第二十二話 剣神ジャスティーン
第三章三夜目、新キャラの登場で吾妻の運命が大きく動きます。
彼女のその小さな得物が常闇の獣へ振り下ろされようとした時、僕はスロウダイヴして彼女の腕を掴んでいた。
スロウダイヴから浮上した僕の必死の形相を見て、彼女はギョっとする。
「やめて下さい! 元はといえば僕が悪いんです。殺さないでください!」
「そなた、速いな……」
そう言うと、彼女は常闇の獣から手を放す。
圧倒的な力の前に、獣は一旦僕の方を振返ると、怯えるように森の奥へと走り去って行く。
そして彼女の関心は僕へと向いたのだ。ランプの灯かりが照らすその燃え上がるような赤い瞳が僕を訝し気に見つめる。
「助けろと言ったり、殺すなと言ったり、忙しない奴だな。そなた、今一体何をした?」
「すみません。ご存知かどうかわかりませんが、スロウダイヴという力らしいです」
「ほう、彼の静剣の勇者が使ったという力か。そなた何者だ?」
その問い掛けに、僕は何と自己紹介して良いものかわからなかった。
異世界から来た勇者の生まれ変わりなんて言って、果たして信じてもらえるものなのだろうか。
仕方ない。成るように成れだ。
「那木 吾妻と言います。この世界ではないところから来ました。聞いた限りでは、その何とかの勇者って奴の生まれ変わりらしいです」
「なるほど。それなら、そなたの話すその奇妙な言葉にも合点がいく」
一体この人は何を言ってるのだろう。奇妙な喋り方をしているのは、どちらかと言えばこの人の方だ。
先程彼女が発した変な言葉のこともあったので、僕はとりあえずその疑問をぶつけた。
「僕の言葉ってそんなに変ですか? 今はちゃんと通じているみたいですが?」
「今は私がそなたの話す言葉をこの世界に調和させた。元のままでは、そなたの話す言葉など亜人や人間には、全く通じんはずだ」
どういうことだ。前に来た時は、皆日本人が中に入ってるんじゃないかってくらいだったはずだ。
以前とは状況が異なるらしい。僕は怪訝な顔をして答える。
「そんなことないです! この前はエルフとかともちゃんと話ができました。霧島だって普通に・・・」
「霧島とは何者だ?」
「魔法使いです。前は彼女に召還されてここに来たんです。確かマ……マッドチェスター? とかいう……」
「ほう、そういうことか……」
彼女は何やら納得したように肯くと、興味深げに微笑して言った。
「私の名はジャスティーン。立ち話も野暮だ。一緒に付いて参れ」
少なくとも悪い人ではなさそうなので、僕は彼女に付いて行った。
しばらく歩いて辿り着いた先は、彼女の野営地のようだったが、そこにあったのはそんな大そうなもんじゃない。
屋根もなければ、壁もない、ふかふかのベッドなんてあるわけがない。要は自然そのままの地べたの上。火が焚けて、眠ることができるくらいの場所ってわけ。
で、そこには鷲だか鷹だかの猛禽類が留守番でもしていたみたいに待ち構えていて、ジャスティーンに対して丁重に会釈をする。
「お帰りなさいませ、ジャスティーン様。そ奴は何者ですかな?」
ああ、鳥が喋った。でも、そりゃ異世界の鳥なら喋るくらいするよね。ジャスティーンも当然普通に応対をする。
「今帰った、プライム。この者は那木 吾妻。静剣の勇者らしい」
「本当ですか? 失礼ながら、私にはとても弱っちそうな、ただの人間にしか見えませんがね」
「プライム、言い過ぎだ。吾妻に失礼であろう」
「は、申し訳ございません」
「すまんな吾妻よ。私の連れのプライムだ」
このプライムという猛禽類が、これまた失礼な奴だった。ジャスティーンはそれを窘めたが、さっき彼女に助けてもらった僕には、何も言い返すことができない。
仕方なく、僕はこの猛禽類に苦笑いをしながら会釈する。
手慣れた様子でジャスティーンは火を起こし、僕に座るように促した。あの小憎たらしい猛禽類のプライムもジャスティーンの横で、得意気に羽を休める。
ジャスティーンのその美しい銀色の髪は、目の前の炎を映してオレンジ色に染まり、その燃えるような赤い瞳の奥では、実際にメラメラと炎が燃え上がっているようだった。
