80 感謝祭を楽しんで
「シェフ」
アイナさんに名を呼ばれ振り返る。
「グラタンは、とても美味しい」
アイナさんの頬にうっすらと朱が差している。
かわいいなぁ。
「作ってよかったです」
「うむ。よかった」
同じ意見に聞こえて、きっと違う。
あなたの笑顔が何よりのご褒美です。
「もっと食べたいですか?」
「う、むぅ……それもあるが、もっと他の物を食べてみたい。折角沢山あるのだし……しかし、これはすごく美味しくて……何を食べればいいか、悩む」
空のお皿を持って次の料理のことを考える。
そんな食いしん坊な悩みに頭を抱えるアイナさんを見て、つい笑ってしまった。
「なにか、変だっただろうか?」
「いいえ」
変じゃないですよ。
「よかったなって」
「よかった?」
「アイナさんが、ちゃんと感謝祭を楽しんでくれて」
きっと、感謝祭では誰もが、たくさん並ぶ料理から「どれを食べよう」って頭を悩ませるんだ。
「食べたい」という欲求を、お腹の制限が許す範囲で満たすために。
「美味しかったものは、また今度、いつでも作りますから、今日はいろいろ初めてのものを試してみるのはどうですか?」
「そうか。……うん、そうだな。そうする」
少しだけ悩んで、そして笑顔で即決する。
実にアイナさんらしい潔さだ。
「シェフは頭がいい。また今度という発想は、なかった」
アイナさんはきっと、今という瞬間を全力で生きてきた人なのだろうと思う。
冒険者という危険な生き方。
明日、またこの場所に同じような笑顔で立っていられるという保証がない職業。
でも、変わっていけばいい。
「食べたくなったらいつでも言ってください。何度でも作りますから」
楽しいと思える未来になるなら。
どんな風にだって変われる、そういう可能性を持っているのが『ニンゲン』という生き物なのだから。
「いつだって、ボクはアイナさんの傍にいますからね」
そういうと、アイナさんがボクの手を握った。
真剣な瞳が、じっとボクを見つめてくる。
……え?
あの……
「約束」
そう言って、また小指を絡めてくる。
覚えたばかりの指切りがしたいらしい。
そうだと分かると、照れが一瞬で穏やかな気持ちに上書きされた。
気に入ってくれてよかった。
絡み合った小指が、アイナさんの体温を伝えてくれる。
確かにそこにいる。
そんな安心感がある。
「……アイナさん?」
けれど、アイナさんは小指を絡めたまま、何も言わず、動かない。
指を絡めて、じっと見つめ合って、無言の時間が流れていく。
赤い瞳が、ボクを見ている。
「あの、アイナさん……?」
「約束。……してほしい」
約束……
「ずっとそばにいると、約束してほしい」
そんな言葉に、心臓がはねる。
けれど、こちらを見つめる瞳が寂しそうで……
はしゃぐ気持ちにはなれなかった。
「約束します。アイナさんがもういいと言うまで、ボクはアイナさんのそばにいますから」
「…………そうか」
きゅ――っと、アイナさんが唇を結ぶ。
言いたい言葉を飲み込んだように見えた。
★★★★★★★★★★
多分、シェフは嘘をついては、いない。
けれど……
なら、どうして、そんなに儚い瞳をしているのだろうか。
どうして、目の前にいるのに、存在がこんなにもおぼろげなんだろうか。
絡み合ったわたしとシェフの小指。
この指を離してしまったら、途端にシェフが消えてなくなりそうな、そんな言葉にできない不安が胸の奥から溢れてきて、拭いきれない。
そんな不安が、目に見える形となって襲い掛かってくることになる。
そしてわたしは、それに全力で抗う。
それは、感謝祭が終わりを告げる直前。
日が落ちた空の下、高く積まれた燃え盛る薪組みの炎が夜を赤く染め、闇が一層黒を深くする中、その闇の中から這い出すように現れたのだった。




