表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ユトレア年代記  作者: 秋山らあれ
6/55

第一章  終焉と苦悩、そして.....(5)






 ユトレア、ハーグシュ間の五年戦争は、別名スキーレンド継承戦争とも呼ばれる。大陸中部に位置するスキーレンド。ユトレア、ハーグシュ共に婚姻による関係を持つ王国であった。

 事は今から七年前、スキーレンド王レファン二世が世継ぎを残さぬままに二十の若さで急逝した事に始まった。スキーレンドの不幸は、直系の男子が殆ど残されていなかった事である。後継として白羽の矢が立てられるかに見えたのは、レファン二世の長兄にあたる前王の未だ二歳にしかならぬ孫であった。その祖母というのがハーグシュ王の従妹にあたる姫であったが、しかし前王の正妻として嫁いだわけでは無かった。何故ならその姫は、ハーグシュ王の叔父が身分低い市井の出の侍女に生ませた子であった事から、生まれて暫くの間は王家の一員として認められていなかったのである。しかし成長するにつれその美貌が際立ち、政の道具とされる為に王家の一員として迎えられるに至った。その姫は類い稀なるその美貌から、外交手段としてスキーレンドの前王へ側室として献上されたのである。

 その姫の孫息子に白羽の矢が立てられようとする一方で、ユトレアは現王妃の子である第三王子の王位継承を主張した。何故なら第三王子の生母、つまりはユトレア王の現王妃がスキーレンドの王女であったからである。ユトレアは、レファン二世の実姉である王妃を通じて王位継承権を主張したのである。当初この話は上手く纏まるかに見えた。スキーレンド側としても、市井の女の血を引く二歳の幼児よりも、血筋正しい七歳の子供の方を新王として迎えようという気風になっていたのである。しかしハーグシュ側も前王の孫王子の王位継承を負けじと主張した為に話は見る見る拗れて行った。そしてスキーレンド王崩御の凡そ一年の後、戦が勃発するに至ったのであった。

 ユトレアが総大将に立てたのは、当時十七になったばかりの皇太子、ラドキース・アレクセル・イルス=フォルタイン....、後に黒将軍の異名を取る事となる王子であった。その補佐として傍らに控えたのが、名将ウルゲイル・ワイズ=トーランと名軍師エヴェレット・リノン=フォンデルギーズであった。

 対するハーグシュの総大将は、ハーグシュの獅子との異名で知られる名将クウィンダン・サダガルドを従えた二十五になる第二王子であった。

 元はと言えばスキーレンドの王位争いであったものが、何時しか戦は激化し、ついにはユトレアがハーグシュ王都を陥落せしめた。そこにハーグシュ王国は滅ぼされ、王家の男子達は幼子おさなごに至るまで首を落とされるに至った。

 スキーレンド新王にはユトレア第三王子が据えられ、ハーグシュの血を引く前王の孫王子は何とも都合の良い事に原因不明の死を遂げた。それがユトレア側による暗殺であろう事は疑いようも無い。そして....、それから早一年が過ぎ去っていた。





 終戦から早一年、王国から完全に戦の痛手が消えたわけでは無かったものの、王都はすっかり活気を取り戻したかに見えた。市場の食材の種類も豊富になり、市井の民達の表情も明るく朗らかに見えた。

 その王都の目立たぬ一角にひっそりと佇む長身の人影が二つ。一人はマントのフードを深々と被り、顔立ちと言えば口元しか見て取れず、もう片方はというと深く被ったフードに加えて顔に布を巻き付けているらしく、顔立ちなど全く見ては取れなかった。二人共その身に剣を帯びているであろう事は、薄汚れ擦り切れたマントの上からでも見る者が見れば分かったであろう。

 「あれを......」

 一人が低く囁いた。促された男がそちらへ目を向けると、商人らしき風体の男達が視界に入る。何やら言葉を交わしている様子だが声までは無論届かない。しかしその商人達の唇の動きに注視する。

