第二十七話 開戦
第二十七話です。
成り行きで合戦に参加することとなった吾妻君が、戦場を駆け回ります。
広大な平原地帯を見渡せる小高い丘を、一筋の風が吹き抜けて行く。
ラーズ軍は広大なラブレス平原を、一望のもとに見渡せる高所に三層の鶴翼の陣形で兵を配置した。
馬に跨る騎馬隊、長い槍を携えた歩兵部隊、弓矢を構えた弓兵部隊が翼を広げた鳥のように迫りくる敵軍を待ち構えていた。
空気は緊迫していた。上手く馬に乗れない僕は、せっかくリチャード・オーウェンから貰った馬から下馬して、青々とした草が茂る平原の先の地平線へ目を凝らす。
やがて空の彼方に一羽の鳥が現れた。敵の偵察へ行っていたプライムだ。彼はジャスティーンの腕に留まって敵情を報せた。
「申し上げます。敵軍総勢二万余、間もなくラブレス平原に布陣するものと思われます」
「よし、まずはラーズ軍のお手並み拝見とゆこう」
僕らが固唾を呑んで見守る中、霞んで見える地平の果てからどす黒い敵軍がまるで生き物が蠢くように平原を横へと平がって行く。
この距離からでも、僕は敵兵に何か嫌なものを感じた。一人一人から瘴気でも出てるみたいに禍々しい。明らかに普通の人間ではなかった。
味方の中からも驚嘆のどよめきが上がり、戦端の幕はいよいよ切って落とされようとしていた。
「心しておくが良い。あ奴らはヴァン・ヘイレスの操る黄泉の兵故・・皆死兵だ。戦況に関わらず躊躇なく戦い続けよう」
「じゃあ、そのヴァン……何とかって奴を倒せば……」
「左様。しかしながら、あの大軍の中を抜けて闘神ヴァン・ヘイレスの元へ辿り着くのは容易ではない。近づけたとしても、並の人間数百騎くらいであれば返り討ちに合おう」
「あの……そんな奴どうやって……」
「案ずるでない。この私を誰だと思っておる。今一度あやつの首、取って見せよう!」
意気揚々と馬に跨り、弓矢を背負った自信満々のジャスティーン。対照的に不安しかない僕の手は無意識に震え、もう片方の手で押さえても止まることはなかった。
地平の彼方から現れた敵軍は、信じられない速さで陣形を整え、魚鱗の陣形となって進軍を開始した。
何の躊躇もなく突っ込んでくる敵軍に対し、ラーズ軍はまず弓兵での一斉斉射で迎え撃つ。
迫る敵軍。友軍の弓矢が空へと向けられ、弓を引く音が右翼から左翼へと波のように流れて行った。
「放てぇ!!!」
平原へ鳴り響く指揮官の掛け声と共に、数えきれない程の矢が青い空に大きな弧を描いて敵の先鋒へと襲い掛かる。
頭を射抜かれ落馬する騎兵、足をやられて倒れ込む歩兵、弓矢での戦果は上々であったが、死兵である敵の先鋒は臆することなく僕らの方へと迫っていた。
「始まりおった、始まりおった。プライム、『団十郎』を持て!」
「は!」
ついに戦端は開かれ、ジャスティーンは目を輝かせながらプライムに命じる。
僕にヘヴンリーブルーを出した時みたいに、プライムは空をくるくる回ってジャスティーンの得物を召還する。
空中に現れたのは、ジャスティーンの体よりも大きくて馬でもぶった切れそうな片刃の大剣だった。
その『団十郎』だか『大五郎』だかっていう巨大な剣を、ジャスティーンは乗馬したまま軽々と受け取り、こ慣れた様子で肩に担いだ。
相も変わらずとんでもない怪力だな、乗っている馬が可哀想だ。
そうこうしているうちに敵の先鋒はラーズ軍の右翼と衝突。味方中から鬨の声が上がった。
戦闘経験の少ないラーズ軍は一見不利かと思われたが、敵軍の勢いを何とか受け止め、数十分後には敵を押し返すことに成功する。敵は徐々に後退を始めた。
「黄泉の兵とはどんなものかと思っていたが、意外に手弱だな!」
「よし、このまま一気に蹴散らしてやれ!」
優勢に立ったと思われたラーズ軍の一部が、勢いに乗って丘を駆け下り、後退する敵を追撃した。
後方にいた僕は胸を撫で下ろす思いであったが、それとは対照的にジャスティーンは不可解そうに眉をひそめていた。
「おかしい。あやつの軍がこの程度の力とは思えぬ。吾妻、付いて参れ」
「え……あの、待って下さい!」
