァン・ヘイレスの巨大な斧が振られようとしていた。
(このままだとやられる! なんとかしなきゃ! なんとかしなきゃ!)
その時僕は見た。ヴァン・ヘイレスへ向かって伸びる眩い光の道を。進むべき道を。
スロウダイヴしながら全力疾走した僕は、目の前に描かれた光の道を辿ってヴァン・ヘイレスを切りつけた。
聖剣ヘヴンリーブルーはヴァン・ヘイレスの黒き甲冑を貫き、切り裂かれた右肩からはまるで火に焼かれたみたいに煙が立ち上った。
黄泉の兵しかり、ヘヴンリーブルーは悪しきものを浄化するんだ。堪らずヴァン・ヘイレスは顔を歪めて嗚咽を上げる。
「ぐうぅぅぁ! 許さぬぞ……許さぬぞ小僧!!」
「今だ! お前も早くこいつから離れろ!」
常闇の魔物に絡みついた黒い影をヘヴンリーブルーで切裂き、僕と常闇の獣は激昂するヴァン・ヘイレスから距離を取った。
ヴァン・ヘイレスの体には、またいくつもの漆黒の影が集まって行く。再び周りの兵たちの力を吸収しているんだ。
これは攻撃のチャンスなのかもと思ったが、情けないことに僕は足が竦んだ。首元に刃物でも突きつけられてるみたいだった。
「人間ごときがこの我に歯向かったこと、後悔するがいい! ゆっくりと嬲り殺してくれる!」
恨みに満ちた悍ましい顔でそう口にするヴァン・ヘイレス。奴の体からは数十、いや数百のあの黒い影が伸び、地を這うように凄い速さで僕らを襲ってきた。
しなやかな動きでそれをかわそうとする常闇の獣であったが、この数では為す術がない。忽ち巻き付かれて吊し上げられてしまう。
スロウダイヴして逃れようとした僕も、圧倒的な黒い影に逃げ道を塞がれて窮地に立たされる。ヘヴンリーブルーで応戦するも、敢え無く腕に巻き付かれて動きを封じられた。
「クソ! ここまでか。霧島……ごめん、お前を助けられない……」
ジャスティーンを倒した相手に一矢報いたんだ。普通であれば十分なはずだった。
折れようとしていた僕の心を引き止めるもの。圧倒的な恐怖と絶望を前に、僕は彼女との別れ際を思い出していた。
――那木君……いいえ私の勇者。さようなら、あなたに会えたことが……私の人生の……ただ一つの……」
あの時彼女は何と言おうとしたのか……。もう一度彼女に会いたい。もう一度会ってその言葉の続きを……。
僕はまだ倒れるわけにはいかなかった。
果たして吾妻の運命やいかに・・・。
てなとこで、お読み頂きありがとうございました。
次回はまた明日です。