47話 新たなるF -1-
「……着替えてきた」
と、着替えてきていないアイナさんが言っている。
ドレスのままですけど!?
……いや、でも、まぁ。
かわいいなぁ、やっぱり。ドレス。
それに、折角オシャレしているアイナさんに、「鎧着ませんか」とか言っちゃってちょっと後悔していたし…………何を思ってアイナさんが着替えずに戻ってきたのか、それは分からない。けれど……うん、今度は後悔しないように言葉を選ぼう。
「素敵ですよ、アイナさん」
鎧でもドレスでも、何を着ていてもアイナさんは素敵だ。
その気持ちを、素直に伝える。
……と、なぜかアイナさんはスカートを――太ももの付近をぎゅっと押さえた。
「…………見えるのだろうか?」
「……え?」
「い、いや……なんでもない」
なんでも、なくないような言葉が聞こえてきたんですが…………
「結局鎧はやめたんだね」
キッカさんは少し嬉しそうにそう言う。
自分だけバニー姿になるのはちょっと嫌だったのかもしれない。
「うむ……お師さんに、言われたことがあって」
何を言った、あのカエル。
「わたしは……逃げないことにした」
「逃げないって、何からよ?」
強い意志。
その真意を問うキッカさんの問いは、ボクたち全員の疑問でもあり、ボクたちはアイナさんを見た。
一体、何から逃げないというのか……いや、何から『逃げようとしていた』のか。
「揺れる……おっぱいから」
「てい!」
「てい!」
両サイドから、キッカさんとグロリアさんがアイナさんのおっぱいをそれぞれ叩く。
二つの膨らみが異なった形にたわみ、その反動で躍動する。
お見事っ!
ブラボー!
スパシーボッ! いや、スパシーバッ!
「なっ、何をするのだ!?」
「自分の胸に聞け!」
「だから、それはつまりキッカがたまに、お風呂上がりにやっている『あなたは出来る娘……』」
「その話をタマちゃんの前でするなと言っただろーがぁー!」
キッカさんがアイナさんに飛びかかり、乱闘が始まる。
……というか、元気のいいネコにじゃれつかれている飼い主の様相だ。
「諸悪の根源、滅せよ」
「どふっ!」
すっと近寄ってきて、ツドス――とボクの脇腹に水平チョップをめり込ませるグロリアさん。
……え? ボクが悪いんですか、この状況?
脇腹に鈍痛が走り、ボクは否応なく床へとうずくまる。
抗えない苦痛……人生の不幸を嘆かずにはいられな……
「シェフ、危ないっ!」
アイナさんの声に顔を上げると、キッカさんの追撃から逃れたアイナさんが、かなりの速度でこちらへ向かってきていた。
世界がスローモーションになる。
髪のなびき方、ドレスの裾の揺れ方から、アイナさんの移動速度が人間のそれを大きく上回っていることが分かる。
きっと、通常の世界なら、これは瞬きほどの時間でしかないのだろう。
衝突事故に遭う直前、世界はスローモーションになると聞いたことがあるが、これがそうなのだろう。
本気のキッカさんの攻撃をかわしたアイナさんは、きっと余裕がなかったのだろう。トップスピードでの回避を試みたのだ。
その軌道上に、ボクがいた。
運悪く、ボクは脇腹の鈍痛により身動きが取れないでいる。
もっとも、アイナさんのトップスピードに、ボクなんかが対応出来たとは思えないけれど。
以上のことから、ボクとアイナさんとの衝突は避けられず、また、アイナさんとボクの体の頑丈さを鑑みるに――ボクは吹き飛ばされるだろう。
でも、それでもいい。
アイナさんとの、接触。
もし、これにより命を落とすことになっても、最後の瞬間がアイナさんの胸の中であるならば、ボクは幸福な最期を遂げたと言えるだろう。
…………胸じゃなく、肩やヒザが当たったらすごく痛そうだけれど。
焦ったアイナさんの顔が近付いてくる。
回避も防御も、無駄なあがきはやめておく。
今はただ、最期の瞬間までアイナさんの顔をまぶたに焼きつけることに専念しよう。
慌てた顔も可愛いなぁ……と、見つめていると。アイナさんの表情が引き締まった。
眉がつり上がり、瞳が輝き、唇がきゅっと結ばれる。
そして――
「はぁぁあっ!」
と、叫んでいそうな形に口が開かれる。音はまだ聞こえない。光よりも随分と遅れて届くという音は、まだボクの鼓膜へは到達しない。
そして、アイナさんのヒザが動き――床を蹴った。
右脚が床を蹴り、左脚が伸脚したまま振り上げられる。
お師さんが言っていた『ハードル』という障害物を飛び越える時のような美しいフォームで、アイナさんがボクの頭上を飛び越えていく。
トップスピードの中、咄嗟の判断で体の軌道を変更する。
それは凄まじい技術を要することで、常人においそれと出来るようなことではない。
それをやってのけるアイナさんはやはり一流の剣士でぇぇぇええええええっ!?
頭上を飛び越えていくアイナさんを、ボクの視線が追う。
伸ばした脚と風によってふわりと舞い上がるドレスの、スカート。
広がったスカートがボクの頭上を飛び越え――それをボクの視線が追っているということは…………ボクの目に映る光景は…………スカートの中身っ!!
肌を見せた相手とは結婚しなければいけないというアイナさんの、おそらくアウト判定となるであろう太もも、それに噂のカエルパンツが丸見えに――は、ならなかった。
アイナさんの下半身を、黒い、肌にぴたっとフィットする布地が覆い隠していた。
「黒スパッツっ!?」
その声は、おそらくこれより数秒後に世界へと届けられるのだろう。
流れが緩やかになったスローモーションの世界で、音が到達するまでの長い長い時間の中で、ボクはただ目の前すれすれを通過していく黒スパッツを見つめていることしか出来なかった。




