第六章 黒将軍の密使(2)
「やってる、やってる」
ロジェリンが額に掌を翳して道の先で起きている乱闘を眺めた。一旦逃げたと見せかけたエルとロジェリンは、途中で引き返して来たのだ。
「招かれざる客があんなに沢山いるけれど、大丈夫かな....?」
エルが不安そうに呟くと、ロジェリンは一笑する。
「大丈夫さ! 若先生とファランギスだよ。それにあのユールスだって、結構良い腕をしてる。おまけにあたしが加勢するんだ。やられるわけが無いだろう?」
ロジェリンは、ゆっくりとユクラテを歩ませると、やがて斜に止めた。そして手綱をエルに握らせると、襷掛けに背負っていた弓を外して背の矢筒から矢を二本引き抜いた。薬指と小指で器用に一本の矢をぶら下げながらもう一本を番えると、ロジェリンは弓を引き絞る。きりきりとしなる弓の音を耳にしながら、エルは息を潜めて見守った。
幾人もの盗賊達を一遍に相手にするラドキースの動きは、普段の物静かな佇まいからは想像し難い程に激しい。研ぎ澄まされた感覚のその奥底で、ラドキースはふと思う。そういえば、こんな戦いは久々であったなと.....。そう、あの時はまだセレーディラが傍らにいたのだと.....。
数人の敵と交互に斬り結びつつ、己に向かって来た別の敵が突然つんのめる様に倒れるのをラドキースは目の端に捉えた。その太ももを貫く矢にほくそ笑んだラドキースは、「全く良い腕をしている」と呟いた。
盗賊達は、暫しの後には、地をのたうち回る姿となり、最後の一人となった半月刀の男も、間も無くしてラドキースの剣に背をしたたかに平打たれ、地に倒れ臥した。その嫌な音から、恐らくは骨の一本でも折れていたであろう。然程の時間を要さずに勝負はついていた。
「見事だったよ、三人とも」
戻って来たロジェリンが馬上から声をかけた。
「お前の腕も見事だったぞ。礼を言う、ロジェリン」
「どういたしまして」
「さて、どうしましょうか、若先生?」
呻き声を上げる盗賊達を見回しながらファランギスが尋ねた。
「このまま捨て置くわけにはゆくまいな?」
「そうですねえ....。一応応急処置だけして、縛り付けて捨て置くというのは如何でしょうか?」
「縛り付けるっても、縄なんかねえじゃん?」
用心深く敵の得物を取り上げていたユールスが二人に尋ねた。
「其奴らの衣服でも引き裂いて縛り付けておけ。運が良ければ今日中に誰かに発見されるだろう」
「ああ、成る程...。でも発見されなかったらどうすんだよ? いくらなんでも、この時期裸で夜なんか越したら、凍え死んだりしねえか?」
「知るか、そんな事。自業自得だ」
「鬼畜....」
ぼそっ呟くユールスの頭を、ファランギスは無言でべしっと叩いた。
「誰か来る様だ」
ふいのラドキースの言葉に皆が押し黙ると、遠くから蹄の音が届く。
「厄介ですね。随分と数が多い様だ」
ファランギスが顔を曇らせた。ラドキースはフードを深々と被り顔を隠した。そうせねば乳兄弟がうるさいのである。
蹄の音はみるみる大きくなり、その一行が土煙を上げながらこちらに向かって来る様子が見て取れた。そして先頭を駆ける人物にも、こちらの惨状が見て取れたのであろう、片手を上げて、後に続く騎馬と馬車を止めた。どうやらどこぞの貴人とその護衛の様である。
その内先頭にいた騎馬がもう一騎を連れてラドキース達の方へと向かって来た。
「一体、何があったのだ?」
鎖帷子の上に揃いの紋章入りのチュニックを付けた二人の騎士達の内、年嵩な方が馬上から尋ねた。
「ごらんの通り、盗賊に襲われ応戦したまで」
ファランギスが応えると、その中年の騎士はすんなりと納得したらしく、頷き馬車の元へと戻って行った。それと入れ替わりに他の五騎が駆けて来る。やはり同じ紋章入りの揃いのチュニック姿の騎士達は馬を降りるとてきぱきと後処理を始めた。馬車と残りの騎士達もこちらへと進んで来た。
