第二十四話 都市国家ラーズ共和国1
久々の朝更新です。アサガオの伝説ですしね。
光陰矢の如しなんてよく言ったものだ。僕が剣神ジャスティーンの弟子になって彼是半年が過ぎようとしていた。で、僕は何とか生きていた。
あれから、さすがに耐えられなくなった僕は――剣の稽古もそうだけど、寝床の方ね――面倒そうにブーたれるジャスティーンを説き伏せて、粗末ながらも屋根のある小屋を建てた。
実際弟子になってみてわかったんだけど、ジャスティーンは戦いと肉を食べる以外のことはあまり興味がないようだった。
神様のくせして、雨ざらしの地べたで寝るのも気にならないみたいだし、肉を口にくわえたまま眠っちゃうことだって何回もあった。
おまけに、僕がいる目の前で恥ずかし気もなく服を脱ぎだして、水浴びを始めちゃうなんてこともしょっちゅうなんだ。
「そなたも水浴びをせぬのか? 早く稽古の汗を流すがよい」
なんて言ってくれちゃった日には、僕は女の子みたいに「キャーッ」って言いながら、両手で顔を隠すしかないよね。
当然、手の間からある程度見えちゃうわけで、彼女の裸体はアスリートみたいにひきしまってしなやかで、神秘的なほど透明感があった。沢に反射した僅かな光が映しだす彼女は、変な意味じゃなくてまさにアートだと思った。
この神様が一体何百歳か知らないけど、見た目は二十歳そこそこ。こっちは腐っても年頃の男の子なんだから、もうちょっと気を遣ってもらいたいものなんだ。
結局、森の木と食べた獣の革で小屋を作ったとき――テントみたいなものだった――あんなに面倒がってたジャスティーンも大喜びだった。
決して広くない僕の初めてのマイホームで、僕とジャスティーンは川の字になって寝ることになったんだ。
普通の健全な青少年だったら、変な気になっちゃうところだろうけど、昼間のジャスティーンとの稽古は相変わらずきつくて、疲労のあまりとてもそんな気にはならなかった。
まあ、彼女に夜這いなんてそんな恐ろしいことするくらいなら、冬眠中の熊と添い寝でもしてた方が安全かもしれないんだけど。
そんなこんなで、現実世界ではキャンプすらしたことがない僕は、慣れない森での暮らしを何とか過ごしていた。
まるでテレビ企画のサバイバル生活か何かをしてるように聞こえるかもしれないけど、それでもジャスティーンとの修行の成果はあったんだと思う。
相変わらずジャスティーンには手も足も出なかったけど、僕の連続スロウダイヴ時間は格段に伸びた。
そもそもスロウダイヴしていられる時間は、僕の基礎体力に比例しているみたいなんだ。つまり、デフォルトの僕の基礎体力がどんだけなかったかってことなんだけど。
ジャスティーンの剣は、ある決まった型を組み合わせた超高速の剣舞だった。だから初めて見た時、あんなに華麗で美しく見えたんだ。
僕も見よう見まねで、彼女の剣舞をやってみたんだけど、名門バレエ団のプリンシパルと町内会の盆踊りに出たおっさんくらいの差があった。
あのクソ生意気なプライムからは、「品性の欠片もない」だとか「センスの問題だ」とか散々に言われたけど、ジャスティーンは決して匙を投げたりはしなかった。
それどころか、僕に切りかかってくる彼女はいつも楽しそうに微笑んでいた。それは最後まで変わらなかったんだ。単に僕をいたぶるのを楽しんでたのかもしれないけど。
剣の他にも、ジャスティーンは素手での格闘や柔術みたいなことも教えてくれた。
これが剣術の稽古以上に過酷で、手加減を知らない彼女の拳に馬鹿みたいに殴られるわ、あげくに関節を極められて何度も骨を折られそうになった。
本当に今ここに僕の命があったことを神様に感謝するよ。まあ、ジャスティーンがその神様なんだけど。
そしてある日、半年も暮らしたこの森からついにおさらばすることになった。
ジャスティーンの言った通り、ついにここらで戦争が始まるようなんだ。
