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ユトレア年代記  作者: 秋山らあれ
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第六章  黒将軍の密使(4)






 大陸の北西から南東へと広がるエレミヤ山脈。真夏でさえも氷河に覆われる交通の難所の数多い大山脈であった。旅人の為に引かれた街道でさえも、雪の季節に超える者は無きに等しい。春夏には何者をも受け入れてくれる比較的なだらかな峠であろうとも、一旦冬将軍が訪れれば、そこは厚い雪に閉ざされし難所となる。


 山脈越えの為にユールスが所望した品々を、ルモンド・フェビアン卿はその日の内に都合して見せた。そしてユールスは、その日の内に出立する運びとなったのである。


 「ねえ、ねえ、ユールス」

 エルが、旅支度を整えたユールスを見上げながら両手を差し伸べた。

 「何だ? 俺様に内緒話か?」

 言いながらユールスが屈んでやると、エルはすかさず背伸びをして、ユールスの頬にちゅっと愛らしい口付けをした。

 「気を付けてね、ユールス」

 「うをぉぉっ! エルっ!」

 ユールスは涙を流さんばかりに感激した。

 「何か百人力だぜ、俺様。乙女の口付けは身を守ってくれるって言うからな」

 「何だ、そうなのかい? 何で早く言わないんだ?」

 言うやロジェリンはユールスの胸ぐらを掴み引き寄せると、反対側の頬にぶちゅりと口付けを落としてやる。

 「旅人を加護するのは乙女の口付けだけだぞ、ロジェリン」

 「何が言いたいんだい、ファランギス?」

 「乙女の定義を知らんのか?」

 「妬くなって、ファランギス」

 ユールスにからかわれ、ファランギスはあからさまに嫌そうな顔をする。

 「殴られたいのか、お前は?」

 「暴力反対! お姫ちゃんの教育上良く無いだろ!?」

 ユールスは両手で頬を押さえつつ道化の様に後ずさる。その仕草が可笑しくて、エルは可憐な笑い声を上げた。ロジェリンも “やれやれ、全くだよ” という言葉と共に苦笑すれば、つられたのかファランギスも鼻を鳴らして笑みを見せた。

 「ユールス」

 ラドキースがいつもの静かな佇まいでその名を呼んだ。

 「これを頼む」

 そう言って差し出された一通の書簡を、ユールスは受け取り頷いた。宛て名も差出人の名も無論記されてはいない書簡。ただ、その封鑞に押された印だけで充分であった。ユールスは、それを油紙に包むと着衣の奥へと大切に仕舞い込んだ。そして俄に真面目な面持ちを作る。 

 「必ず届ける。あんたの期待を裏切ったりしねえ、ラディ。何たって、あんたはスラグ人の俺を信用してくれたんだもんな」

 「何を今更...」

 「だってさ、俺は」

 「お前には以外に繊細な処もあるのだな、ユールスよ」

 「けっ! 何だよそれ」

 「お前らしくないという事だ」

 そう言ってラドキースが笑えば、横からファランギスも口を挟む。

 「途中で凍え死んだりしてみろ、決して許さんぞ」

 「縁起でもねえ事言うなよっ!」

 ファランギスはふと笑みを見せた。

 ユールスは照れたのか、顔を紅潮させながら金髪頭を掻いた。

 「くれぐれも気を付けて行け、良いな」

 ラドキースの言葉に、ユールスは再び笑顔を見せて頷く。

 「ああ、分かった。向こうで待ってるぜ。でもさ俺、これ届けたらまたここに戻って来てもいいんだぜ」

 「そんな危険は犯さなくて良い。向こうで大人しく待て」

 「路銀の稼ぎ手がいなくなっちまうんだぜ、大丈夫かよ」

 「何を言うか、私にだって路銀くらい稼げる。まあ、お前のとは方法は違うが」

 そのラドキースの言葉に、ファランギスが目を剥いた。

 「何を仰いますか!? 殿下はダメに決まっているでしょう!? 路銀など私が何とかします」

 そんなファランギスの様子にロジェリンが突然笑い出す。

 「若先生を叱りつける奴なんて、あんた位のもんじゃないのかい? ファランギス」

 その言葉にラドキースも苦笑しながら同意する。

 「確かに、王を除いてはお前位なものであったな、昔から...」

 ファランギスは少しわざとらしい咳払いを零す。

 「乳兄弟としての特権だと思っています」

 ファランギスの苦々し気な表情に皆が笑い声を上げた。

 「お前には感謝している、ファランギス」

 突然のしみじみとした主君の言葉に、ファランギスは今度はきまり悪気な表情となる。

 「へえ、あんたでも照れるんだな、ファランギス。おもしれぇ」

 ユールスが言わなくても良い事をあえて口にする。

 「うるさい、さっさと行け」

 「分かってらあ。ラディ、皆、言って来るぜ」

 ユールスは最後まで明るい表情で部屋を出て行った。そして、人目につかぬ様にファランギスの愛馬であるユクラテと共に、領主館を後にしたのであった。


 


 残された一行は、その翌日にルトの領主の所有する郊外の狩猟館へひっそりと移った。領主館から馬車で半日程のそこは、人里離れたこじんまりとした館であった。 

 彼等がその館の客人となった翌々日から、ウォーデンは本格的な雪となった。





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