数人の騎馬と共に馬車が緩やかに止まった。地味ではあるが造りの良い馬車である。その扉には騎士達のチュニックと同じ紋章が目立たない様に嵌め込まれている。騎士等が下乗すると、馬車の扉が開かれた。中から降り立ったのは、白髪とあご髭を短く刈った老人であった。老人は真っすぐにファランギスを凝視し、そして矍鑠とした足取りで歩み寄った。
「領主殿?」
素性の知れぬ者達へ近付いて行く主を止めようと口を開いた先程の中年の騎士を、老人は片手を上げて制する。ファランギスは無言のまま、目の前の老人に頭を下げた。
「そこもとは、確か.....」
老人は記憶をたぐり寄せようと目を細める。
「そう....、確かファランギス殿と申されたな?」
押さえた声音で老人は尋ねた。
「ご記憶なさっておられましたか、ルモンド・フェビアン卿」
ファランギスの微笑と応えにルモンド卿は一つ頷き、視線の中に捉えたフードを深々と被った長身の人物と、円な瞳でこちらを見詰める少女へと目を向けた。その黒曜石の様な瞳に、ルモンド卿は胸を熱くした。
「団長」
突如呼ばれた騎士は、我に返りファランギスへと向けていた視線を振りほどいた。嘗て、酒場で意気投合した旅人の事を思い出したのかもしれない。だが、そんな事はおくびにも出さずに、ルトの騎士団長は、武人らしい短い返答と共にルトの領主、ルモンド・フェビアンへと向き直る。
「これだけの数の盗賊を捕縛出来た事は、喜ばしい事だ。この英雄方にそれ相応の礼をせねばならぬ。鄭重に屋敷へご案内するように」
「はっ、畏まりました」
今しがたまで警戒していた団長も、彼等が領主とは顔見知りである事を知り警戒を解いたのか、存外人なつこい笑顔で頷いた。
ラドキース一行は、ルトの領主の招きを受ける事になった。
ルトの領主館へ戻ると、ルモンド・フェビアンは一行を私室へと招き入れ、それとなく人払いをした。領主のそういった行いは別段珍しい事でも無かったので、召使い達もこれといって不審に思う物も無かった。
「無事で何よりだ....」
ルモンドの口から、まるで独り言の様な声が洩れた。その瞳は、フードに隠されたラドキースの顔へと揺るぎなく向けられていた。
「初めて貴殿にお会いしたのも、あの街道沿いでありましたな。あの時も、盗賊を退治して頂いた。何とも奇しき偶然であろうか.....」
他に言葉を発する者の無い中、ラドキースはゆっくりとフードを下ろした。
「誠、奇しき偶然にて、ルモンド卿」
「ラディ.....、いや、ラドキース殿下」
ラドキースは穏やかな笑みと共に、首を横に振った。
「以前通り、ラディとお呼び下さい」
ルモンドは感極まったかの様な表情で、数度頷いた。
「久方ぶりです、卿。息災でおられましたか?」
「うむ、年は重ねたがこの通り」
己の身体を示す様に、ルモンドは軽く両手を上げて微笑んだ。
「貴殿も達者であられたか?」
ルモンドのラドキースに対する言葉は、昔とは異なり敬語であったが、ラドキースは何も言わずにただ首肯した。ルモンドの目がラドキースの影に隠れる様にして立っていた小さな少女へと注がれた。ルモンドは慈愛に満ちた瞳で少女を見詰め、ゆっくりと近寄ると、その前に跪いた。
「お母君に、良く似ておられるな、エル姫。だが、眼はお父君譲りであられるか?」
目の前で柔和に微笑む見知らぬ老人が、自分の名を知っている事に、エルは少し驚いた。
「このルトの御領主、ルモンド・フェビアン卿だ。お前の母と私が、嘗てひとかたならぬ恩を受けたお方だ、エル」
父は、娘の背を押しながら静かに言った。エルは父から再び、目の前に跪く老人へと目を向けた。
「エルディアラと申します。どうぞよしなにお願い致します。ルモンド・フェビアン様」
幼い少女が、礼儀正しく挨拶の言葉を口にすると、その愛らしい笑顔にルモンドは相好を崩した。
「エルディアラ姫と申されるか。何と美しい名だ。この命ある内に、姫にお目通り適うとは、思いもせなんだった。何と喜ばしい事か...。ファランギス卿よ、貴殿が貴殿の主君たる父娘を見出す事の適いし事、誠に、誠に良かった....」
溜息にも似たルモンドの声には、深い実感がこもっていた。