正直、この薄暗い森の中から出られることは嬉しかったんだけど、ジャスティーンの弟子である僕は、当然彼女と共に戦争に参加しなければならない。
深紅の見事な甲冑に身を包んだジャスティーンは、得意そうに笑みを浮かべて僕に言った。
「そなたの初陣だ。気負い過ぎぬようにな。よし、出立だ」
果たして僕は何と戦うのか。そして戦争を知らない現代っ子の僕は、生きて戦場から帰ることができるのだろうか。
この半年間の辛く厳しい修行の成果が、今問われようとしていた・・・。
なんて、霧島を助けるっていう当初の目的がどっかに行っちゃったように聞こえるけど、勿論忘れていたわけじゃない。
少なくても、街へ移動すれば何らかの手掛かりが手に入る可能性だってある。
そして、馬鹿みたいに重たい荷物を背負わされた僕は、決して住み慣れたとはいえない森を出たわけだ。
調度森を出たところで、ジャスティーンは僕らを伺うある視線に気付いた。その視線の方を向いて彼女は鼻で笑った。
「吾妻よ、そなたの愛しの思い人が別れを悲しんでいるようだぞ。別れの口づけでもして参れ」
「あまり笑えませんね……」
茂みから僕らを伺っていたのは、あの常闇の獣であった。表情こそないが、何だか寂しそうな感じだった。
この半年間、常闇の獣は時々僕の前に現れた。といっても、遠くにいたのを見かけてたってだけなんだけど。
理由は定かじゃないけど、慣れない森での僕の危なっかしい生活を、いつも遠くから見守っていてくれてたって感じだった。
とりあえず、彼女――メスだしね――に命を救われたってのは事実だから、僕は最後にお礼を言おうとしたんだ。
「あの時は助けてくれてありがとう。もうここには戻らないかもしれないけど、君のこと忘れないよ」
彼女に歩み寄り、僕は別れの言葉を言った。言葉なんて通じてるはずはないんだろうけど、彼女は徐に僕に顔を近づける。
一瞬驚いた僕だけど、彼女の美しい青い目には一寸の敵意もなかった。僕は息を呑んで彼女の頬に触れた。
「何だか君とは前世か何かで深い縁があったのかもしれないね」
常闇の獣の頬に触れた僕は、名残惜しい気持ちで彼女と見つめ合っていた。
今さらながら、この強く美しい獣が人間だったらなんて思っちゃうけど、僕はこの時とても安らかな気分だった。
まるでこの世界に来た目的を達成したみたいに心地よかったけど、いい加減ジャスティーンが痺れを切らした。
「吾妻、いつまでやっておる、早くせぬと戦が始まってしまうぞ!」
願わくば、そんな物騒なもの、早く始まって僕らが到着する前に終わっていて欲しいところだ。
ジャスティーンの元へ戻ろうとする僕に、常闇の獣は熱い口づけを・・・いや、巨大な舌で僕の顔を舐めまわした。
これが彼女の親愛を表す行為なんだろうけど、僕の顔は卵白でも塗りたくったみたいにベトベトになった。
それを見て、ジャスティーンもプライムも大笑いだ。全く大した神様だよ。
ジャスティーンと共に森から遠のいていく僕らの背中を、常闇の獣はいつまでも見つめていた。
そして、その姿が見えなくなってからも、まるで今生の別れを惜しんでいるみたいにもの哀しい遠吠えが、いつまでも聞こえていた。
★
森を出て半日くらい歩いたところで、僕らは一際大きな都市に辿り着いた。
商業が盛んで活気に満ちたその都市の名前は、“都市国家ラーズ共和国” かなり歴史深い街みたいだ。
よく整備された石畳みに中世チックな民家や商店が軒を連ね、都市の中心部には大きな宮殿が見えた。通りでは露天商が大きな声で客寄せをしている。
この半年間、戦闘狂の神様と喋る生意気な鳥しか見てなかった僕は、この人込みに酔ってしまいそうだった。
そして、とある街角で僕はとても気になるものを発見する。この半年間、ついに叶うことのなかった僕の細やかな願い。看板の字は読めなかったけど、日本人の血が騒いだ。