突拍子もなく馬で駆け出すジャスティーン。僕も再び馬に跨ろうとするが、慣れてないので上手くいかない。挙句には馬に頭を噛まれる始末だった。
もうかなり先へと行っていたジャスティーンを、僕は仕方なく走って追いかけた。
とは言ったものの、スロウダイヴでもしなきゃ馬なんかに追いつけるわけがない。かなり先の方でジャスティーンの叫び声が聞こえた。
「深追いしてはならぬ! これは敵の……ヴァン・ヘイレスの罠だ!」
しかしジャスティーンの声が響いた後も、ラーズ軍は追撃をやめようとしなかった。
敵軍は刻一刻と後方へ敗走して行く。末端の兵士たち、ましてや指揮官でさえも自軍の完全優位を疑っていなかったのだ。
僕はと言うと、戦場にいて意味もなく走って息を切らしている始末。前にも言ったけど、僕は走るのが嫌いだ。
「はあ……はあ……一体何だって言うんだよ、ジャスティーンは?」
立ち止まって呼吸を整えた僕が顔を上げた時、僕は自分の目を疑った。
敗走する敵軍を突き崩し、敵の本陣に食い込もうとしていたラーズ軍の周囲をどす黒い敵軍が取り囲んでいる。
敗走していたかに見えた敵兵は、この状況を予期していたかのように陣形を立て直し、左右に配された予備兵力が、陣形の崩れたラーズ軍の側面を一斉に突いたのだ。
よく聞くような誘き出し戦法であったが、それを気付かせないほど敵の采配は鮮やかであり、緻密で迅速なものであった。
あっという間に、ラーズ軍の三分の一が敵軍に包囲され、味方との連絡を遮断。窮地に陥っていた。
孤立したラーズ軍へ敵軍は攻撃を開始する。意表を突かれたラーズの追撃兵たちは総崩れとなり、闇の塊のような敵軍に徐々に呑み込まれていった。
「うわー! 来るな! 来るな!」
「もうおしまいだ!」
「助けてくれー!」
遠く離れた僕の元へも、耳を覆いたくなるような味方の断末魔が聞こえてくる。
後方からも敵軍の新手が迫っており、包囲された味方への後詰めは困難であった。
彼方で繰り広げられている見たこともない惨状に、僕は思わず手で目を塞いだ。
「無理だよこんなの!」
ジャスティーンには悪いが、やっぱり僕に戦争なんかできっこない。僕は吐き気を催して地べたへ手をついた。
美しい緑色をしたラブレス平原は、漆黒の闇に浸食されようとしていた。ラーズの兵たちは、迫りくる黒い恐怖に戦慄した。
「まだ戦は終わってはおらぬ! 死にたくなければ皆剣を取り戦え!」
それは目の前を覆いつくそうとしていた闇の中に、きらりと光った一筋の閃光。前線でラーズ兵を包囲する敵軍の中を、ジャスティーンが一騎で駆け抜けていく。
彼女の巨大な剣は、数十人単位で敵兵をなぎ倒していく。屈強な敵兵たちは、まるで虫けらのように周囲へと飛ばされていった。
僕の近くでそれを見ていた味方も、鬼気迫るジャスティーンの無双を見て感嘆の声を上げる。
「なんだあれ……化物じゃ……?」
「でも一応味方……だよな?」
「すげー! 伝説の剣神ジャスティーンみたいだ!」
まさに本人だったのだが、そんな野暮なこと言っても仕方ない。
ジャスティーンの獅子奮迅の活躍により、包囲された前線のラーズ兵たちの士気は高まる。ついには敵の包囲網を脱出して味方と合流。更に押し寄せる敵軍を迎え撃つ。
そうこうしているうちに僕の前にも敵軍が押し寄せてきた。ジャスティーンも追わないといけないけど、まずはこれを突破しなとダメだ。
「頼むから道を開けろ!」
ジャスティーンから貰った聖剣へヴンリ―ブル―を手に、僕はスロウダイヴしながら敵へと突っ込んでいく。
淡いブルーの刃を持つへヴンリ―ブル―は、触れた敵を一瞬で浄化していく。僕が剣を振るう度、黄泉の兵たちは煙に巻かれたように消えていった。
「凄い、さすがジャスティーンの剣だ!」
敵味方入り乱れる戦場の中で、僕は必死にジャスティーンを探した。まあ、彼女のことだから心配はいらないはずだけど。
やがて味方の左翼が敵の右翼を押し返したようで、敵本体への道が開かれようとしていた。
調度その時、静止して戦況を伺っているジャスティーンをついに見つけることができた。
「ジャスティーン!」
「吾妻か、しばらく見なかったが、どうやら大事なさそうだな」