どうやら今晩はベッドの上でってわけにはいかなそうだ。贅沢は言っていられないけど、インドア派の僕にとってこんなとこで野宿っていうのは、正直ハードルが高い。
だけどとてもじゃないけど、そんな失礼なことをジャスティーンには言えない。とりあえず、僕は先程の話の続きを求めた。
「さっきのことって、一体どういうわけなんです?」
「ふむ、そなたは以前、魔導士に召還されてこの世界に来たと言ったな。その魔力が強ければ強いほど、言語も含めこの世界によく適応する。して、今回はどうしたのだ?」
「この本がいきなり生き物みたいに鼓動を打ったんです。そうしたら――」
僕はあの汚らしい本をバッグから取り出し、ジャスティーンに見せた。彼女は物珍し気にその本を手に取る。
「これはいわゆる魔導書という類の物だな。魔力に反応していくつかの術式を発動させる本のようだ」
「何でいきなりその本の力が発動したんでしょうか?」
「そんなこと私にはわからん。何か特殊な条件を満たすと発動する仕組みなのかもしれぬな」
「じゃあ、この前は霧島……魔法使いの力のおかげで、特に言葉に苦労をしなかったのはわかりましたけど、あなたは何故僕の言葉がわかるんです?」
僕の質問攻めに、ジャスティーンは些か面倒そうな面持ちであった。
見るに見かねて、ずっと我慢している様子であったプライムが、待ってましたと彼女の正体を明かした。
「控えい控えい! 先程から恐れ多いぞ、小僧!」
「え……あ、すいません」
「このお方をどなたと心得る。かつてハシエンダに夜明けを齎された暁の騎士、軍神にして剣神、ジャスティーン・マニエラ・プライマル・スワスティカ様であらせられるぞ!」
大そうな冠言葉と名前の長さに、僕はどこかの時代劇みたいに「ははー」と跪いて頭を垂れた。
とりあえず、彼女はとてつもなく凄くて偉い人みたいだ。確かにさっきのジャスティーンの動きは尋常じゃなかった。
そしてプライムは更に意気揚々と羽を広げ、今度は自身のことを尊大に語り出した。
「そして私は、剣神ジャスティーン様の傍で仕えることを許された名誉ある神使、プライムである。
そもそも静剣の勇者などといっても、貴様のような人間ごときが、ジャスティーン様に軽々しく言葉をお掛けするなど畏れ多いことであり――」
「プライム、もう良い、うるさい」
「は、申し訳ございません」
ほっといたら、いつまででも喋り続けそうな偉そうな猛禽類の話を、ジャスティーンは慣れた感じで遮り、プライムはさっきと同じように慇懃な様子で黙り込む。
一息入れて、ジャスティーンは再び語り出した。
「この者が申した通り、私はそなたと同じ人間ではない。いや、かつて人間と呼ばれたものだった」
「では、今は?」
「そなたたちの言葉の中で言ったら、『神』というものが一番私に近しい。ただし、全知全能などではないがな」
「えーと……神様ですか?」
つまり、ジャスティーンの名前の前に付いてた「軍神」だとか「剣神」だとかは、二つ名みたいなものじゃなくて、それそのものってわけだ。
そりゃ、目の前の人にいきなり「自分は神です」なんて言われても、胡散臭い新興宗教以上に信じるのは難しい。
だけど、亜人に化物に魔法少女、悪魔にドラゴン、おまけに喋る鳥なんか見ちゃったら、神様が出てきたところでどうだっていうんだ。
僕は面食らいながらも、頭の中を整理しながら言葉を選び、再び彼女に問い掛ける。
「それで、何故神様がこんな……このような森で野じゅ……じゃなかった、野営あそばされているんですか?」
「別に今まで通り、普通に話すがよい。私は戦神だ。戦あるところにしか現れぬ。そう遠くないうちに、この付近で戦が始まるのだ」
「戦って、戦争ですか?」
淡々と説明するジャスティーンの言葉に、僕は驚きを露わにする。
僕とジャスティーンの間をバチバチと赤い炎が音を立てる。炎を宿したような彼女の瞳が僕を見ていた。
とりあえず、今わかったことは、この人に関わると確実に物騒なことに巻き込まれるということだ。