ある建物の前で釘付けになっている僕に、ジャスティーンが不思議そうに問いかける。
「どうした吾妻? そなた入って行きたいのか?」
「はい、是非!」
幸いなことに、ジャスティーンはある程度この国の貨幣を持っていたようなので、僕のこの小さな我がままを叶えてくれた。
間違いない。この湯煙、湯を沸かす薪の燃える匂い、ここは公衆浴場ってやつだ。
ジャスティーンも入っていくみたいで、彼女は料金を払って僕と一緒に浴室へ向かう。
だけど、これは何かおかしい。僕はその違和感に気付いて徐に立ち止まり、訝し気な口調でジャスティーンに問い掛けた。
「あのジャスティーン、この世界ではわかりませんが、僕の世界では公衆浴場を使う上であるしきたりがあるんです」
「なんだ? 申してみよ」
「こう……なんていうか……男女が一緒に入浴するのは、あまり良くないことなんです。だから男湯と女湯と言うものがありまして……」
「そんなことは知っておる」
「じゃあ、なんであなたはご婦人方が入って行くあっちの浴場に行かないんですか?」
「森で一緒に水浴びをしていた仲ではないか。それに私はもう人でないから関係ないのだ。私は一度そなたに背中を流してもらいたくてな、師がそなたの背中も流してやるぞ」
この神様は何をとち狂ったこと言ってるんだ。それに水浴びをしていたのはジャスティーンだけだし。僕はつい頭の中で想像してしまい、顔を真っ赤にして叫ぶように言った。
「お……大騒ぎになるでしょ! さっさとあっちに行って下さい!」
「そんなに怒ることもなかろう……是非もなし」
少ししょぼんとしたジャスティーンは、とぼとぼと婦人用の浴場へと歩いて行った。
戦いばかりで、女性の恥じらいみたいなものはどこかにぶっ飛んでしまったんじゃないか。
もしくは、頭の中は年齢通り完全にお婆ちゃんなのかもしれない。老いを知らない肉体と精神年齢がかけ離れているんだ。
溜息を吐きながら僕は浴場へと入って行った。
長い過酷な生活での疲れを、ようやく癒せたような気がした僕は、これから戦争が起こることなどすっかり忘れ、幸せな気分で公衆浴場を出た。
ジャスティーンは僕よりも早く上がったようで、僕が浴場から出てくるのを待っていた。
彼女のほてった体と濡れた美しい髪、透明感のある艶々した肌は人間離れした妖艶さだった。その見た目に不釣合いな甲冑なんて着てるもんだから、道行く男たちがジロジロと彼女を見ること見ること。
ジロジロ見られるのは、霧島のおかげで結構慣れてはいたけど、まさかこの世界に来てまで同じ目に合うなんてね。
当然、山で半年間彼女と一緒に生活していた僕は、そんな偽りの美しさなんかに騙されたりはしない……たぶん。
日も傾きかけていたので、僕らは今日の宿を探すことにした。
通りでキョロキョロしながら建物を伺っていた僕に、客引きらしい女の子が人懐っこく声を掛ける。
「お兄さん、もしかして宿をお探し? うちに泊まってってよ。サービスしとくよ」
「あ、そうなんですね」
宿屋を探し回るのも面倒だったので、育ちはあまり良くなさそうだが愛想のいいその女の子の言葉に甘えようと思った。
僕は少し離れたところにいたジャスティーンに向かって、間抜けそうに手を振ってこちらへと呼んだ。
「おーい、ここに泊まりましょうよ!」
振向いたジャスティーンは、何やら怪訝な顔をして僕の元へと歩いて来る。気が付いたら、さっきまで愛想の押売りみたいだった客寄せの女の子も、気まずそうな顔をしていた。
僕が不思議そうに右往左往していると、ジャスティーンが静かに口を開いた。
「吾妻よ、確かに長い森での生活で色々と溜まっているのはわかるが、あまり関心せぬな……」
「……はい?」
「師である私が一緒だというのに売春宿に泊まりたいなど・・・」
「え……ここ……? って、早く言って下さいよ! 知らなかったんです!」
