43話 疾走する【ドア】 -2-
「タマちゃんさぁ、部屋に戻っておけば? 着いたら教えてあげるから」
「部屋、に?」
激しい揺れに翻弄されるボクを見かねて、キッカさんがそんな提案をしてくる。
「ドアで遮断されたら空間は動かないんでしょ? だったら、従業員用のドアの向こうは静かなんじゃないの?」
「あっ……そう、かもしれませんね」
それには思い至らなかった。
おそらく、キッカさんの言う通り、あの【ドア】によって空間が遮断されれば揺れはなくなるだろう。
キッカさんって、何気に頭いいのかも。
頭の上でウサギの耳をぴこぴこ揺らしているけれど。
見た感じはすっごく可愛いことになっているけれど。
「キッカさんも、揺れてますね」
「は、はぁあ!? そ、そんなわけないじゃん! バ、バカじゃないの!?」
と、どこか嬉しそうに怒りながら胸元を腕で隠すキッカさん。
いや、そこじゃないです。揺れているの。
というか、そこにはないです、揺れるもの。
なんだかボクを警戒するように、キッカさんがじりじりと遠ざかっていく。
ドアの前にいたのが、今では左の壁際まで移動してしまった。
壁際で身を丸めて、ボクをじぃ~っと睨んでいる。……ちょっと嬉しそうに。時折、自分の胸に視線をやって。
…………いや、育ってないですからね。
しかし、まいった。
これまではバランス感覚抜群のキッカさんがドアのところに立ち、グロリアさんの行く先を見つめてくれていたのだが、そのキッカさんが壁際に避難してしまったので代わりに誰かがドア付近に立たなければいけない。
きちんと【ドア】を誘導するためには、ドア付近でグロリアさんの姿を見ている必要がある。
仕方ない。
ここは責任者でもあり、悲しい誤解を与えてしまったボクが責任を持ってその役に就こう。
めっちゃ怖いですけれど!
「ふ……ん………………ぬぁぁああ!」
気合いを入れて、ドアへ向かって前進する。
足下がぐらついて、ヒザががくがくするが、ドアまでたどり着けば縁にでもしがみついていられる。
よし、もう少し。
あと、もうちょっと…………と、思った時。
『あの崖の下に里がある』
と、グロリアさんからテレパシーが送られてきた。
……『あの崖の下』?
なんとかドアまでたどり着き、ドア枠にしがみついて前方を見ると――
「なんじゃこりゃぁあ!?」
大地が途切れていた。
そこまでずっと続いていた陸地が突如として消失し、遠くには雲が見える。
これ、本当に渓谷ですか?
対岸が一切見えないんですけれど。
というか、この雰囲気からして……めっっっっっっっっっっちゃ深いですよね、この崖!?
世界の果てと言われれば素直に信じてしまいそうな、急に途切れた大地のその向こう側へと、【ドア】が――
「うそでしょ……」
――跳んだ。
細い脚を目一杯まで曲げて、ばびょ~んと、思い切りよく飛び込んだ。
「落ぉぉぉぉぉちぃぃぃぃぃるぅぅぅぅぅぅぅううううううああああああっ!」
突然の浮遊感に、内蔵がふわりと持ち上がる感覚に襲われる。
なんとなく、股間の付近が「ひやっ」とする。
ちょっとでも水分を補給していたら、おそらく漏らしていただろう。
体は強張っているのに、恐怖で全身の力が抜ける感覚……抗えないっ。
「飛んで、【ドア】!」
魔法で出来たこの【ドア】なら、そんな奇跡を起こせるかもしれない。
……とか思ってみたものの、やっぱり無理で、【ドア】はどんどんどんどん、深い深い谷を真ぁーーーーーーーーーーーっ直ぐに落ちていった。
「ちょっ、だ、大丈夫なの、タマちゃん!?」
「墜落の衝撃で、【ドア】が壊れたりはしないのだろうか?」
「あ、あの、ド、【ドア】は、頑丈で、魔物の攻撃にも、びくとも、しない、ので、壊れる、ことは、ない、はずです、けどっ、衝撃は、す、凄まじい、と、予想され、ます、のでぇえぇええええっ!」
ボクが話している途中で、【ドア】が崖から突き出していた岩を蹴ってジャンプした。
寿命が、縮まった。
「…………【ドア】は、平気です…………ボクは、死ぬかもしれませんが……」
きっと、【ドア】は見事に着地を決めて、何事もなかったかのように歩き始めるだろう。
けれど、落下の恐怖と振動で、ボクは…………死ぬでしょう。……か、漏らすでしょう。(←社会的な死)
「シェフ! 着地の瞬間だけドアを閉めることは可能だろうか?」
そうか!
ドアさえ閉めれば衝撃は伝わってこない。
そして、着地さえしてしまえばさほど大きな衝撃はそうそうやってこない。
つまり、今からドアを閉めて、着地した後にもう一度ドアを開けてグロリアさんを追いかければいいんだ!
さすがアイナさん、ナイスアイデアです!
空を見上げると、グロリアさんが落下しているボクたちを上空に留まって見守っていた。
おそらく、着地してこちらがOKを出すまではそこに留まっていてくれるだろう。
ならば、アイナさんの案を採用ということで!
「では一旦、ドアを閉めます!」
出入り口の縁にしがみついていたボクは、ドア枠をしっかりと握っていた右手を離し、ドアノブを掴もうと腕を伸ばし、身を乗り出して――
放り出された。