普通に考えれば、早いところこんな人とはさよならしたいところだったけど、今は状況が状況だ。
ジャスティーンの先程の戦いぶりを見ていた僕は、霧島を助けるためとはいえ、最も僕らしからぬお願いを彼女にしてしまったんだ。
「あの……もしできるのであれば、俺に剣を教えてはもらえませんか?」
「私がそなたに剣をか?」
いきり立って、こちらの世界に来たのはいいけれど、僕にはスロウダイヴを活かせるような戦闘能力は皆無だった。
またあのアレックスとかいう用心棒、ひいてはデーモン・アドバートと戦わなきゃいけないかもしれないのに、今のままではどうしようもない。
もしこの人みたいに戦うことができれば、或いは僕にも勝てる可能性があるんじゃないかと直感的に感じたんだ。
それを聞いて、プライムが大袈裟に羽を広げて騒ぎ出す。
「貴様はまだジャスティーン様の偉大さがわかっておらぬようだな!? 人間ごときがジャスティーン様に教えを乞うなど、千年早いわ! そもそもジャスティーン様の剣は――」
「プライム、うるさい」
「は、申し訳ございません」
落ち着いた様子で、先程と同じようにプライムを咎めると、ジャスティーンは僕の言葉が予想外だったらしく、物珍しそうに微笑して見せた。
「ほう、この私に剣を教えて欲しいなどという人間がいようとはな。して、理由を聞かせてもらおうか?」
「俺がこの世界に来たのは、ある人を……大事な人を探し出して、助ける為なんです。でも今の俺じゃ到底それはできません。強くならなきゃいけないんです!」
「私の剣を人間のそなたが身に着けられるとは限らんぞ?」
「でもいいんです! あなたの剣は、僕がスロウダイヴしたときより速くて、そして何より綺麗だった。勘なんですけど、僕にはあなたの力が絶対に必要な気がするんです! お願いします!」
僕は地べたに頭をつけるようにして彼女に頼み込んだ。もちろん、僕は土下座なんて今までしたことはなかった。
霧島は誰かの言葉を借りて言っていた。“弱いというのは、けして悪いことではない”と。
だけど、今の僕には力が必要だった。霧島 摩利香を――世界を売った少女を――救い出すのに必要な力が、果たしてどれだけのものかわからなかったが、それはきっと生半可なものであるはずがないのだ。
だから普通に強くなろうとしてたってダメなんだ。あのアレックスや、ましてやデーモン・アドバートになんて勝てるわけがない。
僕の目の前にいるこの人は、僕が今最も必要としているものを手に入れる為の答えなんだ。
ジャスティーンは険しい表情で僕を見ていたようだが、数秒後、その緊張の糸を切るように、高らかに笑い出した。
「ハハハハ――。まさか静剣の勇者を弟子に取ることになろうとはな。長く生きていると色々なことが起こるものだ」
「ジャスティーン様、お戯れを! まさか本当に弟子になさるなどとは?」
「私は本気だ。ここで吾妻と私が出会ったのも、何かの導きであったのかもしれぬ。戦前の暇つぶしくらいにはなろう。それに、何やら私にも無関係ではない気がしてな」
片方の羽で顔を覆い、首を振って呆れるプライムを尻目に、ジャスティーンは顔を上げた僕に微笑みかけていた。
この人の瞳は、ときにあらゆる物を焼き尽くす破滅の業火であったり、今みたいに冬の家を温かに包み込む暖炉の火のようでもあった。
僕の行き先にも、この時パッと明りが灯ったような気がしたんだ。僕は嬉しくて叫ぶように言った。
「あ、ありがとうございます!」
こうして、僕は“暁の騎士”の異名を持つ、剣神ジャスティーンの弟子となったわけだ。
この時、僕は愚かにも既に強くなれたものくらいに思っていたのかもしれない。
単純な話、強くなるなんてことは、勇者だろうが神様だろうが一朝一夕でいくわけがないってこと。
そう、僕はこの後始まる思い出したくもない地獄のような日々など全く想像もせず、ただ間抜けみたいに笑っていた。
ありがとうございました。
次回もまた同じくらいの時間に更新予定です。