44話 横たわる -2-
結局、キッカさんの判断で、ボクは自室へと戻された。
「しばらく一人になって頭を冷やしなさい」と、ちょっと強めのデコピンをもらった。
じんじんとした痛みが、浮かれたボクの心を適度に鎮めてくれる。
「濡れたタオル持ってくるから、ちょっと待ってなさいよ」
ボクをベッドに誘導し、キッカさんが部屋を出ていく。
部屋を出る直前、ドアの前でこちらに振り替えち、人差し指をボクに向けてこんな言葉を口にする。
「あたしが戻ってくるまで、大人しくベッドで横になっていること。いいわね?」
勝気な表情で言って、最後にふわりと微笑んだ。
キッカさんの優しさが、その微笑みによく表れていた。
気を使ってもらってるなぁ。
言いつけを守って、枕に頭を鎮める。
瞼を閉じれば、アイナさんの顔が浮かんでくる。
大空に放り出されて死を覚悟した時、ボクの名を呼びながら助けに来てくれた。
あの時の、真剣で、カッコよくて、凄く綺麗な、優しい顔。
心が、じんわりと温かくなる。
その後、腕を惹かれて、胸に引き寄せられ、温もりに包まれたと言うか埋もれたと言うか埋まったと言うかもうとにかくとんでもない質量と柔らかと温かさとほんのりとした甘い香りと言葉には出来ない幸福感と――ぁぁあああっ、心がぐつぐつと沸騰するぅう!
「ヘブゥゥウーーーーン!」
「大人しくしてろって言ったでしょうが!」
「どぅっ!」
濡れたタオルが顔面に叩きつけられた。
あ、冷たい。
「まったく、タマちゃんは……」
顔面に張り付いたタオルを取り上げ、桶の中の水に浸けてぎゅっと絞るキッカさん。
水気の切れた冷たいタオルで顔を拭いてくれる。
「頭を冷やしなさい」
「はい。……すみません」
素直に謝ると、キッカさんは「くすっ」と小さく笑った。
あぁ……まったく、本当に。
少し頭を冷やさなくては。
このままじゃ、アイナさんの顔を見る度に失血して、いつか本当に死んでしまう。
…………心臓って、こんなにドキドキするもんなんだな。
ボク史上、かつてない鼓動の速さだ。
何もしていないのに涙目になるし、息は詰まるし、思考は止まって訳の分からないことを言うし、するし、止められないし…………
神の領域に触れたことで、神罰を受けているのかもしれない。
「はい、拭けた。また顔をびっしゃびしゃにされたくなかったら、変なことを言わないようにね」
キッカさんにも心配をかけてしまった。
なのに、こうして優しく気遣ってくれる。
キッカさん、本当にいい人だなぁ。
もし、あの時――
「もし、あの時……助けに来てくれてたのがキッカさんなら……」
「え……っ」
思わず胸元へと下がったボクの視線に反応して、キッカさんが胸を隠す。
「触れることすら、なかったでしょうに……」
「止めようか、息の根?」
失血死の危険は軽減されるが、それ以外の死亡確率が跳ね上がっていたかも知しれない。
うん、やっぱり頭を冷やそう。
ボクはキッカさんにお礼を言って、部屋で休むことにした。
少し眠ろう。
タイミングがいいのかなんなのか、グロリアさんは、お腹がすいたのでもう飛べないと言っていた。
これから先は、グロリアさんが【ドア】を誘導して、歩いてドラゴンの里へ向かうことになっている。
ボクが休んでいる間に、里へと着くだろう。
一つ気がかりなのが、お腹をすかせたグロリアさんに、ボクが料理を作ってあげられないこと。
適当にフルーツを摘まむと言っていたが……ちゃんとした物を食べてほしかった。
頭を冷やして、元気になって、今度はちゃんと料理を作ってあげよう。
そのためにも少し寝て、体力を取り戻さなければ。
眠るためには、そう、羊。
羊が一匹……ぽぃ~ん。
羊が二匹……ぽぃ~ん。
羊が三匹……ぽぃ~ん。
羊が四匹……ぽぃ~ん。
羊のジャンプする音がおっぱいの音にしか聞こえない!
「うぉぉおお! ボクは一体、どうしたらいいんだぁぁぁあああ!」
「うるさい! さっさと寝ろ!」
扉が開き、割と重めの段ボール箱がベッドへと投げ込まれた。
うっかりぶつかっていたら、その衝撃で気絶しているくらいの重さですよ、まったく。
で、その重めの段ボールだが……見事にボクのみぞおちにクリーンヒットしていた。
うん。これは気絶する。
抗うこともなく、ボクはあっさり意識を手放す。
さよなら意識。元気になったらまた会おう。
……たぶんこの段ボール箱。
中身、ぎっしりのオレンジだな。




