53話 マザーとカエルと -1-
僕が止める間もなく、お師さんはとことこと小さな体でマザーさんの前まで歩いて行った。
マザーさんの後ろに控える女性たちが一瞬臨戦態勢をとるが、お師さんがチラリとそちらへ視線を向けた途端、女性たちはいっせいに半歩身を引いて、硬直したように動かなくなった。
お師さん、よっぽどキモい顔をしてたんだろうなぁ。
真正面から見た女性たちに同情を禁じ得ない。
ただのカエルなら可愛げもあるのに、お師さんは邪の権化、卑猥なカエルだからなぁ。
うん、分かる。分かりますよ、女性の皆さん。
さて、そんなお師さんの顔を直視しなかったのか、マザーさんはゆっくりと近付いてくる小さなカエルを悠然と見つめていた。
王者の余裕というヤツだろうか。
「のぅ、ドラゴンの長さんや……いや、べっぴんスレンダーちゃんよ」
なぜ言い直したのか。
「なんじゃ、このカエルは? 踏みつぶすぞ」
もう踏んでもらえばいいのに。
「ほっほっほっ。その綺麗な足で踏んでくれるなら、大歓迎じゃ」
「ひぃっ!? な、なんじゃ、このカエルは!?」
あぁ、遂にマザーさんも気づいちゃいましたか。
その生き物の、いや、そのナマモノの気持ち悪さに。
一族の長をここまで怯えさせるとは……人智を超えて魔神級ですね、お師さんの変態性は。
「……同じ、部類、に、カテゴライズ、されて、いる。【歩くトラットリア】の、住人、は……」
「ちょっと待ってください、グロリアさん。ボクとお師さんを同じカテゴリーに入れないでもらえますか?」
「え、同じカテゴリーでしょ?」
「キッカさん、既成事実化を狙うのはやめてください。心外です」
「仲良しだからな、シェフとお師さんは」
「えっと……アイナさんだけ、ちょっと論点がズレてます」
とにかく、あんな踏まれて喜ぶようなカエルと同類だというのは認められない。
ボクは別に、踏まれたところで嬉しくなんかないんです。
たとえそれが、アイナさんの足であったとしても…………素足でほっぺたをぷにぷに…………ぷにぷに…………うむ。
「時と状況によりけり……」
「許容しちゃったわね」
「踏み込んだ、な、変態、の道の、その、先へ」
「仲良しなのはいいことだと思う」
いや、それでも!
見境なしのお師さんとは違う!
違う、……はず。
「のぅ、べっぴんスレンダーちゃんよ」
「その呼び方をやめよ!」
「スレンダーちゃんよ」
「そっちじゃ、真っ先にやめるべきなのは! べっぴんは残しておけ! むしろ、べっぴんと呼べ!」
え、それでいいんですか?
マザーって呼ばせればいいのでは?
「確かに、そなたはべっぴんじゃ。息を飲むほどにの」
「ふふん。当然じゃ」
「そして、それにも増してぺったんこじゃ。息を飲むほどにの」
「その飲み込んだ息、吐き出せぬようにしてくれるわ!」
「まぁ待て、あばらちゃん」
「あばら言うな!」
どうして、あのカエルは最低なセクハラ発言のみで相手の逆鱗を撫で回すのか。
もっとこう、相手を落ち着かせるようなセリフが言えないものか。
「ワシは、ぺったんこのお胸でもはぁはぁ出来るぞ!」
「マザーさん、今です! 踏みつぶして……いえ、ブレスで焼き尽くしてください!」
「タマちゃん、落ち着いて。一応、身内でしょ?」
「いいえ! たんなる、大恩ある顔見しりです!」
「……微妙な関係なのね、あなたたち」
身内だなんて、そんな、そんな。
これは一種の謙遜です。
お師さんと同じカテゴリーに入るなんて、そんなそんな。……あのレベルの変態には、到達出来ませんとも、ボクなんて。ノーマル過ぎて。
「なんなのじゃ、この嫌悪感しか湧いてこない生物は!?」
「ほっほっほっ。嫌悪感も、クセになるとたまらんもんじゃぞ」
「へぇ~、そうなんだぁ?」
「あの、キッカさん。なぜ『ボクに』聞くんですか? 発信源は向こうですよ」
なんとなく、うん、ずっと嫌な予感はしているんです。こうしている間も、ずっと。
他人の因果が自分に回ってきちゃいそうな、そんなはた迷惑な嫌な予感が。
「そもそもじゃ。そなたのような美女に踏まれれば、男なら全員大喜びするものじゃ」
「へぇ~、そうなんだぁ?」
「だから、キッカさん。なぜ『ボクに』聞くんですか? 被告人は向こうですよ」
嫌な予想というのは、得てして当たってしまうものですよね……
もう黙ればいいのに、あのカエル。
……でもまさか、お師さんがこの直後にこの凍てつくような状況を打破するなんて。
世界って、もしかしてどこかでおかしくなってしまっているんでしょうかねぇ……