 「ハーグシュ人と見えるな.....」

 「恐らくそうでしょうね」

 「あの身のこなしからして、剣を使う者等か.....」

 「ああいった者達を、近頃頓とみに見かけます」

 商人達は短い会話を交わすと、それぞれ別々の方角へと足早に去って行った。それを見届けるとその二人もやがて人知れずその場を去った。





 近頃セレーディラは、侍女かしずき達と共に刺繍を刺して時を過ごす事が多かった。

 皇太子妃が刺繍の為の一揃いを所望した時、侍女達は彼女が針を飲み込みやせぬかと案じて皇太子に伺いを立てたものであったが、それも杞憂であった。

 その日、ラドキースが訪れた時も彼女は侍女達と共に刺繍を刺していた。


 「大分出来上がってきたのだな」

 ラドキースがセレーディラの手元を覗き込みながら言うと、彼女はラドキースを見上げて静かに微笑んだ。二人の侍女達が頭を下げると、微かな衣擦れの音と共に姿を消して行く。ラドキースは、セレーディラの傍らで丸くなっていた白猫をひょいと抱き上げ、彼女の隣に腰を下ろした。

 「器用なものだな、そんな細かい手仕事を....」 

 ラドキースが最早仔猫では無くなった白猫の毛並みを撫でながら、感心した様に言う。

 「わたくしの趣味ですの」

 「あの時は教えてくれなかったな? その様な事」

 あの時とは、初めて二人が顔を合わせた時の事である。セレーディラは手を休め遠い瞳をする。

 「あの頃は、まだ刺繍の楽しさを知りませんでしたわ。まだまだ子供で、大人しく刺繍など刺すよりも兄達を追いかけて走り回っている方が楽しかった頃ですもの.....」

 セレーディラは、ラドキースに淋し気な笑みを見せると再び手を動かす。

 

 この亡国の王女が自害に失敗してから一年。その後セレーディラが再度命を終わらせようと試みた事は無かったものの、警戒するユトレアは依然皇太子妃となったセレーディラの監視を緩める事はしていなかった。

 ラドキースは、白猫をあやしながらセレーディラの横顔を見詰めた。白い頬に、その柔らかな髪に触れたくなった。色付いた唇を塞ぎ、細い肩を抱き締めたくなった。

 あの日....、セレーディラが鏡の破片で手首を斬り裂いたあの日から、ラドキースは一度も彼女に触れていない。ファランギス以外の者達は皆、幸いな事にハーグシュ王女の自害未遂は初夜を苦にしての事と考えたのだが、実際の処、初夜など迎えられなかった為、婚儀は行われたとはいえ結婚は未だ成立していなかったのである。

 あれからセレーディラは、徐々にではあったがラドキースに対して笑みを見せる様になった。しかし翳りある微笑みがラドキースの胸を突く。

 他の女を抱いてみても心を占めるのはセレーディラの姿ばかり。後味の悪さに、とうとう他の女と寝屋を共にする気も起きなくなった。


 「近頃.....、城下で良くハーグシュ人を見かける」

 恋心を押さえつけ、ラドキースは口を開く。出し抜けに切り出されたその言葉にセレーディラは顔を上げた。

 「町人や商人の風体をしているが、身熟みごなしからして剣を使う者が多い。ハーグシュの残党が動き出しているのだろう......。そなたにとって、良い知らせであろうか?」

 ラドキースに向けていたセレーディラの空色の瞳が微かに揺れた。

 「ハーグシュの名将、クウィンダン・サダガルドの亡骸は未だ見付かっていない。もしや生きているのではと私は考えている。そうなるとユトレアにとっては厄介だ」

 白猫は今やラドキースの膝の上で平和そうに目を閉じていた。時たま耳を動かすところを見ると眠っているわけでは無いのだろう。セレーディラは無言のまま手を伸ばして、そのふさふさの毛並みを撫でた。すると白猫は顔を上げ、立ち上がると一つ伸びをしてラドキースの膝から音も無く飛び降りた。そして近くにあった鞠に戯れ付き、それを追って駆け回り始めた。セレーディラの目がその姿を追った。

