38話 『鬼』と呼ばれた少女 -2-
従業員用の廊下へ入ると、そこにアイナさんがいた。
静かな表情でこちらをじっと見つめている。
「……お、驚きました。急に立っていたので」
「すまない」
「いえ。謝るほどのことでは……」
「すまなかった」
ぐっと、頭を下げる。
その謝罪は、今の驚きに対するものではない。
きっと、町での騒動の話だ。
「ドラミルナの町だとは知らずに……いささか、気が緩んでいたようだ」
「緩めましょうよ。収穫祭、お祭りなんですから。いつもいつも気を張っていては疲れますよ」
「いや……わたしは、あの町で収穫祭を楽しんでいい人間ではないのだ……」
「誰の許可がいるっていうんですか。お祭りを楽しむのは個人の自由であり、権利です。誰に文句を言われる筋合いもありませんよ」
「それでも……」
唇を噛み、深く息を吸い込んで、アイナさんはボクから目を逸らさずに言い切った。
「あの町の者にとって、わたしは『鬼』なのだ」
鬼。
誰かが付けたアイナさんの通称――剣鬼。
アイナさんの強さが畏怖の対象となりその名が付いたのだと思っていたのだが……
「…………」
「…………」
しばし見つめ合い、そして流れていく時間を体で感じる。
とてもゆったりとしていると、ボクは感じていた。
「……聞かない、のか?」
「話したいというのであれば」
「……そうでなければ?」
「聞きません。ボクにとってのアイナさんは、優しくて頑張り屋さんなウチの従業員、それがすべてですから」
そのアイナさんのことなら、ボクはよく知っている。
それ以外のアイナさんは――ボクが無粋に踏み込んでいい領域にはいない。
なら、聞かなくていい。
「お腹すいてませんか? 今ちょっと料理の準備をしてまして、つまみ食い要員を募集中なんです」
「つまみ食い…………そうか。うむ、是非参加させてもらう」
ゆっくりと歩き出し、ボクの隣を通り過ぎていく。
すれ違う時に小さな声で――
「つまみ食いをしながら、聞いてほしい。わたしの過去を」
――そう言った。
「はい。伺います」
話してくれるというのであれば、もちろん聞こう。
ボクの『マル秘アイナさんデータバンク~門外不出版~』の内容が充実するから。
「甘いのと塩辛いの、どちらがほしいですか?」
フロアへ続くドアを越えようとしていた背中に声をかける。
アイナさんは立ち止まり、少し考えた後、振り返って言う。
「……甘いの」
承りましたとの気持ちを込めて頷く。
アイナさんの背中を見送って、食料庫へ行き、丸々としたリンゴを手に入れた。




