第二十五話 都市国家ラーズ共和国2
第三章も中盤。
引き続き宜しくお願いします。
僕らにとっての久方ぶりの穏やかな落日は終わりを告げ、青い闇が空を覆う。
だがそこには森にはなかった人々の営みが――煌々とした街の灯りが、夜の到来を妨げようとしているようだった。
深紅の甲冑に身を包んでいたジャスティーンは、肘掛椅子に座ったまま上を向いてひとしきり放心した後、気がふれたみたいに笑い出した。
額に手を当てて、僕らなどそっちのけで高笑いをするジャスティーンは、呆然とする僕に言った。
「まさかあ奴が復活する日がこようとはな。そなたの初陣、稀に見る大戦になりそうだ」
「……へ? 誰なんです、そのヴァン……へイ……何とかって人は? 昔倒したみたいな口ぶりでしたけど」
「闘神ヴァン・ヘイレス、私と同じ戦神だ。その昔、私がまだ人であった頃、その強大な力でハシエンダを蹂躙した大量殺戮を生業いとする邪神だ」
「で、でも、あなたはその邪神を倒したんでしょ?」
震えた口調で彼女に尋ねると、ジャスティーンは神妙な面持ちになって答える。
「ああ、長い戦いの末、確かに私は奴を倒したが、多くの兵がその戦いの犠牲となった。とても勝利などと言えるしろものではない」
「だ……大丈夫ですよね?」
「私を誰だと思っておる。あ奴は確かに強敵だが、後れを取ることはない。しかし敵は二万の大軍勢、私一人ではどうにもならぬ」
「じゃ、じゃあ一体どうやって……」
僕はベッドから立ち上がって拳を震わせる。それを見たジャスティーンは、鼻で笑うように肘掛椅子から立ち上がり、開かれた窓の前まで行って、まだ淡く黄昏の色が混ざる遠くの空を見つめて言った。
「間もなくこの街の人間たちも異変に気付くであろう。この街の人間がその強大な力に抗う意志があるのであれば、私は彼らの力になろう。まずはそこからだ」
「僕は誤解してました。あなたはそうやって人間を守る為に戦ってるんですね?」
「何を言っておる。弱き者が強き者に勝つことこそ……寡兵で大軍勢を破るからこそ戦は面白いのではないか」
そう言って嬉しそうに微笑するジャスティーンを見て、やはり僕は呆れてしまったけど、彼女のその純粋さが最高に頼もしく思えた。
考えてみれば、弱っちくてど素人の僕に匙も投げすに剣を教えてくれたのは、彼女のその考えが根底にあるのかもしれない。
この世界に来てから、まだ霧島に繋がる手掛かりは何もなかったけど、僕は彼女のその真っ赤な瞳の先にきっと何かがあるのだと密かに希望を抱いていたんだ。
僕は半年ぶりに食事らしい食事をとった。森での食事に比べれば悪いものではなかったけど、欲を言えばご飯に味噌汁が食べたい。
ずいぶんと爺臭くなったものだけど、僕はやっぱり日本人みたいだ。
一抹の不安を抱きながらも、僕は半年ぶりの温かい布団でぐっすりと眠った。
★
前の通りを馬車や人々が忙しなく行き交い、中央広場からは人々のざわめきが聞こえる。
次の日の朝、街の空気は一晩にして全く別の張りつめたものへと変わっていた。
窓から通りの様子を伺うと、人々の顔には昨日のような笑顔はなく、何かに追い立てられるように殺伐としていた。
昨日ジャスティーンが言った通りだ。どうやらこの街の人々は迫りくる危機に気付いたに違いない。
一変した街の様子を呆然と眺めている僕と、起き抜けのジャスティーンの元へ、宿の主人が不安そうな顔で朝食を運んできた。
「大変なことになりましたな。どうやら死霊の軍がこのラーズへ向かっているらしいです。旅の方なら街から離れた方がよろしいですよ」
「心配無用だ主人。私はそれと戦いにここへ来たのだからな」
「ああ、傭兵の方ですかな。甲冑を着ていらっしゃったのでもしやと思いましたが、ラーズの為に戦って頂けるとはお心強い」
と、畏まった態度で食事を置いて出て行った主人であったが、果たしてまだ子供の僕と見た目ただの若い姉ちゃんのジャスティーンを、どんな風に見ていたのかは疑問の残るところだ。
食事を取り終えた僕らは、人々が集まっている街の中央広場へと向かった。
この街の象徴である大きな宮殿の前には、学校のグラウンドくらいの広場があり、既に老若男女、数多くの人たちでごった返していた。
彼らの食い入る様な視線は、広場を見下ろすように立つ宮殿の上部に注がれていた。僕とジャスティーンも皆の視線の方向に目をやる。
