85 別次元のフィールド
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その男がいつからそこにいて、どこから現れたのか、あたしには分からなかった。
気が付いたらそこにいて、そして、とんでもない力でマザーを叩き落とした。
強引に。
力でねじ伏せるように。
「マザーさん!」
タマちゃんが叫び、墜落したマザーさんに駆け寄る。
あたしも行かなきゃ――
なのに、足がすくんで動けない。
突如現れた大柄な男の雰囲気に気圧されて……足が震えている。
剣姫は?
「…………」
剣姫は、その男を見つめたまま固まり、微動だにしない。
「ドーマ様!」
「おぉっ! ドーマ様が来てくださった!」
「これで安心だ!」
逆に、騎士たちには勢いが戻る。
剣姫相手に手も足も出なかった騎士たちが武器を構え、剣姫に向き合う。
まるで、あの男――ドーマがいれば自分たちの力が増すかのように。
「剣姫!」
「……はっ!?」
あたしの声が届いて、ようやく剣姫が正気を取り戻す。
ただ、正気に戻るのが少し遅く、突進してきた騎士たちの剣を、おのれの剣で受け止めるのがやっとだった。
いや、あの一瞬ですべての攻撃を受け止めたことに驚くべきかもしれないけれど、剣姫の凄さを知っていれば、あの程度しかできなかったと思ってしまう。
剣姫の判断を鈍らせたあの男は何者?
大きな体に、はち切れそうなほど膨れ上がった筋肉。
それでも、あの筋肉は密度が異常だって見ただけで分かる。
極限まで絞った上で、あそこまで膨れ上がっているのだとしたら、あの男は相当なバケモノね。
少々くすんだオレンジの髪は腰まで届くくらいに長く、長い髪の向こうから世界を睨みつける瞳は、伺い見るだけで背筋を寒くさせるほどに鋭く冷たい。
ドーマ。
聞いたことのない名前だ。
そんな凄い冒険者なら、名前くらい知っていてもよさそうなのに。
何者……?
「――っ!?」
ふいに、男の視線がこちらを向いた。
瞬間、全身の血液が沸騰したかのような錯覚に陥る。
全身から汗が噴き出す。
……殺される。
そんな言葉が脳裏に浮かんだ瞬間、あたしは咄嗟に影に隠れた。
目視できる影になら、どこへだって潜り込める盗技・影渡り。
間一髪、男の剣をかわして逃げ――
「奇妙な技を使う」
「ぇ……っ」
「だが、遅い」
ドーマから遠く離れた、騎士団の団長らしき赤い鎧の男の影に潜ったあたしの後を、あたしの影渡りよりも早く移動し、そして重い一撃をあたしのみぞおちに叩き込んできた。
「ぐは……っ!」
凄まじい衝撃に呼吸が出来なくなる。
自分の体重がなくなったんじゃないかってくらいに軽く吹き飛ばされ、ごろごろと地面を転がる。
なにが起こったのか理解するのに数秒を要し、その数秒で確信する。
格が違う。
この男は、強いとか、そんな次元の生き物じゃない。
どんなにスキルをマスターしようと、どんなに体を鍛えようと、太刀打ちできる生物ではない。
同じフィールドに立つことすら出来ない、別次元の生き物。
「人に視線を向ける時には、死を覚悟しろ」
紙屑の様に吹き飛ばされたあたしに、男は言う。
「生物は最終的には皆、死ぬ。それまでの人生は、殺すか殺されるか、その二択しかないのだ」
男が剣を構える。
巨大な体躯に見合った、巨大な剣。
数百kgはありそうな巨大な剣を、片腕で操る。
恐怖から、男が持っているのが小さなナイフに見える。
それくらいに、気軽に扱っている。
でも、あの剣が振るわれた時、あたしは死ぬ。
回避不可能の絶対的な死が、足音を立てて近付いてくる。
男を見たから。
目が合ったから、あたしは――殺されるの?
「と、盗技・影縛り!」
男の影にナイフを投げ、影を地面に縫い付ける。
これで、男は動きを封じられ……
「くだらぬ」
剣の一振りでナイフが砕かれ、地面が抉れ、いとも簡単に技が破られた。
「……弱き者は死ね」
あぁ、死んだ……
絶対的な死から目を逸らせなかったあたしの視界に、風にたなびく赤い髪が割り込んでくる。
「させない」
「……剣姫」
剣姫の静かな声が聞こえた直後、鼓膜が破れそうな金属音が鳴り響く。
剣姫の剣が、男の剣を受け止めた。
受け止めた……
凄い。
たったそれだけのことで、あたしは悟った。
知っていたつもりだったけれど、再認識した。
剣姫も、そっち側の人間なんだね。