「これからどうするんです?」
「時は来た、ここからが私の本当の戦だ。今こそ敵将ヴァン・ヘイレスに相まみえよう」
どす黒い敵軍を見つめ、顔をしかめながらジャスティーンは再び馬を走らせた。
せっかく見つけたのに、また走って追いかけなくちゃいけない。日本は学校教育に乗馬を取り入れておくべきだったと、僕はこの時切に思った。
ジャスティーンが向かった先、敵軍に開いた風穴にはラーズ軍が殺到し、この合戦の勝敗は間もなく決するように見えた。
僕はジャスティーンを追いかけようと更に敵の本隊へと向かう。
ラーズ軍優勢に半ば安堵していた僕の目の前に、何かが大量に飛んで来るのが見えた。慌ててそれらを避けた僕は愕然とする。
「し……死体!?」
何か圧倒的な力に吹き飛ばされたように、目の前からは味方の無残な屍が雨あられのように降ってきた。
目を覆いたくなるような光景だったが、止まっているわけにはいかなかった。この先では僕の想像も及ばぬ恐ろしい何かが起こっているのだ。
「ジャスティーンは……ジャスティーンはどこなんだ!?」
堪らず僕はスロウダイヴして敵軍の奥深くへ入って行く。間もなく敵の中心部へ辿り着いた僕の前には、馬に乗ったまま静止するジャスティーンの後姿が映った。
そして彼女の真っ赤な瞳が見つめる先には、漆黒の甲冑をつけた大男が、馬くらいありそうな大斧を振り回してラーズ軍を虫けらのように弾き飛ばしていた。
さながら黒くて巨大な竜巻は皆を無慈悲に呑み込んでいく。人間なんかが軽々しく手を出して良いものではないのだと、僕はその光景に慄然とした。
「やはり人にはどうにもならぬか」
微笑したジャスティーンは大剣団十郎を地面に突き刺すと、弓を構えて馬を走らせた。
進行方向に放った彼女の矢は、相手の脳天を目がけて一直線に飛んで行く。寸でのところでその黒い大男は鋭い矢を手で掴んだ。
ジャスティーンの乗る馬は輪を描くようにこちらへと戻ってきて、地面へ突き刺した団十郎を引き抜く。
彼女に気付いた黒い大男は、途中にいた敵味方の兵士を弾き飛ばしながら、猛牛のように僕らの元へと駆け迫った。
間違いない。この桁違いの戦闘力を持った黒い魔獣のような戦士こそこの戦の元凶。ジャスティーンの宿命の相手であった。
「久しいな、闘神ヴァン・ヘイレスよ。何百年ぶりであったかな」
「スワスティカの小娘か、復活してそうそう汝と戦えようとはな」
「残念ながら、貴様にはすぐにあの世へ戻って貰うことになるのだがな」
戦場のど真ん中で向かい合う、深い因縁を持った男と女の戦神。二人が放つ禍々しいオーラに周囲の兵たちはじりじりと後ずさりしていく。
下馬したジャスティーンは、大剣団十郎を八相に構え、ヴァン・ヘイレスはその巨大な斧を振り上げるように構えた。
こんな殺気立ったジャスティーンを僕は見たことがなかった。彼女の燃えるような赤い瞳は、睨みつけただけで相手を一瞬のうちに蒸発させてしまいそうに見えた。
「ジャスティーン、絶対に勝って下さい!」
「下がっておれ! 絶対に手を出してはならぬ」
それは一対一の勝負を邪魔されたくないとか、そういうことじゃなかったんだと思う。僕の身を気遣ってのことだったんだ。
竜虎のように睨み合う二人から距離をとった僕は、周囲の敵を警戒しつつも彼らの動向を伺い続けた。
味方もそうだったが、敵軍の黄泉の兵たちも台風の目となったジャスティーンとヴァン・ヘイレスの周囲には決して近づかなかった。ヴァン・ヘイレスがあえてそうさせている感じだった。
「スワスティカの小娘よ、今こそ我が数百年の恨み、晴らせてくれよう!」
「貴様のような邪神には、私が何度でも引導を渡してくれようぞ!」
叫ぶような彼らの声と共に、再び同じ戦場に相見えた二柱の戦神は、けたたましい爆音がたったように激突を始めた。
僕は周りで誰かが戦っているのを忘れてしまうくらい、目の前の衝撃に括目する。
暁の騎士、剣神ジャスティーンと荒ぶる邪神、闘神ヴァン・ヘイレス。想像を絶する神々の戦いの幕が、今切って落とされたのだ。
お読み頂きありがとうございます。
次回もまた明日更新予定です。