77 キッカと
★★★★★★★★★★
シェフにお願いされたお遣いを、キッカと共に遂行する。
「……あたし、悪いと思ってないからね」
「キッカは悪い子」
「だって!」
ばっと、こちらを向いた顔は、なんだか切実そうに見えて、少し寂しくなった。
「話したくないことは、誰にでもある。わたしにも、キッカにも……ね?」
「…………」
わたしが言うと、キッカは唇をかみしめて俯いてしまった。
「……あんたは、気にならないの?」
正直に言ってしまえば、気になっている。
シェフが何者なのか。
どうして、それほどの力があるのに、その力を隠しているのか。
……食事をとらないで、生きていけるのか。
「けれど、シェフは優しいから」
きっと、聞いてしまうと、シェフは話さなければいけないと、そんな風に感じてしまうかも知れない。
「話せることなら、きっといつか話してくれる」
「その前に、ある日突然いなくなっちゃったら?」
……驚いた。
キッカも、わたしと同じ不安を感じていたんだ。
シェフは不思議な人で、優しくて、可愛くて……儚い。
そばにいても、一緒におしゃべりをしていても、……上手く言葉にはできないが……なんだか、『ここにはいない』ような……そんな気がする時がある。
キッカの言うように、ある日突然、本当にふっと消えてなくなってしまうのではないか……そんな不安がずっと、まとわりつくように胸の奥に付きまとう。
もしそうなれば、手を伸ばしても、きっと届かない。
それでも――
「わたしは、シェフを信じて待っていたい」
シェフが話してもいいと、そう思ってくれるまで。
「それってさ、今のこの関係を壊したくないだけなんじゃないの?」
……そうかもしれない。
今のこの、心地のいい関係を壊したくない。
変えたくない。
もしずっと、今のままの関係が続くのなら、わたしはそれを望みたい。
「そのくせ、勝てもしない勝負を安請け合いして……あんたバカでしょう?」
「ぁう……それは、反論が出来ない」
わたしを嫁に欲しいなどと考える生き物がこの世界に存在するなどと考えたこともなかったからだろうか、マザーが出した条件はどこか現実味がなく、今にして思えばわたしは重要なことを何も理解していなかったと言わざるを得ない。
誰かと結婚したら、シェフの隣にはいられない。
その事実が見えていなかった。
誰かと結婚しても、それぞれがそれぞれの稼ぎで生計を立て、個々人として強く生きていけばよいのではないかと、そんな風に思っていた。
実際、わたしの母親は、父とは一切かかわりを持たずに生きていた……はずだ。
わたしは、一度も母親を見たことがないから。
死んだとは、聞かされていない。
父は、死んだ者は死んだとはっきり言う人だった。
死は当たり前にそこにあるものだから、隠す必要はないと。
その父が、「母は死んだ」とは言わなかった。
だから、生きているのだとは思う。
思う、だけだけれど。
「よかったね、シェフが守ってくれて」
守って……そうか。わたしはまたシェフに守られたのか。
「もう、一生をかけても返しきれそうにない、シェフから受けた恩は」
「いやぁ~? さっきのボインクッションで充分ペイできてんじゃないの?」
ボインクッション、とは?
ペイ、とは?
「キッカはたまに難しい言葉を使う」
「あんたが知らな過ぎるのよ。……ホント、戦うことしか知らなかったんだね、剣姫は」
「そう……なのだと、思う」
そんなわたしを変えてくれたのが――
「シェフと、キッカだ」
「あたしも!?」
「キッカはいろいろ教えてくれるから、好きだ」
「はぁ!?」
驚いた顔をして、「はぁ……」っとため息を吐くキッカ。
呆れたような顔でこちらを向いて――
「あんたは、また、そんな無邪気な顔で……勝手に意地張ってたあたしがバカみたいじゃない」
――笑ってくれた。
それが嬉しくて、わたしは、『フォロー』というものを試みた。
自分を悪く言ったキッカに、「そんなことはないよ」と。
「キッカは、『みたい』じゃない」
「はぁっ!?」
「間違えた、『バカ』じゃない」
「そこ、一番重要なとこだから、今後は死んでも間違えんな!」
死んでも、か……肝に銘じておこう。
「まぁ、アレね」
キッカが、明るい声で言う。
「折角の感謝祭だから、目一杯楽しんじゃおう」
「うん。それがいい」
キッカが笑ってくれたから、わたしも笑った。
きっと、賛同は得られていないのだろうけれど、わたしはわたしで、キッカはキッカで答えを見つけ出していけるだろう。
歩くトラットリアに入ると、とても美味しそうな香りが充満していて……わたしのお腹はそこそこ大きな音を上げて鳴いた。
わたしは、この、歩くトラットリアの匂いが、大好きだ。