しばらくして、宮殿の大きなテラスから、フロッグコートを着た凄く偉そうな初老の男性が出てきた。それを見て集まった人々は一斉に声を上げだした。
「ファウラー執政官様! ラーズは……この街は大丈夫なのですか!?」
「どうかこの街を救って下さいまし……」
「ここにいて大丈夫なのでしょうか!」
「議会は何をやっているのですか!?」
「軍はいつ出陣するんですか!?」
ファウラー執政官は、共和制を引く都市国家ラーズ共和国の最高指導者である。彼は手を真上に大きく掲げ、いきり立つ市民を宥めた。
「ご静粛に! 王政打倒、共和制の樹立から百年、今ラーズ共和国は建国依頼最大の危機を迎えようとしている。だが恐れることはない! 我がラーズの精鋭一万八千が必ずしや悪しき敵兵を打ち砕くであろう!」
そう言ってファウラー執政官は、広場の中心に立つ大きな石像を指さし、更に市民たちを鼓舞した。
「偉大なる古の英雄、暁の騎士、剣神ジャスティーンが我々にはついている!」
ファウラーが高らかにそう宣言すると、広場中から地響きでも起きそうなくらい大きな歓声が巻き起こった。
ジャスティーンの名が呼ばれたことに一瞬ドキッとして辺りを見回すが、別に誰も僕らに注目しているわけでもなければ、ジャスティーンも涼しそうな顔をしている。
よく見たら、あの中央に立つ馬に跨った勇ましい騎士がジャスティーンのことらしい。そうか、ここは彼女の国だったんだ。
「我らに剣神ジャスティーンのご加護があらんことを!」
「死霊の軍に剣神ジャスティーンの鉄槌を!」
「どうか私たちをお守り下さい」
「剣神よ、ラーズを守り賜え!」
「ラーズを守り賜え!」
「ラーズを守り賜え!」
「ラーズを守り賜え!」
「ラーズを守り賜え!」
周囲の民衆は一つになろうとしていたが、僕は何だかアウェイ感しかしない。
彼らの偉大なる英雄、剣神ジャスティーンはそれを見ると、「フッ」と微笑して僕に言った。
「吾妻、我らは行くぞ」
「へ? 行くってどこに?」
「いいから付いてまいれ」
まあ、誰もあの剣神ジャスティーン様がここにいらっしゃるなんて思っちゃいないんだから、ジャスティーンが民衆に応えるなんてことはしても仕方ない。
彼女が自分がジャスティーンだって宣言したところで、良くて笑いものにされるか、下手すりゃ不敬だって袋叩きだ。
僕はもどかしい気持ちを抱きながらも、大いに完成の沸く中央広場を後にした。
ジャスティーンがどこに向かったかっていうと、軍の詰所だった。
その入口には様々な甲冑を身に纏った傭兵らしき連中が集まっていた。皆ヤバい目つきをしている。
とても近づき難い感じなんだけど、ジャスティーンは素知らぬ様子で彼らの先にいたラーズの正規軍人へと話しかける。
「すまんが、私とあの少年もこ度の戦に参陣したい。できれば馬を借して欲しい」
「は……あなたとあの少年が?」
それを聞き、周囲の傭兵たちはドッと笑い出した。僕はわけもわからず赤面する。
でも、それはそのはず。どんなにジャスティーンが強いって行っても、見た目は若いお姉ちゃんなんだら、彼らの反応は当然だった。
「ははは……お嬢さん冗談キツイよ。あんたたちみたいのが戦場に行くなんてさ」
「しかも馬って、馬に乗るのが許されてんのは騎士クラスだけだぜ」
「まあ、悪いこたー言わねーから、さっさとこの街から離れるこった」
「何なら俺の女になるってんのはどうだい? あの子供も荷物持ちくらいにはしてやるぜ」
笑いの中心にいるジャスティーンに対して、僕は酷く悪寒を感じた。稽古のときには感じたことのない嫌なオーラが、彼女から滲み出ている気がしたんだ。
だけど、ジャスティーンは怒り出すわけでもなく、溜息を吐いてから柔らかく微笑して彼らに言った。
「まあ良い、そんなに我らを馬鹿にするのであれば、この中で一番腕に覚えのある者と戦って勝ってみせよう。それなら文句はあるまい」
傭兵たちは再び笑い出した。僕は彼らの反応にどぎまぎしていた。無知とは恐ろしいものだった。
そして、柔らかに微笑していたジャスティーンの表情は一転。周囲がぞくりとするような殺気を放って傭兵たちが凍りつくと、彼女はニヤリとして言った。
「是非もなし、誰も名乗り出んということは、そなたら全員勝つ自信がないということであるかな?」
「て……てめー、言わせておけば!」
「ちょっと痛い目見なきゃダメってわけだな」
ジャスティーンのあからさまな挑発に傭兵たちは青筋をたてていきり立った。