 「わたくしも、猫になりたい.....」

 亡国の王女はぽつりとそう呟いた。





 カリナは裕福な商人の家の出であった。歳は十七。美人では無かったかもしれないが、鼻の頭に乗ったそばかすが何とも言えない愛嬌を醸し出している生き生きとした娘であった。十六の歳に城に召し抱えられ、半年の見習い期間を経て皇太子妃付きの侍女かしずきに取り立てられた。カリナはそれをとても誇りに思っている。行儀見習いの為に城に上がる事を許される平民の娘は、決して多くは無かったものの皆無では無い。だが皇太子妃付きにまで取り立てられる平民出の娘は、今の処カリナだけであったのだ。とはいえ皇太子妃付きの侍女達の中では一番の下っ端であった。下手な下級騎士や下級貴族の家よりもカリナの実家の方が余程に裕福であったが、城内ではどうしても階級がものを言う。カリナの平民出という事実が彼女の立場を弱くしている事は確かであったが、彼女は別段そんな事を気にしてはいなかった。周りの侍女達には確かに気位の高い者もおり蔑まれる事もあったが、カリナは元来が大らかな性質らしく、くよくよと悩む様な事も無かった。それに良く城下へと使い走りに出されたので、適度に羽を伸ばす事も度々出来た。

 今日も彼女の仕える皇太子妃の為に、刺繍糸を買いに城下へ出掛けていた。城出入りの商人に頼む事も出来るのだが、そうなるとどうしても皇太子妃の手元に届くまでには数日かかる。

 カリナは活気ある城下町を歩きながら、先日会った老人の事を思い起こしていた。つい四〜五日前、やはり今日の様に城下へと用足しに出された折、杖をついた薄汚れた老人に声をかけられた。神殿の長老の様な灰色のヒゲを伸ばしており、修道士の様な焦げ茶色の長衣姿でフードを被っていた。足取りは覚束おぼつかぬ模様であったが、杖を付き背を丸めたその姿は決して小柄では無かった。

 『宮廷にお勤めのお方とお見受け致しまするが.....』

 と、老人は柔和に切り出した。自分が城務めの侍女である事を見抜いた老人を、カリナは警戒した。老人は亡国ハーグシュの僧であり、敬愛する王女が今どのように過ごしているのかを案じていると言った。差し支えなければ皇太子妃となった王女の様子を聴かせて欲しいと、カリナに懇願した。しかしカリナはハーグシュ人と言葉を交わす事に恐れをなし、その場を逃げ出した。だがその後、多少良心が咎めた。あの老僧は、ひょとして自分が身に着けていた侍女のお仕着せから、この自分を城務めの侍女だと知ったのではないか.....。その日は天候も良く暖かであった為、カリナはマントを纏ってはいなかったのだ。きっとそうに違いないと思うと更に胸が痛んだ。害の無さそうな老いた僧に、せめて皇太子妃は健やかである事を教えてやっても良かったであろうかと..........。

 そんな事を考えながら歩いていると誰かに声をかけられた。カリナは息を呑む。あの老僧であった。


 「頼みますじゃ、お城の侍女殿。一言でも良いんですのじゃ。拙僧は、あの姫様がご無事でおらるるか心が痛くてのう....」

 老僧はカリナのマントをしっかりと掴んで、今にも泣き出しそうな顔で頭を下げる。情の深い質のカリナは、その老人が哀れになった。

 「分かったわ。仕方が無いわね」

 カリナが溜息混じりに観念すると、老僧は嬉しそうに頭を下げて礼を言う。しかし、こんな人通りの多い処で怪し気な僧と話し込んでいる姿を誰かに見られては都合も良く無い。カリナは老僧の腕を取ると、細い横道へ導いた。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