憐れむように僕を諭すジャスティーン。僕は赤面しながら声を上げると、彼女の手を引っ張り、逃げるようにその場所を離れた。
ようやくごく一般的な安宿に入れた僕らは、立ち並ぶ三角屋根の向こうに日が沈んでいく黄昏の街並を、二階の部屋の窓から静かに眺めていた。
ここにはテレビも電話も水洗トイレすらないけど、僕は大いに満足だ。何しろ風の入って来ない壁と、雨漏れをしないちゃんとした屋根、おまけに背中の痛くならないベッドまであるんだから。
時代はようやく石器時代から中世へと進んだんだ。
ベッドに寝そべりながら、森の中ではまず見ることのなかった美しい落日を半分まどろみながら眺めていた僕は、この街に着いてからずっと気になっていたことをジャスティーンに打ち明けた。
「僕らはここいらで戦争が始まるから森を出たんですよね?」
「無論だ。いかがいたした?」
「そうだとしたら、この街の様子はおかしい。皆明らかに普通過ぎるんです。とてもこれから戦争が起こるような場所だとは思えない」
僕の抱いた疑問は当然だ。いくら異世界だからとはいっても、この街は活気に溢れていて線香花火ほどのきな臭さすらしない。如何にもミラクルピースの真っ只中って感じだ。
怪訝な顔をする僕に対してジャスティーンは不敵な微笑をした。
「そうだな、だがそれは戦が起こらぬからではない。皆それにまだ気付いていないのだ」
「え……? 敵が奇襲でも仕掛けてくるんですか?」
「まあそんなところだ。もうすぐ斥候にやったプライムが帰ってこよう」
そういえば、ちょっと前からあの騒がしく喋る猛禽類を見ていなかった。まあ、街中で鳥なんかと喋ってたら、騒ぎになってジャスティーンは魔女扱いされちゃうかもね。
間もなく、一羽の鷹が暮れゆく黄昏の空を悠々と横切り、開け放たれた窓の枠へと留まった。
肘掛椅子に座っていたジャスティーンは、待ちかねたようにプライムへ尋ねる。
「プライム、敵はいかほどだ?」
「は、申し上げます。敵は東の泉より現れた黄泉の兵およそ二万、既にこの街から四日ほどの距離まで進軍しております」
「うむ、大儀であった」
とりあえず、どんなにこの街が平和を享受していようと、これから戦争が始まるというのは間違いなさそうだった。
ただ、ジャスティーンとプライムの会話が今一腑に落ちないので、僕はジャスティーンに改めて尋ねる。
「あの、泉から現れたとか黄泉の兵とか、僕らが戦うのは人間じゃないんですか?」
僕の馬鹿げた質問に、ジャスティーンとプライムは「何を言ってるんだこいつは?」って感じで答えた。
「馬鹿者! いくらジャスティーン様が戦神だとはいえ、人間などと真っ向切って戦などするわけがなかろう!」
「私の戦の相手は人ならざるも者。魔物、悪魔、そして私と同じ神と呼ばれる者たちだ。今回の相手は死兵、そなたらの言葉で言うとアンデッドと呼ばれる連中だ」
淡々と答えるジャスティーン。僕の顔はどんどん青ざめていく。いよいよ話はとんでもない規模にまで膨れ上がろうとしていた。
呆然としている僕を尻目に、プライムは神妙な様子でジャスティーンに報告の続きを述べる。
「それともう一つ、ジャスティーン様にお伝えすべきことが……」
「ん? なんだ、申してみよ」
「恐れながら、今回の黄泉の兵を率いる敵将のことでありますが、馬ほどもあろう大斧を持ち、漆黒の甲冑を着た大男にございます。私の目に間違いなければ……」
「あの男だというのか!?」
「は、遥か昔にジャスティーン様が葬りし戦神、“闘神ヴァン・ヘイレス”……かと」
全く話の蚊帳の外だった僕は、彼女とプライムの表情を伺いキョロキョロするばかりであった。
この時、僕は初めてあのジャスティーンが本気で戦慄した表情を見る。
あんなに綺麗だった黄昏の空は、ジャスティーンのその端正な白い顔、美しいグレーの髪までをその燃え上がるような瞳のように真っ赤に染め上げていた。
お読み頂きありがとうございます。
明日また更新します。