でも、これじゃあ全員ジャスティーンが叩きのめしちゃうんじゃないかと僕が心配した時、傭兵たちの後ろから只ならぬ男が名乗りを上げた。
「ずいぶんと血気盛んなお嬢さんだ。悪くない、よろしければ私がお相手しよう」
「あ……あんたは!?」
キラキラしたブロンドの短髪に整った端正な顔立ち、深い緑色の目をして高そうな鎧を纏った長身の剣士だった。
その男が現れると、イキっていたならず者の傭兵たちが一斉に道を開けた。皆目を見開いて顎をがくがくさせちゃってるぞ。
よっぽど名の通った剣士のようだった。取巻きの傭兵の一人が震えた声で言う。
「リチャード・オーウェン……北方の戦いで数多くの武功を上げたっていう……」
「ほ……北方の狼!?」
「こんなところにまで私の名が広まっていたとは、光栄だね」
身なりや態度からして、このリチャード・オーウェンって人は、周りの犯罪者予備軍みたいなならず者の傭兵たちとは違った。一見優男風ではあるが、間違いなく強い。
でも可哀想に。この人がどんなに強くて、史上最強の傭兵だろうが美男子だろうが、ジャスティーンになんて勝てっこないんだ。
「ほう、リチャード何ちゃらとやら、そなたがこの傭兵どもの中で一番の腕利きというわけだな?」
「ええ、皆さん異論はないようです。お手合わせ願いましょう」
そうやって、とんとん拍子でこのリチャード・オーウェンとの決闘は決まったわけだ。
リチャード・オーウェンも、まさか自分が負けるなんて思っちゃいないから余裕そうで、僕は少しいたたまれない気持ちになった。
でも仕方ない。何も知らないとはいえ、神様に戦いを挑んだ彼が悪い。僕には神様がついている。なんて心強いのだろう。
そしてその親愛なる神様は僕に微笑み掛けるように言ったんだ。
「よし吾妻、そなたの出番だ」
「……はい?」
「そなたがあのリチャード何ちゃらと決闘をするのだ」
「え……ええー!!?」
――ああ、神様なんていなかった。
何か知らないけど、皆僕を見て楽しそうにへらへら笑っている。僕は目の前の現実が理解できなかった。
ふと空を仰げば、吸い込まれそうなほど澄み切った青い空を、鳥たちが平和そうに飛んでいる。戦争が起こるなんて嘘みたいだ。
きっとこれは夢、夢のような世界での夢に違いない。
そうじゃないか。ついこの間まで僕は普通の高校生で、幼馴染の毘奈にインチキ臭いイケメン彼氏ができて落ち込んでいたけど、それでも世界は平和だった。
母親に呆れられようが、妹に馬鹿にされようが、体調の悪い日の授業が一限目から体育であろうが、テストのヤマが思い切りはずれようが、それでも世界は平和だったじゃないか。
この世界は僕の壮大な夢、空想、誇大妄想、目を覚ましたらきっと霧島だっていつも通り冷ややかに悪態を吐いてくれるはずなんだ。
だからお願いだ。神様、仏様、剣神ジャスティーン様、僕に優しく微笑みかけてくれ。これは何かの間違いなのだと。
僕はゆっくりと深呼吸をして顔を前に向けた。よく見てみるんだ。ジャスティーンにリチャード・オーウェン、取巻きのろくでもないならず者の傭兵たちまで皆平和そうに笑っているじゃないか。
それを見た僕は、渾身の笑顔で彼らに応えた。そうか、これは冗談なんだ。皆して僕のことを騙すなんて酷いな。
そうするとジャスティーンがゆっくりと近づいてきて、僕に再び微笑むように言ったんだ。
「吾妻よ、半年間の剣の修業の成果、存分に発揮するがよい」
「……は……え?」
「ちなみにあのスロウダイヴとかいうのは使ってはならん。これは剣の稽古の一環でもあるからな」
「あの……負けたら……」
「私と半年も修行をしてまさか普通の人間に後れをとることはないと思うが、真剣での勝負によもや負けでもすれば当然ただではすまぬ。生きていたとしても、もっと厳しく鍛えねばならぬがな」
「し……真剣?」
目の前で、純粋無垢に微笑む彼女の透き通るように白い肌、燃え上がるように鮮やかな瞳は正に美そのものだった。
僕はこんなに美しくて無邪気な、そして慈愛に満ちた悪魔のような笑顔を見たことがなかった。
わかっていたんだ。百年以上も前にドイツの哲学者ニーチェは、きっとこんな事態を予期していたんだ。
――ああ、神は死んだ。
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次回も明日更新予定です。